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2019年3月15日 (金)

人民の權利を主張し國家を敵視する共産主義がかえって國家權力の暴虐を招いた

「國民」という言葉を使わず「市民」という言葉がよく使う人が多くなった。愛國心が希薄になってきた何よりの証拠である。特に戦後世代の人々は、國家とか民族よりも個人の人權の方がよっぽど大切だと考えているようだ。戦後教育がそういうことを教えてきたのだから当然の成り行きである。

 

戦後教育において、「國家」とは英語のStateの訳語として用いられた。つまり西洋の國家觀に基づいて「國家」というものが教育されてきたのである。Stateとは權力支配組織の意である。この權力支配組織としての國家からの自由を求めるのが近代民主主義であるとされてきた。 

 

「市民」という言葉の根底には、國家と國民とが対立する関係にあるという思想がある。そういう思想を抱いている人は、「國民」という言葉は読んで字の如く「國の民」という意味であり國家の束縛を受けるように感じられるから使いたくないのであろう。

 

國家の束縛を嫌い、國家と國民とは対立すると考えている人の言う「國家」とは權力機構・支配機構のことである。國家の中には階級対立があり、國家主權と國民の人權及び自由とは矛盾し合い、國家權力と國民とは対立し戦わねばならないとする。そしてできるだけ國家權力は制限すべきであるとする。

 

こうした國家觀の根柢に、マルクス・レーニン主義・共産主義の國家觀がある。共産主義者は、「權力國家」はいずれ死滅し、やがて自由で平等な理想社会を作るなどと主張した。しかし、現実には、かつてのソ連や現在の共産支那や北朝鮮などを見ても分かるように、共産主義者が國家權力を掌握した國家ほど國家權力が不断に増大し強大になり、國民の權利を蹂躙し自由を束縛している。それどころか、旧ソ連でも共産支那でも北朝鮮でもむカンボジア何千万という人々が共産党國家權力によって殺戮された。

 

人民の權利を主張し國家を敵視する共産主義思想が、かえって國家權力の暴虐を招いたのである。なぜそういうことになったのか。それは西洋的な國家觀・國民觀に誤りがあるからである。とりわけ、國家を國民と対立する權力機構としてとらえ、國家が死滅することによって人間の自由・平等・幸福が実現するなどという思想は空理空論であり、根本的に誤っている。

 

人間の權利・自由は共同體國家の中でこそ守られる。人間は、よほど特殊の場合を除いて、たった一人では生きるなどということはあり得ないし、不可能である。人間は、多くの人々が助け合い、いたわり合ってこそ生きて行ける。つまり人は、人間関係の中にあってこそ、人として生きて行けるのである。

 

多くの人々が助け合って生きている場を共同體という。そうした有機的生命體としての共同體が成長発展したものが正しい意味の國家である。國家があってこそ人間は生きて行けるのである。人間がこの世に生きている以上、共同體國家はなくてはならない存在である。

 

国家を否定する共産主義者が国家現力を肥大化させ強化して「人民」を苦しめているのが、旧ソ連=ロシアであり支那であり北朝鮮である。日本共産党が国家権力を掌握すると、日本も必ずそういう国家になる事は火を見るよりも明らかである。

 

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