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2019年6月17日 (月)

今日の満月を仰ぎ見て実感したこと

今日は満月が浮かんでいた。まことに美しかった。自然は美しい。特に「月」は、日本人が歌に俳句によく詠む自然景物である。そして日本国土の自然も実に美しい。山・川・海の景色は実にすばらしい。四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。しかし自然は、時に、ものすごい猛威をふるい、人間に襲いかかって来る。そして人間の命を奪い、生活を破壊する。

日本における科学技術の進歩とその利用は目を見張るものがある。現代社会の快適な生活は、その科学技術によるものである。しかし大自然は、時としてその科学技術によって成り立つ人間の快適な生活をも一瞬にして破壊する。そして人間は、悲惨に状況に追い込まれる。さらに、凶悪なる事件葉が続発している。

これだけ文明が発達し、科学技術が進歩した、その恩恵によって成り立っている現代人の生活は、自然の猛威によってもろくも破壊され、多くの人々が惨禍に喘ぐこととなる。そして精神的荒廃もますますひどくなっているように思える。

われわれは、自然・科学技術文明との付き合い方を今一度深く考えなおすべきではあるまいか。麗しき自然に恵まれつつも自然の脅威にさらされる日本民族、科学技術を巧みに使いこなして来た日本民族はそういう使命を帯びていると思う。

科学技術が発達し、文明は進歩しても、人間の道義感覚がそれに伴って高くなっていない。進歩した文明、科学技術を用いて悪事を働く者が増えている。頻発するテロ、北朝鮮の暴虐などはその典型である。

わが國は伝統的に「明らかさ・清らかさ」が最高の美徳とされてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

日本人は、清いことは善いことであり、汚いことは悪いことであると考へて来た。日本人は人間の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたともいへるのである。日本人は、「きたない」といふことに罪を感じた。

故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」と言って、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事なのである。禊祓ひをすることが神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできないのである。人類の中でお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

実際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 「清明心」は『記紀』の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。今日の日本人はこれを取りもどすべきであると考える。冴えかえる今日の満月を仰ぎ見てそう実感した。

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