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2019年11月30日 (土)

千駄木庵日乗十一月三十日

午前は、諸事。

午後は、広尾の山種美術館で開催されている『東山魁夷の青 奥田元宋の赤―色で読み解く日本画』展参観。

帰宅後は、資料の整理、書状執筆など。

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2019年11月29日 (金)

中曾根康弘元総理のご冥福を心から祈ります。

中曽根康弘氏が亡くなった。心からご冥福を祈ります。戦後の政治家の中で、いわゆる「宰相」としての風格というか貫禄のあった人は、それほど多くはなかったが、中曽根氏はその一人であったと思う。勿論政治姿勢などで批判すべきところは多々あった。しかし、中曽根氏が「戦後政治の総決算」ということを宣明し、自主憲法制定に総理在任中から亡くなるまで努力し続けたことは高く評価したい。

 

政治家と官僚をうまくコントロールするために、後藤田正晴を官房長官に起用したのは大きな間違いであった。後藤田は、警察官僚として中曽根氏より先輩であった。そして、後藤田は憲法問題・国防安保問題という肝心要の事で中曽根氏の足を引っ張り続けた。奥野誠亮先生は後藤田より一年先輩だが、改憲論者であり、後藤田とは政治姿勢が全く違っていた。

 

中曽根氏には小誌『政治文化情報』をずっと送らせていただいていたが、お礼と激励の手紙を頂いたことも良き思い出である。そういうことがあったから言うわけではないが、中曽根氏は戦後の総理のなかでは、吉田茂・岸信介両氏と並んで歴史に残る宰相の一人であろう。安倍総理にも是非とも正統憲法回復を実現して歴史にのこる宰相となってもらいたい。

 

戦後日本を建て替へて自主独立を求めんとせし政治家は去りぬ

 

憲法を正しくすべしと主張しつつ晩年を元気で生き来し政治家は去る

 

国家民族の根幹のことを主張せし政治家はあはれこの世を去りぬ

 

手放しでほめるにあらねどこの頃の政治家に比すればほめるほかなし

 

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千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は、諸事。

午後三時半より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『明治の日推進協議会運営委員会』開催。相澤宏明氏が座長。古屋圭司衆議院議員がスピーチ。古屋氏は「この法案は絶対に通したい。『明治の日』は日本近代の原点」と語った。全員で討論。

帰途、根津にて、地元の友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2019年11月28日 (木)

笹川平和財団主催 『イラン・イスラム共和国外務次官来日記念講演 中東・イスラム事業グループプログラム 中東におけるイラン:外交政策と展望』における登壇者の講演内容

四月九日に開催された笹川平和財団主催 『イラン・イスラム共和国外務次官来に津記念公園 中東・イスラム事業グループプログラム 中東におけるイラン:外交政策と展望』における登壇者の講演内容は次の通り。

 

セイエッド・カーゼム・サジャドプール氏(イラン・イスラム共和国外務次官 研究・教育担当、イラン国際問題研究所(IPIS)所長)「イランに関わる問題は様々な見方がある。今日は學者という帽子をかぶって非公式の立場で話してみたい。外交官は国のために嘘をつく。真実を語らない。軍人は国のために死ぬ。学者は国のために分析する。説明を加える。私は学者の立場で話す。

 

革命防衛隊をテロリストと規定したアメリカは片寄った否定的イメージ。イランの立場を理解してもらうのが重要。イランは危険な国と決めつけている。烙印を押している。対決対立の姿勢があるようにとらえる。全てイデオロギー的色がついている。恐怖心をはびこらせる。平和と安定に資することはない。地域の一つの勢力を持つ国である

 

イランは大国でありプレイヤーである。自立した国として立場を維持することができる。革命前二世紀は外からの干渉があった。そこから離脱した。規範的基盤を持った。大国であるイランは他国からの圧力に屈することはない。

 

冷戦後ユニークな立場に立った。多極的な世界で重要な役割を果たせるようになった。安全保障は国内資源によって守ることができる。イランは政治的に成熟している。産業・教育も成熟している。今はまだ構築のプロセスの最中。色々な圧力に対応できる。規範作り・概念作りをする。地域的にも覇権主義に反対。緊張関係は私たちが高めたのではない。シリアの安全保障を確保した。

 

イランは国連創設国の一つ。アメリカ大統領に人種差別の傾向がある。トランプは国際法の基本を無視していると言われている。イランに制裁を課している。これは経済的テロリズム。しかしアメリカは北朝鮮と交渉している。

 

アメリカが唯一の地域の力の強いプレイヤーではない。外部勢力にわれわれは依拠していない。アメリカは隣国ではない。我々は他に依存してはいない。複数の戦略的なつながりのある國を持っている。変化もあるが抵抗もする。イランは何百年も存在して来た。サパイパルの名手である。革命防衛隊は防衛・安全保障の柱として憲法に定められている。アメリカのやっていることは主権侵害。我々はアメリカを恐れてはいない。イランは受け身のアクターではない。アメリカのやり方はイランの宗教的ナショナリスティックな立場を強くする。イランは多角的経済を持っている」。

 

サイーデ・ロトフィアン氏(テヘラン大学法政治学部教授「長崎と広島に行きました。日本国民の核軍縮についての貢献に深い敬意を抱いている。安保上地域の国々にジレンマがある。シリアはアサドが権力にしがみついている。イランはアメリカと対立し地域の同盟国との関係を強める。近隣諸国に戦略的パートナーがいる。アメリカはイランのミサイルに対処しようとしている。そうである限りイランは核能力向上に上限を付けることはない。

 

戰爭や経済制裁に苦しんできたイラン国民は強靭になっている。孤立したままではあり得ない。イランは制裁があっても無くても石油やガス資源は大きな國。イランはそれほど石油収入に頼っていない。絶望的状況に置かれることはない。革命防衛隊はプロフェッショナルな軍隊。アメリカの沿岸警備隊のような役割を果たしている」。

 

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千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、諸事。室内整理・整頓。

午後からは在宅して、資料の整理、原稿執筆・校正など。

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2019年11月27日 (水)

今日の講演会で聴いたこと

本日行われた『新聞通信調査会定例講演会』における堀越豊裕共同通信社外信部次長による「日航ジャンボ機墜落事故は謀略か?」という講演は、新聞社の通信社のOBが多く出席していた。

出席者から「謀略と言うから謀略の実態についての話が聴けると思ってゐた」「日本航空は役所の嫌な面と大企業の嫌な面を両方持っている」「日航は半官半民の特殊な会社」「機体に問題があったのに、ボーイング社への賠償請求は、アメリカ政府の圧力でうやむやになった」という意見が出された。

昔、中曽根総理が日航の体質を変えようとしたのか、伊藤淳二鐘紡社長を日航に会長として送り込んだが、体よく追い出されてしまった。メディアや政治家を使って猛烈に伊藤淳二氏排撃運動が行われ、伊藤氏は悪人にされてしまったと記憶する。

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千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は、諸事。

 

午後一時半より、内幸町の日本プレスセンターにて、『新聞通信調査会定例講演会』開催。堀越豊裕共同通信社外信部次長が「日航ジャンボ機墜落事故は謀略か?」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

 

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。資料の整理。

 

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大東亜戦争の意義について

大東亜戦争開戦記念日が近づいてきた。祖國日本は、英米の東亜侵略に抗して自存自衛のためにアジア解放のために立ち上がったのである。

昭和十六年十二月八日、影山正治氏は、

「いざ行きて今こそ撃てと待ち待ちし神のみことは天降りたり」
「そ根芽つなぎ撃ちてし止まむ皇軍(みいくさ)の起ちのきほひはさやかなるかも」

と歌い、

保田與重郎氏は、

「対米宣戦の大詔を拝し、皇國の向ふところ、必ず神威発するあるを確信した。…神命は常に國際謀略を霧消せしめ、万民草莽の苦衷は必ず大御心のしらしめすところ、まことに神州たる所以、神州不滅の原理を感銘し、感動し、遂に慟哭したのである」

とその日記に記し、

中河幹子氏(歌人・中河與一氏夫人)は、

「戦へば勝つ皇軍やいにしへゆしか思へども涙あふるる」

と歌った。

また、中村武彦氏は、戦争直後獄中で「今こそ撃てと詔(みことのり)/承けて起ちたる暁の/あの一億の感激を/敗けたからとて忘られよか/そうだ敗けても国護る/大和魂われにあり」と歌った。

大東亜戦争の結果、インドネシア・フイリッピン・インドシナ半島諸國・インドそしてアフリカ中近東の数多くの國々は民族独立を獲得したのである。

自國の歴史に誇りを持つことが最も大切である。これなくして将来の日本はない。それが為にも、「侵略戦争論」は絶対にこれを排撃し訂正しなければならない。

大東亜戦争の意義、その聖戦たる所以について論じられた草地貞吾氏(関東軍作戦参謀)の次の一文を記させていただく。

「十二月八日、いよいよ、大東亜戦争の発動となり、…赫々たる緒戦の戦果が、眠れる東亜諸人種・諸民族に与えた感作・影響は甚大なるものがあった。…大きな一撃が西欧の實力を破砕すると共に東亜全域の民心を覚醒した。…大東亜三十余國の独立は、この時成ったというも過言ではない。」「戦後半世紀の間に、新しく百二十を超える独立國が出現した。しかもその多くは大戦終わって間もなくの頃である。…壮大雄渾なる大東亜戦争の発動と、それに誘発奮起したアジア・アフリカ人種・民族の自決闘争総合の結果と言える。」「これほどすばらしい、これほど美しい歴史的行為・行動は、三千年の日本歴史上に無い。また、五千年の世界史上にも無い。實に大東亜戦争は、神武天皇以来、八紘一宇の皇謨による不可避の天命的大戦争であった。われらは今こそ、護國の礎となった靖國の英霊に無限の感謝を捧げると共に、挙國一致敢闘努力した、大東亜戦争の栄光を末長く伝えなければならない。」(大東亜戦争大観論)

欧米列強からの独立・解放が日本によって實現した今日、アジアにおいて大東亜共栄圏に近いものが生み出されている。ただ問題は、日本が敗戦後遺症から脱却できずしっかりしないがゆえに共産支那に圧迫されていることである。そればかりでなく、日本は今日自らのだらしなさにより精神的亡國の危機にさらされている。それは歴史への誇りを喪失したことが原因である。これを正す事が今日最も大切であると信ずる。

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千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。

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2019年11月25日 (月)

日本伝統信仰と現代の危機

現代日本の混迷の原因は、日本民族がその主体性・民族的一体感・愛國心を否定もしくは隠蔽し、わが國の伝統文化・道義精神を顧みなくなったことにある。戦後日本は七十年以上にわたって日本文化の土台を無視或いは軽視してやって来た。その結果が現在の混迷である。

 終戦後、わが國に対する精神の奥底に達する破壊行為=〈日本弱体化策謀〉が、昭和二十年から六年八ヵ月の占領期間に行われた。神道指令による伝統信仰の破壊、憲法の押し付け、東京裁判史観・自虐史観の強制、誤れる個人主義の押しつけ、愛國心の軽視、家族制度の解体、偏向教育、出版物の検閲、近代日本の行動原理たる「教育勅語」の失効などによって、日本民族は精神的にも制度的にも弱体化された。そして、紀元節・天長節・明治節が世俗的次元の休日に引き下された。こうした日本弱体化策謀が、今日、実を結び花開いているのだ。

 國家の基本法である『日本國憲法』の民主主義・平和主義・基本的人権の尊重といういわゆる『憲法三原理』の土台には日本の文化伝統はない。敗戦後戦勝國によって日本弱体化の意志を以て押し付けられた憲法なのだからそれは当然である。

 憲法だけではない。政治・國防・外交・教育などをあらゆる面において、戦後日本は日本民族としての主体性を喪失している。國を守るという神聖なる使命を放棄し、國を愛するという高貴なる精神を喪失した國民が、正しき道義心を持つはずがない。日本民族としての主体性を喪失した戦後教育の行き着いた果てが今日の日本である。

 日本の抑制された簡素な文化に中にある価値観と社會の仕組みが、日本の近代化の成功の原因であった。伝統を重んじながら、常に進取の気性を持っていた日本人は、本来優秀である。その優秀さは、勤勉性、高い道義心、協力と献身の精神の旺盛さ、謹厳実直さといったものに価値を置いてきたことと一体である。ところがこういった価値観を否定あるいは軽視してしまったのである。

 人間の土台は文化である。文化にはその國その民族の特殊性がある。わが國には三千年来の伝統文化がある。しかるに戦後民主主義は家族を軽視した。これを何とかしなければならない。日本民族としての主体性・帰属意識(いわゆるナショナル・アイデンティティ、民族的一体感・國民的同一性)、帰属する共同体としての民族伝統精神の回復が緊急の課題である。

 民族の主体性の回復とかナショナリズムと言うと、戦争につながるとか軍國主義だと鸚鵡返しのように言う人がまだまだ沢山いる。

 「天皇中心の國體」はわが民族伝統の根幹である。「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を継承される天皇による國家統治の本姿である。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める=共同体の中心者として統一すること)ということである。天皇國日本の倫理・生活伝統・信仰精神そしてそれに基づく國柄を総称して「國體」という。

伝統的な信仰は、民族精神の最も端的な表現であり民族意識の中核である。伝統信仰は、政治・経済・法律・芸術など他の文化と並立するものではなく、これらの文化の根源に位置する。日本神道は、日本の伝統信仰である。日本民族の主体性・独自の文化の核は、天皇を祭祀主とする日本神道である。

そのわが國伝統信仰たる神道の基本は、自然信仰と祖霊信仰である。自然信仰と祖霊信仰は、太陽神であり皇室の祖先神である天照大神信仰によって結ばれている。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。

言い換えると、わが國において太陽神という自然神への信仰と祖霊への信仰は、天照大神及びその御子孫である天皇への尊崇の精神によって統合されている。日本民族の天皇尊崇の念が日本民族としての独自性の原点である。

また日本伝統精神は文献としての「神話」によって伝えられているだけではない。天皇は神話の世界からの道統である「祭祀」を今日においても行っておられる。天皇の祭祀は「生きている神話」であり、天皇は「日本伝統精神の生きませる象徴」である。だから、天皇は生きたまう神・現御神と申し上げて尊崇されてきた。日本民族の信仰・文化・伝統を体現されるお方が天皇である。

 わが國の道徳観念・倫理思想は、〈天皇の祭祀〉を通して指し示された。日本天皇は祭祀を行われることによって道徳心の体現者となられる。なぜなら「神を祭る」ということは自分を「無」にして神に合一することであるからである。つまり祭祀主たる天皇は、〈無私の精神〉の体現者であらせられるのである。

 折口信夫氏は、「日本では、神祭りの主體となられるのは宮廷の神祭りで、その祭りに於ける主體は、歴代聖主であられた。主上の御生活には、日常の御生活のほかに、神としてのあらたまった御生活があった。そのハレの生活は更にケの生活の規範であって、同時に我々のハレの生活の典型であった。」(『宮廷と民間』)と論じ、和辻哲郎氏は、「日本は人倫國家であり、その中心は天皇の神聖なる権威である。人々は天皇の神聖な権威を通じて正義を自覚した。」(『日本倫理思想史』)と論じ、新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』)と論じている。

 天皇は、〈日本民族の道義心の根源・道の体現者〉として長い歴史を通じて仰がれて来たのである。天皇は権力機構としての國家の最高権力者ではない。また天皇を唯一絶対神として尊崇することを政治権力の國家支配のイデオロギーとするのでもない。「天皇を、わが國の祭り主、もっとも清浄な御方、地上における神の御代理、人間の姿をした神(現御神)と仰ぎ、政治・軍事・文化・宗教の最高権威者・道義の要として仰ぐ」というのが、建國以来の天皇のあるべき姿である。

 わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體の精神であった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。政治・倫理・文化など國家民族形成の基本に天皇がある。それがわが國の歴史である。

 橘曙覽は「利(クボサ)のみむさぼる國に 正しかる日嗣のゆゑを しめしたらなむ」と詠んだ。強い者勝ち・利益至上の醜い闘争・戦争に終止符を打つのは、わが國伝統信仰すなわち天皇を祭祀主とし道義の鏡と仰ぐ神道である。しかし、その大前提として、日本國自身が民族の誇りと伝統信仰を忘却し「利のみむさぼる國」になり果てていることを、大反省し禊祓いすることが必要である。

 日本人の高い倫理観を生み出した〈日本國體精神〉が、強い者勝ち・力づくの精神を規制し緩和させ、愛國精神をより健全なものにする。それはわが國の歴史を見れば明らかである。

 冒頭に述べたように、今日わが國は、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性・帰属意識が大事になってくる。今こそ愛國精神が勃興すべき時である。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。

 わが國において、民族的一体感・國民的同一性の中心は天皇以外にあり得ない。そしてわが國伝統信仰は、一神教ではないから、包容力があり排他的はではない。日本神道は混迷する現代において極めて重要な役割を担うと考える
その本来の天皇のお姿が顕在化することは、わが國の正常な発展にとってきわめて大切である。

 日本天皇の宗教的・文化的権威がこれからのわが日本の安定と発展の基礎である。世界は激しく変化しても、日本は古来からの伝統を保持しつつ急速な変革を為し遂げてきた。それは日本國の中心・不動の核に天皇がおわしましたからできたことである。天皇が上におわしますかぎり、日本民族は統一体としての日本・道義國家としての日本を回復し、新たなる力を発揮していくと信じる。 

日本民族としての主体性の回復=愛國精神の興起は、単に回顧的なものではなく、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神である。これからの日本の独立維持のために欠くべからざるものなのである。明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、民族の主体性の回復すなわちナショナリズムの基礎にはその國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして、東洋の精神特に農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神の使命は重要である。日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。天皇がその体現者であられる日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得るのである。

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千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、「萬葉集」講義原稿執筆など。

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孝明天皇と石清水八幡宮


頻繁に外国船が来航するやうになった幕末期の外患の危機の際し、孝明天皇は、弘化四年(一八四七)四月二十五日、石清水臨時祭を挙行された。野宮定祥(ののみやさだなが)を勅使として派遣され、神前に宣命を捧げられた。

その宣命には「近時相模国御浦郡浦賀の沖に夷の船の著(つき)ぬれば、その来由を尋るに、交易を乞ふとなむ申す。それ交易は、昔より信を通ぜざる国に濫りに許したまふことは、國體にも関わりれば、たやすく許すべきことにもあらず。…肥前国にも来着なとなむ聞し食(め)す、利を貪る商旅が隙を伺ふの姦賊が情実の知り難きをイかには為(せ)むと、寤(さめ)ても寐(ね)ても忘れたまふ時なし、掛けまくも畏こき大菩薩、この状を平く安く聞こし食して、再び来るとも飛廉(ひれん・風の神の名)風を起こし、陽侯浪を揚げて速やかに吹き放ち、追い退け攘ひ除け給ひ、四海異なく、天下静謐に、宝祚長く久しく、黎民快楽に護り幸い給ひ、恤(あは)れみ給ふべし、恐れみ恐れみ申し給はくと申す。」と宣せられてゐる。

孝明天皇は、「寝ても覚めても外患を忘れる事は出来ない、外国船が来たら風波を起こして撃退し、四海に異変なく、天下は平穏で、國體は安穏で、国民の幸福を護り給へ」との切なる祈りを八幡大神に捧げられた。

さらに、孝明天皇は、嘉永三年(一八五〇)には、「萬民安楽・宝祚長久」の御祷りを伊勢皇大神宮・石清水八幡宮など七社七寺に捧げられた。また、神佛に祈りをささげられると共に、幕府に対してしっかりとした対策を講じるやうにとの勅書も下された。

孝明天皇が、外患に際して日本国の祭祀主としてとご使命を果たされたことが、その後の明治維新の断行・日本国の独立の維持の基盤となったのである。

孝明天皇は文久三年(一八六三)三月十一日、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と賀茂御祖(かもみおや)神社行幸攘夷祈願を行はせられた。これには、征夷大将軍・徳川家茂および在京中の諸大名が供奉した。

国難にあたり、特に神祭り・神事を盛んに行はせられるのは、天皇の国家御統治の根幹である。孝明天皇の国家・国民を思ひ給ふ大御心、御祈りが、草莽の志士達を決起せしめ、明治維新の原動力となったのである。

天皇が御所の外に行幸あそばされるのは、江戸初期の寛永三年(一六二六)年に、第一〇八代・後水尾天皇が、徳川秀忠・家光に謁見されるために二条城に行幸あそばされて以来のことであった。まことに畏れ多い申し上げやうであるが、あへて申せば、徳川政権は、上御一人日本天皇を京都御所に幽閉状態に置き奉ったのである。

孝明天皇は、同年四月十一日、石清水八幡宮に行幸になり、神前において徳川家茂に攘夷の節刀(天皇が出征の将軍に下賜する刀)を賜らんとされた。これは神前で幕府に攘夷の戦争を決断させる目的であったと傳へられる。

これを長州の策謀と断じた将軍後見職・徳川慶喜は、将軍・徳川家茂には病と称させて供奉させず、自身が名代として行列に供奉する。しかも、慶喜も石清水八幡宮まで来ると、腹痛と称して山下の寺院に籠もってしまふ。慶喜は、天皇に社前まで来るよう召されたが、腹痛を理由にとうとう神前へは行かずに済ませてしまったといふ。病気(おそらく仮病であらう)を駆け引きに使って、神前での攘夷決行の誓ひを回避したのは、慶喜の奸智であり政略であったといはざるを得ない。

この石清水行幸には多くの民衆が集まった。中でも大阪から京都に「夥しく登り」、宿屋は一杯になり、祇園の茶屋が客を部屋に詰め混む有様であったといふ。民衆は天皇に強い仰慕の思ひを持って集まり、神聖なる祭祀主日本天皇こそが日本国の唯一の君主であることを自覚したのであった。

賀茂行幸・石清水行幸において、二百三十七年ぶりに民衆の前にお姿を現せられた天皇は、征夷大将軍・各藩主の上に立たれる日本国の統治者であらせられるといふ天皇のご本質を顕現せられのたのであった。

言ひ換へれば、賀茂行幸・石清水行幸は、天皇を中心とする日本國體が正しく開顕する第一歩となったのである。

孝明天皇は、安政五年(一八五八)五月十五日「石清水社法楽(神仏習合の祭典))に、「寄山神祇」と題されて次のやうに詠ませられた。

「八幡山かみもここにぞあとたれてわが國民をまもるかしこさ」

文久二年(一八六二)十月十六日の「石清水御法楽」には、「薄風」と題されて次のやうに詠ませられた。

「夕嵐吹くにつけても花薄あだなるかたになびくまじきぞ」。

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千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は、諸事。室内整頓。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が開会の挨拶。小生が「続発する自然災害と神への祭祀」と題して講演。活発なる質疑応答・討論が行われた。

帰宅後は、資料整理。

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2019年11月24日 (日)

葦津珍彦先生の対韓国問題についてのご論考に学ぶ

私は、國體論・歴史問題・神道論などで色々考へ悩んだ時に、拝読するのは葦津珍彦先生の著書である。そして大きな示唆、御教示を与へられる。対韓国問題では、葦津先生の次のご論考がとても参考になったし、正しいと思った。

今後、わが國は朝鮮半島に対して如何に向き合ひ如何に対処すべきかについて、葦津珍彦氏は次の如くに論じてゐる。

「日韓両民族が、一視同仁の聖天子の兄弟たるべき時代は消え去ってしまった。…仲のわるい隣邦の外國人にすぎなくなった。日本人の道義も失はれ、金権の外に考へない気風に汚染されている。韓國人は自ら國を亡ぼしてしまった歴史を、ことさらに抹殺して、日本をただ悪者にして、公正の歴史をゆがめて、対日請求のやくざ集団のような思想にとりつかれている。ここでは、はっきりと日韓は別國とわり切って、冷徹な國家対國家の國際公法の『理性』に立ち、相和すべき理があれば和するが、対決すべき理があれば同志を拒否し対決するとの原点に戻って、初めから、出直す外にあるまい。その対等対決の中から、自らにして兄弟の情のわき出るを切望するが、心にもない特殊、非情理な、拵え事のだらだら回想情操論は一旦打ち切った方がいい。今の條件で日本天皇と親しむ者には親しみ、敵対する者には敵対するがいい。異國人相手の交際からの出直しだ」(『朴鐡柱君悲痛の生涯』・「朴鐡柱大人を偲ぶ」所収)。

同感である。日本と韓國とは別の國であり別の民族である。地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣國家ではない。また、アジア・東洋で一括りにすることはできない。アジア諸國家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違ひがある。それぞれ個性がある。

全世界の國家がさうであるやうに、東アジアにおいても大陸國家と半島國家・海洋國家とに分けられる。支那は大陸國家であり、朝鮮は半島國家であり、日本や東南アジア各國は海洋國家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島國家であるといふ。大陸國家・半島國家・海洋國家が「共同体」を形成することはきはめて難しい。

かつて「東アジア共同体」といふ言葉が流行った。日本と支那が「共同体」を形成することは、日本が大陸との関係を今日以上に深めることである。しかし、これまでの歴史で、日本が大陸に進出して成功したためしはない。

國史を省みるとわが國が支那大陸に深入りするとろくなことがなった。亡國の危機に至る事さへあった。特に昭和前期の日本は、軍事的・政治的に大陸に深入りし、ソ連・中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦ひとなって日米戦争にまで進み敗北した。

戦後の「日中友好」「日韓友好」も同じ誤りを繰り返した。「日韓基本条約締結」「日中國交回復」以後、経済的に深入りして金と技術を支那や韓國に投入し、共産支那を軍事大國にしてしまった。そして共産支那はわが國に重大なる脅威をもたらしてゐる。また韓國も日本に対して竹島を占拠し続け反日策謀を繰り返してゐる。その結果、主権と安全と独立が脅かされてゐる。北朝鮮に対しても朝鮮総連などを通じて事実上の経済支援を行ったが、今日わが國の核攻撃の恫喝を行ってゐる。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自國の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言ってゐられないのである。

「大西郷の精神」「大アジア主義」は今日においてこそもっとも大切である。何故なら今の日本は、幕末・明治のわが國以上に、外國から侮りを受けてゐるからである。そしてアジアにおいて中華帝國主義の暴虐が吹き荒れてゐるからである。

今日における、「大アジア主義」とは、台湾、ベトナム、タイ、インド、フィリッピン、インドネシア、オーストラリア、アメリカといふ國々との連携である。
支那・朝鮮がわが國の隣國であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」とやらをするべきではない。かつて福澤諭吉が『脱亜論』で言った「悪友」の侵略・不法行為から、わが國の独立と主権を守るために努力すべきである。

わが國は、自國の力を強めると共に、東南アジア諸國・海洋國家との連帯を深め、外國の侵略から祖國を守るべきである。

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千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』の最終校正など。

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2019年11月23日 (土)

吉村寅太郎先生終焉の地について

奈良県東吉野村は、幕末の文久三年(一八六三)、維新を目指した尊王攘夷派の天誅組(てんちゅうぐみ)が最期を迎へた地である。高見川沿いに丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)の中社がある。さらに高見川沿いにバス路線である県道二二〇号を北へ走ると道路脇に「天誅組義士墓所」と刻まれた石標があり、ここから山道を登ると天誅組隊士の墓碑が鎮まる。

県道一六号に入り、鷲家といふ所に近づくと「天誅組終焉之地」と刻まれた石碑がある。ここから川を挟んで向かひの山麓は、吉村寅太郎が戦死し、最初に埋葬された場所である。

幕末の文久三年(一八六三)、三条實美、姉小路公知などの少壮公家と、真木和泉守、平野國臣、桂小五郎、久坂玄瑞など尊攘派の志士たちが連携して、「大和行幸・攘夷御親征」の計画が立てられた。長州藩も協力の姿勢をとった。

これは、孝明天皇が神武天皇御陵に御幸されて攘夷御親征を祈願され、軍議を勅裁せられ、さらに伊勢皇大神宮に御親拝され、徳川幕府を打倒し、王政復古を一気に實現しやうといふ計画である。

八月十三日、孝明天皇より攘夷親征のための「大和行幸の詔」が下った。これに呼応し、その先駆となるべく、明治天皇の前侍従中山忠光卿を主将として、藤本鉄石、松本奎堂、吉村寅太郎ら三士を総裁とする「天誅組」が結成された。河内国の村役人らの参加を得て大和国で挙兵した。五条の幕府代官所を襲撃し、近隣の幕府領を朝廷領とし、年貢半減を布告した。

 しかし、「大和行幸・攘夷御親征」には在京諸藩主に反対多く、会津・薩摩両藩間で尊攘派排撃の密議がなされ、八月十八日未明、「大和行幸の詔」は孝明天皇の御本意ではなかったとして、大和行幸の延期を決定した。これにより、天誅組は幕軍の追討を受けることとなった。

天誅組は、吉野山間を転戦し、同年九月二十四日から二十七日東吉野村にて三総裁以下十五志士が戦死した。鷲家は、大和義擧最後の決戦が行はれた地である。

「天誅組終焉之地」の石碑の背後、鷲家川を渡った崖下に「天誅組総裁吉村寅太郎之墓」が建てられてゐる。

吉村寅太郎烈士は、天保八年(一八三七)生まれの土佐藩士。高取城攻略の戦ひで弾丸を脇腹に受けたが屈せず、中山忠光主将以下の安否を気づかひ、東吉野村木津川より山を越えてこの地までたどり着いたが、文久三年九月二十七日、幕府方藤堂藩士に囲まれ彼等の銃弾によって二十七歳で最後を遂げた。

「天誅組総裁 吉村寅太郎 遺詠
吉野山風にみだるるもみぢ葉は 我が打つ太刀の血煙と見よ」

と刻まれた吉村寅太郎の辞世碑が建てられてゐる。凄惨なる
戦ひが行はれた頃、このあたりの山々は見事に紅葉してゐた
のであらう。

寅太郎烈士の土佐藩脱藩の際、母上が贈った歌が、
「四方に名を揚げつつ帰れ 帰らずば おくれざりしと母
に知らせよ」

である。寅太郎烈士は母上の望み通り、遅れをとらず立派に
最期を遂げたのである。まさに「この母にしてこの子あり」
を實感させるところの歴史にのこる歌である。

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2019年11月22日 (金)

千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、諸事。『政治文化情報』発送作業、発送完了。

午後は、原稿執筆、脱稿、送付。『伝統と革新』編集の仕事、最終校正など。

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橋本左内先生について


『安政の大獄』で処刑された人物の中でも、橋本左内は明治維新達成後も存命であったなら、国家に大変な功労をのこした思はれる。その意味で大変に惜しい人物であった。

橋本左内は「天下の物事にはすべて道がある。その道を明らかにするべし」と説いた。つまり真理の探究を非常に大切にされた。橋本左内は、自ら啓く心を養ふことを説いた『啓発録』を著した。それには「稚心を去れ」「振気」「立志」「勉学」「交友を択べ」の五目が説かれてゐる。また、尊皇精神・国家構想・開国を論じ藩主に仕へた。実践を重んじ、生きた学問によって時代をリードした。しかるに『安政の大獄』で二十六歳の若さで処刑された。福井藩の教育改革が左内の大きな業績であった。

左内は『器械藝術は彼にあり、仁義忠孝は我に存す』と言った。数学・理科・医学・蘭学・ドイツ語・英語を総合的に藩校の教育に取り入れた。

橋本左内は若くして国を動かした人物である。松平春嶽公の身代りとなって処刑されたと言っていい。井伊直弼といふ人もひどいことをしたものと思ふ。
橋本左内は処刑の前、獄中において次の漢詩を詠んだ。

「苦冤洗ひ難く恨み禁じ難し 俯すれば則ち悲痛、仰げば乃ち吟ず 昨夜城中霜始めて殞つ 誰か知る松柏後凋の心」
(藩主・春嶽公の無実を晴らすこともできず、痛恨を禁じ難い。俯すれば悲痛の思ひを苛まれ、仰げば吟ずるのみである。昨夜江戸城下にしもがはじめて降りた。松柏のやうに苦難に耐えて節操を守る心を誰が知るであらうか、といふ意)。

同じ時に、吉田松陰も小伝馬町の獄舎につながれてゐたが、二人はついに面接することは出来なかった。しかし、橋本左内は次の漢詩を松陰に贈ってゐる。

「曾て英籌を聴き、鄙情を慰む 君を要して久しく同盟を計らんと欲す 碧翁狡弄何ぞ恨みを限らん 春帆太平を颿らざらしむ」
(優れた計画を聴き、かねがね感心してゐました。君と共に長い期間同盟を計画したいと欲してゐました。青い目の狡い男【ペリーの事】には限りなく恨みがある。あなたに太平洋を渡らせなかったのだから、といふ意)。

吉田松陰・橋本左内のお二人は同じ運命を辿りお互ひに尊敬してゐたのだが、生前一度も會ったことはなかった。

以前、福井の同志・安達福松氏の御案内で、福井の左内公園に赴き、左内像を仰いだことを思ひ出す。

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千駄木庵日乗十一月二十一日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』発送作業。

午後五時半より、新宿のバトラール東京にて、『阿形充規先生の傘寿を祝う会』開催。小生などが祝辞を述べ、盛宴に移った。そして阿形氏が謝辞を述べて終了した。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2019年11月21日 (木)

「萬葉古代史研究會」のお知らせ

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 十二月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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「第101回日本の心を学ぶ会」のお知らせ

平成の御代を回顧する

今年も終わりが近づいてきました。
今年を振り返って思い出されることは平成の御代から令和御代への御代替りがあったことです。

あらためて平成の御代を振り返りますと「日本国憲法第一条」の「天皇は国民統合の象徴である」という規定が問われ続けた30年だったように思えます。

戦後の天皇についての議論は、この条文を「天皇は象徴にすぎない」と解釈するか「天皇は象徴としての役割を担われた君主」であると解釈するかの違いに行き着くように思います。

GHQによる日本弱体化工作の一環として押しつけられた「日本国憲法」の規定ではありますが、平成の御代おいて、上皇陛下が公的活動をつうじて見せられたお姿は、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」そして「日本国の君主」祭祀主」としてのあるべきお姿をお示しになろうされていたと拝し奉ります。

特に被災地に行幸され、国民を励まされたお姿や、先の大戦における激戦地へ慰霊の旅をされるお姿は、「日本国民統合の象徴」としてのお姿をお示しになっただけでなく、日本国の君主のお姿をお示しになったと拝察します。

つまり、先帝陛下は、「日本国憲法」を守りながらも、その制約を超越され、日本国の祭祀主・君主としての使命を果たされたのであります。

今年最後の勉強会では、上皇陛下の御聖徳と平成の御代について考えてみたいと思います。


【日 時】令和元年11月24日 午後6時から

【場 所】文京区民センター 2-B会議室
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html
文京区本郷4-15-14/03(3814)6731都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2分

【演 題】続発する自然災害と神への祭祀

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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日本伝統精神の今日的意義

「旅は生ける学問なり」といふ言葉がある。徳富蘇峰氏の著書『吉田松陰』の中にある言葉である。まさしくその通りである。文献で分かったつもりでも、實際に神話伝説や歴史に登場する土地に行くと新たなる発見があり、歴史の真實が分かることが多い。

大和の国を旅すると、日本国の生成がまことに麗しい歴史であることを實感します。日本は神々への祭りと祈りが国家生成の根本になってゐる。

神国日本といふのは決して嘘ではない。神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ふ。日本国民はそのことに感謝し、有り難く思ふことが大切である。傲慢になったり排他的になってはならないと思ふ。また、日本天皇の国家統治は祭祀と一體である。祭政一致とは神を祭り神に祈りつつ政治を行ふということである。

大和の国を旅すると、神話の世界が今日唯今の日本の国土に中に生き生きと生きてゐるといふことを実感する。まさに「今即神代・神代即今」である。神話とは遥か遠い昔の傳説ではない。今日唯今の生きてゐるのである。太古の祭りが今日も皇室祭祀そして日本各地の神社の祭祀に継承されてゐる。

日本各地の多くの神社に参拝し、自然を愛で、日本国生成の歴史と精神を體感し、日本民族は神々を尊び、祖先を敬ひ、自然と共に生活する、極めて平和的な民族であることをあらためて實感する。日本精神・大和心とは本来、絶対平和精神である。

現代は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐる。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、人類は不幸への道を歩んでゐるといっても過言ではない。

この根本原因は、砂漠に生まれ、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらへ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想を淵源としてゐる西洋の文化・文明にあると考へられる。共産主義独裁思想もその亜流である。これを根本的に是正すべき時に来てゐる。

そのためには、自然と共に生き稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、外来文化・文明を受容し、それを昇華洗練せしめた日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へる。

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2019年11月20日 (水)

千駄木庵日乗十一月二十日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。原稿執筆・脱稿・送付。

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2019年11月19日 (火)

今日思ったこと

共産党、立憲民主などの亡国野党は、「安倍一強政治」「長期政権」とやらを非難攻撃するが、何故、香港における共産支那の学生武力弾圧に抗議しないのか。またこれまでの多数の邦人拘束に抗議しないのか。 立憲民主・日共は、支那独裁政権の手先なのだ。このような者どもに政権を取らせてはならない。 共産支那・韓国は敵性国家であり、友好関係などは断じてあり得ない。

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千駄木庵日乗十一月十九日

午前は、諸事。室内整頓。

午後からは、在宅して、資料整理、明日行うスピーチの準備、『伝統と革新』編集、『政治文化情報』発送準備など。ともかく今月は忙しい。

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2019年11月18日 (月)

『記紀』に語られ『萬葉集』に歌われた日本国民精神に回帰し、それを現代において開顕せしめることが大切である

山上臣憶良、痾(やまひ)に沈みし時の歌一首

「士(をのこ)やも空(むな)しかるべき萬代に語り續(つ)ぐべき名は立てずして
  
右の一首は、山上憶良臣が痾に沈みし時、藤原朝臣八束、河邊朝臣東人をして、疾める状(さま)を問はしめき。ここに憶良臣、報(こたへ)の語已に畢り、須(しまらく)ありて涕を拭ひ、悲しみ嘆きて、この歌を口吟(うた)ひき」。

【士】男子のこと。【やも】は反語。【空しかるべき】ムナシは、何もしないこと。【萬代に】後々の世まで。【名は立てずして】名を立てないままで。【名】名声・名誉。
通釈は、「男児たる者、何もしないで空しく生涯を終えて良いものか。萬代までも語り継ぐに足りる名を立てないで」という意。

「痾に沈みし時」とは、重い病になった時。回復する見込みのない病になった時に、力を振り絞って詠んだ歌。

藤原朝臣八束は、霊亀元年(七一五年)―天平神護二年三月十二日(七六六年四月二五日))は、藤原北家の祖・参議藤原房前の三男。官位は正三位・大納言、贈太政大臣。後の摂関家になる人は、全てこの人の子孫といふう。聖武天皇の御信頼を得ていた。

河邊朝臣東人は、奈良時代の官吏。神護景雲元(七六七)年、正月十八日、従五位下。宝亀(ほうき)元年(七七〇)石見守(いはみのかみ)となる。

【報の語】病状を傳え、見舞いに感謝する言葉。

「後書き」の通釈は、「右の一首は、山上憶良臣が病気が重くなった時に、藤原朝臣八束が、河邊朝臣東人を遣わして容態を尋ねさせた。そこで憶良臣は返事し終わってしばらくしてから、涙を拭い、悲嘆して、この歌を口ずさんだ」という意。

 憶良はこの時、七十四歳。天平五年に薨去した。初句と二句で言いたいことを言い切って、一気呵成に歌っている。死の床にあっても、氣力が充実している。前半と後半が調和していて、緊張感がある。 

天平時代即ち聖武天皇の御代の官人は、何を生き甲斐をしていたかというと、名を立てることであった。男子として名を立てることを誇りとしていた。

憶良は、七十歳を過ぎて死期が迫っている時に、「特に名を立てることもしなかったなあ」と、反省し悔やんでいる。これまでの憶良の人生には、男児としての気概があったのか、ということへの反省を歌った。

「名と恥の文化」と言われるように、日本人は名誉を守りと恥辱を嫌うことを非常に大切にした。中世の武家社会の家訓には、名誉と恥辱を強調している。名誉を傷つけられ辱めを受けると、命懸けで戦うのが武士のみならず多くの日本人に共通する意識である。

「萬代に語り續ぐべき」と歌われているように、縦に永遠に続く生命は家名である。先祖から受け継いできている名誉とは即ち自分自身の名誉である。

フランシスコ・ザビエルの書簡に、日本人を誉めて、「私は色々外国を周って来たけれども、異教徒の中で、日本人ほど優れた民族を探すことはできない」「日本人は富よりも名誉を重んじる。これはヨーロッパでは見ることができない。しかも名誉への関心は武士に限ったことではなく、日本人一般に然りである。そして日本人は、侮蔑や軽侮の言葉を決して忍ぶことはできない。名誉への関心が強いから傲岸であるかというと、決してそんなことはなく、一般に善良で礼儀正しく、慇懃で道理にかなったことは何でも受け入れる」と書いている。

天照大神と須佐之男命の『誓約(うけひ)』の神話を拝しても、自分が嘘をついたと思われるのを一番嫌った。

名誉を重んじ恥を知るということが日本人の倫理観できわめて重要であった。憶良はそういう倫理観を歌っている。

憶良は、豊かな学識があったのにもかかわらず、人生においてそれをうまく生かし切れなかったという悔いがあったのかもしれない。しかし憶良は、東宮侍講、伯耆守、筑前守を歴任したのだから、官吏として不遇であったとは言えない。

「丈夫(ますらを)は名をし立つべし後の代に聞き繼(つ)ぐ人も語り續(つ)ぐがね」

大伴家持が、歌の道の先輩である山上憶良の「をのこやも…」の歌に和して詠んだ歌。憶良の慷慨悲憤の辞世に熱血児家持が感動して詠んだ。

【語り續ぐがね】ガネは意志や命令を表す文の下に現れその理由は目的を表す助詞。語り継ぐためにという意。

通釈は、「丈夫は名を立てるべきだ。後の世に伝え聞く人も語り伝えてくれるように」という意。

今日のわが國も、道義の頽廃・外圧の危機が顕著になり日本國民の心の中に不安と空虚感が広まっている。歴史と傅統の國日本は、崩壊しつつあると言っても過言ではない。終戦後、わが國に対する精神の奥底に達する破壊行為が、昭和二十年から六年八ヵ月の占領期間に行われた。大東亜戦争後の戦勝國による日本弱體化策謀が愈々その成果があがり花開き實を結んでいると言える。

萬葉時代と同様あるいはそれ以上の激動と危機の時期にある今日においてこそ、『記紀』に語られ『萬葉集』に歌われた日本国民精神に回帰し、それを現代において開顕せしめることが大切である。それこそが、現代の危機打開の最高の方策である。 

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千駄木庵日乗十一月十八日

午前は、諸事。室内整理。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の発送準備など。

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ロシア・支那・朝鮮はまともな国ではない


ロシア・支那・朝鮮という三つの國の歴史や現実を色々考えてみると、この三つの國は、わが国とは基本的の異なる国柄と歴史を持つであると思う。基本的に、国民の生命・自由民主政治・議会政治・民権・他国との平和的関係というものを全く無視する国であるということだ。韓国と共産支那は、特に最近、わが国及びアジアの平和と安定に揺るがす邪悪なる動きを強めている。

これはこの三つの國の建国以来の長い歴史が生み出した極めて不幸にして悲惨な事実なのである。専制政治、独裁政治しか経験した事がない國である。それは、この三つの國に生まれ生活する国民にとってはきわめて不幸なことであるばかりでなく、近隣国家にとってもきわめて迷惑なことなのである。

わが国は、この三つの國とはまともな外交関係を構築することができない。近代以後の歴史そして現実を見てそれは火を見るよりも明らかなことだ。つまり、ロシア・支那・朝鮮はまともな国ではないということである。

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千駄木庵日乗十一月十七日

午前は、諸事。室内整頓。


午後からは、在宅して、資料整理。原稿執筆準備。原稿執筆。

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2019年11月17日 (日)

自然を神として拝む心の回復

『神社新報』本年(平成三十一年)一月二十一日号に、神崎宣武氏(岡山宇佐八幡神社宮司)が「信仰の山」と題する論文で次のように書いておられる。

「世界遺産には、自然遺産と文化遺産とがある。富士山は、文化遺産として登録されてゐるのだ。その事由について端的にいふと、『日本人の信仰の山の象徴』としてである。日本には、各地に霊山霊峰(御山)がある。そこでは、山頂・山腹・山麓の区分がある。山頂部は神の在所、山麓部は人の在所、そして、三腹部は人が神から山の幸を授かるところ。日本人は、歴史を通じてさうした認識を共有してきたのだ。それを、アニミズム(山岳信仰を含めての自然信仰)といふ。世界の先進国のなかでは、日本がもっともよく伝へてきた精神文化なのである。…私たちは、このことを、真摯に受けとめなければならない富士山を代表される『御山』は、日本人だけの文化遺産ではなく、日本人がしかと世界にその伝承を約束した『アニミズム』なのである」。

小生は、もう四十年以上も前になると思ふが、木曽の御嶽山に御嶽講の人々と共に登ったことがある。先達の方と共に、「御山は青天、六根清浄、サンゲサンゲ、六根清浄」と唱へつつ山頂を目指した。もちろん、山道に痰や唾を吐いてはならず、山頂を杖で指してはならないと厳しく言はれた。御嶽山を神と仰ぐ心である。まことに清々しい思ひをし、心身共に清められたと感じた。

アイヌの人々は、ヒグマのことをキムンカムイ(山のゐる神)と呼び、熊を神として尊んだといふ。私は、北海道の斜里に行った時、カムイワッカといふ川の温泉につかった。神の川といふ意味である。温かいお湯が流れる川を神として拝んだのである。

アイヌの人々には、「神々が人里を訪れる時には動物や植物の姿になる」といふ信仰があるといふ。集落を守る神もゐるし、火の神、水の神もゐるといふ。津波や地震を起す神もゐると信じられてゐるといふ。

日本人の自然を愛する心、自然に寄り添ふ心は、西洋の冒険心、そしてさらに言へば自然を作り替へようとする精神とは全く異なる。日本人にとって自然は、対立するものでも征服するものでもない。随順して生活するものである。しかしさう簡単に言ひきることができるだらうか。自然が人間に猛然と襲ひかかって来る時は、どうするのか。

自然を畏敬し、自然に宿ると言ふよりも自然そのものである神霊を祭り、祈るしかないのではないか。今日の日本人はさうした心を忘却してゐたのではないか。

考へてみれば、野山の精霊たちや動物たちは、自分たちが生きてゐた所に、後から人間が割り込んできて、生活し始め、自然を作り替へ始め、さらに作り替へ殺し始めた。人間は、野山だけでなく、広大なる海も空も山々も、自分たちのものと考へて来たのではないか。それが近代文明の発展ではないのか。そして今日、人類は、その自然からしっぺ返しを受けてゐるのではないか。近年、市街地と言はれる所に熊や鹿が出没し人間を襲ふことも、まさにその典型であらう。

山や川や樹木などの自然を神として拝むのは、西洋人とは全く異なる文化であり、信仰である。かうした信仰心を今日回復しなければならないと思ふ。それが自然災害を少なくし、動物と人間との真の意味の共生への道であると思ふ。今日、日本人はこのことに目覚めなければならないと思ふ。「日本の神々と祭祀の心」に回帰することが現代の日本を救ふ方途である。

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2019年11月16日 (土)

千駄木庵日乗十一月十六日

午前は、諸事。室内整理。

午後からは、在宅して、資料整理、書状執筆など。

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日本共産党はロシア・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略に加担してきた

日本共産党はロシア・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略に加担してきた

日本共産党は、何故、安倍政権・自民党を攻撃するばかりで、共産支那の香港などにける暴虐を批判しないのであるか。立憲民主党も日共と同じである。共産支那は少なくとも9人の邦人が、実関係が不明確な形で拘束されている。この重大な事にも、共産党や立憲民主は何の非難も抗議もしない。

自民党政権の不祥事は、国の独立・自由・繁栄を根底から覆すことはない、しかし、共産支那や北朝鮮の暴虐は、日本及びアジアの平和に対する重大なる脅威である。

 日本共産党は、昭和二十五年に、北朝鮮による韓國侵略=朝鮮戦争が起った時、日本において武装闘争・火炎ビン闘争を展開し、北の侵略を支援したのだ。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。これを後方攪乱と言う。

共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起したことは歴然たる事実である。

日本共産党は、あろうことか長い間、「朝鮮戦争をアメリカの侵略だった」などという嘘八百を並べ立てていた。『日本共産党の四十五年』という書物(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」とはっきり書いている。

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党が戦後、一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口だったのである。

また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも日共は積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は、昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」を、わが国政府に働きかけ実現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰国した。

そして、「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだのである。

七0年代初頭、北朝鮮の国家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰国者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰国者の約二割を処刑、もしくは政治犯収容所送りにしたという。

帰国事業では、日本共産党の有力者が、全国の「帰国協会」で「事務局長」を務め、地方党員が実働部隊となって在日朝鮮人を帰国させ、政治的には「北朝鮮に社会主義国の建設を」と宣伝した。

在日朝鮮人の北朝鮮への帰国に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なっていない。のみならず、悲惨極まる状況に陥っている帰国者の救援・救出にもソッポを向きかえってそれを妨害して来たのである。

昭和四十年代前半、共産党の青年組織・民青の青年學生は、北朝鮮を理想國家・天國のように宣伝していた。共産党こそ北朝鮮問題で歴史的に拭い去ることのできない大きな罪を犯したのである。

拉致問題に関しても日本共産党は、平成十二年十月五日の党首討論で、不破哲三委員長(当時)らが「政府は拉致の確たる証拠を示していない」とか「確たる物証がなく状況証拠だけだ」などと述べた。拉致された人々は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮なのである。「確たる物証」は北朝鮮にはあっても日本国内にあるはずがない。わが国の警察の捜査が及ばない北朝鮮の国家ぐるみの犯罪について、わが国の治安当局が「確たる証拠を示す」ことは殆ど不可能である。
 
日本政府に「証拠を示せ」と迫ること自体無理な話であり、こんなことを言うのは共産党が北朝鮮を擁護し拉致問題解決の意志が無かった何よりの証拠である。

そもそも日本共産党とは、ソ連に司令部のあった國際共産主義組織・ソ連による世界赤化侵略策謀組織=コミンテルンの日本支部として誕生した政党である。本来的にソ連の手先の政党であった。ソ連軍の後押しで朝鮮半島の北半分を占領して出来上がった傀儡國家=北朝鮮と同根・同質の政党なのである。

日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ない、多くの人々を殺傷した歴史を持つ政党である。特に昭和二十五年のコミンフォルム批判・朝鮮戦争勃発以後、日共は凄まじい武装闘争を展開した。ソ連や共産中国の指令に基づいて、日本共産党が暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留していた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓国侵略(朝鮮戦争)を阻止できないようにするという、後方撹乱の役割を担うためであった。

つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。

さらに言えば、長年党首(第一書記・中央委員会議長・名誉議長)を務めた野坂参三はスターリン独裁体制下のソ連のスパイとなり、同志であった山本懸蔵を死地に追いやったとして齢百歳にして共産党を除名された。

同じく長年共産党の最高指導者(書記長・幹部会委員長・中央委員会議長)として君臨した宮本顕治は、同志であった小幡達夫をリンチし死地に追いやったとして懲役刑に処せられた。野坂も宮本も金日成・金正日父子と同類項の人物だったのである。

また、北朝鮮労働党と友党関係にあり、暴力革命を志向し、実際に数多くの武装闘争を行なったのが日本共産党という政党なのである。日共は、国民の自由と生存権を圧殺している金正日独裁政権と同質なのである。共産主義国家(=共産支那・北朝鮮)・共産主義政党(=日本共産党)こそ「暴力的威圧で自由な言論を攻撃する」する国家であり政党である。共産党・立憲民主党左派のようの存在こそが日本國及び日本國民の安全と平和を脅かしているのだ。

日本共産党撲滅が急務である。そしてその同調者・協力者を糾弾すべきである。特に、自民党の籍を置いていた元政治家が日共機関誌『赤旗』に登場しているのは許し難い。

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千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆・資料整理。

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2019年11月15日 (金)

「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党である

日本は天皇を祭祀主と仰ぐ人倫国家である

昨日の小生の論述は、決して安倍総理をかばうに書いたのではない。日本国にとって最高の慶事の直前にスキャンダルめいたことを取り上げるべきではない。大嘗祭が終了してから行うべきだということを主張したのである。

そもそも祭祀は「神人合一」の行事であり、無我になって神にまつろひたてまつる行事である。その最高の祭祀主が、天皇であらせられる。即ち、天皇はわが国において最高の無我のご存在であり、清らけく明けきご存在なのである。

天皇の神聖権威(御稜威)と、天皇にまつろひたてまつる国民の尊皇精神・忠誠心が、日本国家存立の原基である。日本国は権力・武力による専制支配によって成立してゐる國ではない。日本が人倫国家である所以である。しかもそれは、神話時代から継承されてきた傳統である。

信仰共同体・祭祀国家の祭祀主たる天皇は、道義の中心であり体現者である。そして、道義の要としての天皇に對し奉り、絶対的忠誠を捧げるのは国民としての「道」であり最高の「道義」である。

新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

倫理(人のふみ行ふべき道。人間関係や秩序を保持する道徳)は共同体国家において確立される。共同体の中で生きてゐるからこそ、人間に倫理が必要となる。言ひ換へれば人間が獣ではなく、まさに「人」として多くの人々共に生活と倫理とは一体である。倫理を人倫と言ふのも、人にとって倫理が不可欠だからであらう。

わが国が素晴らしい特質は、倫理・信仰・文化が天皇・皇室を中心として継承されてきたところにある。わが國の国柄・國體が万邦無比といはれる所以である。

日本共産党の「綱領」に、「情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。これは、「天皇制廃止論が多数になれば憲法を改正して天皇制を廃止する。そのために日本共産党は努力する」という事である。

「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。


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今日思ったこと

有難い神聖にして真におめでたい祝賀すべき大切な行事、天皇が行われる最も大切な祭祀『大嘗祭』が執り行われる直前に、日本共産党・立憲民主党などの亡国野党が、「桜を見る会」について、大した問題でもないのに国家の大事であるかのごとくいちゃもんをつけ、政府自民党安倍政権を非難攻撃している。これは、國體破壊をめざす国賊政党・日本共産党の嫌がらせであるばかりでなく、國體破壊の策謀である。それに追随する立憲民主党など他の野党も同罪である。まさに亡国政党である。徹底的に殲滅すべきだ。また、こうした動きに同調する朝日新聞・テレビ朝日などの國體破壊勢力も徹底的に殲滅すべきだ。

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千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿・入稿。

この後、『伝統と革新』原稿執筆・脱稿・送付など。

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2019年11月14日 (木)

大嘗祭について

日の神の御子として國家を統治されるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。

聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。当時の先進國・隋に対して、このやうな堂々とした國書を提出したのである。

この聖徳太子の偉大なる御事績を拝して明らかな如く、「天皇は日の神の御子である」といふ思想は七世紀中頃、即ち大化改新以後につくりあげられたといふ説は、大きな誤りである。           

天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

もろおみの 朕(われ)をあふぐも 天てらす 皇御神(すめらみかみ)の 光とぞ思ふ

といふ御製を詠ませられてゐる。        

天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りといはれてゐる。

天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭と申し上げる。大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一體となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を継承され開顕される。

大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん實らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものである。

大嘗祭は、日嗣の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一體となり、日嗣の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭祀である。

大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一體となられるのである。つまり歴代天皇は、玉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、歴代天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。日本は、現御神日本天皇を祭祀主と仰ぎ、天地の神々が生き給ふ國である。

日本の傳統精神・國家観・人間観を隠蔽してゐる元凶は「現行占領憲法」である。わが國の悠久の歴史の中に築かれた不文の國體に、憲法の条文なり思想が合致してゐなければならない。

終戦直後、國際法の禁を破って押し付けられた「現行占領憲法」を廃棄し、わが國の國體精神に立脚した憲法に回帰しなければならない。

今日の多くの政治家や憲法學者やマスコミは、相変らず外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」をとり、わが國の國家傳統の破壊、してゐる。それが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。

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千駄木庵日乗十一月十三日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』の編集、『政治文化情報』原稿執筆。

午後六時半より、豊島区立地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、『萬葉集』作者未詳歌を講義。

帰途、出席者と懇談。談論風発。

帰宅後も、原稿執筆。

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2019年11月13日 (水)

今日思ったこと

日本は、外交・安保面・自然災害などで大変な危機的状況にあるにもかかわらず、野党は、国内問題それも揚げ足取りと失言追及、つまらないスキャンダル追及に明け暮れている。昨年の国会論議はまさにそういうことの繰り返しだった。メディアも同じだ。

今日もっとも大切な問題は、国家の安全と独立である。そのためには憲法を正し、防衛体制を強化するべきなのである。何かというと「正義の味方面」をして「平和」だの「日本は侵略戦争をした」などと騒いでいる連中は、北朝鮮の核実験・ミサイル発射に抗議しない。共産支那の東トルキスタン・チベット・香港における暴虐に抗議しない。

かつて民主党は「コンクリートから人へ」などと耳障りの良いことを言って政権を奪取したが、その直後に東日本大震災が起こり、国土が破壊され多くの犠牲者が出た。災害を出来得る限り食い止めるため國土をもっと整備し強靭化すべきである。今の野党も国家基本問題でしっかりとした政策もビジョンが無い。だから政府への揚げ足取りや失言追及しかできないのである。

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千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集、明日行う『萬葉集』講義の準備など。

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2019年11月12日 (火)

河野太郎防衛大臣の講演を聞いて

今日は河野太郎防衛大臣講演を聞いたが、とても良いことを言っていた。詳しくは後日報告するが、河野氏の本日の講演で「東アジアの安保情勢は厳しい。自衛隊が頑張っているところにアメリカが支援するという同盟関係が必要。世界を分断してはならない。民主主義・法の支配・自由経済・自由に船が航行できる世界を如何に維持するかが大事」という主張が印象に残った。

 

河野太郎氏の父上は、河野洋平氏であるが、この人は、とても自民党総裁をした人とは思えない人で、よく言えばハト派、私に言わせれば容共左派の政治家であった。その息子さんが、外務大臣時代、極めてまともな姿勢を保持していた。そして防衛大臣としてもしっかりしている。トンビがタカを生んだということか。

 

それに比較して、まともな保守政治家であった福田赳夫氏の子息福田赳夫氏はハト派であり親共産支那で、靖國神社問題など国家基本問題でおかしな姿勢を取っている。

 

同じ親子でもだいぶ違う。鳩山一郎氏の孫由紀夫、谷口雅春氏の孫雅宣などを見ると、祖父や親の血を継承していても駄目な人が出ることは確かなり。

 

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2019年11月11日 (月)

千駄木庵日乗時十一月十一日

朝は諸事。

午前十一時半より、平河町の都市センターホテルにて、『長島昭久衆議院議員EMPOWER JAPAN!2019』開催。長島昭久氏が挨拶。河野太郎防衛大臣が「令和新時代、日本の外交・安全保障」と題して講演。この後、加藤勝信厚労大臣・二階俊博自民党幹事長などがスピーチ。会場内で何人かの長年の知人にお会いする。

長島氏は最近、自民党に入党し、今後は国防安保問題、日米協力で活躍するようである。私とはかなり前からの知り合い。『伝統と革新』のインタビューにも二回ほど登場して頂いた。

この後、赤坂プリンスホテルクラシックハウス見学。この建物は「旧李王家東京邸」であった。東京都指定有形文化財。昭和時代には福田赳夫氏の事務所があったと思う。

帰宅後は、『伝統と革新』』編集、『政治文化情報』原稿執筆、校正など。

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2019年11月10日 (日)

この頃詠みし歌


仰ぎたる大空に耀ける太陽の光が我を包みたるかな

佳き人が集ひ来たりてこの国を佳き國にせんと語りゐるなり

夢間違っても復古調は駄目と言い放てり これが保守政治家とは驚くほかなし

平成館に入館するのに七十分待てと言はれてすごすごと帰る

この國の尊き文化を見んとして上野の山にのぼり来れり

日の本のこの平和こそ尊けれ正倉院展に人多く満つ

佳き友の声は未だにわが耳朶に残りてうれし秋の夕暮れ

遠き日の思ひ出の中の面影が今も消えざることの悲しさ

神の御前に座して祝詞を唱へれば心身ともに力よみがへる

団子坂を下り行く時見ゆるなるスカイツリーの灯り美しき

我が窓よりスカイツリーがくっきりと見ゆれば今日は秋晴れの日ぞ

雨粒が窓を伝ふを見つめつつやがて去り行く秋を惜しめる

その昔相戦ひ対立せし歌人が歌会始の選者となりぬ

翫右衛門のことを特集せしテレビ番組長十郎の事を全く無視せり

共に戦ひ共に歩みし役者二人憎悪の果てに相別れたり

共産主義といふイデオロギーに支配されし名優二人は訣別したり

わが国の道を伝へる大いなるやまと歌をば今日も学びをり

日本語の美しさを破壊する国会論戦は悲しかりけり

夜の街を訪ね歩きて来し店で座布団の如きピザを食せり

生き切らし階段を昇り行く時に我は何時まで生きるのかと思ふ

それぞの表情をしてわが前に坐りゐる人々を人類と言ふ

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千駄木庵日乗十一月十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、『伝統と革新』の編集。

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第101回日本の心を学ぶ会

テーマ 平成の御代を回顧する

今年も終わりが近づいてきました。
今年を振り返って思い出されることは平成の御代から令和御代への御代替りがあったことです。

あらためて平成の御代を振り返りますと「日本国憲法第一条」の「天皇は国民統合の象徴である」という規定が問われ続けた30年だったように思えます。

戦後の天皇についての議論は、この条文を「天皇は象徴にすぎない」と解釈するか「天皇は象徴としての役割を担われた君主」であると解釈するかの違いに行き着くように思います。

GHQによる日本弱体化工作の一環として押しつけられた「日本国憲法」の規定ではありますが、平成の御代おいて、上皇陛下が公的活動をつうじて見せられたお姿は、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」そして「日本国の君主」祭祀主」としてのあるべきお姿をお示しになろうされていたと拝し奉ります。

特に被災地に行幸され、国民を励まされたお姿や、先の大戦における激戦地へ慰霊の旅をされるお姿は、「日本国民統合の象徴」としてのお姿をお示しになっただけでなく、日本国の君主のお姿をお示しになったと拝察します。

つまり、先帝陛下は、「日本国憲法」を守りながらも、その制約を超越され、日本国の祭祀主・君主としての使命を果たされたのであります。

今年最後の勉強会では、上皇陛下の御聖徳と平成の御代について考えてみたいと思います。


【日 時】令和元年11月24日 午後6時から

【場 所】文京区民センター 2-B会議室
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html
文京区本郷4-15-14/03(3814)6731都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2分

【演 題】続発する自然災害と神への祭祀

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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永井荷風の現代日本に太する警告・批判となり得る文章

現代日本に対する警告・批判となり得る荷風の文章を引用したい。
「丸善明治屋三越白木屋などクリスマスの窓飾を壮麗にす子女またクリスマスとて互に物を贈りて賀すといふ近年人心夷狄の祭祀を重んじ我邦在來の豊かにめでたき行事を忘るゝことを歎ずべしといふ者あり」(『毎月見聞録」大正五年十二月二十四日)。「若し直に國辱の何たるかを問はば獨り對外交渉のみに止まらず現代の世態人情悉く國辱となすに足る…試みに停車場に入りて掲示を見よ。蟇口を開いて貨幣を見よ。皆外國の文字あり。此の如きは欧米何處の國に至るも決して見る事能はざるものなり。…我邦人もしそれ博愛仁義の意を以て外夷の便宜を圖るものとなさば、世界外交文書の例に倣ひて須らく仏蘭西語を以てすべきなり。…全國停車場掲示の英語は屡々人をして神國六十餘州宛ら英米の植民地たるの思ひあらしむ。そもそも異郷人の異國に遊ばむとするや先づその國の言語を習得するの用意なかるべからず。外客の便不便は元来その國人の深く問ふべき處にあらず」(『麻布寿襍記』・大正十三年)。

かかる傾向は、今日のわが國に於いてますますひどくなってゐる。いはゆる横文字の氾濫は、日本國が一體どこの國かと思はしめるやうな状況である。横文字とは英語のことであるが、最近はハングル文字・支那簡體字までもが其処此処に掲示されてゐる。

戦争直後の昭和二十二年に脱稿した『秋の女』といふ文章で荷風は、「今日われわれに過ぎ去った明治時代が日にまし懐しく思返されるのは學び教へられた西洋文化の底に傳統の流の猶涸れつくさずにゐたが爲でせう。一例を舉げるならば、繪畫には原田直次郎、黒田清輝の制作。文學には四迷鷗外の著述がそれを證明してゐます。活字にならなければ俳句の一首さへよまないのは現代文士の常態です。賣名虚榮を滿たすために、公衆を相手に花をいけ琴をひくのは學校教育に賊(そこな)はれた現代女性の通弊でせう。…公衆に見せる目的に重きを置かずして、猶花を愛し、金錢に目がくらまずに刀を磨くごとき風習はいつの間にかわれわれの世の中から消えてしまったのです」と書いてゐる。これは、戦後日本への批判である。

永井荷風の文明批評は、今日においてもその輝きを失ってゐない。荷風が憤り憂へたことは今日の日本に於いてますますひどくなってゐる。

荷風は、大正八年八月に「地震は安政以來久しく東都の地を襲はぬけれど、浅間しき末世の有様は、何かにつけて古來の迷信を回想せしめる便宜となり易い」(『厠の窓』)と書いてゐる。関東大震災が起こったのは、荷風がこの文章を書いた五年後の大正十二年九月一日であった。

五月三日は『憲法記念日』である。小生はとてもこの日を祝日として心からお祝ひする気にはなれない。亡國の日・屈辱の日と認識し、一日も早く「帝國憲法」復元改正を實現しなければならない思う。

『日本國憲法』といふ名の占領憲法は、昭和二十二年五月三日に「施行」された。この日の永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふべし。」と記されてゐる。

わが日本國民が護るべき最高のものは傳統精神であり、変えるべきものは国家民族の真姿を隠蔽する全ての事象である。

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千駄木庵日乗十一月九日

午前は、諸事。

午後二時より、高田馬場のTAP高田馬場にて、昭和経済研究所・日韓文化協会共催『共催セミナー』開催。伊豆見元東京国際大学国際戦略研究所教授が、「日韓関係の現状と将来」と題して講演。質疑応答。

午後六時より、谷中にて、地元の友人と懇談、談論風発。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年11月 8日 (金)

菅原道真公について

湯島天満宮のご祭神は、菅原道真公である。多くの人々が参拝に来ていた。その多くは合格の御礼参りであろうと思はれる。

菅原道真公は学問の神様として崇められてゐるが、日本伝統精神を基軸とした学問の復興に努められた方で、且、尊皇精神の篤い方であった。次の歌をのこされてゐる。


このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに


通釈「今度の旅は、神に捧げるための幣を用意することも出来なかった。しかし手向山の美しい紅葉を幣として捧げますので、どうか神よ、み心のままに受け取りたまへ」。

『古今和歌集』所収。
宇多上皇が、昌泰元年(八九八)十月、吉野宮瀧に行幸された際、ご一行が道祖神への供物を忘れてきたことに気付いた時に、供奉した菅原道真が詠んだ歌。『古今和歌集』『百人一首』に収められてゐる。

【このたびは】「旅」と「度」の掛詞で、「今度の旅は」といふ意。【幣】神に捧げるために色とりどりの絹を細かく切ったもの。旅の途中で道祖神に捧げた。【とりあへず】急いで旅立って来たので用意するひまがなかった。【手向山】山中で旅人が旅の無事を祈って道祖神に幣を捧げる所。普通名詞。【紅葉の錦】人間の織る錦の美しさを紅葉になぞらへた表現。【神のまにまに】神の御心のままに。

旧暦十月二十日は、吉野の宮瀧は、紅葉が散り乱れてゐたであらう。人が織った幣よりも見事に色づいた山の紅葉の方が美しいといふ意味がこめられてゐる。単に耽美的とか知的な表現といふよりも、紅葉が美しい吉野山の景色を神への捧げものとして詠み、吉野宮瀧全体を祭祀の場とした壮大なる歌である。

「神のまにまに」といふ結句の柔らかな調べがこの歌を親しみやすいものにしてゐる。

吉野は今日も自然の美しい地であり、日本民族そして皇室の歴史と伝統を伝へてゐる地である。特にこの歌が詠まれた宮瀧は、斉明天皇の御代に離宮が造営されて以来、歴代天皇が度々行幸された。天皇が離宮に行かれるのは、単に遊びに行かれたのではなく、歴史的由緒のある神聖な吉野の地で、川水で御祓をされ祭祀をされるためであった。

宮瀧には、吉野川流域で最大の「宮滝遺跡」がある。ここから出土した縄文時代後期の土器に「宮滝式」の名称が付けられ、また遺跡の北側から飛鳥時代以後から平安時代初期の建物跡も発見されてゐる。

『萬葉集』の大歌人・柿本人麻呂は、持統天皇が、持統天皇五年(六九一)、吉野に行幸された時、壮大なる『吉野讃歌』を詠んだ。

菅原道真はさういふ伝統を継承して、神が宿る自然への祭祀といふ日本伝統信仰を荘厳にそしてはなやかに歌ったのである。

日本人は本来「自然には神霊が宿る」といふ信仰を持ってゐる。さうした日本傳統信仰は、日本の自然環境と日本人の農耕生活の中から自然に生まれた信仰である。それは今日的言葉で言へば大自然と人間との共生の精神でもある。

日本人は、自然の摂理に素直に随順し、人間と自然は相戦ひ相対立する関係にあるとは考へない。人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。さうした精神は、も「鎮守の森」に象徴される。「鎮守の森」ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きており、秀麗な山には神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。

「山びこ」(山の谷などで起こる声や音の反響)のことをこだま即ち「木霊」「木魂」と言ふ。山野の樹木に霊が宿るといふ信仰から出来た言葉である。まさに日本人は、山野に霊が宿ってゐると信じ、深山幽谷は古代人の眼から見れば、精霊の世界だった。この道真の歌はまさにさういふ信仰を歌ったのである。

菅原道真は優れた漢学者であり法華経の学者でもあった。言はば外来の最高の学問を身に付けた人であったが、道真が編纂した歴史書『類聚国史』(二百巻)は神祇・帝王のことが冒頭に記されてゐて、仏教のことについては外国関係のものとしてはるか後ろの方に輯録されてゐるといふ。道真はまた遣唐使の廃止を建言した人物でもある。つまり、国粋精神の持ち主であった。

日本の伝統を重んじる精神があったればこそ外国文化を正しく学び自己のものとすることができたのである。道真はまさに主体性と開放性とを併せ有する日本文化のあり方を体現した人物であった。

菅原道真公 承和十二年(八四五)~延喜(九〇三)。平安初期の公卿・漢学者・政治家。元慶元年(八七七)文章博士。昌泰二年(八九九)右大臣。左大臣藤原時平たちの讒言により、延喜元年(九〇一)大宰権帥に左遷され、延喜三年、配所で没した。

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千駄木庵日乗十一月六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』の編集、『政治文化情報』の原稿執筆。

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天神地祇への祭祀と危機の打開

『日本書紀』巻第十三の允恭天皇五年(四一六)七月の条に次のように記されている。「五年の秋七月(ふみづき)丙子(ひのえね)朔(ついたち)己丑(つちのとのうしのひ)に。地(なゐ)震(ふ)る」。

これが『日本書紀』に記された地震の記事の初出である。ということは国史の文献にはじめて記された地震の記事ということである。

巻第二十二の推古天皇七年(五九九)四月の条に次のように記されている。「七年の夏四月(うづき)の乙未(きのとのひつじ)朔辛酉(かのとのとりのひ)に、地(なゐ)動(ふ)りて。舎屋(やかず)悉(ことごとく)に破(こぼ)たれぬ。則ち四方(よも)に令(のりごと)して、地震(なゐ)の神を祭(いの)らしむ」。

この時は相当の被害であったようで、朝廷は全国の地の神を祭るようにというように「詔」を発した。

この後も、天武天皇の御代に大きな地震災害があったことが記されている。

わが国は、古来、地震など災害の多い国である。そして朝廷は、地の神を祭り、平安を祈られたのである。

今日の日本は大きな転換点に立っている。激動の時代であり混迷の時代であることは確かである。それは、政治経済面のみならず、自然環境の激動の時代である。歴史を回顧すると、時代の激動期には、自然災害が起こることが多かった。

わが國は悠遠の歴史を有している。三千年に及ぶ歴史を貫いて来たわが日本の傳統精神、民族の精神的核に立ち返って、現状を正しく観察し、変革と安定の方途を見出すべきである。

我が國は過去において何回か國家的危機に際會し、見事に乗り越えて来た。

大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行はれた。元寇=蒙古襲来の時、日本國民は愛國心を燃え立たせ神國意識を強固なものとした。それは建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強による侵略の危機があった時に行はれた。

今日においてもわが國の本来の姿に回帰することによって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。

民族の歴史と傳統の精神を基本原理とする日本の革新即ち維新は、それを志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。その源泉は、天神地祇への祭祀である。

わが日本國民が護るべき最高のものは傳統精神であり、変えるべきものは国家民族の真姿を隠蔽する全ての事象である。

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千駄木庵日乗十一月七日

午前は、諸事。室内整理。 午後からは、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』原稿執筆。

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2019年11月 7日 (木)

祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる

日本人の自然を愛する心、自然に寄り添う心は、西洋の冒険心、そしてさらに言えば自然を作り替えようとする精神は全く異なる。日本人にとって自然は、対立するものでも征服するものでもない。随順して生活するものである。しかしさう簡単に言いきることができるだらうか。自然が人間に猛然と襲いかかって来る時、どうするのか。

自然を畏敬し、自然に宿ると言ふよりも自然そのものである神霊を祭り、祈るしかないのではないか。今日の日本人はさうした心を忘却していたのではないか。

考へてみれば、野山の精霊たちや動物たちは、自分たちが生きてゐた所に、後から人間が割り込んできて、生活し始め、自然を作り替え始め、さらに殺し始めた。

人間は、野山だけでなく、広大なる海も空も山々も、自分たちのものと考へて来たのではないか。それが近代文明の発展ではないのか。そして今日、人類は、その自然から復讐と言っては言い過ぎなら、しっぺ返しを受けているのではないか。近年、市街地と言はれる所に熊や鹿が出没し人間を襲うことも、まさにその典型であらう。

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

それは鎮守の森には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。 

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なものとなってゐる。

わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じ、これを信じ込ませるといふのではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神とおろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

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千駄木庵日乗十一月六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年11月 6日 (水)

現代に生きる人々は、自然の中に生きたもう神々、そして祖霊への感謝と畏敬の念を回復すべきである。

今年は本当に自然災害が多かった。特に千葉県であれほどの災害が起こったのは、私の記憶では初めての事である。

阪神淡路大震災、サリン事件をはじめとして三十年くらい前から、異常な事故、事件、災害が起こり今日に至っている。

幸いにと言っては不謹慎の批判を免れないが、日本国民の倫理道徳観念の高さ、精神的強靭性、技術力的能力の優秀さの故と思うが、国全体が破滅的混乱状況とならなかった。これは有難いことである。

今後の自然災害などが襲いかかってくる可能性は高いと思われる。これは日本のみならず世界的現象であろうか。いたずらに不安を煽るべきではないが、そういう可能性は高い。

地球温暖化による旱魃、環境破壊、そして水や資源の争奪戦と言った紛争・闘争・テロが活発化すると言う人もいる。

日本における台風や世界各地におけるハリケーン、サイクロン、集中豪雨による災害はこれまでと違って大規模になってゐる。

豪雨被害の続発する日本では旱魃と言っても実感は湧かないが、近年の雨の降り方は異常である。

さらに、エネルギー問題である。化石燃料からの脱却、核廃棄物の処理に英知を集めるべきと言われている。最近の日本や世界各地における自然災害は、人間生活が如何に脆く破壊されるか、人間の力が如何に弱いかを実感させた。電気が二、三日止まると人間の生活は全く機能しなくなる。

人間はこれまで、自分たちの快適な生活を維持し発展させるために自然を破壊し続けてきた。今日、人間は自然から復讐されているのではないか。自然界を支配し作り変えることができるという人間の傲慢さを反省しなければならない。

『日本書紀』に、天武天皇・持統天皇の御代に、非常に多く地震が発生したことが記されている。また、頻繁に『廣瀬・龍田の神を祭る』という記事が書かれている。水と風の神であるとのことであるが、五穀の豊穣と風水害を無きことを祈ったと記されている。

奈良新聞取締役の武智功氏の著書『記紀に見る日本の神々と祭祀の心』(奈良新聞社刊)に、武智氏は、「はじめに」は、「混迷の時代には原点に帰れと言われている。今こそ私たちは『記』『紀』の神話や、その息吹が今も息づく各地の祭りなどに、日本の原点を学ばなければならない」と主張され、「むすび」において「万物に神が宿るという思いは、一神教に見られる人間が自然を支配するという考えとは異なり、地球環境問題を考える上で大切な思いである。自然を神と置き換えれば、現代人はまさに神をも恐れぬ存在になっている」と説いておられる。

全く同感である。まさに現代に生きる人々は、自然の中に生きたもう神々、そして祖霊への感謝と畏敬の念を回復すべきだと思う。日本人は、このことに目覚めなければならないと思う。

今日の日本人は、古代日本の「まつりの心」を回復しなければならない。武智氏の著書の書名である「日本の神々と祭祀の心」に回帰することが現代の日本を救う方途である。

日本の自然の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈である。無限の可能性を持つと言い換えてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災いを齎すと古代日本人は信じた。

無暗矢鱈に自然に恐怖心を抱いたり、亡くなった人の祟りを恐れたりするべきではないが、自然と祖霊に対する畏敬の念を持つことは大切である。つまり、今こそ、日本国民斉しく自然と祖霊への祭祀の心を回復すべきなのである。

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千駄木庵日乗十一月五日

午前は、諸事。室内整理。

午後からは、在宅して、資料の整理、『伝統と革新』の仕事、原稿執筆の準備、資料検索など。『伝統と革新』の編集。

『伝統と革新』『政治文化情報』の原稿のほか、他に原稿二本を書かねばならならず、さらに、来週の『萬葉集』講義の準備など大忙しであります。

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2019年11月 5日 (火)

明治天皇御製を拝し奉りて

一昨日は「明治節」であった。明治天皇御製を拝し奉る。

 

 

しきしまの 大和心の ををしさは ことある時ぞ あらはれにける

 

日露戦争開始した年である明治三十七年(一九〇四年、御年五十三歳の砌)に、「心」と題とれて詠ませられた御製である。苦難の時にこそ日本国の雄々しさは顕れるといふ御心を詠ませられたと拝する。

 

明治天皇は、同じ時に「四海兄弟」と題されて、

 

「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」

 

と詠ませられた。

 

明治天皇におかせられては、ロシアのアジア・日本侵略に抗する聖なる戦ひに際して、日本全国民の「大和心」の興起を強く祈られた。国難を全国民が一致団結し凛として雄々しく乗り越えよというご激励の御心が込められてゐる。

 

と共に日本民族の伝統的な『和の心』を忘れてはならないと国民に示されたと拝し奉る。まことに有難き限りである。
い。

 

安倍晋三総理は本年(平成三十一年)四月三十日に行った「施政方針演説」で、
「東北の被災地でも、地元の皆さんの情熱によって、復興は一歩一歩着実に進んでいます。平成は、日本人の底力と、人々の絆(きずな)がどれほどまでにパワーを持つか、そのことを示した時代でもありました。
 『しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける』
 明治、大正、昭和、平成。日本人は幾度となく大きな困難に直面した。しかし、そのたびに、大きな底力を発揮し、人々が助け合い、力を合わせることで乗り越えてきました。
 急速に進む少子高齢化、激動する国際情勢。今を生きる私たちもまた、立ち向かわなければならない。私たちの子や孫の世代に、輝かしい日本を引き渡すため、共に力を合わせなければなりません。
 平成の、その先の時代に向かって、日本の明日を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか」と語ったのである。

 

安倍総理は、戦争を謳歌しどこかの國と戦争を開始せよなどと訴へたわけではない。安倍演説を非難する日本共産党、「日刊ゲンダイ」などの偏向新聞は許し難い。

 

この「しきしまの 大和心の ををしさは ことある時ぞ あらはれにける」との御製を以て「戦意高揚の歌であり、日本国憲法の平和主義に反する」などと言って、安倍総理を非難攻撃した輩は、民族の敵であり逆賊であると断言してはばからない。

 

そもそも戦勝国によって押し付けられた似非平和主義を金科玉条にして、安倍総理を非難するだけでなく、明治天皇御製をも否定することは何とも許し難い。

 

明治維新の後、わが国はロシアや清などの大国を相手に自国の独立を維持するために、懸命に戦った。そして、日清日露両戦争に勝利し、独立を維持した。

 

日本が支那やロシアの属国にならないための戦い=日清・日露戦争は正しかったし、正義の祖国防衛戦争であった。

志位は安倍氏の発言を「日本国憲法の平和主義に真っ向から反する」などと非難したが、共産主義思想、共産主義独裁専制国家、共産主義政党・集団こそ、この百数十年間、世界・アジアそしてわが国の平和・自由・繁栄を根柢から破壊して来た。

志位の安倍氏への非難発言は、日共の逆賊政党である体質・本性は何ら変わっていない事を証明した。日共を一日も早く討滅しなければならならない。

 

もっとも、ロシア、南北朝鮮、共産支那の軍事的・政治的圧迫に際会し、領土を奪取されてゐるわが国は、今こそ「大和心」を興起しなければならないことは事実である。

 

「しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」

村田清風の歌である。

 村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させた。安政二年(一八五五)に七十三歳で病没。

 

この歌は、本居宣長の

 

「しきしまの 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花」

 

を本歌取りした歌。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬った。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃へた歌。

 

大和心・大和魂は日本民族の持つ包容力・美しさを愛する心である。和魂漢才・和魂洋才の和魂は日本民族の強靱なる包容力のことである。それとともに、大和心・大和魂は、勇武の心・桜の花に象徴される散華の心(潔く散る精神)である。

 

この本居宣長と村田清風の二つの歌に詠まれた「大和心」は、別なものではなく、清明心(清らかで明るい心)・純粋な心・素直な心・そのままの心として一つである。それは日本民族の本来的持ってゐる魂であり精神である。

 

宣長の歌はこの二つの心を「朝日に匂ふ 山ざくら花」という「言の葉」に結び合はせて歌ってゐると思ふ。

 

日本は今日、中華帝國主義の圧迫に晒されてゐるのみならず、北朝鮮にミサイルを飛ばされ國民を拉致され、韓國やロシアには領土を取られ、共産支那や韓國から外交上の侮りを受けている。今こそ日本國民全体が愛國心・戦闘的大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。

 

日本民族の真の愛国心・祖国防衛の精神は、日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂でなければならない。

 

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2019年11月 4日 (月)

千駄木庵日乗十一月四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。資料の整理など。

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天皇の祭祀と神話

日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日唯今も〈天皇の祭祀〉、そして全國各地の神社で行はれてゐる祭祀に生きてゐる。神話の世界で、天照大神が行はれたと同じ祭祀である新嘗祭を、今上陛下は今日も行はれてゐる。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後も、そして、近代科學技術文明が入ってきた後も、〈天皇の祭祀〉として今も現實に生きてゐる。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり〈天皇の祭祀〉は日本における「生きた神話」なのである。

日本おいては、これだけ科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きてをり、伊勢の神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のやうにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇はみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の中心者として君臨あそばされてゐる。

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「歴史に生きる神話」すなはち<天皇の祭祀>への回帰が大切である。具體的に言へば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになる御心を道義的倫理的規範としてならひ奉り、「神を祭る精神」「神ならがの心」を回復するといふことである。神話と歴史とを区別してはならない。神と歴史とは連続してゐるし、歴史の中に神話が生きてゐるのである。それがわが國體である。

日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神にまつろひ奉る御方であり、神のみ心を伺ひ、それを民に示される御方である。また民の願ひを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。まさに「今即神代」「高天原を地上へ」である。

 わが祖國日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきてゐる國である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。混迷する現代を救済するには、日本民族の伝統精神・文化とりわけ日本民族の中核精神より発する聖なる伝承である神話への時間を超えた回帰が大切である。それが真の意味の復古即革新即ち維新である。

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千駄木庵日乗十一月三日

午前は、諸事。室内整理。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆。

夕刻、地元の友人ご夫妻と懇談。ご主人は小生と同い年。隣の小学校・中学校出身。

帰宅後も、原稿執筆。書状執筆。

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2019年11月 3日 (日)

「現御神信仰」の現代における意義


神々の中で最尊・最貴の神と仰がれる天照大神の御子であられる日本天皇は、雨の神・雷神などの自然神を従へられる御存在であるといふのが古代からの日本人の信仰であった。それは今日においても自然な日本傳統信仰として生き続けている。

昭和天皇は、昭和三十五年に、
さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさむぞ わがねがひなる

と歌はれ、同三十四年には
あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契り 結ぶこの朝

と詠ませられてゐる。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるといふ御自覚を歌はれてゐるのである。

これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていはゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどというふ説が大きな誤りであることが分かる。天皇が現御神であらせられるといふことは古代日本人がつくりあげた「架空なる観念」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。

『萬葉集』に収められてゐる柿本人麻呂の長歌には、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」と歌はれてゐる。

「やすみしし」は、萬葉仮名では「八隅知之」と書かれてゐる。「四方八方を知る」といふ意である。「天皇は空間的に日本國の四方八方をしろしめしたまふ」といふことである。或いは、「安見知之」とも書かれてゐる。これは「やすらけくこれを見、知る」といふ意で、「天皇は空間的にたいらけくやすらけく日本國をしろしめしたまふ」といふことである。

 「高照らす 日の皇子」は、「高く照っておられる日の神の皇子」といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命のご子孫である天皇が日本國を統治されてゐるといふ時間的事実をいった言葉である。

 つまり、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句表現(語格や意味の相対する二つ以上の句を対照的に並べて表現する修辞的技巧)は、現御神として日本國を時間的に空間的に統治される天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。かうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れ、『古事記』では景行天皇記の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」といふ言葉がある。

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は太陽神を祭られる<天皇の祭祀>である。

稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)は他の民族より強固なものであった。その日の神の御子が祭り主日本天皇であらせられる。

 天皇は國民を統率し、神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に伝へるお役目を果たされる。ゆへに、民から拝すれば地上における神の御代理即ち現御神であらせられるのである。

 聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。

 この聖徳太子の偉大なる御事績を拝して明らかな如く、「天皇は日の神の御子である」といふ思想は七世紀中頃、即ち大化改新以後につくりあげられたといふ説は、大きな誤りである。

 天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、歴代の天皇に一貫してゐる。第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞ思ふ

といふ御製を詠ませられてゐる。        

 天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りである。

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千駄木庵日乗十一月二日

午前は、諸事。室内整理。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆。

午後五時より、池之端の東天紅にて、『青年思想研究会・先憂を偲ぶ会』開催。緒方孝名議長が挨拶。犬塚博英・阿形充規、小生などが挨拶。多くの同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付など。

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2019年11月 2日 (土)

「復古即革新」について

先日開催されたある会合で、自民党ベテラン議員が「明治の日制定が夢間違っても復古調と言われてはならない」と言ったのには驚いた。

日本民族は、「復古即革新」「保守と革新の合一」といふ観念と行動様式を持ってゐる。日本民族は、根底にある伝統をあくまでも守りつつ、常に革新を行ってきた。

近代日本も、多くの矛盾や問題はあったが、伝統国家は破壊されることはなく、西洋文化・文明を取り入れつつ進歩発展を遂げた。この中核にある純粋文化伝統は、太古以来の祭祀を中心とする日本民族の傳統信仰である。そしてその傳統信仰の祭祀主が、歴代天皇であらせられる。

肉身の天皇は変わられても、天照大御神以来の靈統は万古不易に継承されるといふ「皇位継承」は、まさに「復古即革新」といふ日本の純粋なる伝統的文化様式の典型である。

天皇・皇室は伝統の体現者であらせられ、継承者であらせられると共に、革新と発展と外来文化文明包容摂取の中心者であらせられるのである。

幕末以来、日本は貪欲なくらいに近代科学技術・西洋文明を包容摂取した。文明開化・富国強兵・殖産興業とは、「西洋文化文明摂取包容」の別名である。「尊皇攘夷」を唱えていいても、柔軟にして革新的な意思と態度を持っていた。そしてそれが伝統ある日本國を守り発展させることになると信じたのである。

それは頑迷固陋な保守主義ではなく、まさに明治天皇が御製に示された

「よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな」

の大精神である。

民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

今日の危機的状況を國體の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。わが日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である。

今日の日本はまさに混迷を深めている。しかし、混迷を深め国家民族が危機に陥っている時にこそ、変革が行われる。それがわが国の歴史である。

変革は、明確なる理想が掲げられ、民心が一致することが肝心である。しかし、変革は、いたずらに精密なる理論や教条に基づいて行われるわけではない。国民全体を奮起せしめる現実の危機によって断行される。理論は現実の危機打開の実行行為と共に生起し構築される。

しかし、大化改新・建武中興・明治維新という我が国の変革の歴史は、天皇を君主と仰ぐ國體意識・尊皇精神の興起が原基となって断行された。これを復古即革新即ち維新と言う。

天皇を原基とし原理とするが故に、醜い政治権力闘争ではなくなる。美しく荘厳なる変革となる。それが他国の革命との絶対的違いである。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ神聖国家・道義国家の再生が、日本的変革即ち維新の本質なのである。

祭政一致の清明なる「まつりごと」の回復である。教条や政治理論に基づく体制変革ではない。

醜悪な国になりつつある祖国日本を救済する大変革それが維新である。今こそ、復古即革新即ち維新断行の時である。

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千駄木庵日乗十一月一日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、上野公園の東京国立博物館平成館で開催中の『御即位記念特別展 正倉院の世界』参観に赴くも、何と会場に入るのに七十分かかるとのことなので体調の関係もあり、参観をあきらめ、帰宅。

帰宅後は、資料の整理、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2019年11月 1日 (金)

日本伝統精神の今日的意義


「旅は生ける学問なり」といふ言葉がある。徳富蘇峰氏の著書『吉田松陰』の中にある言葉である。まさしくその通りである。文献で分かったつもりでも、實際に神話伝説や歴史に登場する土地に行くと新たなる発見があり、歴史の真實が分かることが多い。

大和の国を旅すると、日本国の生成がまことに麗しい歴史であることを實感します。日本は神々への祭りと祈りが国家生成の根本になってゐる。神国日本といふのは決して嘘ではない。神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ふ。日本国民はそのことに感謝し、有り難く思ふことが大切である。傲慢になったり排他的になってはならないと思ふ。また、日本天皇の国家統治は祭祀と一體である。祭政一致とは神を祭り神に祈りつつ政治を行ふといふことである。

大和の国を旅すると、神話の世界が今日唯今の日本の国土に中に生き生きと生きてゐるといふことを実感する。まさに「今即神代・神代即今」である。神話とは遥か遠い昔の傳説ではない。今日唯今の生きてゐるのである。太古の祭りが今日も皇室祭祀そして日本各地の神社の祭祀に継承されてゐる。

日本各地の多くの神社に参拝し、自然を愛で、日本国生成の歴史と精神を體感し、日本民族は神々を尊び、祖先を敬ひ、自然と共に生活する、極めて平和的な民族であることをあらためて實感する。日本精神・大和心とは本来、絶対平和精神である。

現代は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐる。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、人類は不幸への道を歩んでゐるといっても過言ではない。

この根本原因は、砂漠に生まれ、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらへ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想を淵源としてゐる西洋の文化・文明にあると考へられる。共産主義独裁思想もその亜流である。これを根本的に是正すべき時に来てゐる。

そのためには、自然と共に生き稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、外来文化・文明を受容し、それを昇華洗練せしめた日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へる。

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千駄木庵日乗十月三十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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