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2019年6月21日 (金)

剣魂歌心の人・影山正治先生

 「劍魂歌心」は、維新運動に挺身する者のみならず日本男児の基本的姿勢であらねばならないが、影山正治先生の御生涯はまさに「劍魂歌心」そのものであり、身を以てそれを實践され生涯を終へられた。
 
 小生が、影山正治先生に初めてお目にかかったのは、昭和四十四年十一月八日、明治神宮弘心亭で開催された『大東塾創立三十周年記念歌會』に於てであった。雨の日であった。會場に入る前に、杉田幸三氏にご挨拶したこともよく覚えている。暫くすると影山先生が来られた。凛々しく颯爽とした方といふのが第一印象であった。

 その歌會での影山先生の歌は、
「友を想ふ友らの歌のやさしさよわれも友想ふしくしくに想ふ」

 であった。
 それから不二歌道會の歌會に参加するやうになり、夏期講習會にも二度ほど参加した。毎年一月三日に開催されてゐた不二歌道會新年懇親會などで、影山先生や長谷川幸男先生の前で長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」など小生得意の歌を熱唱したのも楽しい思ひ出である。

 塾生ではなかった小生は、直接御指導を受ける機會はそれほど多くはなかったが、御著書によって實に多くのこと、といふよりも重大なこと、大切なことを學ばせて頂いた。

 小生が感銘を受けかつ今日に至るまで座右の書としてゐるのは、『維新者の信條』であり『みたみわれ』である。今でも、運動上のことで何か惱んだ時、真劍に考へなければならない時に繙くのがこの二つの書である。影山先生の思想と精神はこの二つの書に凝縮されてゐると思ふ。

 『維新者の信條』冒頭に収められた「維新の誓願」の、
「 天皇は神なり。生き給ふ神なり。萬世一系にして天壤無窮。大中至正にして無上絶對。萬物の大本。萬法の根源なり。天皇は今にます 天之御中主神、今にます 天照大神なり。天皇ましまして萬有あり。」
 といふ言葉に最も感銘した。

 そしてこの信仰は、小生が中學時代から信仰してゐた生長の家の谷口雅春先生の「天皇信仰」(『無門關の日本的解釋』所収)といふ文章の、
 「 天皇への歸一の道はすなはち忠なり。一切のもの 天皇より流れ出で 天皇に歸るなり。 天皇は 天照大御神と一體なり。天照大御神は 天之御中主神と一體なり。斯くして 天皇はすべての渾てにまします」
 と全く一致する。

 谷口・影山両先生のこの二つの御文章は古事記・萬葉以来のわが國民の天皇信仰・現御神信仰を端的に表現した言葉であると思ふ。
 『みたみわれ』では、

「十年を泣かざりされどわがこころ涙痕常にあらたなるかも」

 の一首が小生の魂に深く刻みつけられてゐる。

 『みたみわれ』は、昭和四十年代後半に、当時奉職してゐた二松學舎大學圖書館に所蔵されてゐたものを讀んだ。そして、昭和四十九年、讀後感想文を今は亡き原正壽氏が編集長をしてゐた『日本の動き』誌に掲載して頂いた。丁度復刻版が刊行される直前であったため、影山先生は非常に喜ばれ、『不二』誌への轉載を希望された。そして、

 「山も裂かんいきどほりあり捕らはれてひとり黙して國を思へば 
  巻頭の一首を録し 四宮正貴君に 正治」

 との御署名のある復刻版を頂戴した。これが一番嬉しい思ひ出である。

 影山先生は、維新者であり、歌人(うたびと)であり、そして何よりも「祷りの人」であられたと思ふ。その祷りは一死を以て貫かれた。

 であるがゆゑに、祖國日本の現状を見る時、影山先生の謦咳に接して御指導を頂き、かつ書籍や講演で多くのことを學ばせて頂いた小生が、先生の熱き祷りを受け繼いで、日本の真の再生、即ち「民族のもとついのちのふるさとへの回帰」のためにいかほどの努力をしたのかと自らに問へば、恥かしき思ひにうちひしがれるだけである。

 しかし、今日、祖國日本は累卵の危ふきにある。うちひしがれてゐてはならないのである。靈界におられる影山先生から「ほー、四宮君もまあまあやってゐるなあ」といふくらいのお言葉を頂けるやう祖國日本のためにできるだけの努力をさせて頂きたいと念願してゐる。

みはふりの庭に轟きし雷鳴は幾年経てもわが耳朶に鳴る

干されゐし血染めの衣目のうらに浮かびて今もわが胸を打つ

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