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2019年10月31日 (木)

日本神道について

 一つの民族が、固有の宗教とは全く異なった外来宗教を受容するか否かということは、重大問題であるはずである。つまり日本以外の国々では時により民族によっては、国家民族を二分するような壮絶な宗教戦争が起こる。しかし、世界各地で古代から現代に至るまで繰り広げられている血で血を洗う凄惨な宗教戦争は日本では起こらなかった。仏教の受容をめぐる宗教戦争も起こらなかった。蘇我氏と物部氏の政治権力闘争に絡んだ論争があった程度であった。

 これが日本宗教史の不思議なところである。しかも日本の固有信仰の祭祀主である天皇及び皇室が、率先して仏教を受け容れた。天皇及び皇室は固有信仰たる天神地祇の祭祀を捨てることはなかった。そして次第に自然な形で仏教は日本の国に受容されていったのである。

 こうした日本人の態度をいい加減でルーズな態度と批判する立場もある。しかし、日本人は決してルーズではない。むしろ潔癖な民族である。仏教の受容も、日本の固有信仰と適合する部分についてのみ受容され信仰されたのである。仏教の受容によって、日本固有の信仰を捨て去るということはなかった。仏教は日本の中に深く根づいたが、仏教受容以来千五百年近くになろうとする今日においても、仏教は外来思想と言われているのである。これは日本人の外来宗教への態度がルーズでいい加減ではない証拠である。

 日本人の実生活に根ざす固有信仰の精神が、日本民族の同一性の実に強靱な基盤となっているからこそ、かえって日本民族は融通無礙・包容力旺盛な態度を保持し、排他性が希薄だったのである。日本人の固有信仰の強靱さが、日本民族が仏教のみならず外来文化文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤である。そしてこれが日本文化の固有なる特質である。これを否定することは日本文化そのものをの否定することであり、日本文化の正常な発展の否定である。          

 現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

 神道は他の宗教を排斥することのない包容性・柔軟性を持っている。しかしその底には強靱性・純粋性がある。

 アーノルド・トインビーは伊勢の神宮に参拝した折、毛筆で次のような感想を書いた。「Here in holy place I feel the underlying units of all religins」(私はこの聖域において、すべての宗教の根源的な単位を感ずる)

 これからの世界は情報科学の驚異的な進歩発達を見ても明らかなように、多様性の社会となり、様々な情報や考え方が氾濫し錯綜する時代となっている。

 それは、一神教の世界ではなく、多神教の世界である。様々な情報の中から自分に適したもの必要なものを選択する時代となっている。

 日本神道は、八百万の神々という言葉で表現されるやうに、天地自然、祖霊を神として拝ろがむ信仰である。そして外来の宗教を包容し包摂する寛容さを持っている。これからの時代には、一つの神を絶対視して他の神や経典を排斥するような一神教的発想ではなく、日本伝統信仰である神道のような多神教の発想が大切になると考える。

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千駄木庵日乗十月三十日

午前は諸事。

午後は、在宅して、室内整理、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『請願署名一〇〇万達成!明治の日法案提出促進院内集会』開催。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2019年10月30日 (水)

笹川平和財団主催『第一六〇回海洋フォーラムにおける中王子真氏(海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長)による「新防衛大綱・支那中期防と海上自衛隊」と題する講演内容

三月二十日開催された笹川平和財団主催『第一六〇回海洋フォーラムにおける中王子真氏(海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長)による「新防衛大綱・新中期防と海上自衛隊」と題する講演内容は次の通り

 

「国の防衛には国民の理解が不可欠。宇宙サイバー・電磁波の新領域の利用が急速に拡大。国家間の相互依存が拡大。手段・領域が多岐にわたっている。

 

パワーバランスに最も大きな影響を与えるのは米国と中国。中国には透明性が求められる。北朝鮮はわが国に対する重大な脅威。ロシアも活発化。外交力・防衛力を強化して各国との協力を深化する。日米同盟を強化する。

 

総合的防衛体制の構築。政府と地方公共団体との協力。平時からグレーゾーンへの対応。海保との連携を進める。弾道ミサイルへの対処。大規模災害への対応。生活支援。日米の共同訓練。海洋分野での協力。各種ネットワークの共有。アジア大陸とインド洋と太平洋の連結性の強化。ここに世界人口の半数以上がいる。脅威にさらされている。平和と繁栄を確保する。

 

海上法執行能力の向上支援。防衛装備能力の支援。二国間・多国間の訓練協力。価値を共有する国々との協力が大切。宇宙サイバー・電磁波領域における能力の強化。航空機の能力向上。輸送船タンカーの強化。効率化・人的基盤の強化。女性活躍の推進。領域横断作戦実施のための陸海空統合運用。宇宙利用域専門部隊の保持。総合ミサイル防衛能力の保持。

 

海上交通安全の確保。水上艦隊部隊の再編。哨戒機の能力向上。警戒監視能力の強化。クルー制の導入。チーム入れ替えによる運用効率向上。新型護衛艦導入。対艦ミサイル発射装置などの搭載。出雲型護衛艦の運用を可能にする。海上優勢の護持。航空優勢の獲得維持。総合ミサイルの防空能力向上。イージスDDGの能力向上。持続性・強靭性の強化。

 

少ない人数で日本の海を守る海上自衛隊。四五三六三人で守っている。東京ドーム収容人数は四万六千人。領土は狭いが、排他的経済水域は広い。安保情勢は厳しさを増している。何をするにもまずは『人』。海自は人を大事にし、人を育てる。高齢化と出生率の低下を何とかしなければならない。少人化・無人化の努力が必要。技術的には可能。二百人乗っていた護衛艦を百人にする計画もある。再任用制度あり」。

 

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2019年10月29日 (火)

この頃詠みし歌


嵐去り静かになりし夜の更けにさらさらと鳴るわがペンの音

實朝公の歌思ひつつ我もまた雨やめたまへと神に祈れり

新たなる御代を迎へしこの國にまた襲ひ来し水の禍(まが)かな

戦中戦後を必死に生きて来し父こと思へば今日も胸迫るなり

永遠に生きたまふなる母上の御霊の前に誦する般若心経

天地一切のものと和解せよといふ言葉よみがへり来る憤怒抑へをれば

大皇居(おほみかど)に世界の人々集ひたり世界は永久に平和なるべし

自らの生き様を幾度も反省しなほ苛まれるわが心かな

思ひ出の中にのみ生きてゐる幼馴染みとはもう逢へざるか

根津の街の路地を歩める夕つ方目指すははじめて行く酒場なり

コメンテーターといふ人々がスタジオに坐りてベラベラとしゃべりゐるなり

昔より顔見知りなりし人は今日大臣の職を去り行きにけり

任命責任だのやれなんだのと騒ぎゐる野党は何もすることなきか

揚げ足取り小さきスキャンダルを大仰に取り上げるしかすべ無き野党

こんな野党に政権を取らせたら日本丸は航行不能

杖つける友と共に歩み行く神保町に雨降り出だす

憲法論議果てしなく続く夜の部屋ホットコーヒーに喉うるほせり

靖國の宮に奉納の神輿をかつぐ人々楽しげに麹町を行く

大いなる神に祈りてわが行く手安穏なるを信じゐるなり

早朝に牛乳配達の音聞こえいざ眠らなむ仕事終へたれば

今日もまた我の務めを果たし終へ夜空を仰ぐ時清々し

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千駄木庵日乗十月二十九日

午前は、諸事。資料整理。

午後からは、在宅して、室内整理。原稿執筆、資料整理。

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韓国の嘘とデマ宣伝を許すな

長い歴史においてとりわけ地理的に近隣関係の国において、お互いに攻めたり攻められたりすることは、文字通り歴史の常である。それをどちらか一方の国のみが、何時までも「お詫びの気持ちを忘れずにいる」などということは誤りだ。

 朝鮮・韓国は、鎌倉時代に元(蒙古)軍の手先になってわが国を侵略し暴虐行為を働いたこと、戦後に李承晩ラインを引いて我が国漁船を不当に拿捕したこと、そして今日ただ今竹島を不当不法に軍事力を以て占拠していることに対して、「お詫びの気持ちを忘れずにいる」であろうか。そんなことはありはしない。

 誤れる「自虐史観」に凝り固まった亡国的考え方を持った者共が、政権政党や野党やメディアに存在することは、断じて黙過することはできない。

 これまで、日本政府による韓国への「公式謝罪」なることは、何回も行われた。全く馬鹿馬鹿しいというか情けないことである。

 『創氏改名』は、日本が朝鮮半島を植民地や属邦として一段低く見て隷属的に扱うのではなく、朝鮮半島と日本とを一体にし、朝鮮を日本の一部の地域として日本と等しくしようとの意図で、昭和十五年に行われた「日本式改姓名運動」のことである。

 この運動は、日本の力による強制と見るのは誤りである。多数の朝鮮人が自ら積極的にこの運動に参加したのが歴史的事実である。朝鮮半島の人々は、内地人同様の義務と責任を果たしたいという意識が盛り上がったのである。つまり朝鮮の人々が日本人の姓名を名乗ることを希望したのである。

 昭和十五年二月十一日の『紀元節』から八月十日までの六ヵ月間に限って「日本式姓名に改名したい人は改名していい」との方針を提示したら、朝鮮人の実に八割の人が申し出たという。それだけ朝鮮の人々は『創氏改名』に積極的だったのである。

 しかし、二割弱の朝鮮の人々は改名しなかった。しなくても迫害されたり不当に差別されることはなかった。例えば、洪思翊という人は、改名しなくても日本陸軍士官学校・陸軍大学校を出て陸軍中将にまで昇進している。また、朴春琴という人は、朝鮮名のままで日本の帝国議会の衆議院議員を勤めている。

いわゆる「従軍慰安婦」とは、正しくは「軍専属職業慰安婦」と称し、相当の報酬を得ていた特殊職業婦人(俗にいう売春に携わる女性)のことで、勿論、強制されたものではなく自由契約によるものだった。

 軍は戦地での強姦暴行事件が起こるのを未然に防止するために、業者にこの種の女性の募集を委託した。従って性病防止などのため管理面で軍が関与したことはあっても、軍が主体となって強制連行したことは絶対にあり得ない。

 問題があったとすれば、朝鮮人業者(周旋人の殆どが朝鮮人であった)から甘言を以て騙され慰安婦になった例があったことである。しかしこれは日本軍や日本政府の責任では断じてない。朝鮮人自身の責任である。

韓国や日本国内の「反日メディア」が職業慰安婦募集を、不当に歪曲して「強制連行」などという大嘘・デマを大々的に報道し、キャンペーンを張ったである。

その結果、「強制連行」があたかも歴史的真実であると共に、日本軍及び日本政府が行ったかのように思い込んでいる人もいる。そして日本軍が女性の人権を蹂躙した人道的犯罪を犯したと妄信さしている人もいる。

公表された慰安婦関係の記録文書には、朝鮮半島出身者に関する文書に「強制」「強要」「甘言」があった「事実」を示す記録は一件もなかったのである。

日本軍が「軍専属職業慰安婦」募集を業者に委託したのは、軍規・軍律を守るための当然の処置であって何ら咎められることではない。 

竹島問題の解決即ち韓国警備隊の竹島からの撤退、そして韓国の嘘とデマに基づく反日政策・反日運動が中止しない限り日韓友好はありえない。

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千駄木庵日乗十月二十八日

午前は、諸事。

午後二時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、城内実衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』に掲載のためなり。終了後、編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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2019年10月27日 (日)

宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ現代救済の原基

「宮中祭祀の大部分は明治以降につくられたもの。江戸時代に復活した新嘗祭も含めて、古代のものが連綿と今につながっているというわけではない。仮にいまの宮中祭祀をなくしたとしても、皇室の姿が明治以降から、明治以前に戻るだけだと考えることもできる」といふ論議がある。

明治以降の「宮中祭祀」は、「神武創業への回帰」といふ維新の理想実現を目指しつつ日本傳統信仰と皇室の傳統を基本として、「宮中祭祀」の本来の姿の回復が図られたのである。決して明治維新後に「つくられた」のではない。

「本来行はれるべき祭祀などの朝儀の復活・充実」は、江戸期を通じて、朝廷の深き御希望であった。それが明治維新によって実現したのである。古代以来行はれてきた「新嘗祭」は、何千年の間に時代と共に洗練に洗練が重ねられて今日まで伝承されて来た。 

靈元天皇をはじめとした江戸時代の歴代天皇は、朝廷の儀式を調査・研究あそばされ、「応仁の乱」以来衰退してゐた朝廷の儀式の再興に努力あそばされた。そして、実際に皇太子冊立の儀・伊勢例幣使・賀茂祭など多くの朝儀が再興された。

そして、東山天皇の御代の貞享四年(一六八七)十一月十六日、後土御門天皇即位時の以来中絶してゐた大嘗祭が、二百二十一年ぶりに略儀ではあったが再興された。桜町天皇の御代の元文三年(一七三八)には大嘗祭と新嘗祭が本格的に再興された。
江戸期の歴代天皇がいかに祭祀・神への祈りを大切にされてきたかは次に掲げさせていただく御製を拝すれば火を見るよりも明らかである。

後陽成天皇
天てらす神のいがきのすゑとほく治めしるべき世をや祈らむ
神にしもなほ祈りなば治まれる世のゆくすゑは千代もかぎらじ

後水尾天皇
いかでなほめぐみにあはむ神やしろかけて祈りし心ひとつに

靈元天皇
朝な朝な神の御前にひく鈴のおのづから澄むこゝろをぞ思ふ
あと絶えずはこぶあゆみを雪の上に見るもかしこき神の広前
まもれなほ神の宮居に引くしめのすぐなれと世をいのる誠は

桜町天皇
新嘗の赤丹(あかに)のはつ穂もろ人にとよのあかりの今日たまふなり
天てらす神ぞ知るらむ末ながき代々のひつぎを祈るこゝろは

桃園天皇
もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)のひかりとぞおもふ

光格天皇
朝ごとにかけてぞ仰ぐあきらけき八咫(やた)のかゞみは神の御影(みかげ)と

孝明天皇
國民のやすけきことをけふこゝにむかひて祈る神の御前に
わが命あらむ限(かぎり)はいのらめや遂には神のしるしをもみん
奉るそのみてぐらを受ましてくにたみやすくなほ守りてよ

これらの尊き御製を拝し奉れば、「宮中祭祀」の本来の姿の回復が、如何に歴代天皇の御祈りであったかが分かる。

宮中祭祀は今に生きる神話であり現代救済の原基である。「神話」は今こそ回復されるべきなのである。「神話の精神」こそが現代の混迷を救済する。宮中祭祀は今に生きる神話であり現代救済の原基である。

天地自然の神、祖靈への祭りの精神の回復こそが現代を闘争・戦争・自然破壊・人心の荒廃を救済する道である。祭祀こそ、天皇・皇室の最高のご使命であり、現代日本を救済する原基である。

祭祀は決して迂遠な手段ではない。精神の荒廃を救済し、神のご加護を持ち来たす最も基本的な手段である。日本の神の実在を信じない人にはこのことはいくら説いても無駄である。
 
天皇が日本国の祭祀主として五穀の豊穣と国民の幸福を祈られるため祭祀を行はせられてゐることが、天皇が神聖なる権威の基なのである。
日本傳統信仰の祭祀が科学技術文明による荒廃を救済する。繰り返し言ふが、宮中祭祀は、現代に生きる神話である。

ミルチャ・エリアーデは「神話とされるものは、〝かのはじめの時〟に起こったある出来事や、その時に生きていた人物について語られただけではなく、原初の出来事、原初の人物と直接、間接に関係を持つすべてもまた神話なのである。…神話はその性格の如何にかかわらず人間の行動に対してだけでなく、人間自身の条件に対しても常に、先例であり、範例である。」(『聖なる時間・空間』)と論じでゐる。

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

日本の神話は、「天皇の祭祀」によって生きた現実として太古より今日まで継承されてきてゐる。世界に国家多しといへども、建国以来、国家元首が祭祀を行ひ続けてゐる国は日本のみである。宮中祭祀は、現代に生きる神話であり、文化・文藝・政治・経済・宗教など人間のあらゆる「いとなみ」を聖化し「いとなみ」の模範となる行事である。
「大嘗祭」・「新嘗祭」をはじめとした宮中祭祀には、日本民族の傳統的世界観・国家観・人間観・神観が示されてをり、日本文化の中核である。

祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

宮中祭祀を中核とする日本の祭祀は、自然神と祖霊を祀る行事である。今日、公害・自然破壊・核兵器など物質文明・近代科学技術文明が生んだ様々な「悪」によって人類全体が大きな危機に瀕してゐる。科学技術文明が徹底的に生態系を破壊せんとしてゐる。文明の進歩によってかへって人間の生命が蝕まれ精神が荒廃してゐる。

かかる状況を打開するためには、イデオロギーや特定の教義によるのではなく、自然と共に生きるといふ日本傳統信仰を回復し、自然と人間に宿る生命を護る態度を養ふことが大切である。宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ、その原基となるのである。

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、諸事。

午後一時より、九段の偕行社にて、「日本の心を学ぶ会第百回記念講演ならびに祝賀会」開催。林大悟氏が司会。渡邉昇日本の心を学ぶ会代表が開会の挨拶。林雄毅氏が歴代講師の紹介。魚谷哲央・田母神俊雄・瀬戸弘幸・丸川仁の各氏が来賓祝辞。小生が、「日本の心の回復と現代の変革=維新の意義」と題して講演。この後、祝賀会開催。多数の同志と懇談。中澤忠男氏が閉会の辞を述べ終了した。

帰宅後は、書状執筆、明日行うインタビューの準備など。

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2019年10月26日 (土)

「日本の神々と祭祀の心」への回帰が現代を救う

祭祀は、現代に生きる神話である。祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教であるが、神の偶像を拝むといふことはない。何処の神社にお参りしても、その神社の御祭神の神像を拝むといふことはない。日本神道は自然神・祖霊神そのものを拝むからである。偶像崇拝は無い。

日本人は本来「自然には神霊が宿る」といふ信仰を持ってゐる。それは『記紀』の物語や『萬葉集』の歌に表白されてゐる。

菅原道真は
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

と詠んだ。

伴林光平は
度會の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり

と詠んだ。

藤原俊成は
雪降れば 嶺の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山

と詠んだ。

こうした自然神秘思想を回復することが今最も大切なのであろう。

自然に宿る神々は、人間を護り恩恵を与へてくれると共に、時に荒ぶる神となり、大変な脅威を齎す。近年の自然災害の被災地の姿を見るとそのことを實感する。現代に生きる我々は、自然に対する畏敬の念を取り戻さなければならない。大地震・大津波・原発事故・豪雨・台風は、自然に対する人間の姿勢が如何にあるべきかを示唆してゐる。

近年の自然災害で日本民族は大きな問題を突き付けられた。「自然との共生」という言葉をよく聞くが、そんな生易しいものではないことを實感した。確かに人間は自然と共に生きて来たし、自然の恩恵をこうむっている。しかし、時に自然は人間に無慈悲に襲いかかって来る。これにどう向き合うのかが問題である。

自然神・祖靈神の崇拝が日本伝統信仰=神社神道の基本である。自然に宿る神霊、そして亡くなった方々の御霊は、我々生きている者たちに恵みを与え下さり、お護り下さる有りがたき御存在である。しかし、神代・古代以来、自然に宿る神々も、そしてこの世を去った御霊も、時に怒りを現し、祟ることがある。

日本人は、自然災害はまさに自然の神の怒りととらえて来た。御靈信仰も神社神道の大きな流れである。全国各地に鎮座する天満宮も、そり原初は、無念の思いを抱いて亡くなられ、多くの祟りを現された菅原道真公の御霊をお鎮めするための神社であった。

日本民族は、常に自然の恩恵に感謝すると共に、災害をもたらす自然に対して畏敬の念を抱いてきた。また、日本民族は、亡くなった方々に対して感謝の念を捧げると共に、尋常でない亡くなり方をした方の御霊に対して御慰めしなければならないという信仰を持っていた。

本居宣長は、日本に神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)」(『古事記傳』)と定義してゐる。

日本の自然の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるということである。無限の可能性を持つと言い換えてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災いを齎すと古代日本人は信じた。

無暗矢鱈に自然に恐怖心を抱いたり、亡くなった人の祟りを恐れたりするべきではないが、自然と祖霊に対する畏敬の念を持つことは大切である。つまり、今こそ、日本国民斉しく自然と祖霊への祭祀の心を回復すべきなのである。

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千駄木庵日乗十月二十六日

午前は、諸事。『政治文化情報』発送作業、発送完了。

 

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。村松伸治日本文化大学教授が司会。高乗智之松蔭大学准教授が「万世一系と世襲の違いについて」と題して報告。全員で討論。大変実りのある勉強会でした。

 

帰途、出席者であり大学時代からの友人・同志と懇談。

 

帰宅後は、原稿執筆。

 

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2019年10月25日 (金)

「事大主義」が韓國朝鮮の近代化・独立を妨げ、反日思想の原因となった

韓國朝鮮は「支那の属國である」といふ旧来の陋習に固執し今日唯今も脱することができない。韓国朝鮮の守旧派にとって、明治維新を見習ひ韓國を改革しようとした金玉均などの「開化党」即ち日本及び日本人と協力して近代化をしようとする輩は、華夷秩序を破壊し、朱子学・儒教を否定するまさに文明の破壊者であり朝鮮を破壊する者共であり、これを許してはならないのである。これが韓國朝鮮の近代化自らの意思と力による独立を妨げた原因の思想であり、反日思想の原因であらう。

日本は古代においてすでに支那の文化圏から独立してゐた。また、わが日本は歴史を通じて支那の政治、軍事の影響下になく、完全に支那文化圏の外側にあった。たが、朝鮮韓國はさうではなかった。

韓國朝鮮が支那の属國であることは古代からの伝統である。朝鮮半島に生まれた王朝の多くは、支那大陸の中原を制した國家に対して事大してきた。

朴泰赫氏は、「韓國では中國に対する事大主義(サデチュイ)のおかげで、十五世紀なかばにいたるまでハングルという國字を持つことができなかった。日本よりも五百年も遅れた。…日本よりも國文学の開花が七百年も遅れたのだ」(『醜い韓國人』)と論じてゐる。

古田博司氏の著『朝鮮民族を読み解く――北と南に共通するもの』によると、「『童蒙先習』総論末尾、一六九九年本、粛宗王序・宋時烈跋文」といふ書物には、「大明太祖高皇帝にあらためて國号をたまわり、朝鮮という。都を漢陽(現ソウル)に定め、聖子の神孫が代々受け継ぎ、光明を重ねて太平の世を続け、以て今日に至った。実に萬世に限りないよろこびである。ああ、我が國は海の辺隅にあり、國土は狭小ではあるが、礼教・音楽・法律・制度、衣冠(身分秩序)・文物(文化の産物)、こと國中國の制度に従い、人倫は上層ではあかるく、教化は下のものに行われた。風俗の美は中華をひとしくなぞっている。華人(中國人)はこれを称して小中華という。これがどうして、箕子(殷の紂王の叔父で、逃れて朝鮮王となったという伝説がある――筆者)の遺し置いた感化でないことがあろうか。ああ、なんじ小子よ、それをよく感じ取り奮起すべきであろう」と書かれてゐるといふ。

李氏朝鮮はその國号すら支那の皇帝から賜り、國王は支那の王族の子孫であり、朝鮮は小中華であるという思想である。何とも凄まじい属國観念であり事大主義であることか。これを否定し、韓國朝鮮に対して支那帝國からの自立を促した日本を怨み続けているのだ。

朝鮮の初代の國王は支那から亡命してきた人であり、「朝鮮」と言ふ國号も支那の皇帝から与へられたといふのである。しかもそれを誇りにしてゐる。これがまさに属國意識の最たるものであり、韓國朝鮮の「事大主義」はここから発するのである。これではいくら支那に苛められようと侵略され搾取されやうと支那を怨んだり復讐することはできない。

崔基鎬氏の著書によると、漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられてゐた迎恩門とは、支那皇帝の臣下であり、冊封國であった李氏朝鮮の歴代の王が、明代および清代の支那皇帝の使者を迎へるための門である。迎恩門とは恩のある支那皇帝の使ひが通る門といふ意である。崔基鎬氏によると、迎恩門は朝鮮國王が三跪九叩頭の礼によって明代および清代の支那からの使者を迎へた場所である。その迎恩門に隣接して建てられてゐた慕華館は、清の使節団が滞在する建物である。慕華館とは字面を見て明らかだが『中華を慕ふ館』といふ意である。かくの如く李氏朝鮮は、支那の属國であった。

故に、華夷秩序では朝鮮韓國より下に位置する最下層の夷狄であるにも拘らず、華夷秩序を破壊した野蛮國家・野蛮人である日本及び日本人に対しては深い恨みを抱き、復讐するのである。

韓國が、日本に対して激しくも執念深い恨みを抱くのは、「事大主義」「華夷の弁」といふ東アジアにおける長い間の悪習・旧来の陋習を日本が破壊し否定したからである。

韓國朝鮮が支那の属國であることは正しいし永遠に続くべき秩序であるが、日本が支那朝鮮の上に立つことあるいは対等の対場になることは絶対に許せないといふのである。

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千駄木庵日乗十月二十五日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して室内整理、『伝統と革新』掲載ための原稿執筆・脱稿・送付。明後日の『日本に心を学ぶ会』における講演の準備。

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萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 十一月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったしなかった重大なる伝統破壊である

元号制度は支那からわが國に伝へられたが、わが國においてその本質・性格は全く変化し、権力者の國家國民専制支配の手段ではなくなり、國家國民の幸福、國家の安穏を祈られる上御一人日本天皇の祭祀となった。

「元号」を立てることは、時の流れに節目をつけ、願望と祈りをこめるきはめて高次にして大切なる営みである。しかも、わが國においては、大化以来千年以上の歴史と伝統を持つ。

稲作國家日本の祭祀主であらせられる天皇にとって、時代に節目にをつけ、時を授けるのは大切なるご使命であった。

これまでの歴史を顧みれば明らかな通り、新元号を建てることによって、時代転換、世直し、國家の新生、維新が行はれてきた。

天皇のみのご使命である元号を定めることは、決して権力行為ではなく祭祀であることは、「元号の勅定」が天皇の「統治権の総攬者」としての「國務・政務」について規定されてゐる『大日本帝國憲法』ではなく、「卽位ノ禮及大嘗祭」などの即位に関はる宮中における祭祀についてのみ規定されてゐる『登極令(とうきょくれい) 』に規定されてゐることによって明白である。

明治以後は不文の法のみならず成文法においても明治二十二年(一八八九)二月十一日、『大日本帝國憲法』と同時に公布された『皇室典範』によって一世一元が確認せられ、改元の手続きは『皇室典範』の附属法である『登極令』(明治四十二年【一九〇九】二月十一日公布)において「第二條 天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム  元号ハ樞密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス 第三條 元號ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と定められてゐる。

近代成文法において、天皇陛下の御意思にあらざれば元号は改めることはできないと明確に規定されてゐる。そして、元号の勅定は、大嘗祭などと同じく、天皇の行はせられる祭祀なのである。

内閣は、この度の新帝即位に伴ふ改元につき、「國民生活への影響を考慮して」「経済界や國民生活の利便性を考へて」即位に先立つ四月一日に政府から新元号を発表することとした。そして、天皇陛下の勅許も聴許も承らず、新しい御代の元号が定められてしまった。これは、君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる内閣によって決められたといふ事であり、元号は天皇の勅定によるといふ千数百年にわたるわが國の伝統が、無視されたのである。重大なる國體隠蔽である。

内閣がかかることを行ったのは、「天皇の事前許可を求めれば天皇の國政関与を禁じた憲法に反する」といふ考へ方に基づくと言はれてゐるが、繰り返すが、元号の勅定は、天皇の権力行使ではないし、政治権力行為ではない。「天皇の祭祀」の重要な事柄である。

政府も國會も、皇室や日本の伝統よりも『現行憲法』の規定を重んじる姿勢を貫いてゐる。「即位の大礼」においてもさうであった。『現行占領憲法』はまさに國體破壊・國體隠蔽の亡國憲法である。一刻も早く全面否定しなければならない。

明治維新に際して明治天皇が「一世一元」の制を定められ、また昭和五十四年制定の「元号法」においても改元は皇位の継承があった時、とされており、改元は新帝によるものと理解されるべきである。

「ついに日本は、天皇が『時間空間』を統治される國ではなくなった。内閣総理大臣以下政治権力者が『時間』を支配する國となった」と極言することも可能である。

報道によると、安倍総理は、天皇陛下の政治への関与を禁じた『現行占領憲法』第四条に抵触しないやう配慮しつつ、「新元号」決定前も決定後も、皇居・東宮御所に何回か参内し、天皇陛下、皇太子殿下に選考が元号にご説明申し上げたやうである。天皇陛下、皇太子殿下のご報告申し上げ、ご意向をうかがったと思はれる。

『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

しかるに新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったしなかった重大なる伝統破壊である。

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千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、病院に赴き、診察を受ける。

午後からは在宅して、『伝統と革新』の原稿執筆。資料の整理など。

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2019年10月23日 (水)

日本の韓国朝鮮統治により、韓国朝鮮は多大な発展を遂げた


今日、「日韓併合」に対して、韓国は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃している。しかし、「日韓併合」は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。

これは感情論ではない。 それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と示され、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と示されてゐることによって明らかである。
 
朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。

乱脈だった李朝末期の韓国社会に正しい法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。  
また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近く移住して来た。その上、毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。

日本の韓国統治により、韓国朝鮮は多大な発展を遂げた。日本統治時代に韓国朝鮮に大きな投資を行ったために、韓国朝鮮が惨めだった状況から一足飛びに近代化した。日本が韓国統治において一方的な収奪したといふのは大きく事実に反する。
 
日本の韓国朝鮮統治により、韓国朝鮮は多大な発展を遂げた。三○年間に、一○○万足らずだった人工が二五○○万に増え、平均寿命は二四歳から四五歳に伸び、未開の農業国だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した。  

日本本土から優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが整備された。その他、文芸・美術など文化面でも復興が遂げられた。
 
韓国・朝鮮人の独立運動が国内外において起こったが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。

日本の台湾・朝鮮統治は、台湾・朝鮮を搾取の対象としたのでない。投資と開発、教育の普及を行ふことによって、共存・共栄の道を歩んだのである。台湾・朝鮮の遅れた社会構造を解体して産業革命の基礎を作り出した。
 
日本が大東亜戦争で敗戦に追ひ込まれたからといって、朝鮮統治が「国策の誤り」であり、「アジア近隣諸国に対して植民地支配と侵略を行ひ、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と貶めることば絶対に許されない。

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、諸事。室内整頓。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』の原稿執筆など。

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奉祝歌

日の大神の御稜威ここに天降り天つ光りは差しそめにけり

 

新しきすめらみことの登極を寿ぎまつり天つ日は照る

 

あなかしこ天つ日は差し日の本の新しき帝の登極を祝ふ

 

天孫降臨繰り返されて今此処に新帝陛下は髙御座に立つ

 

天津日嗣の髙御座にぞ立ちませるすめらみことの御稜威かしこし

 

あな尊と天つ日は差し天孫の今日の天降りを寿ぎたまふ

 

日の本に生れ来たりし喜びにわが魂はうち震へたり

 

天津日嗣の髙御座にぞ立ちませるすめらみことの御稜威清らか

 

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會澤正志斎曰く。「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず」。

會澤正志斎曰く。「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず」。(『新論』)

天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、歴代の天皇に一貫してゐる。

第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

もろおみの朕 (われ)をあふぐも 天てらす 皇御神(すめらみかみ)の 光とぞ思ふ

といふ御製を詠ませられてゐる。

 天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。

また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りであると拝する。天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭といふ。大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一體となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を継承され開顕される。

 大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん實らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものである。

 日嗣の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一體となり、日嗣の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭祀である大嘗祭においても、天皇は真床追衾に包まれるといふ。大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一體となられるのである。

歴代の天皇は、御肉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。

「即位の大礼」そして「大嘗祭」は、「天孫降臨」の繰り返しであり再現である。即位された天皇が、御自ら新穀を捧げて皇祖・天照大御神を祭られ、共に新穀を食され、天照大神の御神霊とご一體になられる祭祀が「大嘗祭」である。お仕へする群臣もまた神代・高天原の神々の子孫である。時間と歴史を超越して天照大神が今此処にゐますごとくに観ずるのである。

會澤正志斎は、『草偃和言』(そうえんわげん)といふ著書で「日嗣の君は、日神の遺體にましまして今も天神に事へ給ふ事在すが如く、氏々の人は皆諸神の子孫にして其遠祖の人々古日神に事へ奉りし時にかはらず、千萬世の後までも天上の儀を傳へて神代の遺風を其まゝに行はれ、今の世も神の世に異なる事なきは、他邦異域に絶てなき事なれば神國と申すなり」と論じてゐる。今即神代、天皇即神といふ篤い信仰精神が語られてゐる。

天照大神と天皇はご一體であり、天皇は天照大御神のご遺體(神が遺してくれた體といふ意)である。天照大御神と天皇とは時間と歴史を超えて一體であるといふ信仰である。天皇に仕へる臣下國民もまた、天の神々の子孫である。まさに、歴史と時間を貫いて今此処が神代であり、高天原なのである。高天原を地上に持ち来すことが國體の明徴化なのである。今即神代、天皇即神であられるからこそ、日本に革命も皇統の断絶も無いのである。

天皇を君主と仰ぐ日本の國柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで生きてゐる。ところが、古代オリエントや古代支那などにおいては、祭祀を中心とする共同體は武力征服王朝によって破壊されてしまった。そして古代民族信仰・祭祀宗教は無くなり、太古の王家も古代國家も姿を消した。その後に現れた支配者は武力による征服者であり、國家は権力國家であった。

それに比してわが日本は、神話の世界が今日唯今現實に生きてゐる國である。すなはち、わが日本は、古代祭祀宗教の祭祀主たる神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現實の君主と仰ぎ、國家と民族の中心者として仰いでゐる殆ど世界唯一の國である。わが國は太古以来の祭祀主を君主と仰ぐ共同體國家が破壊されることなく今日まで続いて来てゐる。これを「萬邦無比の日本國體」と言ふのである。

それは、會澤正志斎が『新論』において、「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず。」と説き、北畠親房が『神皇正統記』において、「大日本者神國他。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。」と説いてゐる通りである。まことに有難き事實である。

日本がその長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。

日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、常に新たなる変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。天皇國日本を愛し守護する心を養ふことこそが日本國永遠の隆昌と世界の真の平和の基礎である。現實政治の浄化も、維新も、神代・天孫降臨への回帰によって實現する。それが神政復古である。

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千駄木庵日乗十月二十二日

朝、諸事。

この後、在宅して、テレビにて『即位の大礼』を拝し奉る。

午後五時、西新宿の京王プラザホテルにて、呉善花さんにインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年10月21日 (月)

日本共産党は國體破壊を目指している


日本共産党は、屁理屈をこねまわして自己を正当化することを得意とする政党である。そして歴史を改竄することを得意とする。

日本共産党は結党以来「君主制打倒」を党是としてきた政党である。志位の言う「天皇制に反対する立場」を取り続けてきた政党である。

共産党の「綱領」に「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」と書かれている。

つまり、「情勢が熟したら」、天皇を君主と仰ぐ建国以来の日本國體を破壊するのである。「解決」などと言う欺瞞的な言葉を使っているが、「廃止する」「打倒する」ということである。

それは共産党が「党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と主張していることによって明らかだ。

共産党は、「立憲君主制」を破壊し打倒し、「共和制」を樹立することを目的としている政党なのである。この事は全く変わりはない。

さらに共産党は、「今の天皇の父=昭和天皇は、明治憲法のもとで軍の統帥権をもつ元首として、侵略戦争と植民地支配を指導した戦争責任があった。このことをきっちり裁けずに戦後日本の政治がスタートしたために、『あの戦争は正しい戦争だった』という時代錯誤の潮流がいまだに幅をきかす。ここに、日本の政治の後進性があります」「(共産党は・注)ま戦後一貫して昭和天皇の戦争責任を追及してきました。昭和天皇の戦争責任は、今なお〝時効〟にできるものではありません」と主張している。

常に平和を望まれ、国民のため、国家のために命懸けで終戦の御聖断を下された昭和天皇様に対し奉り、このような不敬至極な考え方を持っているのが日本共産党である。このような政党に、「即位の大礼」はもちろん、天皇陛下が御親臨される「国会開会式」に出席する資格はない。

『日本共産党』の「綱領」にはさらに次のように書かれている。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、プーチンという最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

支那も、清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきた。

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩三代の残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、「金一族」のみが専横を極め「金一族」を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民多数が栄養失調で死んで行く国なのだ。

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民の差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する」というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのだ。

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火を見るよりも明らかである。

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは、最近急激に低下している国民の共産党への支持を回復するためであり、他の野党共闘をやりやすくするための方便である。

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。それは「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言っているだけである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」(私はこういう言葉は使いたくない)を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇を君主と仰ぐ日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによって火を見るよりも明らかである。

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、諸事。

午後は、六本木の国際文化会館にて、崔三然韓国空軍士官学校名誉教授にインタビュー。『伝統と革新』に掲載のためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

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2019年10月20日 (日)

どんなにひどい目に遭はされても、韓国は日本を恨むようにロシアや支那を恨むことはしない

朝鮮韓国の歴史を回顧すれば、ロシアや支那の侵略に遭った歴史が長いし悲惨である。特に、支那が明から清へと王朝が変る時、完全に明の属国であった韓国は、清に反抗し明についた。そこで清は、徹底的に朝鮮韓国を苛めた。朝鮮の『丙子録』といふ文献には、「槍掠焚盡、公私赤立、有甚於壬辰之役」(武力による略奪が行はれ、すべて焼き尽くされ、豊臣秀吉軍の朝鮮侵攻の時より甚だしい)と記されてゐるといふ。

戦前、ソ連の沿海州に三十万人以上の韓国朝鮮人が住んでゐた。ところがスターリンは、これら韓国朝鮮人が「日ソ戦争」が起った時に日本に協力することを恐れて、中央アジアへ強制移住させた。移住する過程で十二万人の朝鮮韓国人が亡くなった。

戦後において金日成軍とソ連軍と共産支那軍が韓国を侵略し、国土は文字通り焦土と化し、南北朝鮮人、支那兵、アメリカ兵あわせて五三二万人が犠牲となったといわれる。

このやうに支那ロシアにどんなにひどい目に遭はされても、今日、韓国はソ連や支那を怨むことはしない。ところが日本の韓国朝鮮統治に対しては怨み続けてゐる。これは何故であらうか。

それは、朝鮮韓国に日本に対する侮蔑意識・差別意識があり、支那やロシアに対する事大思想があるからであると思はれる。「朝鮮韓国にとって大陸にある帝国は、貢物を捧げるべき親の國である。それに比較して日本は、朝鮮韓国よりも野蛮劣等の國である。あくまでも支那は目上の國であり、日本は目下の國である」といふ考へ方が染みついてゐるのである。

これには地勢の違ひが大きいと思はれる。支那と朝鮮韓国は地続きである。鴨緑江といふ河を越えればお互ひの行き来ができる。すぐにでも侵略される。ところが日本と大陸・朝鮮は海を越えなければ行き来ができない。

故に日本は支那朝鮮との関係は政治的にも軍事的にも文化的にも一定の距離を保つことが出来た。日本は支那を「親の國」、朝鮮韓国を「兄貴分の國」などと観念する必要は全くなかった。したがって、日本は支那の朝貢国家にならず完全に独立を維持したのである。

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千駄木庵日乗十月二十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、明日のインタビューの準備、原稿執筆など。

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2019年10月19日 (土)

日韓併合の真実

 明治維新を断行したわが国は、李氏朝鮮を援けて清国の侵略を排除した。また朝鮮半島を侵略しようとしたロシアの野望を撃破した。この二つの戦いが日清・日露両戦争である。当時の朝鮮半島が独立国家として自立していれば、わが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかったのである。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して「事大主義」(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本である。「朝鮮併合」はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。  併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。これは台湾も同様である。つまり、台湾及び朝鮮統治は西欧列強の植民地支配とは全く異なる性格のものである。   「江華島条約」(明治八年)から「日韓併合」(同四十三年)に至るまでの間、日本の対朝鮮半島政策において明治の父祖が一貫して心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして日本および朝鮮を守り抜くかということであった。隣接する朝鮮半島とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全に対する脅威であった。  ゆえに、日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、「朝鮮独立」を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の「宣戦の詔書」に明らかに示されている。  「朝鮮併合」以前の朝鮮半島は混乱の極にあった。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、支那やロシアの属国になっていた。当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。「朝鮮併合」の翌年支那に辛亥革命が起こり清朝が滅亡している。  日露戦後の明治三八年(一九○五)、「第二次日韓協約」が調印されて韓国は我が国の保護国とされ、外交権を日本が掌握した。そして、韓国統監府が設置され、初代統監に伊藤博文が就任した。その伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。 韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文公を追慕して「伊藤は「自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように」と常々申していた」と語ったという。  以来、日本にとっての朝鮮は植民地というより拡張された日本の国土であった。日本国民は、朝鮮・台湾を統治するにあたって、おおむね本土と同じ待遇を与えた。そして本土以上の投資を行った。台湾と朝鮮の総督府、台北駅・ソウル駅を見れば明らかである。日本の何処のにもあのような立派な建物はなかったし、駅舎もなかった。狭量な金泳三は歴史的建築物の旧朝鮮総督府を壊してしまった。台湾の旧総督府は総統府としてそのまま使われている。  しかし伊藤博文公の朝鮮に対する真摯な心を韓国民の一部は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺された。これが、「日韓併合」に至る原因である。                 日本に併合されることによって近代化が達成できるということは朝鮮改革派の合意だった 明治四三年(一九一○)の「日韓併合条約」締結(初代総督寺内正毅)は、日本の強圧によるのではない。日本に併合されることによって朝鮮の近代化・文明開化が達成できるということは、当時の朝鮮改革派の合意であった。一九○四年(明治三七年)の日露戦争では、東学党(民間宗教)の教徒五万人は日本と共にロシアと戦った。さらに、一進会の前身の進歩会の人々三五万人がこれに加わった。  一九○四年に結成された「一進会」という近代的な大衆政治組織は、朝鮮王朝と守旧勢力を打倒し、日本のと連携して近代化を為し遂げようとした。そして、日韓併合・開化啓蒙運動を展開し、一時期は百万をこえる組織となった。  この大韓帝国内の強力な民意に従い、日本が合法的な手続きを経て朝鮮統治権を持ったのである。「日韓併合条約」は、十九~二十世紀の弱肉強食・優勝劣敗の時代において、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれを勧め、支持したものである。当時韓国内に百万人の会員がいた一進会は、「併合嘆願書」を韓国十三道からの「併合嘆願書」と共に、韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に提出し、皇帝の「御沙汰書」により、内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。  当時の国際法では、政府代表に直接明白な強制がない限り、正当対等に成立したものとされたのである。「日韓併合」は法的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。「日韓併合条約」は国際法上有効であったという原則は断じて譲ってはならない。                                  「日韓併合」に対して、韓国・北朝鮮側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、以上述べて来た通り、「日韓併合」は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。これは感情論ではないのである。 それは、明治四十三年八月二十九日の「韓国併合に付下し給へる詔書」に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と示され、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された「総督府官制改革の詔書」に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と示されていることによって明らかである。  したがって、朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。  また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近く移住して来た。その上、毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。日本の方が朝鮮の植民地になったと言っても過言ではない。 日本の朝鮮統治により、朝鮮は多大な発展を遂げた。日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。  日本の朝鮮統治により、朝鮮は多大な発展を遂げた。三○年間に、一○○万足らずだった人工が二五○○万に増え、平均寿命は二四歳から四五歳に伸び、未開の農業国だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した。  日本本土から優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが整備された。その他、文芸・美術など文化面でも復興が遂げられた。   韓国・朝鮮人の独立運動が国内外において起こったが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。  日本の台湾・朝鮮統治は、台湾・朝鮮を搾取の対象としたのでない。投資と開発、教育の普及を行うことによって、共存・共栄の道を歩んだのである。台湾・朝鮮の遅れた社会構造を解体して産業革命の基礎を作り出した。  日本が大東亜戦争で敗戦に追い込まれたからといって、朝鮮統治が「国策の誤り」であり、「アジア近隣諸国に対して植民地支配と侵略を行ひ、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と貶めることば絶対に許されない。

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千駄木庵日乗十月十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、室内整理、原稿執筆の準備など。

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深谷隆司の言いたい放題第824回  「名古屋河村たかし市長座り込み支持」

少し遅くなりましたが、十月九日発表の深谷隆司氏の「言いたい放題」を掲載させていただきます。共感できるご主張です。
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深谷隆司の言いたい放題第824回

 「名古屋河村たかし市長座り込み支持」

 政治色の強い作品で物議をかもし、開幕3日で中止に追い込まれた「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、10月8日、臆面もなく再開された。

 日本の象徴である天皇の肖像を燃やしたような動画を展示しているが、これは公共性を破壊する反社会的行為である。韓国が史実を誇張、捏造し、日本批判の宣伝に使ってきた元慰安婦像、これらは明らかな日本に対するヘイト(憎悪)そのものではないか。聞いただけでも不快感で胸くそが悪くなる。だから広範囲の人たちから大批判が起こったのだ。

 今回は入場制限60人限定、入り口で身体検査を行うなど安全対策を採ったとのことだが、そんなことは問題の本質ではない。何故多くの人達が憤慨したのか、そのことを全く考えようとしていない連中が問題なのだ。

 名古屋の河村市長は会場前の広場で、抗議の座り込みを行った。彼は実行委員会の会長代行だが、再開に関する協議はまったくなかったという。

 「陛下への侮辱を許すのか」と書かれたプラカードを掲げ、「愛知や名古屋が主催しているところで展示すれば、(その内容を)県民や市民が認めたことになる、表現の自由の名を借り、世論をハイジャックする暴力だ」と再開に強く抗議した。

 正直言って河村氏については、立場が異なるし、格別な好意を持っていなかったが、今回の一連の言動を見て、すっかり共鳴、拍手を送りたい気持ちである。

 それに比べて実行委員会会長の大村秀章愛知県知事は、何ともアホに見える。

 大体、芸術といえば、なんでも許されると思っているようだが、芸術が特権的な地位だとでも言うのだろうか。

 言論の弾圧だと声高に言いながら、展示内容についてメディアの取材は認めず、非公開とするなど、支離滅裂だ。

 再開を支持する側は、憲法21条を持ち出して「表現の自由」を引き合いに出すが、12条では国民の自由と権利を濫用してはならないとしている。憲法の精神を自分たちに都合の良いように持ち込む、勝手なものである。

 文化庁は交付申請の手続きが不適当であったとして、約7800万円の補助金を不交付とした。萩生田新文部科学大臣はこの方針は変えないと言っているが、その言葉を貫いて欲しい。

 県が約6億円、市が約2億円を投入しているが、こんなお粗末な行事に血税を使う事が許されるのだろうか、私には理解できない。

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即位の大礼、大嘗祭は今日における「天孫降臨神話」の繰り返しである


天孫降臨の時に、天照大神は『天壤無窮の神勅』と共に『斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)の神勅』をお下しになった。

 『斎庭の穂の神勅』
「吾が高天原(たかあまはら)の所御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつる」(わが高天原につくっている神に捧げる稲を育てる田んぼの稲穂をわが子にまかせよう)と示されている。

『斎庭の穂の神勅』は、高天原で神々が行われていた米作りをそのまま地上でも行うべしという御命令である。稲の種子を伝えるということは、米作りの生活を伝えることである。『斎庭穂の神勅』は、「米作り」という「くらし」の伝承なのである。これは、米作りを基盤とする文化が日本文化であることを証ししている。

 天照大神から皇孫・邇邇藝命に「斎庭の穂(ゆにわのいなほ)」を授けられたのは、高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とするのが、天皇のご使命であり民族の使命であるということを示している。天上から伝えられた斎庭の穂を地上に稔らせることによって、地上と天上とが等しくなると信じた。

 これは、神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習うという信仰である。神々の理想を地上において実現することである。その中心者が天照大神の「生みの子」であらせられる天皇なのである。つまり、天皇は神意現成の中心者である。「高天原を地上に」「今を神代に」というのがわが國の國家理想である。こんなすばらしい國は世界に日本しかない。これを萬邦無比の國體という。

 つまり、『斎庭の穂の神勅』は、民族生活の様式が水田耕作の上に立っている史実を物語る。そして、天皇の日本國御統治・國土経営の理想を示している。

 邇邇藝命は正しくは、「天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命」(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)と申し上げる。この御名は、「天地に賑々しく實っている太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」というほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の神の神格化である。

 穀物を稔らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命が、地上に天降り、天上の斎庭の神聖なる稲穂を地上に稔らせるという「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る國を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語っている。「天孫降臨神話」は、まさに日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきたのである。

 言い換えると、皇祖神・天照大神は、稲穂を邇邇藝命に伝持させ、その稲穂を地上において栄えさせるという使命を歴代の天皇に与えたことを示している。それがわが日本の始まりであり、わが日本民族の基本的性格であり、日本という國家と民族の理想である。

 このように日本文化の基盤は稲作を中心とする農耕生活である。「神ながらの道」といわれる日本伝統信仰は、日本民族の稲作生活から生まれてきた。そしてその祭り主が天皇である。

邇邇藝命の曾孫が神武天皇である。神武天皇の御名前は、神日本磐余彦火火出見尊(カムヤマトイハレヒコホホデミノミコト)という。磐余とは現在の奈良県桜井市の天の香具山の北東麓地域の古地名である。「火」は「ホ」と読み「稲穂」の意である。この御名前は、「神の国大和の磐余の首長である日の神の御子で稲穂がたくさん出て来る命」というほどの意である。

 つまり、神武天皇は、太陽神たる天照大神の神霊と稲穂の霊の体現者なのである。そして神武天皇は、邇邇藝命が天照大神から受けた「日本国の統治」と「稲穂をたくさん地上に実らせる」という御命令を実現するために、九州より大和に来られて橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位されたのである。これが日本国家の基礎の確立である。

 天皇は、日本國家を武力や権力で支配する覇者・王者ではなく、稲作生活を基本とする日本人の「くらし」を永遠に保証する祭り主であり信仰的御存在である。

 天皇の國家統治の根本そして國家民族の理想を稲の稔りを以て象徴するのは、稲が我々日本人の生命を養う最も大切な主食であるからである。そして、天皇の祭りは稲作りをはじめとしてその他諸々の生産に及ぶのである。豊かな生産に支えられた日本國家の繁栄を希求するである。

 わが日本民族基本的性格を表現している『天孫降臨の神話』と『天壤無窮の神勅』は、日本民族の生活は水田耕作の上に立っている事実を物語る。この國の人々の生命の糧である稲穂が毎年豊かに稔るように、という古代日本人に共通する切なる願いが「天孫降臨神話」を生んだともいえるのである。

即位の大礼、大嘗祭は今日における「天孫降臨神話」の繰り返しである。

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千駄木庵日乗十月十八日

午前は、病院に赴き、診察、検査を受ける。

午後場、資料整理。

夕刻は、地元の友人ご夫妻と懇談。

帰宅後も、資料整理、原稿執筆。

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2019年10月17日 (木)

敬神崇祖がわが國民道徳の基本であり祖靈を尊ぶことがわが國の道統である。

日本武尊は薨去された後、その御霊は白鳥となって故郷に向かって飛んで行かれた。古代において鳥は霊魂を運ぶものと信じられた。肉体を離脱する霊魂の自由性・不滅性の最も原初的な信仰である。そしてその鳥が純白なのは、清らかさを好む日本人の生活感覚から生まれたのであろう。

 

柳田國男氏は、「日本人の大多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何か其の消息に通じているやうな気持を、抱いて居た…第一には死してもこの國の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽両界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭りだけでなしに、何れか一方のみの志によって、招き招かるゝことがさまで困難でないやうに思って居たこと、第三には生人の今はのときの念願が、死後には必ず達成するものと思って居たことで、是によって子孫の為に色々の計画を立てたのみか、さらに三たび生まれ代って、同じ事業を続けられるものゝ如く、思ったものの多かったといふのは第四である。」(『先祖の話』)と論じている。

 

日本人は、死後の世界は現世とそう隔たった世界ではない信じた。佛教特に浄土信仰が、十萬億土の彼方にある西方極楽浄土に往生すると説くのとは大分違う。

 

中村元氏は、「日本人は佛教の渡来する以前から現世中心的・楽天的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想、日本人のうちに十分に根をおろすことはできなかった」(『日本人の思惟方法』)と論じている。

 

日本には死んだご先祖が草葉の蔭から子孫を守って下さるとか、あるいはその反対に怨みを持って死んだ人の霊が生きている人のところに化けて出るという信仰がある。

 

一方日本人は、死んだら西方十萬億土の彼方にある極楽に往生して佛様になると信じ、その佛様が草葉の蔭(この世のお墓の下といふこと)から子孫を守ってくれると信じた。まったく矛盾するような考えであるが、これは信仰だから「合理主義」であれこれ論じても仕方のないことである。

 

中世の戦乱の世になって、この世を穢土として西方極楽焼土に憧れる信仰が盛んになった。極楽浄土思想は、わが國の伝統信仰の重要な柱の一つである「常世」思想と融合したと思われる。

 

ともかく日本民族は肉体が滅びても魂は永遠である信じてきた。だから古典和歌には肉体が滅んだ姿を詠んだ歌はない。

 

ともかく、日本人にとって肉體の死は靈魂の滅亡ではないのである。これがわが國の傳統的死生観である。そして死者の靈を弔い鎮めることが現世に生きる人間のつとめである。敬神崇祖がわが國民道徳の基本である。祖靈を尊ぶことがわが國の道統である。

 

 

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千駄木庵日乗十月十七日

午前は、諸事。

午後は、資料整理。

午後三時半、病院に赴き、医師の診察を受ける。

帰宅後は、書状執筆など。

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2019年10月16日 (水)

諸橋茂一氏講演会』における「対応誤ったポツダム宣言受諾―日本の属国化はここより始まった」と題する講演内容

〇三月十日に開催された『諸橋茂一氏講演会』における「対応誤ったポツダム宣言受諾―日本の属国化はここより始まった」と題する講演内容は次の通り。「まともな国となるためには真実の歴史を知り、日本人としての誇りを取り戻さねばならない。『ポツダム宣言』への対応が間違っていた。日本政府は不安を抱いていた。わが国政府は連合国に『國體護持』の確約を申し入れたが、はっきりとした回答なし。確認すべきであった。三月十日に東京大空襲があったが、三月十日は、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した日であり、『陸軍記念日』であった。東京大空襲、主要都市無差別空襲が行われた。広島長崎への原爆投下で二十一万人が亡くなった。国際法違反の民間人殺傷。この事を連合国に申し入れるべきだった。『ポツダム宣言』第六条には『 日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた』とある。全くの虚偽、出鱈目。何故反論しなかったのか。日本が行ったとされる『戦争犯罪』だけを裁くのは片手落ち。戦争犯罪人として殺された人々は一〇六八人。『ポツダム宣言』第十三条には『われわれは日本政府に対しすべての日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、かつそのような行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する』と書かれている。日本国として全面降伏したのではないと何故明確に主張しなかったのか。アメリカに都合の良いように日本を解体した。武装解除、内務省解体、中央主権の弱体化、『大日本帝国憲法』改正が行われた」。

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千駄木庵日乗十月十六日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆。

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国難の時にこそ「天皇の祭祀」「御即位の大礼」は正しく執り行われなければならない。


わが国は、古代から今日に至るまでいかなる国難も乗り切って来ることができた歴史を有する。さうした日本国及び日本民族の強靭さの根底には、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ國體精神があった。

鎌倉時代に二回の元寇が起こった。第一回の「文永の役」に際して、後深草上皇は、文永八年十月二五日に石清水八幡宮へ行幸されて異国調伏(ちょうぶく・内外の悪を打破すること。特に怨敵・魔物を降伏すること)を祈願された。十一月六日に蒙古軍撤退の知らせがもたらされると、八日に、亀山上皇は石清水八幡宮へ御自ら行幸され徹夜して勝利と国土安穏の感謝の祈りを捧げられた。翌九日には賀茂・北野両社へも行幸された。

第二回の「弘安の役」においても、朝廷から全国の二十二社への奉幣と異国調伏の祈祷が命令が発せられ、後深草上皇、亀山上皇の御所において公卿殿上人、北面武士による「般若心経」三十万巻の転読などの祈祷が行はれた。亀山上皇はさらに、弘安四年六月石清水八幡宮に参籠され、六月四日には、「不断最勝王経」等を修して敵国調伏を祈祷され、七月一日には「仁王経」等を転読され、七月四日には「一切経」を転読され、敵国降伏を祈願あそばされた。

さに、亀山上皇は、弘安四年六月に、異国降伏御祈願のために、院公卿勅使を伊勢大神宮に発遣せられ、宸筆の御願文を奉られた。

『増鏡』巻十二「老のなみ」には次のように記されてゐる。
「伊勢の勅使に経任大納言まいる。新院も八幡へ御幸なりて、西大寺の長老召されて、眞讀(注・しんどく。経典を省略しないで全部読むこと)の大般若供養せらる。大神宮へ御願に、『我御代にしもかゝる亂出で來て、まことにこの日本のそこなはるべくは、御命を召すべき』よし、御手づから書かせ給ひける…七月一日(注・閏)おびたゞしき大風吹きて、異国の船六万艘、つは物のりて筑紫へよりたる、みな吹破(わ)られぬれば、或は水に沈み、をのづから殘れるも、泣く泣く本国へ歸にけり。…さて為氏の大納言、伊勢の勅使にてのぼる道より申をくりける。
 勅として祈しるしの神かぜによせくる浪はかつくだけつつ
かくて静まりぬれば、京にも東(あづま)にも、御心どもおちゐて、めでたさかぎりなし。」

当時の日本国民は、亀山上皇の命懸けの御祈願を神仏が嘉され蒙古軍が玄界灘の底の藻屑と消えたと信じた。

亀山上皇は次のような御製を詠ませられてゐる。

「石清水の社に御幸ありし時よませ給うける
石清水たえぬながれは身にうけて吾が世の末を神にまかせむ
神祇の心を詠ませ給うける
今もなほ久しく守れちはやぶる神の瑞垣(みづがき)世々をかさねて

神祇
ゆくすゑもさぞなさかえむ誓あれば神の國なる我が国ぞかし」

 元寇に際しては、日本国は「天皇を君主と仰ぎ神々が護り給ふ神の国」であるといふ「神国思想」が勃興し、まさに挙国一致で戦い、蒙古軍を二度にわたって撃退した。

今上天皇は、神代以来の伝統を繼承され、御即位の大礼において天津日繼ぎの高御座にお立ちになられる。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味する。「御即位の大礼」は、天照大神が皇孫邇邇藝命を天津日繼の高御座に即け給い、神器を授け給ひ、神勅を下し給ひしことを、新たに繰り返す行事である。

 天皇の國家御統治の御精神は、常に、新たなる國家の生命の甦り、言い換えると國家の新生・再生を常に希求されているのである。しかもこの新生・再生は、それまでの伝統を断絶して行われるのではない。無限の過去から無限の未来にわたるまで、天皇による日本國の新生・再生、命の甦りは繰り返されるのである。ここに日本天皇の國家と統治そして日本國體の特質がある。
 
日本民族は、物事は周期的に新生を繰り返すという生活感覚を自然に持っていた。歴代天皇が、神武創業の精神=物事の初め・國家統治の理想(すなわち)に回帰することによって革新を断行するという維新の精神は、ここから発生してきた。

だからこそ、維新は「復古即革新」といわれて来たのである。「復古」とは決して反動ではないし、時計の針を過去に戻すことではないし、回顧主義でもない。古きがゆえに良いというのではない。「復古即革新」とは、いにしえの理想の復興によって現在を新たならしめることである。  

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

日本がその長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。

日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、常に新たなる変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。天皇國日本を愛し守護する心を養ふことこそが日本國永遠の隆昌と世界の真の平和の基礎である。現實政治の浄化も、維新も、神代・天孫降臨への回帰によって實現する。それが神政復古である。

歴史は繰り返すといふが、今日の日本も幕末当時と同じやうに、内憂外患交々来るといった状況になってゐる。今日の危機的状況を打開するためには、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」を基本理念とした大変革を断行しなければならないと信ずる。

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2019年10月15日 (火)

千駄木庵日乗十月十五日

午前は、諸事。室内整頓。

 

午後三時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『明治の日推進協議会運営委員会』開催。相沢宏明氏が司会。全員で、法案提出促進院内集会について討論。

 

 

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。資料整理。明日行うスピーチの準備。

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神への祭祀と自然災害


以前のシンポジウム次のような話を聞いた。
「マンション・ピルの階数が上がれば上がるほど被害は増える。建物の情報をよく知って対策を考える。地震が起きてからでは何もできない」。
「オリンピックの時災害が来ると思っていた方が良い」。
「テレビの情報は一過性。新聞の情報は保存できる」。
「安全場所に逃げるのではなく、安全な場所保つくる防災が大事。逃げる訓練より戰う訓練が大事」。
「公助は限界。自力で生き延びる準備が必要」。
「大手町の地下街は大雨で水没する。オリンピック開催中の台風が来たらどうするのか。テロ対策だけでは駄目」。
近年の自然災害の多発は、まさに自然の非合理の極であり、人間が自然を征服するどころか、自然が人間を征服することを実感させた。

われわれ日本人は、これからも自然と共に生きる姿勢を保っていかなければならない。人間の力が自然を征服するなどという傲慢な考え方を持たず、自然の命を尊び、自然に「神」を見なければならない。ただし、自然に宿る神々には、和やかな神もおられれば、荒ぶる神をおられるのである。

日本国土も自然も實に美しい。山・川・海の景色は實にすばらしい。四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。しかし自然は、時に、ものすごい猛威をふるい、人間に襲いかかって来る。そして人間の命を奪い、生活を破壊する。

日本における科学技術の進歩とその利用は目を見張るものがある。現代社会の快適な生活は、その科学技術によるものである。しかし大自然は、時としてその科学技術によって成り立つ人間の快適な生活をも一瞬にして破壊する。そして人間は、悲惨に状況に追い込まれる。

文明は発達し、科学技術が進歩した、その恩恵によって成り立っている現代人の生活は、自然の猛威によってもろくも破壊され、多くの人々が惨禍に喘ぐこととなる。科学技術が進歩しているが故になおさら惨禍がひどくなる。東日本大震災を見てそれは明らかである。

われわれは、自然および科学技術文明との付き合い方を今一度深く考えなおすべきではあるまいか。麗しき自然に恵まれつつも自然の脅威にさらされる日本民族、科学技術を巧みに使いこなして来た日本民族は、そういう使命を帯びていると思う。

科学技術至上主義・物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本國民の頽廃を救うには、日本の傳統精神・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

本居宣長は、日本に神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)」(『古事記傳』)と定義してゐる。

日本の自然の神々は、近年はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるといふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをももらたすと古代日本人は信じた。

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

自然の中に精靈が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文學的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

近代以後、科學技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精靈として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から學んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精靈たちを畏れるだけではなく、祭祀によって神や精靈たちを祓ひ清め鎮めたのである。

日本傳統信仰は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ継承されてゐる。のみならず、現實に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食ひ止める大きな力となってゐる。
科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、日本には古代信仰・民族信仰が脈々と生きてゐる。伊勢の皇大神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。

のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の君主であらせられる。これが世界に誇るべき日本國體の素晴らしさである。

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千駄木庵日乗十月十四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理。原稿執筆。室内整理。

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2019年10月14日 (月)

今日思ったこと

テレビのニュースなどを見ていて、この人が出て来るとムシャクシャする、腹が立つという人が何人かいます。共産党の議員はみんなそうですが、中でも、幹部会委員長 志位和夫、書記局長 小池晃の二人です。立憲民主党では代表代行 長妻昭、幹事長 福山哲郎、幹事長代行 辻元清美です。最近これに愛知県知事 大村秀章が加わりました。テレビ仮面に物をぶつけたくなります。


以前は、テレビなどに登場されると安心感を覚える政治家がいました。平沼赳夫氏、奥野誠亮氏、そして都知事の頃の石原慎太郎氏です。最近はとんとそういう政治家はいなくなりました。さみしいことです。

和田政宗、城内実両氏などが期待できるかと思います。河村たかし名古屋市長には頑張ってもらいたいと思います。

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千駄木庵日乗十月十三日

午前は諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿送付。書状執筆。

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2019年10月13日 (日)

明治維新によって、西欧列強の侵略支配を防ぎ、日本は救はれた

井伊直弼は、外交のみならず國家百年の大計についての定見無く、ただ旧態依然たる徳川幕藩体制を維持する事だけが彼の目的であった。決して開明の人でも先見の人でもなかった。

徳川幕府を中心とした群雄割拠の幕藩體制では、有史以来未曾有の内憂外患が交々来るといった状況の日本を保つことはできなくなったのである。

言ひ換へれば、徳川幕府は、開國するにせよ攘夷するにせよ、これを断行する主體的能力のある政権ではなくなったといふことである。

かうした状況下にあって、國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないといふことが全國民的に自覚されるやうになった。

もともと戦國時代の武士の覇権争ひの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、國政・外交・軍事を壟断する資格を喪失したのである。端的に言へば、徳川氏は「征夷大将軍の任」を全うできなくなったのである。

ペリーの来航は、徳川幕府の弱體化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇を唯一の君主と仰ぐ統一國家であるといふ古代以来の國體を明らかする明治維新といふ大変革の端緒となった。

明治維新の原理は「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」である。そして、徳川幕府を打倒し天皇を唯一の君主と仰ぐ日本國本来の國體に回帰する変革即ち明治維新によって、西欧列強の侵略支配を防ぎ、日本は救はれたのである。

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千駄木庵日乗十月十二日

午前は、諸事。台風に備えての準備など。

午後からは、『政治文化情報』の原稿執筆、資料整理など。

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2019年10月12日 (土)

この頃詠みし歌


病院より坂道下りて歩み行く秋の真昼間の不忍池の畔

何十年も前に録画せし島田正吾の『瞼の母』を懐かしみ見る

もうすでに多くの人は知らざるか新国劇と言ふ劇団のありし事

爽やかな秋晴れの今日丘の上の先祖の墓に参るうれしさ

懐かしき昔の日々を思ひ出す友と語らふ日暮里の蕎麦屋

お墓参り終えて来たれる日暮里の街の風景は変はらずにあり

日本橋蠣殻町の小さきビルに知人を訪ねて息切らし来る

心不全のわが身に辛しエスカレーターもエレベーターも無き地下駅

つぎつぎと出で来る歌は愚痴なればもうこのへんで筆を置かうか

上野山にのぼり来たれば大本の王仁三郎師の耀盌輝きてをり(出口王仁三郎耀盌展)

人ら皆拝むごとくに見つめゐる茶碗の輝きに魅せられて立つ(同)

窓を開ければ涼しき風が入り来て東京の街に秋は来れり

幻覚に驚くことのややありて加齢のゆゑかとやすからぬ心

何時もやさしく明るき母なりしに息子の我をのこして逝きぬ

焦ることも怒ることも無く生きて行くことがよろしきと思ひをれども

教師とか校長と言っても普通人より欠陥を持つ人は昔から多し(東須磨小学校教師いじめ事件)

暴力行為凌辱の犯人は早く逮捕し名前と顔を明らかにすべし(同)

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千駄木庵日乗十月十一日

午前は諸事。

午後二時より、お茶の水にて、ある出版社の方々と懇談、打ち合わせ。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年10月11日 (金)

「即位礼正殿の儀」には日本共産党が欠席した方が、儀式が清らかに執り行われる。


 共産党の小池晃書記局長は9日の記者会見で、22日に行われる「即位礼正殿の儀」など、天皇陛下のご即位に関する儀式に欠席すると表明し、「現行憲法」の国民主権、政教分離の原則とは両立しない」と述べた。
 共産党はかねて即位の儀式について「現行憲法のもとで廃止・失効した旧皇室典範と登(とう)極(きょく)令(れい)を踏襲したもので、国民主権と政教分離という憲法の原則に反する」と主張。平成30年3月には「憲法の精神に即して見直すべきだ」と政府に求めていたが、応じられなかった。

「即位礼正殿の儀」では、天皇陛下は高御座に登られる。皇后陛下は御帳台に登られる。

高御座とは正しくは「天つ日継ぎの高御座」と申し上げる。「紀元節」の歌に、「天津日継ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。この「天津日継ぎの高御座」」(天津日嗣とも書く)とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所のことである。

 「天津日継ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(霊)を継承される」ということである。日本天皇は天の神(それは天照大神であり日の神である)の霊統を継承され、神の御心のままに(神ながらに)日本国を治められるのである。

 平野孝國氏は「このツギの思想は、元来個人の肉体を超えて継承される系譜と見てよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、『宮廷のツギは日を修飾して、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義で、口だてによって風誦せられたものである』という折口信夫説(古代研究・国文学篇)が、本義に近いものである」(大嘗祭の構造)と論じておられる。

皇位の継承は肉体的な血統のみによるのではなく、日の神の神霊を継承するという文字通り神代以来の信仰に基づくのである。

 さらに「高御座」について折口信夫氏は「高御座とは、天上の日神の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。…御即位式に昇られる高御座は、…天が下の神秘な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。…高御座で下される詞は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる」(大嘗祭の本義)と論じておられる。

 天皇が高御座に昇られることによって、天上の国と地上の国がそのまま一体になるのである。別の言葉でいえば、今が神代になり神代が今になるのである。日本伝統信仰においては、天と地とが隔絶した存在とはとらえていないのである。これが支那と異なっている点である。高天原を地上に持ち来たし、日本国を高天原のように清らかにして神聖なる理想国にすることが天皇の御使命である。

 今上天皇におかせられても、神代以来の伝統を継承され、御即位の大礼において天津日継ぎの高御座にお立ちになられるのである。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味するのである。

大嘗祭は宗教行事であるが即位礼は宗行事ではないなどという議論も全く誤りである。信仰共同体日本の君主の御即位に関わる行事は全て宗教行事としての意義を持つのである。そしてそれは政府と国民の奉仕によって伝統に則って正しく執り行われなければならないのである。  

 天皇の国家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈伏せしめ支配するというものではない。国家と国民の統一と調和が天皇の宗教的権威によって保たれるということである。

 天皇の宗教的権威は、天皇が、天の神の地上における御代理として祭りを行われ日本国を統治されるというところから発する。日本神話によると、高天原にいます天の神が地上の日本国を治めるように天皇に委任されたとされている。

共産党という國體破壊を目的とする集団の連中がこの様な神聖なる儀式に参列する必要はない。欠席するなら勝手に欠席するが良い。その方が「即位礼正殿の儀」が清らかに殿行われるのである。

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千駄木庵日乗十月十日

午前は、諸事。

この後、原稿執筆。『伝統と革新』編集の仕事。

午後三時半より、銀座の時事通信ホールにて、『新聞通信調査会特別講演会』開催。前嶋和弘上智大学総合グローパル学部教授が「アメリカ大統領選とメディア」と堕して講演。

帰宅後も、原稿執筆。

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2019年10月10日 (木)

日本人は桜花の「潔さ」「散華の美」を好んだ

日本人は、古来、桜に滅びの美しさ・潔さを見た。桜はすぐに散ってしまふから、人はなほさらその美しさを感ずるのである。桜が咲いてゐる姿にすぐに散ってしまふ影を感じる。桜は他の花々よりも咲いてゐる時間が非常に短い。また、雨や風に当たればすぐに散ってしまふ。日本人はさういふ桜花の「潔さ」をとりわけ好む。これを「散華の美」といふ。日本人は桜花の「潔さ」「散華の美」を好んだ。

日本人は、未練がましく現世の命に戀々としないといふ精神を抱いてゐる。かうした心は、「七生報國」の楠公精神そして大東亜戦争における「散華の精神」に継承されてゆく。

日本人は穢れを嫌ふ。これは、清らかさを好むといふことであり、美しさを好むといふことである。しかし、日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。日本人の「美を好む心」は一種の厳粛さ・神々しさを伴ふ。古代日本人にとって、桜の花に限らずすべての花や草木は宗教的・神秘的存在であった。

「花」(ハナ)の語源は、端(ハナ)即ち、物の突き出した所、はし(端)であると共に、幣(ハタ)・旗(ハタ)であったといふ。「幣」とは、神に祈る時に捧げ、また祓いに使ふ紙・麻などを切って垂らしたもので、幣帛(へいはく)・御幣(ごへい) とも言ふ。日本人は、桜の花を素直に美しく感ずる思ひと共に、桜の花にある神秘性・神々しさといふものに畏敬の念を持った。

日本の伝統的な行事である「お花見」の起源は、生命の盛りである花の下に人間が入ることによって、花の精気が人間に移り、自分自身の生命を豊かにするといふ信仰である。

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千駄木庵日乗十月九日

午前は、諸事。室内整理。


午後は、本日行う『萬葉集』講義の準備など。


午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、『萬葉集』所収の「柿本人麿歌集」の旋頭歌を講義。質疑応答。

帰途、出席者と懇談。談論風発。

帰宅後は、書状執筆など。

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2019年10月 8日 (火)

日本天皇を生きたまふ神と仰ぐ「現御神信仰」は古代に発する自然な信仰である

古代人は、雷を非常に恐れた。今でこそ、雷とは、雲と雲との間、または雲と地表との間に起こる放電現象である事は分かってゐるといふが、古代人はそのやうな事は分からない。一天にわかにかき曇り、突然大きな音を伴って空から落ちて来る恐ろしい光であり人間がそれに当たれば焼き殺されてしまふし、樹木も裂ける、といふ事で大変恐れられた。地震・雷・火事・親爺といふ言葉もある。

そして古代人は雷を神と崇めた。漢字の「神」は象形文字で、偏の「示(しめすへん)」は、神に供へ物を献ずる台の形を表す。つくりの「申」は稲妻の形を表す。即ち「神」といふ漢字は、雷を神として祀る信仰から発したのである。即ち日本でも支那でも「雷」は神として仰がれ恐れられたのである。「カミナリ(雷)」といふ言葉は「神が鳴る」といふ意味である。歌舞伎にも「雲の鳴神上人」といふ僧侶が登場する。菅原道真は、亡くなってから雷神となり、天神さまと尊称される。はじめは、祟りの神であったが、次第に光明化され、学問の神として崇められるやうになる。

 天皇、雷(いかづちの)岳(をか)に御遊(いでま)しし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌

大君は神にしませば天(あま)雲(ぐも)の雷(いかづち)の上(うへ)にいほらせるかも                            (二三五)

 柿本人麻呂が、持統天皇に捧げた天皇讃歌。
「大君は神様でゐらっしゃいますので、天雲の中にゐる雷の上に仮宮を作ってゐらっしゃる」といふほどの意。
「雷岳」は、定説では奈良県高市郡明日香村にある標高一〇五㍍、麓から約十㍍程のきはめて低く小さな丘。『日本書紀』の雄略天皇七年七月の条に、雄略天皇がこの丘に来られて、「この山には雷がゐると聞いた。その雷の姿を見たい」と仰せになり、小子部栖(ちいさこべのす)軽(がる)に雷を捕らへさせた。するとその雷は大蛇に変身しすごい光を発して目が赤く光ったといふ。恐怖を感じられた天皇はその神を元の山に帰したといふことが記されてゐる。

 十㍍しかない丘の上に天雲がかかり雷様が住むわけがないから、今日の明日香村の雷丘がこの歌に歌はれてゐる「雷岳」とは思へない。今日の雷丘をこの歌に歌はれた「雷岳」であるとするのならば詩的誇張であらう。

 折口信夫氏は、甘橿丘(奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘)を中心とした一帯の丘陵地全體をこの歌に歌はれた「雷岳」としてゐる。甘橿丘から見渡す景色は今も絶景である。

 「かみ(神)」の「カ」は接頭語であり、「ミ」は語根。「ミ」は漢字で「實」「身」と書かれるやうに、中身・實在そのもの・力のある存在・無形のカオス(天地創造以前の世界の状態。混沌)・靈威ある存在のこと。神には、自然神・呪物神・人格神・祖神がある。日本の神々は、自然神と祖靈神とに大きく別けられる。天照皇大御神は両方の性格を具備してをられる。太陽神といふ自然神であると共に皇室の御祖神であらせられる。

本居宣長は「神」を「(鳥でも獣でも海でも山でも木でも草でも)何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微(かみ)とは云ふなり」(何物でも、普通ではなく優れた徳があって、おそれおおいものを神といふのである)と定義してゐる。「神」とは、人知では計り知れない靈妙なる存在のことである。日本の神々とは何か強い力を持ってゐる存在をいふのであって、必ずしも完全円満な存在ではない。まして絶対無謬の超越的唯一神ではない。日本人は古代より、祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神」と言った。

 「天雲」は「雷」の修飾語。「いほらせるかも」は、仮の庵を結ばれるといふ意。「イホル」は、「イハフ(齋ふ)」「イツク(齋く)」と同義語であり、神を祭るために身を清めて一ヵ所に籠るといふ意味。天皇が神聖なる雷の丘の上におのぼりになって、神を祭る宮を作られ、そこにこもられるといふ意。つまり、「雷岳」の上で五穀豊饒と民の幸福を祈る祭事を行はれたといふ意。

雷神は、万物万生の命の本源であり最高神である太陽の下にある存在だから、太陽神の生みの御子であられる大君は、雷神の上に仮の庵を結ばれると表現したのである。

 「神」といふ漢字の偏の「示」(しめすへん)は神に捧げるものを置く台を意味する。旁の「申」(しん)は、音を表すと共に、稲妻の形を象ってゐる。雷の光とそれに物を捧げる台を合せた意味が「神」といふ漢字の原義である。つまり支那古代においては、「神」とは雷のことだったのである。

 「詞書」に「雷岳に御遊しし時」と記されてゐるから、厳粛な祭事のことではないといふ説もあるが、祭祀と直會と饗宴は一體のものであるから、天皇が祭祀を終へられた後は君臣が楽しくその場で宴を楽しまれたのであらう。この歌は、その宴において人麻呂が天皇の御前で朗々と歌ったと思はれる。

自然の中でも太陽は万物万生の命の本源であり太陽があるから万物は生成化育する。太陽は最も偉大な存在である。その太陽神の御子孫であられ地上における御代理であられる天皇は、雷神の上に仮の庵を結ばれるといふのである。雷神は、太陽神の下にある存在だから、「大君は…雷の上にいほらせるかも」と表現して持統天皇を讃へたのである。

日本天皇を生きたまふ神と仰ぐ「現御神信仰」は古代に発する自然な信仰である。

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、諸事。

この後、室内整理整頓。


午後からは在宅して、明日行う『萬葉古代史研究会』における講義の準備、原稿執筆など。


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日本国は「中国」「中華」であり、日本天皇は「天子」である

世界の先進国で支那を「中国」と呼んでゐる国は日本以外にない。どこの国も「支那(英語ではChina)」と呼んでゐる。わが国が支那のことを「中国」などと呼称する自体、「日本は中国の属国であり冊封国だ」と認めることになる。

さらに、わが国がとてつもない差別思想である「中華思想」を容認することとなり、「中華帝国主義」に侵略され併呑される原因となる。わが国及びわが国民が支那を「中国」と呼ぶことは、極論すればわが国及びわが国民が支那の支配下に日本が入ることを容認することになる。

古代において日本は「中華」であり、日本天皇は「天子」であるとの自覚が確立してゐた。『日本書紀』巻第九の「神功皇后九年の条」に、神功皇后が朝鮮半島に赴かれた時、新羅の王が「吾聞く、東に神國(かみのくに)有り。日本と謂ふ。亦聖王(ひじりのきみ)有り。天皇と謂ふ。必ず其の國の神兵(みいくさ)ならむ。豈兵を擧げて拒(ふせぐ)ぐべけむや」と述べ、白旗を掲げて降伏したと記されてゐる。新羅が降伏したのを聞いた高麗・百済両国の王も、日本軍の陣営の外に来て、「今より以後(のち)は、永く西蕃(にしのとなり)と稱(い)ひつつ、朝貢(みつきたてまつること)絶(た)たじ」と述べたと記されてゐる。

この記述にはわが国古代における「わが国は神の国であり、天皇は聖なる君主であらせられ、日本の兵は神兵であるといふ意識」が明確に示されてゐる。のみならず、隣国朝鮮においてもさうした意識があったのである。

また、『日本書紀』巻十四の「雄略天皇七年の条」には、「時に、新羅、中國(みかど)に事(つか)へず、天皇、田狹臣(たさのおみ)の子弟君(おときみ)と吉備海部直赤尾(きびのあまのあたひあかお)とに詔して曰はく、『汝、往来て新羅を罰(う)て』とのたまふ」と記されてゐる。

ここに記されてゐる「中國」とはわが国の事である。わが国は古代から、わが国が「中華」であり、西の隣の新羅・百済・高麗の三国はわが国に朝貢する「蕃國」であるといふ意識があったのである。

つまり、わが国は、支那の中華思想を自己薬籠中の物として、「わが国こそが中華である」との意識を確立したのである。

推古天皇十五年(六〇七)、隋に使者を遣した。『日本書紀』には、「大礼小野妹子を大唐に遣はす」とある。これに対応する『隋書』倭国伝の文には、「其の国書に曰く、『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々』と。帝これをみて悦ばず。鴻臚卿に謂って曰く、『蛮夷の書、無礼なるものあり、復た以て聞することなかれ」(隋の煬帝はこの国書を見て喜ばす、外務担当の大臣・鴻臚卿に『野蛮人の国書は無礼である。聞くことはない』と言った)と記されてゐる。

「日出づる処の天子」といふ言葉には、わが日本は日の神天照大御神の地上的御顕現であらせられる日の御子が統治される国がであるといふ思想精神が表白されてゐる。わが日本天皇は日の神の御子であるといふ思想精神である。中華思想においては「天子」は支那の皇帝ただ一人である。しかし、日本はこれを認めず、わが日本天皇も「天子」であるとしたのである。また「書を致す」「恙無きや」といふ句も、対等の立場に立った表現である。

次の年の推古天皇十六年(六〇八)四月に、隋の答礼使・裴世清が帰国する小野妹子と共に日本に来た。隋は、日本の隋に対する対等関係以上の外交姿勢を「無礼」とは思っても、事実上これを容認したのである。

九月十一日には、推古天皇は裴世清の帰国に際しての聘問(進物を携へて訪問する意)の辞で、「東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝に致す」と仰せられた。「天皇」と「皇帝」といふ表現も、日本が支那よりも対等以上の関係のあることを表はしてゐる。

以上述べてきたやうに、わが国は古代において既に日本国は「中国」「中華」であり、日本天皇は「天子」であるとの自覚が厳然と確立してゐたのである。今日においてもこの精神を回復しなければならない。

「中華思想」とは、支那民族・漢民族が天の真下・天下の中央にあり、文化が花のように咲き誇っているという意味で、支那を「中華」と称し、四方の異民族を東夷・西戎・北狄・南蛮と呼んで、獣や虫けら同然に考え差別し侮る考え方である。

「中華である支那」は世界帝國であり、支那の皇帝に朝貢(皇帝にみつぎものを差し上げること)する属國の形式でしか外國の存在を認めず、支那以外の世界各地域は支那に朝貢しなければならないと考えて来た。

「東夷」は日本・満州・朝鮮などの民族を指した。「夷」とは弓を射るのがうまい民族のという意である。「西戎」とは西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指した。「南蛮」とは南方の野蛮人のことで、インドシナ半島など南海諸地方の民族を指した。「北狄」とは北方の野蛮人のことで、匈奴(きょうど)・ウイグル・韃靼(だつたん)等の遊牧民族を指した。「戎」は槍術のうまい民族、「狄」は犬扁、「蛮」は虫扁がつくということで、いづれも野蛮な民族ということである。

これほどの差別思想・侵略思想・大國主義はない。「中華思想」こそ、とてつもない帝國主義思想・差別思想なのである。「支那」という言葉は差別語だと批判があるが、「中華」「中國」という言葉こそ窮極の差別語である。

支那はこの「中華思想」という差別思想によってこれ迄の長い歴史において周辺諸國を侵略してきた。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝(ようだい)・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した時には、強力な國外侵略を行っている。

共産支那帝国成立後も同じ歴史が繰り返され、チベット・東トルキスタン・内モンゴル侵略併呑、わが国への軍事的圧迫・尖閣沖縄侵略策謀、ベトナムへの侵略が行われている。

わが國は、自主防衛體制を確立し、アメリカ及び台湾・インドなどと政治的・軍事的・経済的に提携し、支那の中華帝國主義と果敢に戦うことが今日最も必要である。そして共産支那の侵略策謀・中華帝國主義を封じ込めることが急務である。

日本人に今必要なのは、日本民族の誇りを回復し、中華帝國主義と戦う姿勢を確立することである。

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千駄木庵日乗十月七日

午前は諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。『政治部化情報』原稿執筆など。

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2019年10月 7日 (月)

小沢一郎が「永年在職議員特別表彰」を受けたくないというのならその通りにすべきである

韓国朝鮮人は「華夷秩序(支那はアジアの中央にある大きな「華」であり文明文化が最も正しく開花した国であり、その周りの国々はすべて野蛮な国であり、日本は最下層の國だという観念)」という過てる儒教観念を信じてきた。この「華夷秩序」という旧来の陋習を打ち破り、清・朝鮮韓国の優位に立った日本を絶対に許す事ができないのである。

 

韓国朝鮮は「支那の属国である」という旧来の陋習に固執し今日唯今も脱することができないのだ。

 

「日本及び日本人と協力して近代化をしようとする輩は、華夷秩序を破壊し、朱子学・儒教を否定するまさに文明の破壊者であり朝鮮を破壊する者共であり、これを許してはならない」という考へ方が韓国朝鮮の近代化自らの意思と力による独立を妨げた原因の思想であり、反日思想の原因であらう。

 

ところで、小沢一郎衆院議員が在職50年を迎えた議員を対象とする「永年在職議員特別表彰」を衆院事務局から打診されたものの、回答を保留していることが十月二日に分かったという事が報道されている。小沢事務所は取材にたいして「政権交代に向けて政治活動をしている真っ最中だ」と理由を説明したという。

 

小沢一郎は、平成二十一年十二月、ソウルの国民大学で、「日本人の若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」「もともと日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」「(日本の古代歴史についても)韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立したもの」「日本は騎馬民族に征服された」「天皇・皇室は騎馬民族の子孫だ」などと言った。まともな日本人なら、外国に行ってこんな発言は絶対にしない。

 

小沢一郎は、習近平来日の時にも、天皇陛下・皇室を蔑にする許し難い言動を行った。彼には祖国愛も尊皇精神もないと断じざるを得ない。小沢一郎が帰化した人だと言うわけではない。また、私は、帰化した人・在日韓国朝鮮人だからと言ってその人を差別したり頭から嫌ったりするべきではないと思う。しかし、帰化した人であろうとなかろうと、日本天皇及び日本国に忠誠心を持たないばかりか、冒瀆する人々は断じて許してはならないと考える。以上小沢の発言は永遠に忘れてはならない。

 

従って、小沢一郎が在職50年を迎えた議員を対象とする「永年在職議員特別表彰」を受けたくないというのなら、その通りにすべきである。

 

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千駄木庵日乗十月六日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年10月 6日 (日)

「耀盌顕現七〇周年記念 東京大本藝術祭 出口王仁三郎耀盌展」を参観して

本日参観した「耀盌顕現七〇周年記念 東京大本藝術祭 出口王仁三郎耀盌展」は、「出口王仁三郎は広大な大宇宙・大自然こそ神が造られた大藝術作品であると唱え、自然の産出原理と芸術の創造原理の一致を説いた。藝術は宗教の母なりーー。この独自の芸術観を展開し、大宇宙、大自然の姿を三〇〇〇個を上回る茶盌の中に表した。今から七〇年前美術評論家・加藤義一郎氏は、『近代フランスの油絵のように見たこともない茶盌』と驚愕し、その光り輝く茶盌を『耀盌』と名付け、日本美術工芸誌に発表。すぐさま各地で『観賞会』が開かれ、東京では東京国立博物館・応挙館で開催された。『耀盌』はやがて、国内のみならず欧米を駆け巡り、一大センセーションを巻き起こした」と趣旨(案内書)で開催された。

「天国三十」「天つおとめ」「御遊(ぎょゆう)」と名付けられた茶碗作品、「光明」と書かれた書な度を参観。小生は陶芸のことは全く素人であるが、茶道で使われる陶芸作品、いわゆる焼き物はは、わび・さびの世界と言われるように地味で色彩が暗いものばかりのように思う。しかし、王仁三郎の作品は色彩豊かで実に明るい。光り輝いているように見える。

出口王仁三郎は(明治4年旧7月12日) - 昭和23年1月19日)は、明治二十五年に開教した所謂教派神道系新宗教「大本」の二人の教祖の一人。私が高校時代に入信した生長の家の教祖・谷口雅春師は、若き頃大本に入信し、若手幹部として頭角を現し、機関誌の編集に携わるとともに、数々の論文・書籍を発表した。そうしたこともあり、「大本」に関心を抱いてゐた。

昭和四十年代後半に、出口王仁三郎氏の孫である出口京太郎氏が「巨人・出口王仁三郎」といふ著書を刊行した。この本によって当時まだあまりよく知られてゐなかった王仁三郎の思想・芸術・生涯が多くの人々に知られるようになったと思う。この本がその後のいわゆる「出口王仁三郎ブーム」のきっかけになったと思う。

その後、王仁三郎の著作を讀み、色々勉強した。谷口雅春の本は殆ど読んでゐた小生にとって、王仁三郎の著作はそれほど困難なく理解することが出来、共鳴するところが多かった。その後、出口京太郎氏と文通するようになり、お目にかかった。そして綾部と亀岡にある大本本部を訪問した。また王仁三郎のもう一人の孫である出口和明氏にもお目にかかった。今は詳しく書くことか出来ないが、亀岡では二回ほど神秘体験を経験した。

昭和十年十二月八日に起こった第二次大本事件は、昭和史・わが國近代史において、大変重要な事件である。あれほどの宗教弾圧が行われ、多くの犠牲者が出た事件であるのに、何故に國家権力特に内務省・警察当局は徹底した弾圧を断行し、出口王仁三郎氏そしてその婿養子である出口日出磨氏ら多くの方々を教団幹部が投獄されたのか、その真相は今でもそのすべては明らかになっていない。

出口王仁三郎氏等の幹部は、悪逆不逞の國賊と指弾され、拷問を加えられた。王仁三郎の養嗣子出口日出麿氏は、残虐凄惨な拷問によって精神分裂症になり、近年に亡くなるまで回復することはなかった。
 
大本は、皇室を廃絶して出口家がわが國を統治するという國體転覆を謀った悪逆不逞の教団としたのが内務省である。一方、王仁三郎師は、昭和維新運動の最高指導者であられた頭山満・内田良平両先生と同志的契りを結ばれ、昭和九年七月、昭和神聖會(統管・出口王仁三郎、副統管内田良平)という愛國団体を結成し、昭和維新・神政復古・國體明徴化・立替え立て直しを叫んで、皇道宣布運動・天皇機関説排撃・ワシントン海軍軍縮条約撤廃運動などの運動を展開した。その勢力は會員百万人・賛同者八百万人に達したという。

 変革思想を抱いた大教団が、愛國団体と手を結び、実際活動を展開した。しかも華族・軍人などにも信徒が拡大しつつあった。このことが、当時の國家権力に大きな危機感を抱かせたことは想像に難くない。

 「大本教を何とかして押さえ込まねばならないと考えた國家権力とりわけ内務省は、大本教を大逆不逞教団に仕立てあげ、治安維持法・不敬罪を適用して苛酷な大弾圧を敢行した」というのが、大本教に同情的な人々の見方である。

愛國団体と大本教とを離間させるには、大本を國體転覆を謀る逆賊教団と決めつけるのは最も効果的であった。事実、第二次大本教事件から三ヵ月後の昭和十一年二月二十六日に起こった二・二六事件の『蹶起趣意書』には「傾来遂に不逞凶悪の徒簇出し……共匪、大逆教団等、利害相結んで陰謀至らざるなき……」と記されている。

 当時の國家権力が愛國維新を目指して活動していた王仁三郎氏及び大本教団に悪逆不逞の濡れ衣を着せて迫害したのなら絶対に許されざることである。大本は無実の罪を着せられたのか、あるいは本当に皇室を廃絶して出口家が日本を統治するという國體転覆を謀ったのか、どちらが真実なのかは、正しく究明しなければならない昭和史上の大問題である。 

小生は、講談社発行の著作集に収められた王仁三郎氏の論文・歌などを読み、尊皇愛國の人であることを実感した。また、数年来大本機関誌『おほもと』を購読しているが、反國體・反天皇の言説は全く無い。むしろ日本の伝統を尊ぶ良き論調の雑誌と思考する。出口直日三代教主(王仁三郎氏の長女)そしてその子息の出口京太郎氏は反天皇・反國體の言説を説いていない。また大本教の幹部で歌人の山川京子先生などは、尊皇愛國の志篤い方であった。

美術展の感想記とは言えないようなことを書いてしまった。

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千駄木庵日乗十月五日

午前は、諸事。室内整理。

 

午後は、上野公園の東京国立博物館応挙館にて開催中の「耀盌顕現七〇周年記念 東京大本藝術祭 出口王仁三郎耀盌典」参観。お茶席にて猪子恒大本東京本部東京宣教センター長と懇談。

 

帰宅後は、「やまと新聞」連載原稿執筆・脱稿・送付など。

 

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2019年10月 4日 (金)

本日開催された講演会における興味深い発言

本日開催された講演会における興味深い発言を記します。小生のメモと記憶によるものですから、文責は小生にあります。
       ◎
「中国の政策決定は誰がやっているのか分からない。『上に政策あれば下に対策あり』という言葉がある。政策効果が上がるかどうかわからないのが中国の特徴」。

「中国経済が発展しなくなると共産党政権は危なくなる」。

「軍事力をとことんまで増やすと、中国はソ連の如く崩壊する」。

「中国は中国共産党による党治国家」。

「中国は選挙のない國で、指導者は記者会見を嫌がる」。

「胡錦濤の時代は失われた十年」。

「米中対立は戰爭まで行かない。中国人はアメリカが好き。日本はアメリカを米の國と言うが、中国は美しい國と言う。腐敗幹部は財産をアメリカに移している」。

「香港行政長官はあまりにもリスクマネージメント(危機管理)に欠けている。デモが過激化し警察官が発砲した日に、何故北京に行って香港にいなかったのか」。

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千駄木庵日乗十月四日

午前は、諸事。

午後三時より、ペルサール六本木にて、『東京財団政策研究所フォーラム』開催。柯隆東京財団政策研究所主席研究員が「中国の政策決定メカニズム」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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日本と韓国朝鮮との歴史的文化的差異について


「一系の天子富士の山」と言はれるやうに、日本は建国以来三千年、萬世一系の天皇を君主と仰いできた。さらに敬神崇祖を根本にとする神社神道と言はれる日本伝統信仰が国民生活に深く根付き根本となってきた。

藤原・平氏・源氏・北条・足利・徳川など政治権力者の交代はあっても彼らが君主になることはなく、天皇を君主として仰いで来た。お正月には、各地の神社に国民の殆どが参拝する。

支那朝鮮と支那は、革命は繰り返され王朝が交代した。前王朝倒された権力が国民に強いてきた制度や価値観や文化は否定され破壊された。

とりわけ韓国朝鮮の最高権力者は交代したり倒されたりすると、殺され、投獄され・海外亡命する歴史が今日まで繰り返されてゐる。

日本と支那朝鮮とのこの違ひは非常に大きい。どうしてかういふ違ひがあるのか.そもそも支那朝鮮には革命といふ言葉はあっても國體といふ言葉はないやうに思ふ。たとへあったとしても今日、國體と言ふ言葉が日常的に使はれることはないと思はれる。

さらに我が国の宗教的寛容性は、他の國に比類がない。全く異なる思想と歴史を持つ外来宗教の仏教とわが国伝統信仰である神社神道とは「神仏混淆、神仏一体」と言はれるやうに無限に融合し一体化してゐる。

ところが日本は近世になるとキリスト教を徹底的に排除した。それは、当時のキリスト教がスペインなどの西欧の強国による世界侵略に利用されたことによると思はれる。豊臣秀吉や徳川幕府はその危険を察知して、キリスト教を禁圧した。

さらに不思議なのは、キリスト教が深く浸透し信者数が多い韓国において、そして儒教が深く根付いてゐる朝鮮韓国において、庶民に間にシャーマニズムが残ってゐるといふ事である。むしろ韓国の儒教やキリスト教はシャーマニズムの上に乗ってゐると言へるくらいである。

東京の韓国人の多く住む町のマンションなどに韓国キリスト教の教会が入ってゐる。日本で働いてゐる韓国の人々が礼拝などに来てゐるのであらう。

そもそも儒教は「怪力乱神を語らず」(『論語』「述而(じゅつじ)篇第七」)といふ言葉がある通り、理性で説明がつかないやうなものについては語ってはならないとされてゐる。怪しげなこと、不確かなことは口にしないといふ考へ方である。したがって、シャーマニズムは最も嫌はれて然るべきである。ところが支那も朝鮮も庶民の間ではシャーマニズムが愛されてゐる。

またキリスト教は中世において「魔女狩り」と言ふことが行はれ、シャーマニズム・魔術は迫害された。しかるに、韓国のキリスト教にはシャーマニズム的要素を持つ教団がある。「異端カルト」と呼ばれてゐるといふ。

日本神道の祭祀はシャーマニズムであるといふ説がある。しかし、長い神道信仰の歴史において、いはゆる「神がかり」とか「うけひ」といふ行事があるが、土着的な呪術の要素はが昇華し、清浄感あふれる祭祀になってゐる。

その原因は、神道といふ日本伝統信仰が、日本文化、伝統の中心である天皇・皇室を中心に継承されてきてからではあるまいか。

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2019年10月 3日 (木)

千駄木庵日乗十月三日

午前は、諸事。

午後は、雑誌編集専門家来宅。『政治文化情報』の編集・印刷について、相談。

午後六時より、上野にて、永年の同志と懇談。意見交換。

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自衛隊を国軍とし、核武装し、自主防衛体制を確立することによって、日本とアジアの平和が保たれる


韓国の常軌を逸した反日姿勢反日政策はますますひどくなっているが、日本はどう対処すべきであろうか。

一方、拉致問題は全く解決の兆候が見られない。北朝鮮に対してわが国はいかなる姿勢で臨むべきであろうか。

南北朝鮮の「統一」の可能性をしっかりと見極めねばならない。南北朝鮮の統一とは、日本の隣に核武装した反日国家出現ということである。

共産支那の海洋進出・尖閣諸島への常態化した領海侵犯など我が国などへの軍事的圧迫はますます強まっている。

私は、わが国は核武装すべきだと思う。自主防衛体制の確立とは、核武装である。

しかし、わが国は非核三原則などという誤った原則を墨守し、且つ、軍事力を全く否定した似非平和憲法を未だに破棄出来ないでいる国である。

日本は、現実に何時共産支那や北朝鮮から核攻撃を受けるかわからない危機に曝されている国である。しかし、わが国国民の核アレルギーは非常に強い。そして戦後七十年以上にわたって誤れる「平和思想」が横溢している。こうした状況の克服は非常に困難である。

しかしトランプが大統領であろうとなかろうと、アメリカが将来にわたってずっと日本を守ってくれるという保障はない。また、他人任せの国防であって良いはずがない。アメリカの核の傘の下にいれば安心というわけには行かなくなりつつある。

第一、六十年前に日本に二発もの原爆を落した國はアメリカある。反米意識を煽るわけではないが、これは歴史的事実である。

冷静に国際情勢を眺めた場合、日本が独自の核抑止力を持つのは当然である。わが国が唯一の被爆国だからこそ、二度と再び核攻撃の惨禍を受けることのないように核武装すべきなのである。広島・長崎が核攻撃を受けたのは、日本に核抑止力がなかったからである。

米ソ冷戦期には、米ソがともに核兵器を持っていたから使用されなかったのである。もしも米ソどちらかが相手に核攻撃を行ったら、地球が壊滅する核戦争が勃発した。だから、米ソはお互いに核攻撃ができなかったのである。

北朝鮮は核兵器を放棄する意思はない。共産支那はわが国を射程に入れた核兵器を無数に持っているという。日本は大戦略を立てなければならい。共産支那と北朝鮮が核兵器を持ち、日本に狙いを定めているのに、日本が無防備でいるという事は許されない。

地下化された北朝鮮の核・弾道ミサイル基地をわが國が先制攻撃するのは不可能だという。だとすれば、北の核兵器に対する抑止力は核兵器しかない。

共産支那のように侵略国家、北朝鮮のような無法国家が核兵器を持っているのに、その標的となっているわが國が核兵器を持ってはならないなどという事は全く道理に反することである。

隣に住む強盗が殺傷能力の極めて高い凶器を持った以上、その強盗に狙われている家が何の防衛策も講じないでいるわけにはいかない。やはりわが国も核武装する以外に恒久的に安全を確保する道はない。

「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉を忘れてはならない。フランスという国を核攻撃する國は存在しないと思われるのに、フランスは早くから核武装している。わが国が核武装してはいけない道理はまったくない。まして、共産支那・北朝鮮という何をするか分からない無法国家が核武装してわが国を狙っているのである。一刻も早く我が国は核武装すべきである。それは独立国家として当然の権利である。このままでは日本は益々北朝鮮と共産支那とロシアに脅かされ続ける国となるであろう。

「『恒久平和主義』は憲法三原理の一つであり『非核三原則』は国是であるから絶対に守るべし」と言う人がいる。しかし、このような「国是」だとか「原理」などというものを守ることによって国が滅び、国民の安全と生存が脅かされるのは真っ平御免である。

自衛隊を国軍とし、核武装し、自主防衛体制を確立することによって、日本とアジアの平和が保たれるのである。また、日本は真の自主独立国家になるのである。

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2019年10月 2日 (水)

千駄木庵日乗十月二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2019年10月 1日 (火)

日本と韓国・朝鮮

日本と朝鮮は、地理的に非常に近い位置にあり、外交関係は対立と友好を繰り返しつつ、これまた実に長い関係にある。だから、日本人にも朝鮮の人々にも、日本と朝鮮は民族的・文化的に非常に近い関係にあると思っている人が多い。しかし私は、韓国に何回か行ったし、韓国籍の人との交流もしてきたが、それは錯覚と言ふか間違った認識だと思ふ。

 

当たり前の事であるが、日本と朝鮮は違った国であり、日本人と朝鮮韓国人とは異なる民族であることを忘れてはならない。これを忘れたことが、近代そして戦後における日韓関係の躓きの原因であると思ふ。

 

近代に入って我が国が行った対外戦争即ち日清戦争・日露戦争は、韓国朝鮮に対する侵略策謀を防ぐために行った戰爭である。そして日本はまず日清戦争に勝利し、朝鮮は支那から独立した。ところが日本が三国干渉(ロシア、ドイツ、フランスからの干渉)に屈してしまった。

 

日本が三国干渉に屈しようとどうしようと、朝鮮韓国は
独立を堅持すれば良かったのにもかかはらず、今度はロシアに頼るようになった。

 

そして朝鮮韓国はロシアの支配下に置かれるやうになった。となると、今度は日本がロシアによる侵略の危機にさらされることになった。そこで日本はロシアと戦争をせざるを得ない状況となったのである。

 

日本が清やロシアと戦争をしなければ、今頃朝鮮韓国はロシアに併合されるか完全なる植民地となり奪ひつくされてゐたであらう

 

朝鮮韓国の歴史を回顧すれば、ロシアや支那の侵略に遭った歴史の方が長いし悲惨である。特に、支那が明から清へと王朝が変る時、完全に明の属国であった韓国は、清に反抗し明についた。

 

さこで清は、徹底的に朝鮮韓国を苛めた。朝鮮の『丙子録』といふ文献には、「槍掠焚盡、公私赤立、有甚於壬辰之役」(武力による略奪が行はれ、すべて焼き尽くされ、豊臣秀吉軍の朝鮮侵攻の時より甚だしい)と記されてゐるといふ。

 

戦後において金日成軍とソ連軍と共産支那軍が韓国を侵略し、国土は文字通り焦土と化し、五三二万人が犠牲となっても、今日、韓国はソ連や北朝鮮を怨むことはしない。ところが日本の韓国朝鮮統治に対しては怨み続けてゐる。これは何故であらうか。

 

これには、朝鮮韓国の日本に対する侮蔑意識・差別意識があり、支那やロシアに対する事大思想があると思はれる。

 

日本は韓国朝鮮と格別友好関係・協力関係を築く必要はない。日本にとって何の利益もない。むしろ無視してゐればいいのである。最近の韓国のわが国に対する非友好的態度といふより敵対姿勢を見て益々さう思ふ。

 

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千駄木庵日乗十月一日

午前は、諸事。室内整理整頓、原稿執筆の準備。

午後三時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、松原仁衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

終了後、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆なと。

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宗教と現代の危機

昨日も、少し書きましたが、今の世の中は、表面上は平和で栄えているように見えますが、実際にはそうではなく、色々不安定なものがあると思います。人心も決して安定していないと思います。殺人事件は殆ど毎日のように起っています。しかも自然災害も深刻な被害を及ぼすようになっています。

こういう時こそ、宗教というものが人々の安穏と平和をもたらすことが求められていると思います。しかし、既成宗教・新宗教・新々宗教がかつてのような救済のエネルギーを失っているというのですから困ったことです。

所謂伝統教団・既成宗教は、祖霊の供養という大事な使命を果たしています。また神社神道も地域の神々のご神霊をお祀りしています。私は「葬式仏教」などと既成仏教を揶揄するのは間違いであると思います。祖霊の供養、亡くなった方々のご冥福とご加護を祈ること、そして天神地祇をお祀りする事は、「敬神崇祖」と言う日本民族の道義精神の根幹です。

今こそ、既成・新興を問わず宗教の役割は重大です。宗教は、人類の苦悩を救い、安穏をもたらすことを使命としているはずです。しかし、前述したようにも今の宗教はそうした使命を果たしているでしょうか。

繰り返しますが、私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思います。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊への感謝・報恩の心が基本であると思います。その上で。多くの宗教者の説いてきたことを学び、生活に生かすべきであると思います。

ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視し他の宗教を否定するすることは危険であります。そしてそれが今日までの繰り返されてきた宗教対立・宗教戦争の根源にあるものだと思います。

これまで、宗教戦争で死んだ人々の数は計り知れないものがあると思います。宗教というものは、愛と赦しを説きますが、反面、呪詛や迫害も行うのです。宗教の怖さというもの、悪魔的側面を、我々は充分認識していなければならないと思います。

曽野綾子さんは、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであると言っています。

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。
(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。
この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになりましょう。

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事でしょうか。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていました。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多いと思います。

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれません。しかし、曽野氏の言う「四つの事」が余りにも度が過ぎている宗教、国家社会に害毒を及ぼすと言わねばなりません。

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千駄木庵日乗九月三十日

午前は、諸事。

明日のインタビューの準備など。

午後三時半、日本橋の知人事務所訪問。内外の諸情勢について意見交換。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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