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2019年6月13日 (木)

全人格的な戀愛を文藝に表現したのは、東洋においてはわが國のみである。

全人格的な戀愛を文藝に表現したのは、東洋においてはわが國のみである。和歌において戀愛歌が占める位置は非常に大きい。歌の起源は戀愛であり、「やまと歌」の主流は戀歌である。古代日本文藝においては、戀が美の大きな要素・テーマになってゐる。和歌は戀愛の発想を離れることはできない。驚きとか新鮮な思ひは戀によって感じる場合が多かった。戀には喜びもあれば悲しみもあれば苦しみもある。現實生活を尊んだ古代日本人は、戀を歌ふことが多かった。戀は異性に対するものだけではない。上御一人日本天皇を恋ひ慕ふ心、これを「恋闕」と言ふ。

支那文學には愛欲をテーマにしたものはあっても、戀愛をテーマにしたものがあまり無いといふ。全人格的な戀とか愛を文藝に表現したのは、東洋においてはわが國のみであると言っていい。この場合の戀とは、英語でいふloveとは趣きが異なる。

そもそも「國生み」の時、伊耶那岐命、伊耶那美命が、天の御柱を回って、「あなにやし、えをとめを」「あなにやし、えをとこを」と唱和したのが歌の起源とされてゐる。つまり、愛の交歓の歌が「やまと歌」の起源なのである。
さらに、須佐之男命が高天原から出雲の國に降り立ちまして、八岐大蛇を退治して櫛名田姫を助けて結婚された時に歌った「八雲たつ 八雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣つくる その八重垣を」といふ御歌が、「五七五七七」の短歌の起源と言はれてゐる。

どちらの歌も愛する異性と結ばれた喜びの心の訴へである。戀愛とやまと歌はきはめて密接である。

萩原朔太郎は「大和民族の文明は、實に和歌と戀愛とに始まった。日本人は、和歌によってその愛欲生活を藝術化することに、最初の文化的情操を紀元させた。『和歌』と『戀愛』と『大和心』は、日本歴史に於て三位一体の関係にある。和歌を離れて大和心は解説されず、また戀愛を忘れて和歌のポエジイは成立しない」(原文のまま・『朔太郎遺稿・下』)と述べてゐる。

和辻哲郎は、「上代において最も著しく表現せられているものは戀愛である。新鮮な驚異の情に充ちた上代人の心にとって、蒼空の神秘や運命の不可思議よりも、人の世の戀の力が最も詠嘆すべきものであったことは、注目に値する。戀の苦悶、戀の歓喜は、彼らがその全生活を投入するに値する最高の生の瞬間であった。だから彼らは、超自然的な力に対する恐怖と歓喜とを歌わずして、ただ人間的な生の喜びのみを歌う。…いかなる現世的な障礙(しょうげ)もこの炎を消すことはできない。死にさえも愛は勝つ。かくのごとき愛の強さがまことに上代の戀愛の特徴である。戀愛を制度の奴隷としたシナ─戀愛が淫楽に過ぎなかったシナにおいては─かくのごとき全人格的な愛の強さは描かれていない。」(『日本古代文化』)と論じてゐる。

『古事記』神代の巻の歌十一首の実に九首までが戀歌である。また、『記紀歌謡』百数十首中その大部分が戀歌である。『萬葉集』も戀歌が圧倒的に多い。

『萬葉集』においては、戀愛歌のことを「相聞歌」と言ひ、「雑歌」「挽歌」と共に『萬葉集』の三大部立の一つになってゐる。「相聞歌」は、「雑歌」「挽歌」と比べて最も多く、約一七五〇首にのぼる。

「相聞」とは互ひに安否を問ふて消息を通じ合ふといふ意味であり、漢籍では、贈答・音信・安否の確認などの意味でしばしば使用されてゐる。従って、元来は手紙のやり取りほどの意味であったといふ。

『萬葉集』の「相聞歌」には、男女関係のみならず、親子・兄弟姉妹・友人など親しい間柄で贈答された歌が含まれる。相手を念頭において作った「相聞歌」は、対の関係における歌である。対の関係とは、主に男女関係だが、男同士でも、母と娘でも、兄弟でも、二人の親密な情愛の流れる関係である。

『萬葉集』「相聞歌」の男女間の戀愛歌は約一六七〇首あり、その他の関係の相聞歌は約八〇首。数の上で圧倒してゐる。従って、男女間の戀愛を歌った作品をまとめて「相聞歌」と呼称した。『古今和歌集』以後の勅撰和歌集における「戀歌」の部門に相当する。

今日、この「愛」といふ言葉がだいぶん汚れたものとなってゐる。萬葉歌では「私はあなたを愛する」とか「好き」といふ言葉は使はれない。さういふ観念的な言葉でしか戀心を表現できなくなった現代とは大きく異なる。

自然を詠んだ歌も、死者を弔ふ歌も、自然や死者への「愛の歌」と言って良い。『萬葉集』には、國土讃歌・自然讃美・神への信仰・祭り・天皇讃歌・戀愛・死者への哀惜などの歌が収められてゐる。基本的にはすべて「愛の歌」である。
岡潔氏は「この國の人たちは、自己本位の行為を善行だとは決して思わない。現にそのように生活している人たちも、内心それを肯定せず、その反対の行為を賛美することを惜しまない。だからこの國の善行は格調が非常に高い。たとえば、弟橘媛や莵道稚郎子の最期の行為がそれなのである。……この人たちのあの行為、この行為の上に、往昔の風鈴の妙音と同じ生命のメロディー(旋律)を聞く人は、私だけではないであろう」(『春風夏雨』)と述べてゐる。

祖國への愛も戀人への愛も家族への愛も、「愛するもののために自分を無にすること」が「愛」の窮極の姿である。これを「捨身無我」といふ。「捨身無我の「愛」とは「自他一体感」である。「愛」こそが、日本民族にとって「最高の美」であった。我が國土は前述した通り、伊邪那岐命・伊邪那美命の「むすび」によって生成された。『百人一首』も戀歌が圧倒的に多い。戀も和歌もまさに神代の昔からのものなのである。

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