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2019年8月11日 (日)

宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ現代救済の原基

「宮中祭祀の大部分は明治以降につくられたもの。江戸時代に復活した新嘗祭も含めて、古代のものが連綿と今につながっているというわけではない。仮にいまの宮中祭祀をなくしたとしても、皇室の姿が明治以降から、明治以前に戻るだけだと考えることもできる」といふ論議がある。
明治以降の「宮中祭祀」は、「神武創業への回帰」といふ維新の理想実現を目指しつつ日本傳統信仰と皇室の傳統を基本として、「宮中祭祀」の本来の姿の回復が図られたのである。決して明治維新後に「つくられた」のではない。
「本来行はれるべき祭祀などの朝儀の復活・充実」は、江戸期を通じて、朝廷の深き御希望であった。それが明治維新によって実現したのである。古代以来行はれてきた「新嘗祭」は、何千年の間に時代と共に洗練に洗練が重ねられて今日まで伝承されて来た。 
靈元天皇をはじめとした江戸時代の歴代天皇は、朝廷の儀式を調査・研究あそばされ、「応仁の乱」以来衰退してゐた朝廷の儀式の再興に努力あそばされた。そして、実際に皇太子冊立の儀・伊勢例幣使・賀茂祭など多くの朝儀が再興された。
そして、東山天皇の御代の貞享四年(一六八七)十一月十六日、後土御門天皇即位時の以来中絶してゐた大嘗祭が、二百二十一年ぶりに略儀ではあったが再興された。桜町天皇の御代の元文三年(一七三八)には大嘗祭と新嘗祭が本格的に再興された。
江戸期の歴代天皇がいかに祭祀・神への祈りを大切にされてきたかは次に掲げさせていただく御製を拝すれば火を見るよりも明らかである。

後陽成天皇
天てらす神のいがきのすゑとほく治めしるべき世をや祈らむ
神にしもなほ祈りなば治まれる世のゆくすゑは千代もかぎらじ

後水尾天皇
いかでなほめぐみにあはむ神やしろかけて祈りし心ひとつに

靈元天皇
朝な朝な神の御前にひく鈴のおのづから澄むこゝろをぞ思ふ
あと絶えずはこぶあゆみを雪の上に見るもかしこき神の広前
まもれなほ神の宮居に引くしめのすぐなれと世をいのる誠は

桜町天皇
新嘗の赤丹(あかに)のはつ穂もろ人にとよのあかりの今日たまふなり
天てらす神ぞ知るらむ末ながき代々のひつぎを祈るこゝろは

桃園天皇
もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)のひかりとぞおもふ

光格天皇
朝ごとにかけてぞ仰ぐあきらけき八咫(やた)のかゞみは神の御影(みかげ)と

孝明天皇
國民のやすけきことをけふこゝにむかひて祈る神の御前に
わが命あらむ限(かぎり)はいのらめや遂には神のしるしをもみん
奉るそのみてぐらを受ましてくにたみやすくなほ守りてよ

これらの尊き御製を拝し奉れば、「宮中祭祀」の本来の姿の回復が、如何に歴代天皇の御祈りであったかが分かる。
宮中祭祀は今に生きる神話であり現代救済の原基である。「神話」は今こそ回復されるべきなのである。「神話の精神」こそが現代の混迷を救済する。宮中祭祀は今に生きる神話であり現代救済の原基である。
天地自然の神、祖靈への祭りの精神の回復こそが現代を闘争・戦争・自然破壊・人心の荒廃を救済する道である。祭祀こそ、天皇・皇室の最高のご使命であり、現代日本を救済する原基である。

祭祀は決して迂遠な手段ではない。精神の荒廃を救済し、神のご加護を持ち来たす最も基本的な手段である。日本の神の実在を信じない人にはこのことはいくら説いても無駄である。
 
天皇が日本国の祭祀主として五穀の豊穣と国民の幸福を祈られるため祭祀を行はせられてゐることが、天皇が神聖なる権威の基なのである。

日本傳統信仰の祭祀が科学技術文明による荒廃を救済する。繰り返し言ふが、宮中祭祀は、現代に生きる神話である。

ミルチャ・エリアーデは「神話とされるものは、〝かのはじめの時〟に起こったある出来事や、その時に生きていた人物について語られただけではなく、原初の出来事、原初の人物と直接、間接に関係を持つすべてもまた神話なのである。…神話はその性格の如何にかかわらず人間の行動に対してだけでなく、人間自身の条件に対しても常に、先例であり、範例である。」(『聖なる時間・空間』)と論じでゐる。

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

日本の神話は、「天皇の祭祀」によって生きた現実として太古より今日まで継承されてきてゐる。世界に国家多しといへども、建国以来、国家元首が祭祀を行ひ続けてゐる国は日本のみである。宮中祭祀は、現代に生きる神話であり、文化・文藝・政治・経済・宗教など人間のあらゆる「いとなみ」を聖化し「いとなみ」の模範となる行事である。
「大嘗祭」・「新嘗祭」をはじめとした宮中祭祀には、日本民族の傳統的世界観・国家観・人間観・神観が示されてをり、日本文化の中核である。

祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

宮中祭祀を中核とする日本の祭祀は、自然神と祖霊を祀る行事である。今日、公害・自然破壊・核兵器など物質文明・近代科学技術文明が生んだ様々な「悪」によって人類全体が大きな危機に瀕してゐる。科学技術文明が徹底的に生態系を破壊せんとしてゐる。文明の進歩によってかへって人間の生命が蝕まれ精神が荒廃してゐる。

かかる状況を打開するためには、イデオロギーや特定の教義によるのではなく、自然と共に生きるといふ日本傳統信仰を回復し、自然と人間に宿る生命を護る態度を養ふことが大切である。宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ、その原基となるのである。

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