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2019年11月 7日 (木)

祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる

日本人の自然を愛する心、自然に寄り添う心は、西洋の冒険心、そしてさらに言えば自然を作り替えようとする精神は全く異なる。日本人にとって自然は、対立するものでも征服するものでもない。随順して生活するものである。しかしさう簡単に言いきることができるだらうか。自然が人間に猛然と襲いかかって来る時、どうするのか。

自然を畏敬し、自然に宿ると言ふよりも自然そのものである神霊を祭り、祈るしかないのではないか。今日の日本人はさうした心を忘却していたのではないか。

考へてみれば、野山の精霊たちや動物たちは、自分たちが生きてゐた所に、後から人間が割り込んできて、生活し始め、自然を作り替え始め、さらに殺し始めた。

人間は、野山だけでなく、広大なる海も空も山々も、自分たちのものと考へて来たのではないか。それが近代文明の発展ではないのか。そして今日、人類は、その自然から復讐と言っては言い過ぎなら、しっぺ返しを受けているのではないか。近年、市街地と言はれる所に熊や鹿が出没し人間を襲うことも、まさにその典型であらう。

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

それは鎮守の森には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。 

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なものとなってゐる。

わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じ、これを信じ込ませるといふのではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神とおろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

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