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2019年11月 2日 (土)

「復古即革新」について

先日開催されたある会合で、自民党ベテラン議員が「明治の日制定が夢間違っても復古調と言われてはならない」と言ったのには驚いた。

日本民族は、「復古即革新」「保守と革新の合一」といふ観念と行動様式を持ってゐる。日本民族は、根底にある伝統をあくまでも守りつつ、常に革新を行ってきた。

近代日本も、多くの矛盾や問題はあったが、伝統国家は破壊されることはなく、西洋文化・文明を取り入れつつ進歩発展を遂げた。この中核にある純粋文化伝統は、太古以来の祭祀を中心とする日本民族の傳統信仰である。そしてその傳統信仰の祭祀主が、歴代天皇であらせられる。

肉身の天皇は変わられても、天照大御神以来の靈統は万古不易に継承されるといふ「皇位継承」は、まさに「復古即革新」といふ日本の純粋なる伝統的文化様式の典型である。

天皇・皇室は伝統の体現者であらせられ、継承者であらせられると共に、革新と発展と外来文化文明包容摂取の中心者であらせられるのである。

幕末以来、日本は貪欲なくらいに近代科学技術・西洋文明を包容摂取した。文明開化・富国強兵・殖産興業とは、「西洋文化文明摂取包容」の別名である。「尊皇攘夷」を唱えていいても、柔軟にして革新的な意思と態度を持っていた。そしてそれが伝統ある日本國を守り発展させることになると信じたのである。

それは頑迷固陋な保守主義ではなく、まさに明治天皇が御製に示された

「よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな」

の大精神である。

民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

今日の危機的状況を國體の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。わが日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である。

今日の日本はまさに混迷を深めている。しかし、混迷を深め国家民族が危機に陥っている時にこそ、変革が行われる。それがわが国の歴史である。

変革は、明確なる理想が掲げられ、民心が一致することが肝心である。しかし、変革は、いたずらに精密なる理論や教条に基づいて行われるわけではない。国民全体を奮起せしめる現実の危機によって断行される。理論は現実の危機打開の実行行為と共に生起し構築される。

しかし、大化改新・建武中興・明治維新という我が国の変革の歴史は、天皇を君主と仰ぐ國體意識・尊皇精神の興起が原基となって断行された。これを復古即革新即ち維新と言う。

天皇を原基とし原理とするが故に、醜い政治権力闘争ではなくなる。美しく荘厳なる変革となる。それが他国の革命との絶対的違いである。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ神聖国家・道義国家の再生が、日本的変革即ち維新の本質なのである。

祭政一致の清明なる「まつりごと」の回復である。教条や政治理論に基づく体制変革ではない。

醜悪な国になりつつある祖国日本を救済する大変革それが維新である。今こそ、復古即革新即ち維新断行の時である。

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