« この頃詠みし歌 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月十六日 »

2019年12月16日 (月)

 古代の「むすび信仰」が歌はれた歌

 中皇命(なかつすめらみこと) 、紀の温泉に往きましし時の御歌 
                                       
                                       
 君が代もわが世も知るや磐代(いはしろ)の岡の草根(くさね) をいざ結びてな  (『萬葉集』一〇番)

 中皇命は、萬葉初期の歌人。間人皇女(はしひとのひめみこ) の御事かといはれてゐる。間人皇女は舒明天皇の皇女。天智天皇の妹君にして天武天皇の姉君にあたられる。大化元年(六四五)に孝徳天皇の皇后になられ、天智四年(六六五)に崩御された。一方、中皇命を斉明天皇とする説もある。「紀の温泉」とは和歌山県西牟婁郡白浜町の湯崎温泉。

 「君が代もわが世も知るや」の「君」は男子に対する尊称で中大兄皇子を指す。「しる」は単にものごとを知識として知るといふのではなくもっと深く「領知する(領有して支配すること)」の意。天皇の御統治の御事を「しらす」「しろしめす」といふのと同意義。今日でも「そんなことは知りません」といふのは、単に知識として知らないといふ意味以上に、「私には関係がない」といふ意味も含まれる。「知る」とは「関係する」「司る」「統治下に置く」といふ意味である。

 天皇の國家統治のことを「しらしめす」と申し上げるのは、天皇が天の下の全てを認識され、全てに関係され、領有し統治されることである。それは、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であるから可能になるのである。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを領知され認識され司られることができるのである。

天皇國家統治の「みしるし」である三種の神器の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐるのである。天皇は自己を鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

近代日本の哲學者・西田幾太郎は、「知と愛とは同じである」と言った。知ることと愛することは一体である。愛とは捨身無我である。自分を相手のために捧げるのが愛の極致である。自分を無にしなければ本当に相手を知ることは出来ないし、愛することもできないのである。天皇陛下の國家統治もご自分を無にされて天下萬民を愛されることなのである。学問も自分を無にして学ぶ心がなければならない。

「や」は感動の助詞。「磐代」は和歌山県日高郡南部町岩代及び東岩代。紀の國に通じる熊野街道の要衝にあたり、旅人が木の枝や草を結び行路の平安を祈り予祝する神秘的な場所であった。「磐」には長久の意味がある。「草根」は草のことで、「根」は接尾語。「いざ」は人を誘ひまた自ら行動を起こそうとするときに発する語。「な」は勧誘をあらはす。

通釈は、「あなたの寿命も私の寿命も支配し知ってゐるといふ、この岩代の岡の草を、さあ結びませうよ」といふほどの意。

間人皇女は、兄君・天智天皇とひそかな恋をされてゐたといはれてゐるので、中皇命を間人皇女とすると「君が代」の「君」は天智天皇の御事とされる。斉明四年(六五八)に斉明天皇が紀温泉に行幸されたときの歌であらう。このとき既に間人皇女の夫君・孝徳天皇は崩御されてゐた。

また中皇命を斉明天皇とすると「君が代」の「君」は舒明天皇の御事とされる。ともかく愛する人と共に紀國へ旅をされた途中でお互ひの旅の平安を祈られた御歌。  

「むすび」といふのはわが國傳統信仰上とても重要である。漢字では「産靈」と書く。生命の誕生・万物の生成のことである。大伴家持の長歌の「山行かば草生(む) す屍」の「むす」である。『古事記』冒頭の造化の三神(天地生成の神)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)である。宇宙の中心の神・男性(陽)の神・女性(陰)の神といってよいと思ふ。男性と女性がむすび合はされて生命が誕生するといふことである。生まれてきた男の子が「むすこ」であり女の子が「むすめ」である。手を結ぶとは「人と人とが和合する」こと。御飯をむすんだものを「おむすび」と云ひこれを食すると生命が生き長らへる。「むすび」とは命が発生し長らへることである。

この歌は、あなたと私の寿命といふものを知ってゐるところの靈験あらたか岩代の草を結んで、岩代の岡の巖のやうに命長く幸せであることを祈りませう、といふ歌である。古代民間信仰が歌はれた歌である。

この歌は、『古今和歌集』巻第七に「賀歌」に分類されて収録されてゐる歌、

 「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」
 (わが君のお年は、千代に八千代(非常に長い年代)にまで続いていただきたい。一握  りの小石が大きくなり、巖となって、苔が生へる時までも)といふほどの意。

に通じる。この歌の初句が「君が代は」となり、今日の國歌「君が代」になった。

|

« この頃詠みし歌 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月十六日 »