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2019年9月25日 (水)

日本固有信仰と佛教の受容

『日本書紀』によると、わが國への佛教公式的な傳来は、欽明天皇十三年(五五二)とされ、百済の聖明王が、欽明天皇に釈迦佛像や経典を献じた時であると記されてゐる。しかし、別の説では欽明天皇七年(西暦五三八)のことだったとされる。

『日本書紀』によると、この時、欽明天皇は、佛像の美しさに驚嘆され次のように仰せになったと傳へられる。「西蕃(にしのくに)の献(たてまつ)れる佛の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」。

日本の固有信仰は自然そのものそして祖霊を神として信仰するのだから、佛像のような美しく威厳のある姿を表現した偶像を造りそれを「神の像」として礼拝することはなかった。だから百済の王様から献じられた金色燦然とした佛像を見て、その美しさに驚嘆したのである。佛教への驚異の念は佛像に対する驚異だったと言へる。

またここで注目すべきことは、日本に佛教を傳へた支那や朝鮮を「中華思想」の言葉を用いて「西蕃」(西方の未開人といふの意)と表現してゐることである。これは、日本の独立性・自主性の高らかな誇示であり、支那・朝鮮から多くの文化・文明を輸入してゐた『日本書紀』編纂当時にあって、日本人は支那・朝鮮に対して属國意識を持ってゐなかったことの証明である。

欽明天皇が、佛教を採用するかどうかを群臣に諮問あそばされた際、佛教受容を支持した蘇我稲目(佛教を日本に傳へた百済系の渡来人といはれてゐる)は「西蕃諸國、一に皆之を礼(いやま)ふ。豊秋日本(とよあきつやまと)、豈に独り背かむや」と答へた。「西方の蕃人の國々も信仰してゐるのだから、わが國でも信仰しても良いのではないか」といふ意味である。古代日本における佛教の受容に、深い精神的・信仰的葛藤があったわけではなかったと推測される。

本居宣長は日本人が「神」として崇める対象を「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳がありて、可畏(かしこ)きもの」としてゐる。

欽明天皇の御代に外國から到来した佛像もさうした外来の「神」であった。だから『日本書紀』は「佛」とは書かず「蕃神」と書いたのである。

「蕃神」と名付けられた「佛」も、日本人にとっては「神」なのだから固有信仰の「神」と矛盾するものではなかった。「異國の蕃神」も「世の常にない徳と力」があるのだから崇拝してもいいではないかといふのが、当時の日本人の基本的な態度だったのであらう。日本人にとって佛とは八百萬の神が一神増えたといふ感覚であったと思はれる。

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