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2019年11月17日 (日)

自然を神として拝む心の回復

『神社新報』本年(平成三十一年)一月二十一日号に、神崎宣武氏(岡山宇佐八幡神社宮司)が「信仰の山」と題する論文で次のように書いておられる。

「世界遺産には、自然遺産と文化遺産とがある。富士山は、文化遺産として登録されてゐるのだ。その事由について端的にいふと、『日本人の信仰の山の象徴』としてである。日本には、各地に霊山霊峰(御山)がある。そこでは、山頂・山腹・山麓の区分がある。山頂部は神の在所、山麓部は人の在所、そして、三腹部は人が神から山の幸を授かるところ。日本人は、歴史を通じてさうした認識を共有してきたのだ。それを、アニミズム(山岳信仰を含めての自然信仰)といふ。世界の先進国のなかでは、日本がもっともよく伝へてきた精神文化なのである。…私たちは、このことを、真摯に受けとめなければならない富士山を代表される『御山』は、日本人だけの文化遺産ではなく、日本人がしかと世界にその伝承を約束した『アニミズム』なのである」。

小生は、もう四十年以上も前になると思ふが、木曽の御嶽山に御嶽講の人々と共に登ったことがある。先達の方と共に、「御山は青天、六根清浄、サンゲサンゲ、六根清浄」と唱へつつ山頂を目指した。もちろん、山道に痰や唾を吐いてはならず、山頂を杖で指してはならないと厳しく言はれた。御嶽山を神と仰ぐ心である。まことに清々しい思ひをし、心身共に清められたと感じた。

アイヌの人々は、ヒグマのことをキムンカムイ(山のゐる神)と呼び、熊を神として尊んだといふ。私は、北海道の斜里に行った時、カムイワッカといふ川の温泉につかった。神の川といふ意味である。温かいお湯が流れる川を神として拝んだのである。

アイヌの人々には、「神々が人里を訪れる時には動物や植物の姿になる」といふ信仰があるといふ。集落を守る神もゐるし、火の神、水の神もゐるといふ。津波や地震を起す神もゐると信じられてゐるといふ。

日本人の自然を愛する心、自然に寄り添ふ心は、西洋の冒険心、そしてさらに言へば自然を作り替へようとする精神とは全く異なる。日本人にとって自然は、対立するものでも征服するものでもない。随順して生活するものである。しかしさう簡単に言ひきることができるだらうか。自然が人間に猛然と襲ひかかって来る時は、どうするのか。

自然を畏敬し、自然に宿ると言ふよりも自然そのものである神霊を祭り、祈るしかないのではないか。今日の日本人はさうした心を忘却してゐたのではないか。

考へてみれば、野山の精霊たちや動物たちは、自分たちが生きてゐた所に、後から人間が割り込んできて、生活し始め、自然を作り替へ始め、さらに作り替へ殺し始めた。人間は、野山だけでなく、広大なる海も空も山々も、自分たちのものと考へて来たのではないか。それが近代文明の発展ではないのか。そして今日、人類は、その自然からしっぺ返しを受けてゐるのではないか。近年、市街地と言はれる所に熊や鹿が出没し人間を襲ふことも、まさにその典型であらう。

山や川や樹木などの自然を神として拝むのは、西洋人とは全く異なる文化であり、信仰である。かうした信仰心を今日回復しなければならないと思ふ。それが自然災害を少なくし、動物と人間との真の意味の共生への道であると思ふ。今日、日本人はこのことに目覚めなければならないと思ふ。「日本の神々と祭祀の心」に回帰することが現代の日本を救ふ方途である。

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