« 千駄木庵日乗十二月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十日 »

2019年12月20日 (金)

天皇國日本の生成は祭祀による統合である

わが國は、「豊葦原千五百秋之瑞穂國」(トヨアシハラノチイホアキノミヅホノクニ)と言ふ。トヨは美称。チイホアキは千年も五百年も長く豊作が続くといふ意。ミヅホは瑞々しい稲穂が稔るといふ意。稲作國家日本を祝福した言葉である。つまり、この國土に生活する人々は稲作生活を基本としてゐる。稲作生活において共通の生活意識を持つやうになり、同一の祭祀や文化や言語を育むやうになった。

稲作は、本来一人で行はれることはない。田植ゑにしても刈り取りにしても共同作業である。さうした共同作業が周期的に繰り返されてゐる。また、先祖から伝へられた農作業の技術や耕された耕地を継承して行はれる。そして、豊作を祈り、感謝する行事である「まつり」が周期的に行はれてゐる。それは自然への祭祀と共に祖霊への感謝のお祭りである。かくして信仰共同体・祭祀國家が生成したのである。

その祭祀國家の基本にあるのは、共同体の中に生きる民衆の精神的物質的福祉即ち幸福を希求する精神である。民衆の福祉實現といふ根本的目的のために、祭祀が行はれ、その祭祀を中心として共同体が生々発展した。そしてその祭祀の中心的執行者が天皇である。古代においては、祭祀主と政治的統率者は一体であった。これを「祭政一致」と言ふ。

日本國を「ヤマト」と言ふ。高崎正秀氏は、舒明天皇の國見歌を論ずる論考で、「ヤマトといふトとは神座を指す意味を持ってゐるから、山の神事を行ふ座席――山の神座(カミクラ)――それがヤマトではなからうか。そこで行はれる神事儀礼呪術の威力の及ぶ範囲が同時にヤマトと呼ばれ、これが次第に國名になり、日本総國の國号にまで拡大されて行く」(『國見歌の傳統と展開』)と論じてゐる。

「大和」の語源は、「祭祀が行はれる山へ入り立つ口」即ち山の門(と)であり、山の門を抜けると広い平原=磯城平原に出る、そこを「やまと」と言ったといふ説もある。つまり、「やまと」とは「ヤマ・ト」(山の門=山の入口・「港」はミナ・ト即ち水の入口といふ)といふ意味である。いづれにしても、「やまと」とは、日本天皇に祭祀よって統合された範囲の地を指すのである。天皇國日本の生成は、祭祀による統合なのである。

要するに、日本國家の成立は日本列島各地に存在した多くの祭祀共同体を統一する祭祀的統一であった。その祭祀的統一者・祭祀主が天皇である。日本國家統一の原基は、武力や権力による抑圧的支配ではなく、祭祀主の神聖権威である。祭祀主たる天皇は國民と自然と神とのむすびの役目を果たす。

|

« 千駄木庵日乗十二月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十日 »