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2019年8月 4日 (日)

靖國神社総理公式参拝・靖國神社國家奉護実現を妨げる一切の事象、勢力、法律などはこれを徹底的に祓い清めねばならない

今日の日本はまさしく危機に瀕している。その危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。

我々日本人が「A級戦犯」という呼称を使うことは絶対にやめるべきである。「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な復讐劇=リンチの場において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。
 
「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。

戰勝國は、「戰争は非人道的な行為だ」と主張しながら、「軍事裁判」の「法廷」では、かつてのわが國の指導者を罵倒し、拘置所に収容した「被告」たちには、それこそ非人道的な処遇を強要した。それはあまりにも残虐にして一方的な処遇であった。そして「絞首刑」という名の非人道的なリンチ虐殺が行われたのである。
 
戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。そして、わが國に侵略國家の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。

「A級戰犯は戰争責任者だから靖國神社に祭られてはならない」とか「A級戰犯が祭られている靖國神社に、天皇陛下・総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った法律なき「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

「A級戰犯」という呼称はあくまでも戰勝國側の呼称であって、わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。昭和殉難者は、まさに英靈であり戦没者である。だから、靖國神社においては「昭和殉難者」「戰死者」として祭られているのである。 
 
 靖國神社に祭られている英靈は、國のために命を捧げられたばかりでなく今日唯今もわが祖國をお護り下さっているのである。
 それは、上皇后陛下が「終戰記念日」と題されて、

「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御靈國護るらむ」
 
 と、詠ませられている御歌を拝しても明らかである。
 
また、沖縄戦で自決された牛島満陸軍中将は、

「矢弾盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國(みくに)護らむ」

 という歌を遺された。
 
わが國及びわが國民は、靖國神社そして各県の護國神社に鎮まりまします護國の英靈によってお護りいただいている。であるが故に内閣総理大臣をはじめ全國民は、靖國の英靈に対して感謝・報恩・顕彰の誠を捧げるのは当然である。共産支那や韓國の圧迫に屈してこれを怠るなどということは絶対にあってはならない。

 また、國のために命を捧げた英靈をお祀りする靖國神社に内閣総理大臣が公式参拝すること、各県の護國神社に県知事が玉串奉奠することを「憲法違反だ」「近隣諸國との関係を悪化させる」などと決めつける法匪、亡國マスコミは許しがたい。
 
國のために身命を捧げた人々の御靈を共同體信仰である神道祭式でお祭りする靖國神社を、國が奉護し、政府の長たる内閣総理大臣が公式に参拝するのは当然のことである。

「神道指令」は自然信仰・祖靈崇拝を基幹とするわが國傳統的民族信仰の破壊策謀である。

 占領軍の日本弱體化のための重要な策謀の一つである「神道指令」(昭和二十年十二月十五日)で、はじめて「國家神道」という言葉が使われた。國家權力と神社神道とが一體となって他の宗教を圧迫し日本を戦争の駆り立てたというのがこの「國家神道」という言葉の根底にある。このような言葉と概念に基づいて有史以来のわが國傳統信仰の祭式による英靈への慰靈を「憲法違反」だとか「軍國主義的行為だ」とか「政教一致だ」とか言って非難している。これは大きな誤りである。
 
日本伝統信仰即ち神道祭式・神社は、わが國の稲作を基本とする共同體の生成と共に生まれた。神道祭式は、國家という共同體の不離一體の関係にある。五穀の豊饒を祈り収穫に感謝する祭りは個人の宗教行為というよりも共同體(村)全體の行事である。神社神道が共同體(小さくは家大きくは國家)と一體なのである。日本傳統信仰たる神道そしてその祭りの場である神社は、國・町・村・家という共同體と共に生まれ守られ続けてきたのである。

 「神道指令」は、戦前の一時期、政治權力による神社神道統制という誤りがあったことを利用して、共同體國家日本と一體である神社神道を、普通一般の教団宗教と同一視して、強制的に國家と分離し解體しようとしたのである。

 「神道指令」には、「本指令ノ目的ハ宗教ヲ國家ヨリ分離スルニアル」「日本人個人ノ宗教ナリ、或ハ哲學ナリデアル限リに於テ……若シソノ信奉者ガ望ム場合ニハ……他ノ宗教同様ノ保護ヲ許容セラレルデアラウ」と書かれている。ここに書かれている「國家」を「政治權力」と解釈すれば、「宗教を國家より分離する」というのは正しい。しかし、信仰共同體としての日本國を傳統信仰から分離せしめることは國體の破壊である。

 「神道指令」は、わが國の歴史と傳統を否定し、道義の根幹を破壊しようとしたのである。その結果が、靖國神社問題であるし、今日の日本の道義の頽廃である。

 大東亜戦争後の「神道指令」に始まる靖國神社への圧迫は、自然信仰・祖靈崇拝を基幹とするわが國傳統的民族信仰の破壊である。

 内閣総理大臣の靖國神社公式参拝は、決して政治權力者の權力行為ではない。信仰共同體國家日本・祭祀國家日本の國民の代表者による戦没者に対する慰靈・鎮魂という道義的行為・信仰的行為である。

時代の混迷を是正するために祭祀宗教たる神社神道が大きな役割を果たす。これからは自然を大切なものとし、先祖を尊ぶ生活を根幹とする祭祀宗教によってこそ、困難と行き詰まりの打開が行われる。また、共同體の宗教としての祭祀宗教としての神社神道・神道祭祀・日本傳統信仰が大きな役割を果たす。その第一歩となるのが総理の靖國神社公式参拝である。國のために命を捧げた人々の御靈に対して政府の長が慰靈の誠を捧げるのはまさに道義の基本であり、孤立と絶望、闘争と破壊を除去する大きな手立てとなると考える。

 日本國の祭祀主たる天皇が靖國神社に行幸されることができない状態が長く続いているのはまことに以て遺憾千万である。総理の靖國神社公式参拝はそういった状態を是正し祭祀國家日本の真姿回復のためにも大切である。

靖國神社総理公式参拝を妨げる一切の事象を徹底的に祓い清めねばならない。國家も國民も現に今生きている者たちのみによって成り立っているわけではない。悠久の昔のわが國建國以来、この國に生まれこの國に生きこの國に死んでいった人々の御靈、とりわけ國のために命を捧げた尊い英靈たちの御蔭によって今日のわが國そしてわが國民の存在があることを忘却してはならない。

「今日の國家と國民は、現在生きている人だけで成り立っているのではなく、國難に殉じて亡くなった尊い犠牲によって築かれたのだ」という感謝と報恩の念を忘却してしまったところに、今日のわが國の道義の頽廃があるのである。
 
 代日本の危機は単に制度・機構の問題から来ているのではない。むしろ、精神的な堕落と道義の頽廃がその根本原因である。こういう心を喪失した政治家・マスコミ・文化人・宗教家がわが祖國を滅ぼすのである。

 靖國神社御創建の御精神を拝しても明らかなように、靖國神社に内閣総理大臣が公式に参拝し、英靈を慰靈し、感謝報恩の誠を捧げることが、今後のわが國の平和のみならず、東洋平和・世界平和の基礎である。

 したがって、靖國神社総理公式参拝・靖國神社國家奉護実現を妨げる一切の事象、勢力、法律などはこれを徹底的に祓い清めねばならないのである。

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