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2019年12月 7日 (土)

安倍総理の「日本を取り戻す」と「復古即革新」

「日本を、取り戻す」は、平成二十四年から安倍晋三氏と自由民主党が使った自民党政権公約の題名である。同年に行なわれた自由民主党総裁選挙でこの言葉を使い、安倍氏は勝利した。さらに同年に行なわれた第46回衆議院議員総選挙でも自民党は大勝した。

 

安倍晋三氏は平成二十五年の著書でこの言葉について「これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません。敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」と説明した。

 

 

安倍氏が取り戻すべき「日本」とは何時の事であるかというとそれは、「戦後ではない時代であるということになる。この考え方は、私は概ね正しいと思う。戦後日本の混迷から一日も早く脱却することが大切である。

 

しかしながら、戦前の日本が理想であり、戦前回帰が正しいとするわけにはいかない。戦前の日本が理想の國であったのなら、昭和維新運動は起らなかったはずである。やはり吾々は明治維新への回帰そして神武創業へ回帰を目指さねばならない。

 

大化改新・建武中興・明治維新などわが国の変革の基本理念は〈復古即革新〉である。現状を一新し変革することと〈元初のあるべき姿への回帰〉が相互に作用し一体となる。明治維新においては、近代的諸制度の形成といふ「御一新」と神武創業への回帰といふ「復古」は一体であった。復古即革新である。具体的にいへば、徳川幕藩体制打倒は天皇中心の國體明徴化であった。

 

明治維新後初めての御遷宮は、明治二年度の御遷宮である。その前段階として幕末の御蔭参りの国民的盛行があった。

 

御蔭参りとは、御蔭年に伊勢神宮に参拝することで、特に、江戸時代以降、間欠的におこった大群衆の伊勢参りをいふ。御蔭(恩恵)のいただけるありがたい年としてのお蔭年の観念が発生し、約六十年を周期として顕著にあらはれた。季節は三月ごろが多かった。

 

明治二年三月の御遷宮は、まさに明治維新と呼応するものとなった。そしてこの年、明治天皇は、神宮を御親拝された。天皇の神宮御親拝は史上例のないことであり、皇祖神への御崇敬のまことを御自ら捧げられることとなった。

 

そしてこの年の六月に、諸侯の土地人民を天皇に奉還する「版籍奉還」が行はれ、各藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に奉還し、改めて知藩事に任命され、廃藩置県の前提となった。七月二は、「職員令」による新国家体制が発足した。

 

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」(『風土』)と論じてゐる。

 

古代ギリシアやローマは、恒久的な神殿を建設しやうと考へたが、結局は廃墟をのこすのみとなった。日本民族は、神殿を定期的に作りかへることによって、神及び神殿を再生し続けて来た。日本の神と神殿は、永久不変であると共に永遠に新しいのである。

 

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