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2019年7月11日 (木)

田中卓郎氏(哲学者)による「敗戦國體制の完成形態としてのわが国の現状」と題する講演内容

〇十二月十日午後六時半より、春日の文京シビックホールにて、『國體政治研究会』開催。田中卓郎氏(哲学者)が「敗戦國體制の完成形態としてのわが国の現状」と題して講演。講演内容は次の通り。
「認識されざる国家の危機としての言語問題・国語問題。外国人を政府が率先して招き入れている。傍若無人なのは支那人のみにあらず。移民を容認する法律が通った。今までの政府がやってきた愚策の中でも、決定的亡国法案。民族問題・宗教問題が発生する。言語問題も発生する。

 

街を歩いている外国人で、日本語を話している人はほとんどいない。彼等の自国語を話している。理解できる日本人はほとんどいない。極めて深刻な問題。在留外人と日本人が意志疎通できない。彼等の日本語能力は、日常生活に必要最小限にとどまる。読み書き能力はゼロ。読み書き能力は一定期間の正規教育を受けなければならない。彼等の置かれている状況は日本国民には理解できない。

 

日本国民には文盲はいない。日本人は文字を読み書きして生活しているので文盲の生活がどういうものかを理解できない。読み書きできない生活は想像もつかない。短期旅行では片言の英語で用は足りる。読み書きは一定期間学習しないと一定の水準に達しない。これは欧米系の外国人にも該当する。

 

英米人はインテリと思っている人が多い。きちんと読み書きができる英米人を私は知らない。ハーバードで社会学を勉強した人は日本語の会話は明らかに上手だった。しかし書類は全く書けない。同僚の日本人が彼に代って必要な書類を書いていた。私とその人は英語でしか話さなかった。日本の新聞は読めない。その人はちゃんとして教養人のカナダ人。フランス語と英語は流暢。専門は音楽。インテリと言っていい教養人が日本語の読み書きはできない。

 

日本語の読み書きができる在留外国人は極めて少数。文字無き社会に生きている。口語による情報も極めて限られる。しかし平然と振る舞っている。母語をしゃべって生活している。我々には彼等の母語を理解できない。わが国に出身の國の母語のみで生活できることが可能な国家内国家がすでに成立している。

 

ハッカーによる犯罪はどんなに防御をしても絶対に防ぐことができない。インターネットで世界が一つにつながったが、強みが弱みになっている。普通の人間が語学を勉強するのはそれによって何かが出来るから。プラトンを讀みたいからギリシャ語、ハイデッカーを讀みたいからドイツ語を勉強する。英語以外の言語を習得するのは一年以上かかる。言語を多くの人は勉強しない。最近、大学では第二外国語はやらない。

 

支那語は、北京官話は拵えたもの。広東語と北京語はお互いに通じない。支那のテレビに字幕が出る。インド・パキスタンは言語事情が複雑。国内で通じない言語が沢山ある。我々には捕捉しようのない世界。そういう人間を入れてしまったら防ぎようがない。すぐ『差別』という言い方をする人間が出て来る。どうにもならぬ問題になる。

 

モンゴル人の関取が増えた。圧倒的数になっている。日本人力士の記録を塗り替えている。日本の相撲をモンゴルのやり方で差配する。親方衆にモンゴル語を理解する人はいない。何をやっているか分からない。彼等が日本語で話す情報だけで彼らを管理することはできない。根本は言語の問題。

 

私の著書は正字正仮名で書いた。正字正仮名を使うこと自体変わり者と言われる。歴史的仮名遣いとか旧仮名遣いよりも正仮名遣いという言い方がよろしい。漢字は表意というよりも表語文字。言語は文字と音があるが音がコアになる。アイヌ語には文字はない。文字はなくとも言語は存在する。

 

漢字が先進文化を担う字になっているのは、幕末期に我が国が多くの漢語を案出したからである。『哲学』『形而上学』も然り。日本でつくられた漢語が大陸や台湾に輸出されている。漢語においても漢字においても日本が本家本元。『諸橋大漢和』は台湾で海賊版が出た。『支那』は差別語ではない。しかし教育の場では使えない。『支那』は普通名詞。地理的呼称。第一外国語は英語。ラテン語を勉強するのが理想。一番大事なのは母国語能力」。

 

 

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