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2019年6月14日 (金)

自然災害と祭祀

自然に宿る神々は、人間を護り恩恵を与えてくれると共に、時に荒ぶる神となり、大変な脅威を齎す。近年続発する自然災害の被災地の姿を見るとそのことを實感する。現代に生きる我々は、自然に対する畏敬の念を取り戻さなければならない。大地震・大津波・原発事故・大水害・火山の大噴火などは、自然に対する人間の姿勢が如何にあるべきかを示唆している。

「自然との共生」という言葉をよく聞くが、近年の自然災害の凄さは人間と自然との関係はそんな安易なものではないことを實感した。確かに人間は自然と共に生きて来たし、自然の恩恵をこうむっている。しかし、時に自然は人間に無慈悲に襲いかかって来る。これにどう向き合うのかが問題である。

『神社新報』平成二十四年七月四日号の「大震災から神道信仰を考える」と題する社説に次のように書かれていた。
「岡田荘司氏(国學院大学)から…『神々の恵みに対応するたたりや怒りについて、古代以来の神道信仰にはその両面があったが、近代以降には継承されていない』旨の発言もあった…現代の神社神道のあり方やその原点を考へる上での極めて重大な神道信仰・神道神学に係る問題提起といへよう」「『原子力の火』の成功に日本社会の未来を託した声は、その反対に原子力利用の『綱渡り的危険性』を指摘した声の紹介など、それらは、いづれも神々や祖先、自然からの恵みと恩に感謝するだけでなく、同時にそれは神々や自然の祟りと怒りに対する畏怖と謹みといふ神道の原点を戦後神社神道の歩みに位置づけようとする本紙なりの実践神道神学の歴史でもあった」。

自然神・祖靈神の崇拝が日本伝統信仰=神社神道の基本である。自然に宿る神霊、そして亡くなった方々の御霊は、我々生きている者たちに恵みを与え下さり、お護り下さる有り難き御存在である。しかし、神代・古代以来、自然に宿る神々も、そしてこの世を去った御霊も、時に怒りを現し、祟ることがある。

古来、日本人は、自然災害はまさに自然の神の怒りととらえて来た。御靈信仰も神社神道の大きな流れである。全国各地に鎮座する天満宮も、その原初は、無念の思いを抱いて亡くなられ、多くの祟りを現された菅原道真公の御霊をお鎮めするための神社であった。

日本民族は、常に自然の恩恵に感謝すると共に、災害をもたらす自然に対して畏敬の念を抱いてきた。また、日本民族は、亡くなった方々に対して感謝の念を捧げると共に、尋常でない亡くなり方をした方の御霊に対して御慰めしなければならないという信仰を持っていた。

日本の自然の神々は、今はやりの言葉で言えば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈だということである。無限の可能性を持つと言い換えてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災いを齎すと古代日本人は信じた。

無暗矢鱈に自然に恐怖心を抱いたり、亡くなった人の祟りを恐れたりするべきではないが、自然と祖霊に対する畏敬の念を持つことは大切である。つまり、今こそ、日本国民ひとしく自然と祖霊への祭祀の心を回復すべきなのである。

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