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2019年7月25日 (木)

維新とは祭政一致の清明なる「まつりごと」の回復である


慶應四年十二月九日の『王政復古の大号令』(『王政復古の諭告』『王政復古御沙汰書』とも申し上げる)に、天皇國日本の真姿すなはち日本國體を回復することによって、現状の悪・穢れを祓ひ清めるといふ明治維新の理念及び構想が示されてゐる。

「徳川内府、従前御委任の大政返上と将軍職辞退の両条は、今般、断然と聞こしめされ候。・・・(中略)これによって、叡慮を決せられ、王政復古、國威挽回の御基を立たせられ候間、自今、摂関、幕府等廃絶せられ、総裁、議定、参与の三職を置かれ、萬機を行はせられ、諸事神武創業の始めに原(もとづ)き、縉紳(しんしん)武弁(武士)、堂上(清涼殿への昇殿を許される家柄。公卿になれる家柄)の別なく、至当の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同じくあそばさるべき叡慮に付、各々勉励し、旧来の驕惰の汚習を洗ひ、盡忠報國の至誠を以て奉公致すべく候事」。

「諸事神武創業の始めに原(もとづ)き」とは、「伝統に回帰する」精神であり、「至当の公議を竭(つく)し」「旧来の驕惰の汚習を洗ひ」とは、「革新」の精神である。さらに、「至当の公議を竭(つく)し」とは、議會政治を開き民意をきこしめす精神である。ここに、外國の革命とは全く異なる日本的変革すなはち維新の根本がある。

わが国の「原初の精神」すなはち「神話の精神」は今日唯今、「天皇の祭祀」に脈々と継承され生きてゐる。太古の神話の精神が今日も生きつづけてゐる民族は日本民族のみである。ゆゑに、わが國體は萬邦無比なのである。

西田幾多郎氏は、「神皇正統記が大日本者神國なり、異朝には其たぐひなしとい
ふ我國の國體には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が萬世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云ふことは、単に直線的と云ふことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云ふことでなければならない。天地の始は今日を始とするといふ理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云ふ(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにあるのである。」(世界新秩序の原理・「西田幾多郎全集 第十二巻」所収)

「日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにある」といふことが非常に重要である。わが民族は、神代・天上の理想國を地上・今の代と隔絶した存在とは決して考へなかったのである。神代は時間を超越した實在である。今此処が神代なのである。それは観念的論議ではない。日本の天地自然の中に神々は生きてゐたまふといふわが國の傳統信仰である。

「神代即今」「今即神代」の理想を継承し顕現させることによって、現代を祓ひ清め変革することが真の「復古即革新」すなはち維新である。「復古」の「古」とは「元初の日本」「永遠にして常に新しい神代」のことである。

現状の穢れを祓ひ錆を落とすために、「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である。今日の危機的状況を維新変革の好機ととらへねばならない。今こそ復古即革新すなはち維新の戦ひを断行し、日本のあるべき姿を回復し、國難を乗り越えなければならない。

神代以来の祭祀國家・信仰共同体たる日本の真姿の中心におはしますご存在が、祭祀主たる天皇であらせられる。天皇がおはしまさずして、真の日本はあり得ない。祭祀主であらせられ、神の如くに清浄なるご存在であり、尊厳性・道義性の体現者であらせられる天皇に帰一する日本を復興することが、國體の開顕であり明徴化である。

我が國國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められてゐる。

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義・独善に陥ることでは決してない。「神話の精神の復活」によって精神の救済を図るといふことである。

文久三年(一八六三)八月に起こった「天誅組の変」に参加し、義挙失敗の後、捕へられ、翌年二月、京都で斬首処刑されたで処刑された國学者・伴林光平は、

君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪

といふ歌を遺した。この歌は光平が生駒山中で捕らへられ、夜中奈良奉行所に送られる途中での詠である。まさに絶望的状況の中で、絶対的なる國體への信を歌ったのである。今日において維新を目指す者も、如何なる國難の状況にならうとも、國體は盤石であるとの信念で戦ひ続けなければならない。

民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

今日の危機的状況を國體の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。わが日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である。

今日の日本はまさに混迷を深めている。しかし、混迷を深め国家民族が危機に陥っている時にこそ、変革が行われる。それがわが国の歴史である。

変革は、明確なる理想が掲げられ、民心が一致することが肝心である。しかし、変革は、いたずらに精密なる理論や教条に基づいて行われるわけではない。国民全体を奮起せしめる現実の危機によって断行される。理論は現実の危機打開の実行行為と共に生起し構築される。

しかし、大化改新・建武中興・明治維新という我が国の変革の歴史は、天皇を君主と仰ぐ國體意識・尊皇精神の興起が原基となって断行された。これを維新と言う。天皇その方が、維新の原理であると言っても過言ではない。

天皇を原基とし原理とするが故に、醜い政治権力闘争ではなくなる。美しく荘厳なる変革となる。それが他国の革命との絶対的違いである。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ神聖国家・道義国家の再生が、日本的変革即ち維新の本質なのである。それは祭政一致の清明なる「まつりごと」の回復である。

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