« 千駄木庵日乗九月三十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月一日 »

2019年10月 1日 (火)

宗教と現代の危機

昨日も、少し書きましたが、今の世の中は、表面上は平和で栄えているように見えますが、実際にはそうではなく、色々不安定なものがあると思います。人心も決して安定していないと思います。殺人事件は殆ど毎日のように起っています。しかも自然災害も深刻な被害を及ぼすようになっています。

こういう時こそ、宗教というものが人々の安穏と平和をもたらすことが求められていると思います。しかし、既成宗教・新宗教・新々宗教がかつてのような救済のエネルギーを失っているというのですから困ったことです。

所謂伝統教団・既成宗教は、祖霊の供養という大事な使命を果たしています。また神社神道も地域の神々のご神霊をお祀りしています。私は「葬式仏教」などと既成仏教を揶揄するのは間違いであると思います。祖霊の供養、亡くなった方々のご冥福とご加護を祈ること、そして天神地祇をお祀りする事は、「敬神崇祖」と言う日本民族の道義精神の根幹です。

今こそ、既成・新興を問わず宗教の役割は重大です。宗教は、人類の苦悩を救い、安穏をもたらすことを使命としているはずです。しかし、前述したようにも今の宗教はそうした使命を果たしているでしょうか。

繰り返しますが、私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思います。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊への感謝・報恩の心が基本であると思います。その上で。多くの宗教者の説いてきたことを学び、生活に生かすべきであると思います。

ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視し他の宗教を否定するすることは危険であります。そしてそれが今日までの繰り返されてきた宗教対立・宗教戦争の根源にあるものだと思います。

これまで、宗教戦争で死んだ人々の数は計り知れないものがあると思います。宗教というものは、愛と赦しを説きますが、反面、呪詛や迫害も行うのです。宗教の怖さというもの、悪魔的側面を、我々は充分認識していなければならないと思います。

曽野綾子さんは、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであると言っています。

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。
(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。
この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになりましょう。

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事でしょうか。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていました。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多いと思います。

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれません。しかし、曽野氏の言う「四つの事」が余りにも度が過ぎている宗教、国家社会に害毒を及ぼすと言わねばなりません。

|

« 千駄木庵日乗九月三十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月一日 »