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2019年6月 6日 (木)

水戸斬奸状について

萬延元年(一八六〇)三月三日、大老井伊直弼を桜田門外において誅殺した時、水戸浪士が懐中にしていた「水戸斬奸状」には次のやうに記されてゐる。この文章は、水戸藩士・金子孫二郎が執筆したと言はれてゐる。

「追々大老井伊掃部頭所業を致洞察候ニ將軍家御幼少之御砌に乘じ自己之權威を振はん爲公論正議を忌憚り候て天朝公邊之御爲筋を深く存込候御方々御親藩を始公卿衆大小名御旗本に不限讒誣致し或は退隱或は禁錮等被仰付候樣取計候儀夷狄跋扈不容易砌と申内憂外患追日指迫候時勢に付恐多くも不一方被惱宸襟御國内治平公武御合體彌長久之基を被爲立外夷之侮を不受樣被遊度との叡慮に被爲在公邊之御爲勅書御下げ被遊候歟に奉伺候處違背仕尚更諸大夫始有志之人を召捕無實を羅織し嚴重之處置被致甚敷に至候ては三公御落飾御愼粟田口親王をも奉幽閉勿體なくも天子御讓位之事迄奉釀候件々奸曲莫所不至矣豈天下之巨賊にあらずや右罪科之儀ハ委細別紙ニ相認候通ニ候斯る暴横之國賊其儘指置候はゝますます公邊之御政體を乱り夷狄之大害を成し候儀眼前にて實に天下之安危存亡ニ拘り候事故痛憤難默止京師へも及奏聞今般天誅ニ代り候心得にて令斬戮候申迄にハ無之公邊へ御敵對申上候儀にハ毛頭無之何卒此上聖明之勅意ニ御基き公邊之御政事正道ニ御復し尊王攘夷正誼明道天下萬民をして富嶽の安ニ處せしめ給ハん事を希ふのミ聊殉國報恩之微衷を表し伏して天地神明之照覧を奉仰候也」


(追々大老井伊掃部頭の所業を洞察いたしますと、将軍が御幼少の時に乗じ、自己の権威を振はんがために、公正にして正しい議論を忌み憚って、朝廷天皇の御爲に筋を深く存じてをられた御方々御親藩を始め公卿衆大小名御旗本に限らず事実ではないことで罪に陥れ或は退隠禁錮などを仰せ付けられるやう取り計らったことは、外敵が跋扈する容易ならざる時と言ふ内憂外患日を追って差し迫る時勢に付き、恐れ多くも宸襟を悩まされ、国内平らかに公武御合体愈々長く久しいなる基礎を立てられ、外国の侮りを受けないやうとの天皇のご意志であるので幕府のために勅書をお下げあそばされたと伺っていたところ、違背しさらに諸大夫(公卿・大名に仕へる家老等)をはじめ有志の人を召し捕り無実の人を罪に陥れ嚴重の處置にいたし、甚だしきに至っては三公を落飾(三公=鷹司政通前関白、近衛忠煕左大臣、三条実万前内大臣の辞官・落飾・謹慎)させ、粟田口親王(=久邇宮朝彦親王【青蓮院宮】)をも幽閉されただけでなく、勿体なくも、天皇が譲位を表明されるところまで追ひ込んだ無礼は、許しがたい行為であり、まさに、天下の大罪人としか言ひやうがありません。右に述べた井伊直弼の罪科の儀は委細別紙に書いた通りです。このやうな横暴な国賊をそのまま置いておくと、益々幕府政治のを乱し、外敵の大害を成したことは、眼前にて實に天下の安危存亡に拘ります事故、痛憤黙ってはゐられず京都の天皇へも申上げ、今般天誅に代る心得にて(井伊直弼申し上げることでは毛頭なく、何卒この上は、聖明なる孝明天皇の勅意に基き幕府の御政事を正道に復し、尊王攘夷、正誼明道、天下萬民をして富嶽の安きに置かしめたもう事を希ふのみ、いささか殉國報恩の微衷を表し伏して天地神明の照覧を仰ぎ奉ります)。

井伊直弼による違勅開国を神州を害する行為として批判している。また、上御一人に譲位の御心を表明させ奉るといふ大不敬行為をも厳しく糾弾してゐる。即ち尊皇攘夷である。つまりこの斬奸状は尊皇攘夷の精神を基軸にした大変革の書である。内憂外患を打開するには尊皇攘夷しかないと言っているのである。ともかく、井伊直弼誅殺は、天皇を唯一の君主と仰ぐ統一国家を建設する以外に道なしとする思想であり行動であった。しかし水戸藩士として徳川幕府全面否定はまだしてない。

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