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2019年10月31日 (木)

日本神道について

 一つの民族が、固有の宗教とは全く異なった外来宗教を受容するか否かということは、重大問題であるはずである。つまり日本以外の国々では時により民族によっては、国家民族を二分するような壮絶な宗教戦争が起こる。しかし、世界各地で古代から現代に至るまで繰り広げられている血で血を洗う凄惨な宗教戦争は日本では起こらなかった。仏教の受容をめぐる宗教戦争も起こらなかった。蘇我氏と物部氏の政治権力闘争に絡んだ論争があった程度であった。

 これが日本宗教史の不思議なところである。しかも日本の固有信仰の祭祀主である天皇及び皇室が、率先して仏教を受け容れた。天皇及び皇室は固有信仰たる天神地祇の祭祀を捨てることはなかった。そして次第に自然な形で仏教は日本の国に受容されていったのである。

 こうした日本人の態度をいい加減でルーズな態度と批判する立場もある。しかし、日本人は決してルーズではない。むしろ潔癖な民族である。仏教の受容も、日本の固有信仰と適合する部分についてのみ受容され信仰されたのである。仏教の受容によって、日本固有の信仰を捨て去るということはなかった。仏教は日本の中に深く根づいたが、仏教受容以来千五百年近くになろうとする今日においても、仏教は外来思想と言われているのである。これは日本人の外来宗教への態度がルーズでいい加減ではない証拠である。

 日本人の実生活に根ざす固有信仰の精神が、日本民族の同一性の実に強靱な基盤となっているからこそ、かえって日本民族は融通無礙・包容力旺盛な態度を保持し、排他性が希薄だったのである。日本人の固有信仰の強靱さが、日本民族が仏教のみならず外来文化文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤である。そしてこれが日本文化の固有なる特質である。これを否定することは日本文化そのものをの否定することであり、日本文化の正常な発展の否定である。          

 現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

 神道は他の宗教を排斥することのない包容性・柔軟性を持っている。しかしその底には強靱性・純粋性がある。

 アーノルド・トインビーは伊勢の神宮に参拝した折、毛筆で次のような感想を書いた。「Here in holy place I feel the underlying units of all religins」(私はこの聖域において、すべての宗教の根源的な単位を感ずる)

 これからの世界は情報科学の驚異的な進歩発達を見ても明らかなように、多様性の社会となり、様々な情報や考え方が氾濫し錯綜する時代となっている。

 それは、一神教の世界ではなく、多神教の世界である。様々な情報の中から自分に適したもの必要なものを選択する時代となっている。

 日本神道は、八百万の神々という言葉で表現されるやうに、天地自然、祖霊を神として拝ろがむ信仰である。そして外来の宗教を包容し包摂する寛容さを持っている。これからの時代には、一つの神を絶対視して他の神や経典を排斥するような一神教的発想ではなく、日本伝統信仰である神道のような多神教の発想が大切になると考える。

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