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2019年3月31日 (日)

現政府は、徳川幕府、足利幕府、北條幕府ですら行い得なかったことを行った

新たなる御代の元号は御即位された天皇陛下の勅定によらねばならない。新帝御即位前の「新元号」の決定、上御一人の勅許・聴許を賜らずしての元号の決定は、有史以来未曽有の事です。現政府は、徳川幕府、足利幕府、北條幕府ですら行い得なかったことを行ったのであります。

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「現行占領憲法」はまさに國體破壊・國體隠蔽の亡国憲法である

「退位」という言葉が使われているが、「退位」では「皇統の連綿性」が隠蔽される。また、「皇位の継承」「天津日嗣の継承」を否定することになる。天皇には、「譲位」はあり得ても「退位」はあり得ない。

 

政府も国会も、皇室や日本の伝統よりも『現行憲法』の規定を重んじる姿勢を貫いている。「憲法は権力の制限規範」とされている。日本天皇は、祭祀国家日本の祭祀主であらせられ、本来政治権力者ではあらせられない。

 

『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。

 

新しい元号は、新天皇が勅定されるのが伝統である。臣下の権力機構たる政府が決めるということは、德川幕府でさえしなかった重大なる國體破壊であり伝統破壊である。

 

「天皇の事前許可を求めれば天皇の国政関与を禁じた憲法に反する」という考え方に基づくというが、そもそも元号の勅定は、天皇の権力行使ではないし、政治権力行為ではない。「天皇の祭祀」の重要な事柄である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

 

「現行占領憲法」はまさに國體破壊・國體隠蔽の亡国憲法である。一刻も早く全面否定しなければならない。

 

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千駄木庵日乗三月三十日

午前より、『政治文化情報』発送作業。午後、発送完了。

 

午後は、明日の講義の準備など。

 

夕刻派、地元の先輩と懇談。

 

帰宅後も、明日の準備。

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2019年3月30日 (土)

日本は、内閣総理大臣が「時」を支配する國となった。國體は破壊された。

日本テレビの報道を付け加えます。

 

「来月【五月】1日に迫った新たな元号の発表を前に、安倍首相は29日夜、再び皇太子さまのもとを訪れた。憲法に抵触しないよう配慮した形で、選考が最終段階に入った元号案についても話したとみられる。」「安倍首相は、29日午後7時頃、東宮御所を訪れ、皇太子さまに面会した。新たな元号の選定手続きや、皇位継承に伴う一連の行事などについて説明したものとみられる。」「また、政府関係者によると、面会の中で安倍首相は、天皇の政治への関与を禁じた憲法4条に抵触しないよう配慮した形で、選考が最終段階に入った元号案についても説明したとみられる。」「安倍首相が皇太子さまに説明を行うのは異例のことで、先月22日以来、2回目。さらに安倍首相は、新たな元号を決定した後にも天皇陛下や皇太子さまに自ら報告することを検討しているという。」

 

「訪れた」ではなく「参内した」とすべきである。「憲法に抵触しないよう配慮した形で、選考が最終段階に入った元号案についても話した」は、安倍内閣が、天皇の国家統治の道統よりも、「現行占領憲法」を重視したこと証しする。また「元号案についても話した」は「奏上した」と報道すべきである。

「天皇の政治への関与を禁じた憲法4条に抵触しないよう配慮した形で、選考が最終段階に入った元号案についても説明したとみられる。」と報道されたが、元号の勅定は政治権力の行使ではない。天皇の最も重要なご使命である「祭祀」である。また天皇陛下も皇太子殿下も権力者ではあらせられないのであるから「権力の制限規範」とされる「現行憲法」の制約を受けられない。天皇・皇室は、成文憲法を超越した御存在である。

ついに日本は天皇が統治される國ではなくなった。内閣総理大臣が「時」を支配する國となった。國體は破壊された。

 

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元号は天皇の勅定によるという國體の本義が否定されたのは重大な國體隠蔽である

本日【三月二十九日】、以下の事が報道された。 

 

『朝日新聞』
「安倍晋三首相は29日午前、皇居を訪れ、天皇陛下と面会した。」「政府は、新元号について決定直後に首相から天皇陛下に直接報告し、新天皇即位を控えた皇太子さまにも面会して伝えることを検討している。」

 

「皇居を訪れ」ではなく「皇居に参内し」とするべきである。「天皇陛下と面会した」ではなく「天皇陛下に謁を賜った」とするべきである。

 

『NHK』
「新元号の選定作業に天皇の意向が反映されれば憲法に抵触するおそれがあることから、こうした指摘を受けないような形で、最終段階に入った新元号の選定状況などを報告したものとみられます。」「(四月一日午前)総理大臣官邸4階の閣僚応接室で開く「全閣僚会議」で協議したあと、臨時閣議で元号を改める政令を決定するとしています。」「そして午前11時半から菅官房長官が新しい元号を発表し、正午すぎに安倍総理大臣みずからが記者会見し、新元号に込められた意義などを談話として発表するとしています。」

 

元号は天皇の勅定によるのがわが国の道統である。元号を決められるのは、天皇の祭祀であり統治行為である。次の元号は、政府によって決められる元号には何の神聖権威もないし、伝統の継承もない。元号は天皇の勅定によるという國體の本義が否定されたのは重大な國體隠蔽である。政府は日本の道統・國體の本義よりもアメリカ製亡国憲法に遵ってゐるのである。許されざることである。

 

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元号は天皇の勅定であるといふ千数百年にわたるわが国の伝統が無視された

天皇が元号を勅定あそばされるのは、古代支那の帝王が、元号を決定したことに由来すると言ふのが定説である。つまり元号制度は支那から渡来したものである。
「正朔」の「正」とは年の初め、「朔」とは月の初めのことで正朔とは元旦のこと。古代支那では帝王の支配に服する者は、その王の制定した暦法を守ったとから、帝王の支配に服することを「正朔を奉ず」と言ったという。
この「正朔」の「元」に吉祥の文字を当てて何々元年としたものが「元号」である。元号の始まりは前漢武帝の建元元年(紀元前一四〇)である。
わが国では隨唐との交流が活発になった大化以後、元号が定められるやうになった。明治維新後の明治元年九月に「一世一元の制」が定められた。
瀧川政次郎氏は「(わが国においては・注)「天皇の御意思によるにあらざれば、年号を改めることができないというのは、大化以来の不文の法であって、摂関・武家の専権の時代といえども、天皇の大権は犯されたことがないのである」(「元號考證)と論じてをられる。
明治以後は不文の法のみならず成文法においても明治二十二年(一八八九)二月十一日、『大日本帝国憲法』と同時に公布された『皇室典範』によって一世一元が確認せられ、改元の手続きは『皇室典範』の附属法である『登極令』(明治四十二年【一九〇九】二月十一日公布)において「第二條 天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム  元号ハ樞密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス 第三條 元號ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と定められてゐる。

 

近代成文法において、天皇陛下の御意思にあらざれば元号は改めることはできないと明確に規定されてゐる。

 

『登極令』には次のやうに規定されている。

 

「登極令(とうきょくれい)
明治四十二年二月十一日「皇室令」第一号
朕樞密顧問ノ諮詢ヲ経テ登極令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
御名御璽
明治四十二年二月十一日
皇室令第一號
登極令
第一條 天皇踐祚ノ時ハ卽チ掌典長ヲシテ賢所ニ祭典ヲ行ハシメ且踐祚ノ旨ヲ皇霊殿神殿ニ奉告セシム
第二條 天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム  元号ハ樞密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス
第三條 元號ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス
第四條 卽位ノ禮及大嘗祭ハ秋冬ノ間ニ於テ之ヲ行フ  大嘗祭ハ卽位ノ禮ヲ訖リタル後續テ之ヲ行フ
第五條 卽位ノ禮及大嘗祭ヲ行フトキハ其ノ事務ヲ掌理セシムル爲宮中ニ大禮使ヲ置ク
第六條 卽位ノ禮及大嘗祭ヲ行フ期日ハ宮内大臣國務各大臣ノ連署ヲ以テ之ヲ公告ス
第七條 卽位ノ禮及大嘗祭ヲ行フ期日定マリタルトキハ之ヲ賢所皇霊殿神殿ニ奉告シ勅使ヲシテ神宮神武天皇山陵並前帝四代ノ山陵ニ奉幣セシム
第八條 大嘗祭ノ齋田ハ京都以東以南ヲ悠紀ノ地方トシ京都以西以北ヲ主基ノ地方トシ其ノ地方ハ之ヲ勅定ス
第九條 悠紀主基ノ地方ヲ勅定シタルトキハ宮内大臣ハ地方長官ヲシテ齋田ヲ定メ其ノ所有者ニ対シ新穀ヲ供納スルノ手續ヲ爲サシム
第十條 稻實成熟ノ期至リタルトキハ勅使ヲ発遣シ齋田ニ就キ抜穂ノ式ヲ行ハシム
第十一條 卽位ノ禮ヲ行フ期日ニ先タチ天皇神器ヲ奉シ皇后ト共ニ京都ノ皇宮ニ移御ス
第十二條 卽位ノ禮ヲ行フ當日勅使ヲシテ之ヲ皇霊殿神殿ニ奉告セシム  大嘗祭ヲ行フ當日勅使ヲシテ神宮皇霊殿神殿竝官國幣社ニ奉幣セシム
第十三條 大嘗祭ヲ行フ前一日鎭魂ノ式ヲ行フ
第十四條 卽位ノ禮及大嘗祭ハ附式ノ定ムル所ニ依リ之ヲ行フ
第十五條 卽位ノ禮及大嘗祭訖リタルトキハ大饗ヲ賜フ
第十六條 卽位ノ禮及大嘗祭訖リタルトキハ天皇皇后ト共ニ神宮神武天皇山陵並前帝四代ノ山陵ニ謁ス
第十七條 卽位ノ禮及大嘗祭訖リテ東京ノ宮城ニ還幸シタルトキハ天皇皇后ト共ニ皇霊殿神殿ニ謁ス
第十八條 諒闇中ハ卽位ノ禮及大嘗祭ヲ行ハス 」
「登極令(とうきょくれい) 」には「卽位ノ禮及大嘗祭」といふ宮中における祭祀についてのみ規定されてゐる。
「天皇の祭祀」については、天皇の統治権の総攬者としての「国務・政務」についての規定とは分けられてゐるのである。
即ち、元号の勅定は、大嘗祭などと同じく、天皇の行はせられる祭祀なのである。
この度、天皇陛下の勅許も聴許も承らず、元号を定めるのは、犯してはならない伝統が政府によって犯されるのである。君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力者によって決められることは、國體が破壊されてと言っても過言ではない。まことに恐ろしき事態である。

 

支那においては、易姓革命が行はれたので、各地に複数の王朝が出現したこともあり、元号が同時に二つも三つもあるといふ事態が発生した。しかし、わが日本は、易姓革命は無く、肇國以来萬世一系の天子が日本国を統治あそばされてきた。しかも、南北朝の異変の時でも、いはゆる南朝年号・北朝年号が建てられたが、臣下が元号を建てると云ふことはなかった。また正しく言へば、北朝といふ朝廷はあり得なかった。吉野朝廷のみが正統の朝廷であった。

 

ともかく、元号は天皇の勅定であったといふ千数百年にわたるわが国の伝統が、この度はじめて無視され蹂躙されたのである。由々しき事態である。

 

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千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、日曜日に開かれる『日本の心を学ぶ会』における講義の準備など。

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2019年3月29日 (金)

『奇想の系譜展-江戸絵画ミラクルワールド』参観記

本日参観した『奇想の系譜展-江戸絵画ミラクルワールド』は、「本展は、1970年に刊行された美術史家・辻惟雄による『奇想の系譜』に基づく、江戸時代の「奇想の絵画」の決定版です。岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えた8人の代表作を一堂に会し、重要文化財を多数含む展示となっています。豊かな想像力、奇想天外な発想にみちた江戸絵画の魅力を紹介。現代の目を通した新しい「奇想の系譜」を発信します」(案内書)との趣旨で開催された。

 

曽我蕭白《雪山童子図》明和元年(1764)頃、三重・継松寺蔵 鈴木其一《百鳥百獣図》天保14年(1843年)米国・キャサリン&トーマス・エドソンコレクション 伊藤若冲《旭日雄鶏図》 伊藤若冲《象と鯨図屏風》寛政九年 長沢芦雪《山姥図》寛政九年 岩佐又兵衛《達磨図》 狩野山雪《蘭亭曲水図屏風》 白隠慧鶴《南無地獄大菩薩》 歌川国芳《七浦大漁繁昌之図》嘉永六年などを参観。

 

確かに異常なくらい個性的作品が集められた感がある。江戸時代の文化は幅が広く奥行きが深いことを実感した。しかし私は、他の人の作品と比較して、伊藤若冲の作品が一番すぐれていると思った。奇を衒うという言葉があるが、そういう作品があったように思うが、伊藤若冲の絵画は決してそうではない。見事と言うほかはない美しさがある。随分前に皇居の三の丸尚蔵館で初めて見たとき非常に感動した思い出がある。

 

曽我蕭白の虎の絵は猫を少しおっかなく描いたという感じである。日本に虎が生息していないからであろうか。しかし、像や鯨はリアルに描かれていたように思う。伊藤若冲は鶏を描いた作品が多かった。余程鶏を描くのが好きだったのであろう。小生は、鶏を食べるのは好きだが絵に描くことはない。

 

常盤御前が殺される場面が描かれた絵画、旅人を泊めては殺してしまう老婆を描いた絵画は何とも凄惨であった。現代絵画にもこんな作品があると思う。美しいばかりが藝術ではないと言われればそういうことかと納得せざるを得ないが、あまり家に飾りたくはない。

 

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千駄木庵日乗三月二十八日

午前は諸事。

 

午後は、上野公園の東京都美術館で開催中の『奇想の系譜展』参観。

 

帰宅後は、原稿執筆の準備、日曜日に開催される『日本の心に学ぶ会』における講義の準備など。

 

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2019年3月28日 (木)

元号について

元号とは、天皇が時間・空間を統治あそばされ、しろしめされるご権能として生まれた。また、日本国の安穏と国民の幸福を祈られる祭祀の一環である。

 

天皇は日本国の統治者・祭祀主として、元を建て、元を改められるご権能を有される。この権能は、何人も犯すことはできないし犯してはならない。この事は、武家専横の時代においても基本的に守られた。

 

新井白石(江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導した)は、享保元年(一七一六年)頃に書いた『折たく柴の記』といふ随筆において、「わが朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるゝ所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ」と書いたといふ。(小生は未読)

 

もっともこの新井白石といふ人物は、「徳川将軍は天下の主権者たるにふさわしい『日本国王』の称号を持つべきであると」と主張した。事実、正徳元年(一七一一年)に徳川幕府が朝鮮からの使節を迎えるに際して、国書に記載される将軍の称号を「日本国王」と改めさせた。新井白石は、文字通り幕府の御用学者であったと言ふべきである。

 

新井白石の主張に対して、頼山陽は後に「噫(ああ)、是れ足利氏を助けて虐(注・天皇に対する反逆)を成すものなり」「名分の在る所、踰越(注・のりこえる)すべからず」(『日本外史』)と厳しく批判した。また、新井白石は、徳川吉宗が将軍にると失脚した。

 

ともかく、元号は、臣下の学者・官僚たちがいろいろ議論して原案を作っても、その原案を、天皇に奏上し、叡慮によって決せられ、勅定されるべきなのである。王朝時代においても、元号は公家・学者による討議があったのちに、天皇によって決せられた。

 

我が国の元号は、国家の隆昌、国民の安穏を祈り予祝する文字である。瑞祥改元(おめでたいことがあったことを祝ふ改元)、災異改元(災害などを除去することを祈る改元)のどちらも、天下泰平、五穀豊穣を祈る改元であって、決して皇室・朝廷の私事ではない。つまり改元とは、天皇陛下が行はせられる重要な祭祀行事である。

 

これが支那の皇帝による改元と異なる所である。瀧川政次郎氏はその著『元號考證』において、「西暦六九二年、則天武后は如意元年をあらためて長寿元年とした。この年、武后の口中に親知らずの歯が一本生えたが、七十歳を過ぎて親知らずの歯が生えるのは、長寿の兆であるというので、この改元が行われたと伝えられる。しかし、日本の改元にはこのような帝王の身辺の私事によって改元が行われたことはかつて一度もない」と論じてゐる。

 

元号制度は支那からわが国に伝えられたが、わが国においてその本質・性格は全く変化し、権力者の国家国民専制支配の手段ではなくなり、国家国民の幸福、国家の安穏を祈られる上御一人日本天皇の祭祀となったのである。

 

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千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、諸事。

 

午後一時より、後楽にて開催された『スマホ入門講座』受講。

 

帰宅後は、原稿執筆、日曜日に行われる『日本の心を学ぶ会』における講義の準備。

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2019年3月27日 (水)

千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、諸事。


 


午後からは、在宅して、室内整理、原稿執筆の準備、資料検索、原稿執筆など。

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天皇と元号について

江戸時代の中期の天文学者・西川如見(にしかわ じょけん、慶安元年【一六四八年】 ― 享保九年八月十日【一七二四年九月二六日】)が著した『百姓嚢』(享保六年【一七二一年】。百姓への心得書。衣食住を人間の三養として、その三養を生産する百姓の重要性を述べ、同時にその百姓に対し、節約・勤勉を奨励した内容の書物)といふ書物には、「暦」について次のやうに書かれてゐる。
「天の時を敬(つつし)み、地の利にしたがふは、人間の常理也。ことさら農人は、一日も天の時、地の利をつ々しみ、從ふ事なくんば有るべからず。耕穫収藝、みな天の時にして、暦の用なり。暦は朝廷の政治にして、民の時を授けたまふ。皇道の第一、天下の至宝なり。天文官、来年の暦を造りて天子に奉る。これを歴奏といふ。これを諸方に頒ちあたへ給ふ事、和漢の例なり。日本末代に至て、伊勢の神官家、諸国万民へ頒つ事を成て、普く時を授く。本朝は神國にて、太神宮より時を授け給ふも、有りがたき風俗なり」と。


 


日本人の生活は、農耕を基本として、規則正しいし、自然の変化と変化に順応してゐる。
そして、日本における暦は、祭祀主であらせられる天皇によって授けられるといふのが伝統である。
一年間の時間の推移、季節の変化は、日本民族の生活と不離一体の関係にある。特に稲作生活において然りである。故に、暦は必要不可欠のものとして大切にされてきた。
祭祀国家日本の祭祀主として常に五穀の豊穣・国土の安穏・国民の幸福を祈られてきた天皇が、「まつりごと」の重要なご使命として「暦」を民に授けられたのである。
「元号」もこの事と全く同じである。「元号」を立てることは、時の流れに節目をつけ、願望と祈りをこめるきはめて高次にして大切なる営みである。しかも、わが国においては、千年以上の歴史と伝統を持つ。
稲作国家日本の祭祀主に天皇にとって、時代に節目にをつけ、時を授けるのは大切なるご使命であった。
これまでの歴史を顧みれば明らかな通り、新元号を建てることによって、時代転換、世直し、国家の新生、維新が行はれてきた。
天皇のみのご使命である元号を定めることは、決して権力行為ではない。祭祀である。日本天皇は日本国の統治者・祭祀主であらせられる。政治権力者、支配者ではあらせられない。
従って、「天皇は国土だけではなく、時間も支配するから元号を定める」といふ考へ方は伝統を正しく継承してゐない。「権力・武力による支配」といふ観念は日本國體にはない。「天皇は日本をしろしめしたまふ」のである。


 


 


 

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2019年3月26日 (火)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會


 


小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 


 


日時 四月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より


 


會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分


 


會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』


 

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日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だった

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だった


北朝鮮・共産支那・ソ連の韓國武力侵攻と同時期に日本國内で朝鮮総連と共に武力闘争を展開したのが日本共産党である。昭和二十五年の北朝鮮・共産支那・ソ連による韓國侵略開始即ち朝鮮戦争の勃発・コミンフォルム批判以後、日共はわが國内で凄まじい武装闘争を展開し、武装闘争・火炎ビン闘争を実行して北の侵略を支援した。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起した。


ソ連や共産支那の指令に基づいて、日本共産党が日本國内で暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留してゐた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓國侵略(朝鮮戦争)を阻止できないやうにするための後方撹乱の役割を担ったのだ。つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。日共・朝鮮労働党・支那共産党は同根であると言ふよりも全く同じ組織なのだ。


日本共産党はあらうことか長い間、「朝鮮戦争はアメリカによる侵略だった」などといふ嘘八百を並べ立ててゐた。『日本共産党の四十五年』(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」とはっきり書いてゐる。


日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党が戦後一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口だった。


また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも日共は積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は、昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」を、わが國政府に働きかけ実現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰國した。


そして、「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだ。


七〇年代初頭、北朝鮮の國家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰國者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰國者の約二割を処刑、もしくは政治犯収容所送りにしたといふ。


帰國事業では、日本共産党の有力者が、全國の「帰國協會」で「事務局長」を務め、地方党員が実働部隊となって在日朝鮮人を帰國させ、政治的には「北朝鮮に社會主義國の建設を」と宣伝した。


在日朝鮮人の北朝鮮への帰國に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なってゐない。のみならず、悲惨極まる状況に陥ってゐる帰國者の救援・救出にもソッポを向き、かへってそれを妨害して来た。


昭和四十年代前半、つまり小生の學生時代、共産党の青年組織・民青の青年學生は、北朝鮮を理想國家・天國のやうに宣伝してゐた。共産党こそ北朝鮮問題で歴史的に拭ひ去ることのできない大きな罪を犯したのである。日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ひ、多くの人々を殺傷した歴史を持つ。


かうした歴史を考へれば、日本共産党などのサヨクが今日「防衛体制強化」に反対してゐるのは、彼らが今日においても、共産支那や北朝鮮のアジア及び日本への軍事侵略に協力し加担するためであることは自明である。


今回の日共委員長・志位和夫による安倍総理の発言と批判そして、明治天皇御製冒瀆もその目的は、日本の防衛力を弱体化し、ロシア・北朝鮮・支那による日本・アジア侵略を援護するためなのである。


志位は、あらうことか、明治天皇御製、そして安倍総理の発言を「日本國憲法の平和主義に真っ向から反する」などと非難したが、共産主義思想、共産主義独裁専制國家、共産主義政党・集団こそ、この百数十年間、世界・アジアそしてわが國の平和・自由・繁栄を根柢から破壊して来た。


今回の志位和夫による安倍総理への非難発言は、日共の体質・本性が未だにアジアにおける侵略者であるロシア・共産支那・北朝鮮の手先である事を証明した。


日本共産党討滅が急務である。そしてその同調者・協力者を糾弾すべきである。特に、自民党に籍を置いてゐた元政治家が日共機関誌『赤旗』に登場してゐるのは許し難い。ロシア、南北朝鮮、共産支那の軍事的・政治的圧迫に際會し、領土を奪取されてゐるわが國は、今こそ「大和心」を興起しなければならない。

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千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、諸事。


午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆の準備、資料の整理など。

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第九十三回日本の心を学ぶ会のお知らせ

第九十三回日本の心を学ぶ会


皇位継承と憲法を考える


四月三十日に、今上陛下が譲位され、五月一日に皇太子殿下が皇位を継承され、天皇に即位されます。


内閣法制局長官は皇位継承に伴う式典の詳細を検討する委員会のなかで三種の神器を継承する「剣璽等継承の儀」について「政教分離の規定に違反しない」と発言しました。政府は伝統的な儀礼と「現行占領憲法」が定める政教分離や国民主権との整合性について細心の注意を払い準備を進めているようです。


そもそも今回の御譲位を「生前退位」などと呼ぶこと自体重大なる伝統破壊・國體隠蔽です。


政府とりわけ内閣法制局が、アメリカによって押し付けられた「現行占領憲法」をとの整合性を保つ事を、伝統の継承・國體護持という最も大切な事よりも優先させていることに大きな問題があります。


一方で共産党をはじめとする勢力は「現行占領憲法」を根拠として、皇位継承の儀礼を国事行為として行うことが国民主権や政教分離など「憲法の原則に反する行為である」という申し入れを政府にしております。共産党が、國體破壊政党・逆賊であるという本質は何ら変わっていないことを証明しました。


このような皇位継承と「現行占領憲法」の問題は昭和から平成への御代替りの際にも問題になっており現在と同じ議論がされております。


そもそも憲法は国家の最高法規であり、その国の歴史や文化、伝統精神に根ざしたものでなければなりません。


国體の根幹である皇位継承と憲法の整合性が問題になることそのこと自体が、この「現行占領憲法」が我が国の歴史や伝統文化と全く乖離したものであり、日本弱体化工作の一環である何よりの証拠であると言えるでしょう。


御代替わりが近づいてきた今こそ、皇位継承と憲法について考えたいと思います。


【日 時】平成31年3月31日 午後6時から


【場 所】文京区民センター 2-B


http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html 文京区本郷4-15-14/03(3814)6731


都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2分


【演 題】國體隠蔽・伝統破壊の元凶『現行占領憲法』


【講 師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表


【司会者】林大悟


【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)


【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395


この告知文は主催者が作成しました。

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2019年3月25日 (月)

今日思っていること

フェイスブックに書き込みができない状態が続いています。本当に腹が立ちます。

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天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会そして政府の制限も干渉も受ける御存在ではない

天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会そして政府の制限も干渉も受ける御存在ではない 天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない 『現行占領憲法』には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされているのである。 したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。 歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。 「國體護持」とはあくまでも感謝と報恩の国民の務めとしてそれを果たすということである。 そういう意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や、権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行う事は大いなる誤りであり國體隠蔽であった。 つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。 『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位、元号勅定」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし、してはならない。まして元号を政治権力機構が決定することがあってはならない。 我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。この度の「改元」において、自民党政権によって國體が隠蔽されているのである。 まことに由々しき事態である。

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、諸事。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓所を掃苔、拝礼、ご冥福とご加護を祈る。親族と共なり。ご住職ご夫妻に挨拶。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、諸事。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓所を掃苔、拝礼、ご冥福とご加護を祈る。親族と共なり。ご住職ご夫妻に挨拶。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、諸事。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓所を掃苔、拝礼、ご冥福とご加護を祈る。親族と共なり。ご住職ご夫妻に挨拶。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2019年3月24日 (日)

元号について

新しい元号は、新天皇が勅定されるのが伝統である。臣下の権力機構たる政府が決めるということは、德川幕府でさえしなかった重大なる國體破壊であり伝統破壊である。
「天皇の事前許可を求めれば天皇の国政関与を禁じた憲法に反する」という考え方に基づくというが、そもそも元号の勅定は、天皇の権力行使ではないし、政治権力行為ではない。「天皇の祭祀」の重要な事柄である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法の規制されない。
「現行占領憲法」はまさに國體破壊・國體隠蔽の亡国憲法である。一刻も早く全面否定しなければならない。

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言葉は神であり、霊である

言葉・言語は、文化の基礎であり、文化は言葉によって成り立つ。言葉は文化そのものである。言葉は神であり霊なのである。人間生活は言葉によって成り立つと言っても過言ではない。

『聖書』の『ヨハネによる福音書』の冒頭に、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と記されてゐる。

一切の最始原は言葉であり、神は言葉であり、萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふ宣言である。すべての存在は言語・言葉を通じて表現される。神も「神」といふ言葉がなければ存在が表現されない。

「言葉がすべての事物の本質である」といふ思想は、仏教においても説かれてゐる。弘法大師・空海は、「内外の風気(ふうき)わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声というなり」「それ如来の説法は必ず文字による」「五大にみな響きあり。十界に言語を具す。六塵ことごとく文字なり。法身はこれ實相なり」(「『聲字即實相義』)と論じてゐる。声字即ち言葉が世界と存在者の實相そのものであるといふのである。

道元は、「いはゆる経巻は、盡十方界これなり。経巻にあらざる時処なし。」(『正法眼蔵』第二十四『仏経』)「峰の色溪の響きもみなながら我釈迦牟尼の声と姿と」(『傘松道詠』)と説いてゐる。森羅万象すべてが仏の言葉だといふのである。

『ヨハネによる福音書』の「言葉」も、空海のいふ「聲字」も、道元のいふ「経巻」「聲」も、人間の発する「音」や人間が書く「字」に限定されるのではなく、大宇宙の萬有一切をさしてゐる。大宇宙の萬有一切が神の言葉であり、仏の言葉であるとするのである。

日本の國は、「言霊の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の霊が栄える国であり、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。

日本民族は、言葉を神聖視し、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』は人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

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2019年3月23日 (土)

千駄木庵日乗三月二十四日

帰宅後は、専門家来宅。パソコンのメンテナンスなど。

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千駄木庵日乗三月二十四日

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稲村公望氏を囲む会
午前は、諸事。
午後十二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『稲村公望氏を囲む会』開催。稲
村公望氏が挨拶。亀井静香前衆議院議員、海老沢元NHK会長などが祝詞を述べた。

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外患の打開について

外患の危機と天皇中心帰一の國體精神

梁川星厳(江戸末期の漢詩人。梅田雲浜・吉田松陰などと交流があったため、「安政の大獄」で逮捕されるはずであったが、大獄の直前に逝去)は、徳川幕府がペリーの恫喝に恐怖し、何ら為すところなく、安政五年(一八五八)に『日米修好通商条約』を調印したことに憤り、次の詩を詠んだ。

「紀事
當年乃祖(だいそ)氣憑陵(ひょうりょう)、
風雲を叱咤し地を卷きて興る。
今日能はず外釁(がいきん)を除くこと、
征夷の二字は是れ虚稱。」
(その昔、徳川氏の祖先の家康の意気は、勢いを盛んにして、人を凌いでゐた。大きな声で命令を下し、風雲を得て、地を巻き上げて、勢いよく興った。 今日、外敵を駆除することができなければ、徳川氏の官職である征夷大将軍の「征夷」の二字は、偽りの呼称呼び方になる、といふ意)。

もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者であった徳川氏は、その力を喪失してしまえば、国の支配者たるの地位も失うのである。

幕末の国家的危機において、日本国民は、皇祖天照大神に国難打開を祈り、天照大御神の生みの御子即ち現御神たる天皇中心の國體を明らかにすることによって、国難を打開し、明治維新を断行した。

全国民が真に日本民族としての運命共同意識を強く保持し燃え立たせ得る精神的な基盤に依拠しなければならない。
さうした精神的基盤は、神代以来の神聖権威の体現者・保持者であらせられる日本天皇への尊崇の念即ち尊皇精神であらねばならない。

今日の外患の危機も、日本国民が、天皇中心帰一の國體精神を正しく体得し、強い愛国心を持つことによって打開できると確信する。

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千駄木庵日乗三月二十二日

朝は諸事。
午前十一時より、青山霊園に眠る金玉均氏墓所に参拝。頭山興助呉竹会会長、藤井厳喜呉竹会代表幹事が挨拶。全員で拝礼。
午後一時より、北青山ライオンにて、『呉竹会幹事会』開催。崔三然氏が講演。
帰宅後は、原稿執筆・資料整理。

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2019年3月22日 (金)

維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

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今日思ったこと

ご覧頂けば分かる通り、メンテナンス中とかで、全く正しい操作ができなくなっております。同じ文面が何回も登場します。困ったことです。。

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言霊信仰について

日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだ

日本人の伝統精神がやまと歌の形で表現されている日本最大の歌集『萬葉集』には「言霊」「事霊」といふ言葉が数多く出て来る。

『萬葉集』の原文には、「言霊」を「事霊」と書いてゐる歌がある。萬葉人にとって「言」と「事」は一体であった。これを「言事不二」と言ふ。言葉は事物そのものであるといふことであり、さらに言へば、全ての存在が言葉であるといふことである。

谷口雅春師は次のやうに説いてゐる。「日本的思惟に従うならば、日本人は『存在』の根元を神より發したものとしてこれを把える。日本人には『存在』はコト(事)であり、神はミコトであり、ミコトとは御言(みこと)であり、〝言事不二〟であり、命を漢字にて表現するのに『命』(いのち)なる文字をもってをする。存在の根本生命であるものは〝コトバ〟であることを直感的に知ってゐのだが日本民族なのである」(『古事記と現代の預言』)。

日本民族は「ことば」を大切にし、「ことば」に不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視した。言葉に内在する霊的力が人の幸不幸を左右すると信じた。日本には「一言主神」といふ神様もをられる。この神様は、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離(さか)つ神。葛城の一言主の大神なり」(『古事記』)といふ神である。

山口悌治氏は「言霊信仰は、一言でいへば、善き言葉を述べれば善き事が現れ、悪しき言葉を吐けば禍ひを招く――といふ信仰に基いてゐる。われわれの先祖は、明るく清く美しい言葉をもって神々を祭り、日月万象を仰ぎ、国土を讃め、五穀の豊穣を祈り、すべてに感謝し、善き言葉の幸(さき)はへを信じて、言霊の幸はふ國と称へて来たのである。そして悪しき言葉を忌み慎んで来たのである」(『万葉の世界と精神』 後篇)と論じてゐる。

わが國は「言靈のさきはふ國」と言はれる。「日本は言葉の靈が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉は生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈力が発揮されると信じた。わが國においては、「ことば」は何よりも大切な神への捧げものとされた。神様に祝詞を唱え、仏様のお経をあげるといふ宗教行為も、言葉に霊的な力があると信じてゐるから行はれるのである。

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と書かれてゐる。

「御託宣」「神示」は神靈が籠り神威が表白された言葉である。「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「やまと歌」にも靈が込められてゐる。「祝詞」を唱えへ「やまと歌」を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

折口信夫氏は、「日本の詞は霊妙不可思議な作用を持って居て、短歌や其外總べての文学はそこに生まれて来ます。…一つの文章を唱へると其詞章の中に潜んで居る一種霊的な精神がそれを唱へかけられた人に働きかけるのです。或は人でなくても自然一般の現象でも構ひません。言語精霊が不思議な作用を表すといふことが言霊がさきはふといふ意です。それを一所懸命失はないやうに伝承して来たのが日本文学の始まりです」(『神道の改革』)と論じてゐる。

神に対してだけでなく、恋人や親や死者や自然や国土など他者に対する魂の訴へかけが、日本文藝の起源である。日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだのである。日本古典の全てが、言霊の文学と言っても良いのである。その言霊によって護られ栄ゆく国が日本国なのである。

さらに戦ひの時においても、「言霊の力」は大いなる力を発揮する。景行天皇が、日本武尊に東国の荒ぶる神どもをば「言向け和せ」と命じられた。言霊を発することによって相手を平定せよといふご命令である。相手に対して発した言霊は、相手の魂を和らげるのである。つまり、敵対して来る者たちの魂を和ましめるのが言霊である。

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言霊信仰について

日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだ

日本人の伝統精神がやまと歌の形で表現されている日本最大の歌集『萬葉集』には「言霊」「事霊」といふ言葉が数多く出て来る。

『萬葉集』の原文には、「言霊」を「事霊」と書いてゐる歌がある。萬葉人にとって「言」と「事」は一体であった。これを「言事不二」と言ふ。言葉は事物そのものであるといふことであり、さらに言へば、全ての存在が言葉であるといふことである。

谷口雅春師は次のやうに説いてゐる。「日本的思惟に従うならば、日本人は『存在』の根元を神より發したものとしてこれを把える。日本人には『存在』はコト(事)であり、神はミコトであり、ミコトとは御言(みこと)であり、〝言事不二〟であり、命を漢字にて表現するのに『命』(いのち)なる文字をもってをする。存在の根本生命であるものは〝コトバ〟であることを直感的に知ってゐのだが日本民族なのである」(『古事記と現代の預言』)。

日本民族は「ことば」を大切にし、「ことば」に不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視した。言葉に内在する霊的力が人の幸不幸を左右すると信じた。日本には「一言主神」といふ神様もをられる。この神様は、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離(さか)つ神。葛城の一言主の大神なり」(『古事記』)といふ神である。

山口悌治氏は「言霊信仰は、一言でいへば、善き言葉を述べれば善き事が現れ、悪しき言葉を吐けば禍ひを招く――といふ信仰に基いてゐる。われわれの先祖は、明るく清く美しい言葉をもって神々を祭り、日月万象を仰ぎ、国土を讃め、五穀の豊穣を祈り、すべてに感謝し、善き言葉の幸(さき)はへを信じて、言霊の幸はふ國と称へて来たのである。そして悪しき言葉を忌み慎んで来たのである」(『万葉の世界と精神』 後篇)と論じてゐる。

わが國は「言靈のさきはふ國」と言はれる。「日本は言葉の靈が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉は生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈力が発揮されると信じた。わが國においては、「ことば」は何よりも大切な神への捧げものとされた。神様に祝詞を唱え、仏様のお経をあげるといふ宗教行為も、言葉に霊的な力があると信じてゐるから行はれるのである。

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と書かれてゐる。

「御託宣」「神示」は神靈が籠り神威が表白された言葉である。「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「やまと歌」にも靈が込められてゐる。「祝詞」を唱えへ「やまと歌」を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

折口信夫氏は、「日本の詞は霊妙不可思議な作用を持って居て、短歌や其外總べての文学はそこに生まれて来ます。…一つの文章を唱へると其詞章の中に潜んで居る一種霊的な精神がそれを唱へかけられた人に働きかけるのです。或は人でなくても自然一般の現象でも構ひません。言語精霊が不思議な作用を表すといふことが言霊がさきはふといふ意です。それを一所懸命失はないやうに伝承して来たのが日本文学の始まりです」(『神道の改革』)と論じてゐる。

神に対してだけでなく、恋人や親や死者や自然や国土など他者に対する魂の訴へかけが、日本文藝の起源である。日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだのである。日本古典の全てが、言霊の文学と言っても良いのである。その言霊によって護られ栄ゆく国が日本国なのである。

さらに戦ひの時においても、「言霊の力」は大いなる力を発揮する。景行天皇が、日本武尊に東国の荒ぶる神どもをば「言向け和せ」と命じられた。言霊を発することによって相手を平定せよといふご命令である。相手に対して発した言霊は、相手の魂を和らげるのである。つまり、敵対して来る者たちの魂を和ましめるのが言霊である。

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日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだ

日本人の伝統精神がやまと歌の形で表現されている日本最大の歌集『萬葉集』には「言霊」「事霊」といふ言葉が数多く出て来る。

『萬葉集』の原文には、「言霊」を「事霊」と書いてゐる歌がある。萬葉人にとって「言」と「事」は一体であった。これを「言事不二」と言ふ。言葉は事物そのものであるといふことであり、さらに言へば、全ての存在が言葉であるといふことである。

谷口雅春師は次のやうに説いてゐる。「日本的思惟に従うならば、日本人は『存在』の根元を神より發したものとしてこれを把える。日本人には『存在』はコト(事)であり、神はミコトであり、ミコトとは御言(みこと)であり、〝言事不二〟であり、命を漢字にて表現するのに『命』(いのち)なる文字をもってをする。存在の根本生命であるものは〝コトバ〟であることを直感的に知ってゐのだが日本民族なのである」(『古事記と現代の預言』)。

日本民族は「ことば」を大切にし、「ことば」に不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視した。言葉に内在する霊的力が人の幸不幸を左右すると信じた。日本には「一言主神」といふ神様もをられる。この神様は、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離(さか)つ神。葛城の一言主の大神なり」(『古事記』)といふ神である。

山口悌治氏は「言霊信仰は、一言でいへば、善き言葉を述べれば善き事が現れ、悪しき言葉を吐けば禍ひを招く――といふ信仰に基いてゐる。われわれの先祖は、明るく清く美しい言葉をもって神々を祭り、日月万象を仰ぎ、国土を讃め、五穀の豊穣を祈り、すべてに感謝し、善き言葉の幸(さき)はへを信じて、言霊の幸はふ國と称へて来たのである。そして悪しき言葉を忌み慎んで来たのである」(『万葉の世界と精神』 後篇)と論じてゐる。

わが國は「言靈のさきはふ國」と言はれる。「日本は言葉の靈が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉は生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈力が発揮されると信じた。わが國においては、「ことば」は何よりも大切な神への捧げものとされた。神様に祝詞を唱え、仏様のお経をあげるといふ宗教行為も、言葉に霊的な力があると信じてゐるから行はれるのである。

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と書かれてゐる。

「御託宣」「神示」は神靈が籠り神威が表白された言葉である。「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「やまと歌」にも靈が込められてゐる。「祝詞」を唱えへ「やまと歌」を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

折口信夫氏は、「日本の詞は霊妙不可思議な作用を持って居て、短歌や其外總べての文学はそこに生まれて来ます。…一つの文章を唱へると其詞章の中に潜んで居る一種霊的な精神がそれを唱へかけられた人に働きかけるのです。或は人でなくても自然一般の現象でも構ひません。言語精霊が不思議な作用を表すといふことが言霊がさきはふといふ意です。それを一所懸命失はないやうに伝承して来たのが日本文学の始まりです」(『神道の改革』)と論じてゐる。

神に対してだけでなく、恋人や親や死者や自然や国土など他者に対する魂の訴へかけが、日本文藝の起源である。日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだのである。日本古典の全てが、言霊の文学と言っても良いのである。その言霊によって護られ栄ゆく国が日本国なのである。

さらに戦ひの時においても、「言霊の力」は大いなる力を発揮する。景行天皇が、日本武尊に東国の荒ぶる神どもをば「言向け和せ」と命じられた。言霊を発することによって相手を平定せよといふご命令である。相手に対して発した言霊は、相手の魂を和らげるのである。つまり、敵対して来る者たちの魂を和ましめるのが言霊である。

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日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだ

日本人の伝統精神がやまと歌の形で表現されている日本最大の歌集『萬葉集』には「言霊」「事霊」といふ言葉が数多く出て来る。

『萬葉集』の原文には、「言霊」を「事霊」と書いてゐる歌がある。萬葉人にとって「言」と「事」は一体であった。これを「言事不二」と言ふ。言葉は事物そのものであるといふことであり、さらに言へば、全ての存在が言葉であるといふことである。

谷口雅春師は次のやうに説いてゐる。「日本的思惟に従うならば、日本人は『存在』の根元を神より發したものとしてこれを把える。日本人には『存在』はコト(事)であり、神はミコトであり、ミコトとは御言(みこと)であり、〝言事不二〟であり、命を漢字にて表現するのに『命』(いのち)なる文字をもってをする。存在の根本生命であるものは〝コトバ〟であることを直感的に知ってゐのだが日本民族なのである」(『古事記と現代の預言』)。

日本民族は「ことば」を大切にし、「ことば」に不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視した。言葉に内在する霊的力が人の幸不幸を左右すると信じた。日本には「一言主神」といふ神様もをられる。この神様は、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離(さか)つ神。葛城の一言主の大神なり」(『古事記』)といふ神である。

山口悌治氏は「言霊信仰は、一言でいへば、善き言葉を述べれば善き事が現れ、悪しき言葉を吐けば禍ひを招く――といふ信仰に基いてゐる。われわれの先祖は、明るく清く美しい言葉をもって神々を祭り、日月万象を仰ぎ、国土を讃め、五穀の豊穣を祈り、すべてに感謝し、善き言葉の幸(さき)はへを信じて、言霊の幸はふ國と称へて来たのである。そして悪しき言葉を忌み慎んで来たのである」(『万葉の世界と精神』 後篇)と論じてゐる。

わが國は「言靈のさきはふ國」と言はれる。「日本は言葉の靈が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉は生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈力が発揮されると信じた。わが國においては、「ことば」は何よりも大切な神への捧げものとされた。神様に祝詞を唱え、仏様のお経をあげるといふ宗教行為も、言葉に霊的な力があると信じてゐるから行はれるのである。

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と書かれてゐる。

「御託宣」「神示」は神靈が籠り神威が表白された言葉である。「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「やまと歌」にも靈が込められてゐる。「祝詞」を唱えへ「やまと歌」を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

折口信夫氏は、「日本の詞は霊妙不可思議な作用を持って居て、短歌や其外總べての文学はそこに生まれて来ます。…一つの文章を唱へると其詞章の中に潜んで居る一種霊的な精神がそれを唱へかけられた人に働きかけるのです。或は人でなくても自然一般の現象でも構ひません。言語精霊が不思議な作用を表すといふことが言霊がさきはふといふ意です。それを一所懸命失はないやうに伝承して来たのが日本文学の始まりです」(『神道の改革』)と論じてゐる。

神に対してだけでなく、恋人や親や死者や自然や国土など他者に対する魂の訴へかけが、日本文藝の起源である。日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだのである。日本古典の全てが、言霊の文学と言っても良いのである。その言霊によって護られ栄ゆく国が日本国なのである。

さらに戦ひの時においても、「言霊の力」は大いなる力を発揮する。景行天皇が、日本武尊に東国の荒ぶる神どもをば「言向け和せ」と命じられた。言霊を発することによって相手を平定せよといふご命令である。相手に対して発した言霊は、相手の魂を和らげるのである。つまり、敵対して来る者たちの魂を和ましめるのが言霊である。

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言霊信仰について

日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだ

日本人の伝統精神がやまと歌の形で表現されている日本最大の歌集『萬葉集』には「言霊」「事霊」といふ言葉が数多く出て来る。

『萬葉集』の原文には、「言霊」を「事霊」と書いてゐる歌がある。萬葉人にとって「言」と「事」は一体であった。これを「言事不二」と言ふ。言葉は事物そのものであるといふことであり、さらに言へば、全ての存在が言葉であるといふことである。

谷口雅春師は次のやうに説いてゐる。「日本的思惟に従うならば、日本人は『存在』の根元を神より發したものとしてこれを把える。日本人には『存在』はコト(事)であり、神はミコトであり、ミコトとは御言(みこと)であり、〝言事不二〟であり、命を漢字にて表現するのに『命』(いのち)なる文字をもってをする。存在の根本生命であるものは〝コトバ〟であることを直感的に知ってゐのだが日本民族なのである」(『古事記と現代の預言』)。

日本民族は「ことば」を大切にし、「ことば」に不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視した。言葉に内在する霊的力が人の幸不幸を左右すると信じた。日本には「一言主神」といふ神様もをられる。この神様は、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離(さか)つ神。葛城の一言主の大神なり」(『古事記』)といふ神である。

山口悌治氏は「言霊信仰は、一言でいへば、善き言葉を述べれば善き事が現れ、悪しき言葉を吐けば禍ひを招く――といふ信仰に基いてゐる。われわれの先祖は、明るく清く美しい言葉をもって神々を祭り、日月万象を仰ぎ、国土を讃め、五穀の豊穣を祈り、すべてに感謝し、善き言葉の幸(さき)はへを信じて、言霊の幸はふ國と称へて来たのである。そして悪しき言葉を忌み慎んで来たのである」(『万葉の世界と精神』 後篇)と論じてゐる。

わが國は「言靈のさきはふ國」と言はれる。「日本は言葉の靈が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉は生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈力が発揮されると信じた。わが國においては、「ことば」は何よりも大切な神への捧げものとされた。神様に祝詞を唱え、仏様のお経をあげるといふ宗教行為も、言葉に霊的な力があると信じてゐるから行はれるのである。

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と書かれてゐる。

「御託宣」「神示」は神靈が籠り神威が表白された言葉である。「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「やまと歌」にも靈が込められてゐる。「祝詞」を唱えへ「やまと歌」を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

折口信夫氏は、「日本の詞は霊妙不可思議な作用を持って居て、短歌や其外總べての文学はそこに生まれて来ます。…一つの文章を唱へると其詞章の中に潜んで居る一種霊的な精神がそれを唱へかけられた人に働きかけるのです。或は人でなくても自然一般の現象でも構ひません。言語精霊が不思議な作用を表すといふことが言霊がさきはふといふ意です。それを一所懸命失はないやうに伝承して来たのが日本文学の始まりです」(『神道の改革』)と論じてゐる。

神に対してだけでなく、恋人や親や死者や自然や国土など他者に対する魂の訴へかけが、日本文藝の起源である。日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだのである。日本古典の全てが、言霊の文学と言っても良いのである。その言霊によって護られ栄ゆく国が日本国なのである。

さらに戦ひの時においても、「言霊の力」は大いなる力を発揮する。景行天皇が、日本武尊に東国の荒ぶる神どもをば「言向け和せ」と命じられた。言霊を発することによって相手を平定せよといふご命令である。相手に対して発した言霊は、相手の魂を和らげるのである。つまり、敵対して来る者たちの魂を和ましめるのが言霊である。

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千駄木庵日乗三月二十一日

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日誌

午前は、諸事。
午後は、原稿執筆。
夕刻、谷中にて親族と懇談。
帰宅後は、資料の整理など。

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日誌

午前は、諸事。
午後は、原稿執筆。
夕刻、谷中にて親族と懇談。
帰宅後は、資料の整理など。

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日誌

午前は、諸事。
午後は、原稿執筆。
夕刻、谷中にて親族と懇談。
帰宅後は、資料の整理など。

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2019年3月21日 (木)

困った困った

ブログのシステムが予告なしに全く変わってしまって、今迄通りにいかなくなりました。色々の主張を書くのに時間がかかり面倒になり困っています。

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日誌

昨日(三月二十日)の午後五時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、『第一六〇回海洋フォーラム』開催。中王子真氏(海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長)が「新防衛大綱・支那中期防と海上自衛隊」と題して講演。質疑応答。
帰宅後は、原稿執筆。

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日誌

昨日(三月二十日)の午後五時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、『第一六〇回海洋フォーラム』開催。中王子真氏(海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長)が「新防衛大綱・支那中期防と海上自衛隊」と題して講演。質疑応答。
帰宅後は、原稿執筆。

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日誌

昨日(三月二十日)の午後五時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、『第一六〇回海洋フォーラム』開催。中王子真氏(海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長)が「新防衛大綱・支那中期防と海上自衛隊」と題して講演。質疑応答。
帰宅後は、原稿執筆。

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日誌

昨日(三月二十日)の午後五時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、『第一六〇回海洋フォーラム』開催。中王子真氏(海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長)が「新防衛大綱・支那中期防と海上自衛隊」と題して講演。質疑応答。
帰宅後は、原稿執筆。

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日誌

昨日(三月二十日)の午後五時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、『第一六〇回海洋フォーラム』開催。中王子真氏(海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長)が「新防衛大綱・支那中期防と海上自衛隊」と題して講演。質疑応答。
帰宅後は、原稿執筆。

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お知らせ

メンテナンス中とのことで、記事を書くことができない状況が続いております。ご了承ください。

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日誌

午前は、諸事。
午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。
帰宅後は、原稿執筆など。

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日誌

午前は、諸事。
午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。
帰宅後は、原稿執筆など。

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日誌

午前は、諸事。
午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。
帰宅後は、原稿執筆など。

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2019年3月19日 (火)

『深見東州・バースデー書画展』開幕式における登壇者の発言

は次の通り。

 

亀井静香氏「八十二歳の亀井です。深見先生は『現代のダビンチ』と言っても表現しきれない人。宗教家として人の心を救済される。世界の平和のために今後ともご活躍ください」。

 

高村正彦氏「七十七歳の若造の高村です。深見氏の宗教・文化・芸術活動に感謝。半田先生という人間が書と絵画に表現されている」。

 

下村博文氏「深見先生は『現代のダビンチ』をはるかに超えている。深見先生のパワフルと明るさに私たちは助けられている。新たなる人類の希望を作って頂きたい」。

 

平澤勝栄氏「私の地元の葛飾区にアトリエを構えた彫刻家の平櫛田中は『六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から』と言ったが、深見先生にはこれからもずっと活躍して頂きたい。私は亀井先生に似ていると言われる。中身が似ていると言われるのはうれしいが、顔かたちが似ていると言われるのはショック」。

 

原口一博氏「今の平澤先生の祝辞を聞いて、平沢先生が閣僚になれない理由が分かった。深見先生とお会いすると生きていてよかったと思う。世の中に光があったと思わせていただく」。

 

前原誠司氏「出口王仁三郎の書には圧倒される。何かが降臨したような迫力がある。深見先生の作品にもそれを感じる」。

 

鈴木宗男氏「天才は生まれつき。天才に勝つには努力が必要」。

 

海江田万里氏「深先生の書は顔真卿の書に匹敵する」。

 

藤岡弘氏「あるホテルの玄関で偶然深見先生と出会って私に似ておられるのに驚いた。すごい才能を持っておられる。先生との出会いで人生が変わるような気がする」

 

深見東州氏「日本料理、華道、造園、建築は茶道から発達してきた。茶道は最高の贅沢。魂から出てくる言葉でやり取りとするのが禅問答。頭からではない。雑念妄想の無い『無位眞人』の世界の魂が出てくる。陰がきわまると陽がやって来る。生活を藝術にしたのが茶道。不立文字、柳緑花紅、分別の知恵を越えた悟り。室町時代は老荘思想がベース。日本のおもてなしの原点は茶道のおもてなし。白隠が一番活躍したのは七十代になってから。著作を表し、お弟子をとった。本格的に活躍する時は、七十代、八十代、九十代。刻々の唯今に生きる」。

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2019年3月18日 (月)

千駄木庵日乗三月十八日

朝は諸事。

 

午前十一時より、六本木の泉ガーデンギャラリーにて、『深見東州・バースデー書画展』開幕式開催。八代英太氏が司会。亀井静香、高村正彦、前原誠司、原口一博、鈴木宗男、藤岡弘の各氏が祝辞を述べ、深見東州氏が挨拶した。この後、書画を参観。

 

帰宅後は、原稿執筆など。

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2019年3月17日 (日)

この頃詠みし歌

 

 

怒りの念おさまり難き夜の更けは力を込めて筆握るかな

 

丸々と太りし独裁者愛想よく振る舞ひてをりハノイの町で

 

佳き人と語らひにつつ食事するこの有難き幸せの時

 

ともかくも一日一日(ひとひひとひ)を自己の務め果たして生きて行きたしと思ふ

 

昨晩は午前三時まで働きゐしと言ふ若者のうらやましきかな

 

若き命誇るか如くきびきびと働く人のうらやましきかな

 

いらいらすることの多きこの頃は加齢といふ言葉をもっとも厭ふ

 

加齢臭といふ言葉をば厭ひつつ下着を洗濯機に放り込みたり

 

恨みの念しか持てぬ國との交はりは永久に絶つべしと怒りつつ思ふ

 

南北共にまともな国にあらざれば國の守りを固くするべし

 

少しの時間眠りし時に夢の世界に一人遊べる夕暮の時

 

今日もまた文章を書くひたすらにわが思ひをば筆に託して

 

そろそろと春の足音聞こえ来て早くも見たし谷中の櫻

 

染井吉野発祥の地に今日来たり萬葉集のことを語れり

 

反米を叫ぶ輩が米国製憲法擁護を叫ぶ不思議さ

 

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千駄木庵日乗三月十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、『伝統と革新』編集の仕事など。

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『百人一首』は和歌文學史上重大な意義を持つ

 

『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家であり歌人である藤原定家が、小倉山の山荘で選んだとされる百首の私撰和歌集である。戦國時代から江戸初期にかけて宮中・諸大名家で「かるた」として普及し始め、木版画の技術が発達すると元禄時代頃から絵入りの「歌がるた」の形で庶民に広まった。

 

以来、今日まで長い間、上は朝廷から下庶民に至るまで愛好された歌集が『百人一首』である。日本人が和歌といふ文藝をいかに愛して来たかが分かる。和歌といふ定型文藝が、日本人の感性・生活感覚に合致してゐるといふことであらう。

 

濱口博章氏は次のやうに論じてゐる。「現在、わが國の古典文學といえば、誰しも『萬葉集』『源氏物語』などの作品を思い浮かべるであろうが、高等教育の普及した当節でも、これを原文で読み味わうことは困難で、況や江戸時代の庶民となれば、思い半ばに過ぎるであろう」「契沖や真淵のようなすぐれた研究者が輩出しようとも『萬葉集』は一般人にとって縁なき存在で……これに引き換え、百人一首は全く大衆のものであった。目に一丁字のない庶民ですら、百人一首の二つや三つはそらんじていたであろう」「『古典』とは、人々によく知られ、後人の典型となるべき価値の定まったものと定義するならば、百人一首こそ『國民の古典』の名に恥じないもので、まさに『庶民の文學』というべきであろう」「百人一首は『かるた』によって一般大衆の間に流布していった。その結果、和歌に対する理解を深め、人々に培われて情操教育の材料となり、長く『美の心』を養って来たのである。これは他のいかなる文學作品にも見られない大きな特徴で、百人一首こそ真に『古典』と呼ぶにふさわしいものであろう」(『江戸庶民にとっての百人一首』)

 

和歌は、時間的には古代人から現代人、空間的には上御一人から庶民までの「こころ」一つに結ぶ働きがある。日本人の思想精神を正確にあるがままに自己にものとするには、人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を學ぶことによって可能となる。

 

『百人一首』がわが國和歌文學史上重大な意義を持つのは、特に和歌を學ぶ人ではなく、一般庶民に自然に和歌を親しい存在にしたことである。

 

加太こうじ氏は、「『百人一首』をするのは小學校六年生ぐらいからで、十五、六歳から二十歳ぐらいにかけての若者が、明治中期から昭和初期にかけて熱中した。…百人一首の和歌は相聞歌=戀歌が多い。その戀歌は文學的情緒と相まって初戀の雰囲気をかき立てた。それ故当時はどこの町内にも百人一首のサークルがあった」(『東京の原像』)と書いてゐる。

 

私は東京下町育ちの戦後っ子であり、いはゆる団塊の世代であるが、双六遊びや普通のカルタ取りをして遊んだが、『百人一首』は全くしたことがない。しかし、今年九十三歳になるわが母は、私と生まれ育った東京下町の同じ町で生まれ育った。『百人一首』をよくしたといふ。母は『百人一首』に収められた歌を暗唱してゐた。

 

戦後になって、特に占領軍が禁止したと言ふわけでもなからうが、『百人一首』は衰退したと言へるかもしれない。近代短歌ですら「第二藝術」「病人文學」「奴隷の韻律」などと批判されたのだから、『百人一首』が忘却されかけたのは当然かもしれない。それは、決して革新でも進歩でもなかった。ただの破壊であり断絶であった。

 

しかし、『百人一首』は全く廃れたといふことはなく、継承されて来た。最近は復活の兆しもある。『百人一首』を各家庭で復興させることにより、青少年たちが日常生活の中で感覚的に日本の古典・日本傳統美を理解することができると思ふ。

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千駄木庵日乗三月十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2019年3月16日 (土)

我々の愛する国家とは権力機構としての国家ではない

 

 我々の愛する国家とは権力機構としての国家ではない。否定しても否定し切れないところの「父祖の國」「母國」と表現されるところの「共同生活を営む國」である。海といふ大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する国、農耕を営み、優れた文化感覚を持つ国「日本」である。

 

 この麗しき国日本は、村落共同体から出発して、次第にその範囲を広め、「日本」といふ国家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする伝統信仰によって結合してゐる共同体である。その信仰共同体の祭り主が天皇(すめらみこと)である。

 

かかる日本国の生成を『日本神話』は「神が日本國を生みたまふた」と表現した。古代日本の統一は、日の御子(太陽神の子)たる天皇が行はれる祭祀を中心とし、その祭祀が地方の祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現したのである。つまり、古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、外国のくらべるとはるかに少なく、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神への祭祀によって聖化された。

 

日本民族の生活の基本たる稲作に欠かすことのできない自然の恵みが、太陽であり大地である。日本民族は太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は國津神として祭られた。また稲穂そのものも神の靈が宿ってゐるものとして尊んだ。そして、古代日本人は太陽神・天照大神を最も尊貴なる神として崇めた。

 

天照大神をはじめとする天津神、大地の神である國津神、そして稲穂の靈をお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主たる天皇は、天照大神の御子即ち日の御子として國民から崇められた。天照大神は、太陽の神であると共に、皇室の御祖先神であると信じられた。そして、祭り主たる天皇を、稲作を営む古代日本人の共同體の統合と連帯の中心者として仰いだ。

 

歴史学によると、紀元三世紀の日本は既に大和朝廷によって統一されており、天照大神信仰・現御神日本天皇仰慕の心による中核とする信仰共同体としての国家の統一が成立してゐたとされる。

 

祭祀主たる天皇は、「大化改新」によって北は東北から南は南九州に及ぶ統一国家体制が制度的・法的に確立する時期よりはるか以前から、天皇はわが國に君臨せられてゐたのである。

 

日本国の本質は権力国家ではない。また、日本天皇は絶対専制君主ではあらせられない。日本國の本質は、「祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體」である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。

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千駄木庵日乗三月十五日

午前は、諸事。

午後一時半より、内幸町の日本プレスセンターにて、『新聞通信調査会』定例講演会開催。共同通信社皇室取材チーム長の山田昌邦氏が「皇位継承儀式と皇室の課題」と題して講演。質疑応答。

午後六時より、新宿のルノアール新宿役所横展にて、『活動家研究会』開催。横山孝平氏と小生が発表。全員で討論。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆など。

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2019年3月15日 (金)

人民の權利を主張し國家を敵視する共産主義がかえって國家權力の暴虐を招いた

「國民」という言葉を使わず「市民」という言葉がよく使う人が多くなった。愛國心が希薄になってきた何よりの証拠である。特に戦後世代の人々は、國家とか民族よりも個人の人權の方がよっぽど大切だと考えているようだ。戦後教育がそういうことを教えてきたのだから当然の成り行きである。

 

戦後教育において、「國家」とは英語のStateの訳語として用いられた。つまり西洋の國家觀に基づいて「國家」というものが教育されてきたのである。Stateとは權力支配組織の意である。この權力支配組織としての國家からの自由を求めるのが近代民主主義であるとされてきた。 

 

「市民」という言葉の根底には、國家と國民とが対立する関係にあるという思想がある。そういう思想を抱いている人は、「國民」という言葉は読んで字の如く「國の民」という意味であり國家の束縛を受けるように感じられるから使いたくないのであろう。

 

國家の束縛を嫌い、國家と國民とは対立すると考えている人の言う「國家」とは權力機構・支配機構のことである。國家の中には階級対立があり、國家主權と國民の人權及び自由とは矛盾し合い、國家權力と國民とは対立し戦わねばならないとする。そしてできるだけ國家權力は制限すべきであるとする。

 

こうした國家觀の根柢に、マルクス・レーニン主義・共産主義の國家觀がある。共産主義者は、「權力國家」はいずれ死滅し、やがて自由で平等な理想社会を作るなどと主張した。しかし、現実には、かつてのソ連や現在の共産支那や北朝鮮などを見ても分かるように、共産主義者が國家權力を掌握した國家ほど國家權力が不断に増大し強大になり、國民の權利を蹂躙し自由を束縛している。それどころか、旧ソ連でも共産支那でも北朝鮮でもむカンボジア何千万という人々が共産党國家權力によって殺戮された。

 

人民の權利を主張し國家を敵視する共産主義思想が、かえって國家權力の暴虐を招いたのである。なぜそういうことになったのか。それは西洋的な國家觀・國民觀に誤りがあるからである。とりわけ、國家を國民と対立する權力機構としてとらえ、國家が死滅することによって人間の自由・平等・幸福が実現するなどという思想は空理空論であり、根本的に誤っている。

 

人間の權利・自由は共同體國家の中でこそ守られる。人間は、よほど特殊の場合を除いて、たった一人では生きるなどということはあり得ないし、不可能である。人間は、多くの人々が助け合い、いたわり合ってこそ生きて行ける。つまり人は、人間関係の中にあってこそ、人として生きて行けるのである。

 

多くの人々が助け合って生きている場を共同體という。そうした有機的生命體としての共同體が成長発展したものが正しい意味の國家である。國家があってこそ人間は生きて行けるのである。人間がこの世に生きている以上、共同體國家はなくてはならない存在である。

 

国家を否定する共産主義者が国家現力を肥大化させ強化して「人民」を苦しめているのが、旧ソ連=ロシアであり支那であり北朝鮮である。日本共産党が国家権力を掌握すると、日本も必ずそういう国家になる事は火を見るよりも明らかである。

 

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆。

午後六時より、永年の同志二氏と懇談、意見交換。

帰宅後も、原稿執筆。

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2019年3月14日 (木)

國體破壊を目的とする日本共産党

國體破壊を目的とする日本共産党

 

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

 

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは言うまでもなく、天皇・皇室を敬愛している圧倒的多数の国民を騙すための方便である。

 

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。

 

日共の「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「綱領」には、「憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇中心の日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

 

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明確に書かれていることによっても明らかである。

 

共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。

 

ロシア十月革命の後、共産主義・ソ連の世界侵略による殺戮の歴史が開始された。我が國及びアジアにおけるその手先が日本共産党などの日本国内の共産主義革命集団である。

 

日本共産党は、国際共産主義運動の指導組織と言ふよりも、世界共産化・ロシアの世界侵略の謀略組織たるコミンテルン日本支部として大正十一年(一九二二年)に創立したのである。日共は創立当初から大侵略国家ソ連の手先であり出先機関なのである。

 

繰り返して言う。日共はソ連・共産支那・北朝鮮などの共産主義独裁国家・全体主義国家と同根の政党であり本質は全く同じである。日共はソ連の世界共産化謀略組織「コミンテルン日本支部」として創立した政党であり最初から共産主義侵略國家の手先なのだ。

 

それは日本共産党自身が「日本共産党は、一九二二年(大正十一年)七月十五日、コミンテルンと片山潜の援助のもとに創立されました」(『日本共産党の四五年』)「日本共産党は、…十月革命の影響のもとに、創立されました」(日本共産党中央委員会出版局一九七三年発行『共産主義読本』)と書いてゐる通りだ。

 

日共の最高指導者だった野坂参三も宮本顕治も、同志を死地に追いやり、そしてリンチを加へて死に至らしめた。

 

前述した通り、共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。

日本共産党機関紙『しんぶん赤旗日曜版』本年二月二十六日号に次のようなことが書かれている。

 

「日本共産党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという制度は、民主主義、および人間平等の原則と両立しないと考えています。将来的には、天皇の制度のない民主共和生を展望していますが、その道のりはかなり長いものとなるでしょう。天皇の制度の存廃は将来、『国民の総意』によって解決されるべき課題だと考えています」。

 

つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまではできない」という当然至極のことを言っているのである。日本共産党は情勢が熟したら、天皇を君主と仰ぐ建國以来の日本國體を破壊することを目指す政党なのである。「その道のりはかなりながい」などと欺瞞的なことを言っているが、「廃止する」「打倒する」ことを目指しているのである。共産党は権力を掌握したら、彼らは言う「天皇制」を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。

 

共産革命によって君主制が打倒された國々は、民主主義も人間平等もまったく實現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。

 

共産主義革命が起こり、君主制が廃止された國では、君主制以上の独裁専制政治が行われた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフなどの党最高指導者による独裁専制政治が行はれた。共産国家に限らず、「共和政体」の國が「自由で民主的で明るい国である」などというのは大嘘であり幻想である。

 

支那も、辛亥革命で清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきている。

 

ロシアや支那の君主制と、わが國の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、共産党独裁の専制政治が行われたことは歴史的事實である。

 

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われてゐるやうに、金日成・金正日・金正恩といふ三代にわたる残酷・凶暴なる専制政治が行はれてゐる。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和國」などといふ長ったらしい國名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義國家」ではなく、金一族のみが専横を極め金一族を批判する人々は迫害され粛清される國である。また、金一族を批判しなくとも國民が栄養失調で死んで行く國なのだ。

 

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の國は民主的でなく國民の自由は奪はれ、國民は差別されるが、共産主義國家は民主的であり國民平等の社會が實現する」という共産主義者の主張は全く大嘘である。共産主義体制の國こそ、國民の自由と繁栄は奪はれ、共産党幹部以外の國民は差別され虐げられる反民主的な専制國家になるのだ。それはまさに「歴史的必然」である。

 

日本共産党は「國民の総意」を強調しているが、共産党の言う「国民の総意」とは、「國民の多数の意思」のことである。国民の意志によって君主制を廃絶することができるというのは革命思想である。國體否定に賛成する議員が國會の三分の二以上の多数を占め、國體否定に賛成する國民が國民投票をした人の過半数を占めるに至った場合には、國體は廃絶されるというのはまさに「革命」である。

 

『現行占領憲法』に日本國體と絶対に相容れない「國民主権論」が取り入れられ、天皇の御地位が「国民の総意に基づく」と書かれている。これは単なる戦勝国の拠る日本弱体化などという生易しい事ではない。『現行占領憲法』は「革命思想」を第一章に置いているという事である。近年の天皇・皇室に関するいろいろな動きを見て、『現行占領憲法』が日本國體破壊の導火線であることが明瞭になったのである。

 

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

 

 

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千駄木庵日乗三月十三日

午前は、諸事。

午後は、今夜行う『萬葉集』講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が作者未詳歌を講義。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年3月13日 (水)

志位和夫の元号否定論を徹底的に糾弾する

報道によると、共産党の志位和夫委員長は二月二八日の記者会見で、「天皇一代に一つの元号とする『一世一元』制を定めた元号法の廃止を引き続き主張していく」と語ったという。そして、「元号は、時をも君主が支配するとの考えからきている。国民主権の原則になじまないと考えている」と述べたという。

 

共産党など左翼は、『現行占領憲法』においても「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴とされてゐる天皇陛下の君臨を否定しているのだ。日共・志位和夫は今日においても明確な國體破壊思想を持っているのである。

 

西暦は言うまでもなく、イエス・キリストが生まれた日が基準である。元号を否定し西暦を使用する日共・志位和夫は、「イエス・キリストが時を支配する」ことを肯定しているのである。即ち彼らは、日本国民であることを否定しているのだ。

 

キリスト教国ではない日本には日本の時の基準があって然るべきである。

 

占領軍・戦勝国が今日の事態を想定してゐたかどうかは別として、日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策にのっとった『現行占領憲法』によって、我が國は大きな危機に瀕してゐるのである。

 

「現行占領憲法」がある限り、わが国の國體が隠蔽されてゐるどころか破壊される危険がある

 

国家の根幹に関はる問題の根底にあるのはやはり憲法である。この憲法がある限り、わが国の國體は隠蔽されてゐるどころか破壊される危険がある。否、すでに破壊されつつあるとも言へる。それは皇位継承・ご譲位に関する政府や国会の動きを見ても明らかである。政府・国会は日本の伝統よりも『現行占領憲法』を重視しているのだ。

 

「現行占領憲法」の最大の欠陥はその基本原理にある。憲法を論ずるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」だといふことである。イングランド最悪の王と言はれるジョン王と諸侯との間で一二一五年に結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、「国王も法の下にある」といふ原則=「法は王権に優越する」といふ「法治主義」を確立したとされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」といふ考へ方である。

 

そもそも政治的権力を有されないとされる日本天皇は、「権力の制限規範」たる憲法の制約は受けられない。日本天皇は、「権力の制限規範」たる憲法を超越しておられるのである。

 

専制君主と人民との間の不信感に発した人権保障の約束証文が西洋成文憲法の起源なのである。従って西洋成文憲法には「君主と人民とは相対立する関係、支配被支配の関係にある」といふ思想が根底にある。そこから「国民主権論」が生まれてきた。この「国民主権論」が戦勝国アメリカによってわが国に押し付けられたのである。

 

「主権在民」「国民主権論」は、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に依拠する原理である。故にわが國の国柄とは絶対に相容れない。日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。日本國は一君万民・君民一体の國柄である。「主権」が「君主にあるのか、国民にあるのか」などといふことを成文憲法に規定すること自体、わが国の国柄を破壊し隠蔽する事となる。

 

「國家の意思を最終的に決定する権限」といふ意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同体國家日本には全くそぐはない。わが國には西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」=主権を奪い合った歴史は全くない。天皇を中心とした信仰共同體・祭祀国家である日本國は権力支配組織ではない。だからわが國には西洋的主権論はあてはまらない。

 

「現行占領憲法」が占領軍の押し付けであるといふのは、制定過程が占領軍の強圧によるといふだけではなく、基本原理たる「国民主権論」「主権在民思想」が占領軍の押し付けなのである。

 

しかるに、政権党たる自民党・政府・サヨク政党は、アメリカの押し付けである「現行占領憲法」の「国民主権論」を否定しないどころか金科玉条にしている。

 

ともかく、西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」は徹底的に払拭されるべきである。成文法として日本國の憲法に規定することは大きな誤りである。「國民主権論」が憲法に書かれてゐる事がわが國の國家伝統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。戦後日本の不安定の根本原因は実にここにある。

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千駄木庵日乗三月十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年3月12日 (火)

井上毅の國體観・天皇観について

新田均氏は、「井上(註・毅)が國家の基本的な枠組みの根拠とその成果とを、神武建國以降の『國史の成跡』に見出している…つまり、井上は、天皇統治の根拠を形而下的なもの(『歴史』的なもの)の上に設定することによって、天皇をめぐって、宗教や哲學といった形而上學的な論争が発生したり、それに天皇や政府が巻き込まれたりすることを避けようとしたのだと考えられる。」(「『現人神』『國家神道』という幻想」)と論じてゐる。

 

新田氏によれば、『教育勅語』発布後、文部省は解説書を井上哲次郎に依頼したが、井上の草案では、『勅語』の「皇祖」は天照大御神、「皇宗」は神武天皇であると説明してゐた。井上はこれに異を唱へて「皇祖は神武天皇、皇宗は歴代天皇」とするよう求めたといふ。

 

新井氏は、「君臣関係の力点を、神話よりも、神武建國以降の『歴史』に置こうとしたのだと言えよう。」と述べてゐる。

 

井上毅の、「皇祖は天照大御神ではなく、神武天皇である」といふ主張は、『記紀萬葉』以来のわが國の傳統信仰を否定とはいはないまでも無視してゐるといへる。皇祖は天照大御神であり、皇宗は邇邇藝命・神武天皇以来御歴代の天皇であることはわが國體の根本である。天照大御神を皇祖神と申し上げることによってそれは明白である。神話を無視して日本國體及び皇統を論ずることは出来ない。

 

さらに新田氏によれば、井上毅が『教育勅語』起草に際して総理大臣の山県有朋に出した『意見書』(明治二十三年六月)で「勅語ニハ敬天尊神ノ語ヲ避ケザルベカラズ何トナレバ此等ノ忽チ宗旨上ノ争端ヲ引起ス種子トナルベシ」「世ニアラユル宗旨ノ一ヲ喜バシテ他ヲ怒ラシムルノ語気アルベカラズ」と述べたといふ。

 

かかる考へ方により、井上のいふ「敬天尊神」といふ言葉は『大日本帝國憲法』発布の「勅語」にも『教育勅語』にも用いられなかったと言ふ。

 

そもそも、わが國の傳統信仰は、天地自然を神と拝み、祖靈を祭る信仰であって、外来の教団宗教と同次元に立って相争ふ信仰ではない。むしろ、日本傳統信仰を保持し根底に置きつつ、外来の思想や宗教を包容摂取して来たのがわが國の精神史・宗教史である。

 

「敬天尊神ノ語」が「憲法」や「勅語」に用いられたら「宗旨上ノ争端ヲ引起ス」などといふことはあり得ない。また日本傳統信仰すなはち神道は、「世ニアラユル宗旨ノ一」ではない。教祖・経典を絶対視し布教活動を行ふ教団宗教(宗旨)とは全く別次元の「祭祀宗教」である。

 

井上毅のかかる考へ方は、今日の靖國神社問題を複雑化させてゐるところの偏狭な「政教分離」論につながる。これは日本の宗教風土とは相容れない.

 

明治天皇が、「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」と示されたのは、天地生成・天孫降臨以来の事を示されたのである。日本國體は神話を基礎とする。「天壌無窮の神勅」が天皇・皇室の尊厳性の基本である。

 

昭和十二年三月の『國體の本義』は、冒頭で、「我が肇國は、皇祖天照大神が神勅を皇孫瓊瓊杵の尊に授け給うて、豊葦原の瑞穂の國に降臨せしめ給うたときに存する」として、日本の肇國は神武天皇の御即位ではなく、天孫降臨であることを明記した。

 

造化の三神・天地開闢神話の無視は、日本傳統信仰の根源にあるものの否定である。これが明治以後の正しい歩みをおかしくした原因と言える。かかる考へ方が、畏れ多くも、祭祀主天皇を「権力國家近代國家日本の儀礼執行者」といふお立場に閉じ込めてきたのではないか。そして、伝統信仰の祭祀主・体現者としてのご本質を隠蔽したのではないか。そんな疑念が生まれてくる。

 

井上の「皇統史」は神話時代も日向三代の皇統も無視してゐる。ここに大きな問題がある。太安萬侶によって和銅三年(七一二)に撰上された『古事記』は、天皇・皇室の荘厳な始祖傳承であり、日本の神々と御歴代天皇の系譜の傳承である。今上天皇の系譜・皇統は、天照大神につらなり、さらに國土・萬象を生みたまふた伊耶那岐命・伊耶那岐命に至り、天地初発の時になりました大生命たる天地生成の神=「造化の三神」にさかのぼるのである。これが「日本神話」の骨子である。

 

造化三神→伊邪那美命・伊邪那美命→天照大御神→邇邇藝命→神武天皇→御歴代天皇、といふ神聖なる靈的系譜(神統・皇統・道統)を正しく開顕しなければならない。

 

井上毅は、天地生成神話以来の日本皇室の神聖なる靈的系譜(神統・皇統・道統)を無視し、神武天皇を皇祖とした。邇邇藝命以来の「日向三代の皇統」も考へてゐなかった。神話の世界を無視した國體観・天皇観は、日本天皇を支那や西洋絶対君主・覇王と同格視する危険がある。

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千駄木庵日乗三月十一日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。明後日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。原稿執筆など。

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2019年3月11日 (月)

第九十三回日本の心を学ぶ会

第九十三回日本の心を学ぶ会

 

皇位継承と憲法を考える

 

四月三十日に、今上陛下が譲位され、五月一日に皇太子殿下が皇位を継承され、天皇に即位されます。

 

内閣法制局長官は皇位継承に伴う式典の詳細を検討する委員会のなかで三種の神器を継承する「剣璽等継承の儀」について「政教分離の規定に違反しない」と発言しました。政府は伝統的な儀礼と「現行占領憲法」が定める政教分離や国民主権との整合性について細心の注意を払い準備を進めているようです。

 

そもそも今回の御譲位を「生前退位」などと呼ぶこと自体重大なる伝統破壊・國體隠蔽です。

 

政府とりわけ内閣法制局が、アメリカによって押し付けられた「現行占領憲法」をとの整合性を保つ事を、伝統の継承・國體護持という最も大切な事よりも優先させていることに大きな問題があります。

 

一方で共産党をはじめとする勢力は「現行占領憲法」を根拠として、皇位継承の儀礼を国事行為として行うことが国民主権や政教分離など「憲法の原則に反する行為である」という申し入れを政府にしております。共産党が、國體破壊政党・逆賊であるという本質は何ら変わっていないことを証明しました。

 

このような皇位継承と「現行占領憲法」の問題は昭和から平成への御代替りの際にも問題になっており現在と同じ議論がされております。

 

そもそも憲法は国家の最高法規であり、その国の歴史や文化、伝統精神に根ざしたものでなければなりません。

 

国體の根幹である皇位継承と憲法の整合性が問題になることそのこと自体が、この「現行占領憲法」が我が国の歴史や伝統文化と全く乖離したものであり、日本弱体化工作の一環である何よりの証拠であると言えるでしょう。

 

御代替わりが近づいてきた今こそ、皇位継承と憲法について考えたいと思います。

 

【日 時】平成31331日 午後6時から


【場 所】文京区民センター 2-B
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html 文京区本郷4-15-14/03(3814)6731
都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2


【演 題】國體隠蔽・伝統破壊の元凶『現行占領憲法』

 

【講 師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表


【司会者】林大悟 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

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三月十日に思う

 

戦後日本の復興は、アメリカの占領政策が成功したからではありません。明治大正世代の日本人が優秀だったから復興したのです。日本人の血のにじむような努力で復興を遂げたのです。むしろアメリカは日本を弱体化しようと様々なことを行ったのです。

 

アメリカという国は、わが國に対しても、爆撃すれば相手が屈服すると思って、原爆投下・焼夷弾投下などの空爆を敢行し無辜の民を殺戮しました。その体質は今日も変わりません。いくら日米同盟が大事だとは言っても、この事は忘れてはならないと思います。

 

私は、ベトナムという国を見直しています。フランスと戦い、アメリカと戦い、共産支那と戦い、屈服しなかったあの国を日本は見習わねばならないと思います。

わが日本民族は、いわゆる有色民族です。有色の反対語は無色です。しかし白色人種とは言われても無色人種とは言われません。どうも有色人種・白色人種という用語自体に問題があります。白人という言葉には、アジア・アフリカ・中南米などに住む人々すなわちいわゆる有色人種を差別する意識があるように思えます。否、差別どころか、迫害し、圧迫し、搾取してきた歴史がります。

 

そもそもアメリカ合衆国という国家自体、先住民族を迫害し殲滅し放逐し、さらにアフリカ人を強制連行して奴隷としてこき使って出来上がった国です。

 

そしてわが国に原爆を落とし、夜間無差別絨毯爆撃を行って老人・女性・子供を含む無辜のわが国民を大量虐殺した国です。爆撃を実行した米軍パイロットはテレビで、「日本人は人間ではないと思って爆撃した」と語っていました。

 

白色人種の世界支配・侵略・搾取・蛮行に反撃しそれを食い止めアジア・アフリカ諸国に独立を勝ち取らせた戦いが大東亜戦争だったのであります。

 

日本民族は誇りを回復し、かつて白色人種の世界支配からアジア・アフリカを救ったように、今日においてはアジアにおける最大の覇権国家・軍国主義国家たる共産支那のアジア侵略支配策謀を粉砕するために努力しなければなりません。そして反日国家南北朝鮮と戦わねばなりせん。

 

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今日思ったこと

私は自衛官の息子だったが、学校から泣いて帰ったことはない。

 

文京区は日教組が強かったのだが、むしろ先生は気を使っていた。親の職業を云々する教師はいなかった。

 

当時はもちろん偏向教育だったが、私がいちいち反論したので、あまりひどくはなかったように感じる。当時偏向教師と戦い討論したのが今役立っているように思えます。

 

中学時代、生徒会長選挙に立候補して、「日教組は日本が狂う元・日狂素だ」などと演説しました。私の場合特別だったのでしょうか。むしろ意気揚々と自宅に帰ったことを覚えています。

 

懐かしい思い出です。

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千駄木庵日乗三月十日

午前は、諸事。

午後二時半より、春日の文京シビックセンターにて、『諸橋茂一氏講演会』開催。諸橋氏が、「対応誤ったポツダム宣言受諾―日本の属国化はここより始まった」と対して講演。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年3月10日 (日)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 三月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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神武天皇御製を拝し奉りて

 

みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

 

【みつみつし】「久米」に掛かる枕詞。「みつ」は威力が強い意の「稜威(いつ)」の転で、それを重ねて久米部の武威を讃へた言葉。【久米】氏族の名。久米部は軍事面で大和朝廷にお仕へした。『古事記』『日本書紀』によると、邇邇藝命が降臨あそばされた時、久米部の祖先神である天津久米命が、同じく武の家柄である大伴氏の先祖神・天忍日命と共にその先導を務めたとされる。背に靭を負ひ、腰に頭槌の剣、腕に鞆をつけ、弓を持ち、矢を手挟み、さらに鳴鏑の矢を持ちそへるといふいでたちで、高天原から降臨された。【子ら】人々。【粟生】粟畑。【臭韮一茎】臭い韮が一本。【そねが茎 そね芽繋ぎて】その根元に芽をつないで。【撃ちてしやまむ】撃たないでおくものか。

 

通釈は、「威勢のよい久米の人々の、粟の畑には臭い韮が一本生えてゐる。その根のもとに、その芽をくっつけて、やっつけてしまふぞ」といふ意。

 

神武天皇は、九州日向(宮崎)の美々津の浜を出発され、大和橿原の地に至り、建國を宣言された。これを御東征と言ふ。御東征に反抗した大和の豪族・長髄彦を討たれる際に、神武天皇が皇軍を激励して詠まれた御製である。

 

烈々の攻撃精神が充満してゐる。天皇の国家統治の御精神は「和」「仁慈」と共に「剣の精神」「戦ひの精神」がある。上御一人日本天皇は「もののふの道の體現者」であらせられる。

 

夜久正雄氏は、この神武天皇の御製について、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

「ますらをぶり」とは、日本民族の基本的道義精神である。「清明心」は、一たび戦闘となれば神武天皇御製に歌はれたやうな「そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」といふ雄々しさ・勇気・戦闘心となる。

 

ただし、神武天皇の御東征の御精神は、『日本書紀』に「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日の神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむには。かからば則ち曾て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ…」と記されてゐるとおり、神を祭り、神の霊威を背負ひ神の御心のままの戦ひであり武であった。故に武は「神武」であり、剣は「神剣」であり、戦ひは「聖戦」なのである。

 

「天皇中心の神の國」がわが國體であるが、この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義である。天皇の統治したまへるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。

 

神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、さうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦ひ」を否定してゐるのではない。

 

『古事記』には、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになったと記されてゐる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治の御精神、つまりは日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されてゐる。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象してゐる。

 

祭祀・軍事・農業を司りたまふ天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐる。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳へられてゐるのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合はせて)一體になること)の観念である。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴してゐる。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されてゐる。剣は天下を平らげる武力を表してゐる。つまり、「神武」が真の平和を実現するのである。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は殺傷の武器(いはゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になってゐる。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるといふこと)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となってゐる。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

このことについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきた。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成された。

 

歴代の天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

 

戦後七十三年間、物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本国民の頽廃を救うには、日本の伝統精神・国家観・人間観を回復する以外に道はない。

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千駄木庵日乗三月九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2019年3月 9日 (土)

 横畠裕介内閣法制局長官の発言はまともだ

 横畠裕介内閣法制局長官の発言はまともだ、当然だと思う。野党議員の品格のない罵り、悪口雑言は聞くに堪えない。「国会は国権の最高機関だ」などと現行占領憲法の意味不明の規定におごり高ぶっている衆参両院議員こそ反省すべきである。

 

「国権」とは何か、「最高機関」とは何か、よく分からない。国権とは国家権力と言う意味なのか、そして国会は最高裁よりも内閣の上に立つのか。それは具体的にどういうことなのか、まったく具体的などういうことなのかが明文化されていない。実態も分からない。議員何一人一人が最高裁長官や総理大臣よりも上の地位に立つのか。そんなことはあり得ない。

 

ギャアギャアギャアギャア野次を飛ばし、閣僚や官僚を口汚く罵ることが「国権の最高機関」とやらを構成する人たちのやっていることだ。横畠裕介内閣法制局長官はそのことを批判したのであろう。

 

ご譲位・皇位継承など皇室の重要問題についての内閣法制局の姿勢に、私は強い批判と憤りを持っているが、今回の長官の発言は納得できる。

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菅原道真公について

本日参拝した湯島天満宮のご祭神は、菅原道真公である。多くの人々が参拝に来ていた。その多くは合格の御礼参りであろうと思はれる。

 

菅原道真公は学問の神様として崇められてゐるが、日本伝統精神を基軸とした学問の復興に努められた方で、且、尊皇精神の篤い方であった。次の歌をのこされてゐる。

 

 

このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

 

 

通釈「今度の旅は、神に捧げるための幣を用意することも出来なかった。しかし手向山の美しい紅葉を幣として捧げますので、どうか神よ、み心のままに受け取りたまへ」。

 

『古今和歌集』所収。

宇多上皇が、昌泰元年(八九八)十月、吉野宮瀧に行幸された際、ご一行が道祖神への供物を忘れてきたことに気付いた時に、供奉した菅原道真が詠んだ歌。『古今和歌集』『百人一首』に収められてゐる。

 

【このたびは】「旅」と「度」の掛詞で、「今度の旅は」といふ意。【幣】神に捧げるために色とりどりの絹を細かく切ったもの。旅の途中で道祖神に捧げた。【とりあへず】急いで旅立って来たので用意するひまがなかった。【手向山】山中で旅人が旅の無事を祈って道祖神に幣を捧げる所。普通名詞。【紅葉の錦】人間の織る錦の美しさを紅葉になぞらへた表現。【神のまにまに】神の御心のままに。

 

旧暦十月二十日は、吉野の宮瀧は、紅葉が散り乱れてゐたであらう。人が織った幣よりも見事に色づいた山の紅葉の方が美しいといふ意味がこめられてゐる。単に耽美的とか知的な表現といふよりも、紅葉が美しい吉野山の景色を神への捧げものとして詠み、吉野宮瀧全体を祭祀の場とした壮大なる歌である。

 

「神のまにまに」といふ結句の柔らかな調べがこの歌を親しみやすいものにしてゐる。

 

吉野は今日も自然の美しい地であり、日本民族そして皇室の歴史と伝統を伝へてゐる地である。特にこの歌が詠まれた宮瀧は、斉明天皇の御代に離宮が造営されて以来、歴代天皇が度々行幸された。天皇が離宮に行かれるのは、単に遊びに行かれたのではなく、歴史的由緒のある神聖な吉野の地で、川水で御祓をされ祭祀をされるためであった。

 

宮瀧には、吉野川流域で最大の「宮滝遺跡」がある。ここから出土した縄文時代後期の土器に「宮滝式」の名称が付けられ、また遺跡の北側から飛鳥時代以後から平安時代初期の建物跡も発見されてゐる。

 

『萬葉集』の大歌人・柿本人麻呂は、持統天皇が、持統天皇五年(六九一)、吉野に行幸された時、壮大なる『吉野讃歌』を詠んだ。

 

菅原道真はさういふ伝統を継承して、神が宿る自然への祭祀といふ日本伝統信仰を荘厳にそしてはなやかに歌ったのである。

 

日本人は本来「自然には神霊が宿る」といふ信仰を持ってゐる。さうした日本傳統信仰は、日本の自然環境と日本人の農耕生活の中から自然に生まれた信仰である。それは今日的言葉で言へば大自然と人間との共生の精神でもある。

 

日本人は、自然の摂理に素直に随順し、人間と自然は相戦ひ相対立する関係にあるとは考へない。人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。さうした精神は、も「鎮守の森」に象徴される。「鎮守の森」ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きており、秀麗な山には神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。

 

「山びこ」(山の谷などで起こる声や音の反響)のことをこだま即ち「木霊」「木魂」と言ふ。山野の樹木に霊が宿るといふ信仰から出来た言葉である。まさに日本人は、山野に霊が宿ってゐると信じ、深山幽谷は古代人の眼から見れば、精霊の世界だった。この道真の歌はまさにさういふ信仰を歌ったのである。

 

菅原道真は優れた漢学者であり法華経の学者でもあった。言はば外来の最高の学問を身に付けた人であったが、道真が編纂した歴史書『類聚国史』(二百巻)は神祇・帝王のことが冒頭に記されてゐて、仏教のことについては外国関係のものとしてはるか後ろの方に輯録されてゐるといふ。道真はまた遣唐使の廃止を建言した人物でもある。つまり、国粋精神の持ち主であった。

 

日本の伝統を重んじる精神があったればこそ外国文化を正しく学び自己のものとすることができたのである。道真はまさに主体性と開放性とを併せ有する日本文化のあり方を体現した人物であった。

 

菅原道真公 承和十二年(八四五)~延喜(九〇三)。平安初期の公卿・漢学者・政治家。元慶元年(八七七)文章博士。昌泰二年(八九九)右大臣。左大臣藤原時平たちの讒言により、延喜元年(九〇一)大宰権帥に左遷され、延喜三年、配所で没した。

 

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千駄木庵日乗三月八日

午前は、諸事。

午後は、湯島天満宮に参拝。梅園散策。

谷中にて、若き友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、資料整理。原稿執筆など。

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2019年3月 8日 (金)

国民の心に沁みついてゐる「国家=悪」といふ観念を払拭することが大切である

安倍晋三総理は、その著『美しい国』で「戦後日本は六十年前の戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルトイン(四宮註・小生にとってはまことに聞き慣れない言葉であるが、辞書によると、内蔵されていること、はめ込むこと、作り付けであること、といふ意。コンピュータ用語らしい)されてしまった。だから、国家的見地からの発想がなかなかできない。いやむしろ忌避するような傾向が強い。戦後教育の蹉跌のひとつである。」と論じてゐる。

 

 戦後日本において、欧米の国家思想が滔滔と流れ込んできた。国家を権力機構と見なし、「国家権力は本来悪であり、これを出来得るかぎり制限して、人民の権利を拡張しなければならない。また、君主と人民は対立関係にあり、君主制を打倒して人民が権力を掌握することが歴史の進歩である」「國家は人間を束縛するものであり侵略戦争を起こすものである。だからいづれは無くなってしまった方が良いし、國家の力は押さえた方が良いし、國家の言ふことは聞かない方が良い」といふ思想が蔓延した。今日それは続いてゐる。

 

日本国はいかなる國であるのか、そしていかなる国であるべきかを正しく把握してゐないと、即ち正しき国家観が確立されてゐないと、正しい『憲法』への回帰は行ひ得ないし『国歌・国旗』への正しい態度も養へない。

 

安倍晋三氏は「国家」について次のやうに論じてゐる。「そもそも、人間はひとりで生きているわけではないし、ひとりで生きられない。その人の両親、生まれた土地、その人が育まれた地域のコミュニティ、そして、それらをとりまいている文化や伝統や歴史から、個人を独立させて、切り離すことなどできないのだ。人は、『個』として存在しているように見えるが、その実体は、さまざまなものとつながっていて、けっして『個』ではない。国もまた、同じだ。人が生まれて成長して年をとっていくうえで、切り離せないものとして存在しているのである。ここでいう国とは統治機構としてのそれではない。悠久の歴史を持った日本という土地柄である。そこに私たちは慣れ親しんだ自然があり、祖先があり、家族がいて、地域のコミュニティがある。その国を守るということは自分の存在の基盤である家族を守ること、自分の存在の記録である地域の歴史を守ることにつながるのである」。

 

さらに安倍氏は、「天皇」について「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタベストリー(四宮註・これまた聞き慣れない言葉であるが、辞書によると、羊毛や絹、麻などを材料として、絵模様を織り出した綴織(つづれおり)のこと)だといった。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。」と論じてゐる。正しい見解である。

 

国とか国家といふ言葉には色々に意味がある。司馬遼太郎氏は、「英語で古代以来、自然にそこにある国をネーション(nation)と言い、憲法を柱にして法で構築された国家はステイト(state)と呼ばれる」(『風塵抄』)と述べてゐる。

このほか、カウントリー(countryといふ言葉もある。これは故郷とか生国といふ意味だといふ。

 

我々が限り無く愛する日本國とはいかなる國であるのだらうか。「國家」といふ言葉は「漢語」であるが「やまとことば」には「クニ」といふ言葉がある。この「クニ」といふ言葉は「懐かしい故郷」といふ意味で用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」「クニの父さん、母さん」と言ふ時は、故郷といふ意味である。英語でいふと「country」である。ところが「クニに税金を取られる」という時の「クニ」は、行政機構・権力組織のことである。英語でいふと「state」である。

 

「母國」とか「祖國」とかいふ言葉で表現される一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同體が、我々が懐かしく思ふ「國」である。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなはち「家」である。「國」と「家」は一體である。ゆゑに「國家」といふ言葉が生まれたのではなかろうか。

 

我々が愛する國とはやはり「懐かしい故郷」としての國家であり、権力機構としての國家ではない。税務署や警察署を懐かしく思ひ愛着を抱く人はそんなに多くはないだらう。そこを職場にしてゐる人以外は皆無に近いと思ふ。

 

権力機構としての國家を否定することは或いは可能かもしれない。例へば「腐敗堕落した官僚や自民党が好き勝手なことをしてゐるから税金なんか納めない」と主張し、それを實行することは可能である。(勿論それによって権力機構から制裁を加へられるだらうが…)しかし、「父祖の國」「母國」と表現されるところの「國」に生まれ育ち生きてゐる事實は否定できない。

 

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を持つ國においては、無理に英語を用いて定義を分けなくても「国家とは悠久の歴史を持ち、日本国民が生まれ生活してきたところ」といふのが自然の観念である。

 

西洋の国家観は、ある特定の地域の内部で物理的暴力による支配機構といふ事らしい。国家は個人の抑圧装置としてゐる。個人にとって国家とは本質的に敵である。このやうな国家観で日本国の国柄を規定してはならない。

 

國家を否定し、國家を破壊する運動を展開してきたのが共産主義革命運動である。これは、マルクスの「我々が國家を持つのは資本主義においてのみである」「國家は少数者による多数者に對する支配と搾取の體制」「國家は人間疎外の装置」といふ思想による。これは國家を権力機構・支配統制組織としてのみとらへた考へ方である。

 

 しかし、共産主義國家こそ、多数者による少数者の搾取を行ひ、人間疎外の装置として國民を圧迫し苦しめてきたことは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮を見れば明らかである。権力無き社會の實現を目指して戦った共産主義勢力は、その結果として強大にして残虐無比な権力國家を作りあげた。


また、共産主義社會の實現を目指し反國家闘争を繰り返してきた日本國内の共産主義勢力は、仲間内で恐るべき闘争を繰り返し互ひに殺し合ってきた。

 

國家否定を目的とする左翼革命勢力こそ、権力國家の建設を目指し、外國の権力國家の侵略に協力してきた。戦後日本における「反國家・國家破壊の思想と行動」は惨禍しかもたらさなかったと言って良い。その残り滓が共産党であり立憲民主党の中にゐる。

 

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国民の心に沁みついてゐる「国家=悪」といふ観念を払拭することが大切である

安倍晋三総理は、その著『美しい国』で「戦後日本は六十年前の戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルトイン(四宮註・小生にとってはまことに聞き慣れない言葉であるが、辞書によると、内蔵されていること、はめ込むこと、作り付けであること、といふ意。コンピュータ用語らしい)されてしまった。だから、国家的見地からの発想がなかなかできない。いやむしろ忌避するような傾向が強い。戦後教育の蹉跌のひとつである。」と論じてゐる。

 

 戦後日本において、欧米の国家思想が滔滔と流れ込んできた。国家を権力機構と見なし、「国家権力は本来悪であり、これを出来得るかぎり制限して、人民の権利を拡張しなければならない。また、君主と人民は対立関係にあり、君主制を打倒して人民が権力を掌握することが歴史の進歩である」「國家は人間を束縛するものであり侵略戦争を起こすものである。だからいづれは無くなってしまった方が良いし、國家の力は押さえた方が良いし、國家の言ふことは聞かない方が良い」といふ思想が蔓延した。今日それは続いてゐる。

 

日本国はいかなる國であるのか、そしていかなる国であるべきかを正しく把握してゐないと、即ち正しき国家観が確立されてゐないと、正しい『憲法』への回帰は行ひ得ないし『国歌・国旗』への正しい態度も養へない。

 

安倍晋三氏は「国家」について次のやうに論じてゐる。「そもそも、人間はひとりで生きているわけではないし、ひとりで生きられない。その人の両親、生まれた土地、その人が育まれた地域のコミュニティ、そして、それらをとりまいている文化や伝統や歴史から、個人を独立させて、切り離すことなどできないのだ。人は、『個』として存在しているように見えるが、その実体は、さまざまなものとつながっていて、けっして『個』ではない。国もまた、同じだ。人が生まれて成長して年をとっていくうえで、切り離せないものとして存在しているのである。ここでいう国とは統治機構としてのそれではない。悠久の歴史を持った日本という土地柄である。そこに私たちは慣れ親しんだ自然があり、祖先があり、家族がいて、地域のコミュニティがある。その国を守るということは自分の存在の基盤である家族を守ること、自分の存在の記録である地域の歴史を守ることにつながるのである」。

 

さらに安倍氏は、「天皇」について「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタベストリー(四宮註・これまた聞き慣れない言葉であるが、辞書によると、羊毛や絹、麻などを材料として、絵模様を織り出した綴織(つづれおり)のこと)だといった。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。」と論じてゐる。正しい見解である。

 

国とか国家といふ言葉には色々に意味がある。司馬遼太郎氏は、「英語で古代以来、自然にそこにある国をネーション(nation)と言い、憲法を柱にして法で構築された国家はステイト(state)と呼ばれる」(『風塵抄』)と述べてゐる。

このほか、カウントリー(countryといふ言葉もある。これは故郷とか生国といふ意味だといふ。

 

我々が限り無く愛する日本國とはいかなる國であるのだらうか。「國家」といふ言葉は「漢語」であるが「やまとことば」には「クニ」といふ言葉がある。この「クニ」といふ言葉は「懐かしい故郷」といふ意味で用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」「クニの父さん、母さん」と言ふ時は、故郷といふ意味である。英語でいふと「country」である。ところが「クニに税金を取られる」という時の「クニ」は、行政機構・権力組織のことである。英語でいふと「state」である。

 

「母國」とか「祖國」とかいふ言葉で表現される一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同體が、我々が懐かしく思ふ「國」である。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなはち「家」である。「國」と「家」は一體である。ゆゑに「國家」といふ言葉が生まれたのではなかろうか。

 

我々が愛する國とはやはり「懐かしい故郷」としての國家であり、権力機構としての國家ではない。税務署や警察署を懐かしく思ひ愛着を抱く人はそんなに多くはないだらう。そこを職場にしてゐる人以外は皆無に近いと思ふ。

 

権力機構としての國家を否定することは或いは可能かもしれない。例へば「腐敗堕落した官僚や自民党が好き勝手なことをしてゐるから税金なんか納めない」と主張し、それを實行することは可能である。(勿論それによって権力機構から制裁を加へられるだらうが…)しかし、「父祖の國」「母國」と表現されるところの「國」に生まれ育ち生きてゐる事實は否定できない。

 

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を持つ國においては、無理に英語を用いて定義を分けなくても「国家とは悠久の歴史を持ち、日本国民が生まれ生活してきたところ」といふのが自然の観念である。

 

西洋の国家観は、ある特定の地域の内部で物理的暴力による支配機構といふ事らしい。国家は個人の抑圧装置としてゐる。個人にとって国家とは本質的に敵である。このやうな国家観で日本国の国柄を規定してはならない。

 

國家を否定し、國家を破壊する運動を展開してきたのが共産主義革命運動である。これは、マルクスの「我々が國家を持つのは資本主義においてのみである」「國家は少数者による多数者に對する支配と搾取の體制」「國家は人間疎外の装置」といふ思想による。これは國家を権力機構・支配統制組織としてのみとらへた考へ方である。

 

 しかし、共産主義國家こそ、多数者による少数者の搾取を行ひ、人間疎外の装置として國民を圧迫し苦しめてきたことは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮を見れば明らかである。権力無き社會の實現を目指して戦った共産主義勢力は、その結果として強大にして残虐無比な権力國家を作りあげた。


また、共産主義社會の實現を目指し反國家闘争を繰り返してきた日本國内の共産主義勢力は、仲間内で恐るべき闘争を繰り返し互ひに殺し合ってきた。

 

國家否定を目的とする左翼革命勢力こそ、権力國家の建設を目指し、外國の権力國家の侵略に協力してきた。戦後日本における「反國家・國家破壊の思想と行動」は惨禍しかもたらさなかったと言って良い。その残り滓が共産党であり立憲民主党の中にゐる。

 

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千駄木庵日乗三月七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆。

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2019年3月 6日 (水)

上御一人・日本天皇の神聖性について

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 柿本人麻呂は、神武天皇の御代を「日知(ひじり) の御代」と歌ってゐる。「日知(ひじり) の御代ゆ」とは「神武天皇の御代から」といふ意。神武天皇が畝火山の東南の麓の橿原に都を開かれ、宮殿を営まれた建國の昔を「日知(ひじり) の御代」と歌ったのである。畝火山は奈良県橿原市畝傍町西北にある山。

 

「日知り」といふ言葉は、日本人の農耕生活から生まれた暦の思想に由来する。「日知り」とは第一義的には、日の神の御子として日本の國をしらしめす(統治される)御方、日の神の如く統治される御方といふ意。ここでは神武天皇の御事をいふ。

高天原から天降られた皇孫尊(すめみまのみこと)は天照大御神の生みの御子にして、天津日嗣を継承される代々の天皇も悉くみな、「日知り」と申し上げる。

 また、「日知り」とは太陽の運行を知る、即ち暦を知ることでもある。暦を知ることは古代の君主として非常に大事な権能であった。なぜなら農耕國家では、暦・四季のめぐりが生活にとって殊の外大事であったからである。従って太陽の運行・四季の変化のことをよく知ってゐる人が君主としての資格を持った。

 

この「日知り」を漢字の「聖」にあてはめた。「聖」の字源は、意味を表す「耳」と、音を表す「壬」とからなる形声字。「壬」の音の表す意味は、「通」(通る意)、あるいは「聴」(聞く意)である。耳の口がよく開いてゐて普通人の耳に聞こえない神の声がよく聞こえる意。支那古代においては、普通人の聞き得ない神の声を聞き得る人を「聖」と呼んだのであらう。「干支」などの暦を知ってゐる人の意である。

 

 つまり、「聖」という漢字の原義は、天体の運行を通暁してゐる人のことである。農業生活にとって重要な暦を見立てる事ができる人が村や部落という共同体の長(おさ)になる。それがもっと精神的なものに昇華し、徳や知恵の優れた人を「聖」といふやうになった。それに儒教の聖人思想・有徳王君主思想が加わって意味が拡大し、天子(天の子)として國家に君臨する君主を「聖」といふやうになった。このやうに「聖」という言葉は古代農耕生活と非常に密接に関はっている。

 

 日本の暦は、稲などの植物の生育と栽培の知識から生まれた。温帯に位置してゐるわが國の風土は、穏やかで、四季の変化がはっきりしてゐる。さうした風土の中で稲作生活を主なる生業とすることによって民族を形成してきた日本人は、季節の変化を稲の生育に伴ふ自然の有り様や生活の営みの中で捉へてきた。 

 

 日本人は、規則正しい季節の移り変りとそれに伴ふ自然の変化が、生活の基本であるといふことを農耕生活の中で体得してきた。それが<暦の思想>である。かかる生活を営んできた日本人は、<自然の道・摂理・道理>は生活と共にあり、自然の摂理がそのまま人生の規則であるとする日本民族特有の哲學といふか思想精神を身に付けた。

 

 わが國には「月読命」といふ神様がおられる。夜見の國から帰った伊耶那岐命が、禊祓をされた折、右の御目を洗れた時に生まれた神である(左の御目を洗はれた時に生まれた神が天照大神)。「読む」は数へる意味で暦から発生した言葉であるから、月読も月齢による暦を意味するとされてゐる。月読命は農耕に是非必要な手段であった月を数へるといふ生活の知恵をあらはす神名とする説がある。もっとも「月読命」の「読」を「夜見」と解して「隠り世」(あの世)の神とする説もある。 

 

 ただし、日本における「日知り」とは、天体の運行をよく知るといふやうな限られた一種の超能力のやうな事を意味するのではない。「日の神の生みの子としてやすらけくたいらけく天の下をしろしめす」といふ意味である。

 

「天津日嗣」とは日の神の霊統を継ぎ続ける<中心の位>のことである。天皇は日の神の生みの御子、即ち現御神・現人神であらせられるという信仰である。天皇は神を祭祀される。神を祭るといふ事は自分を無にして神に仕へるといふ事である。そして神人合一し現御神となられる。神と合一された尊い御方が現御神日本天皇である。

 

天皇に御事を、「高照らす 日の皇子」と申し上げる。「高く照っておられる日の神の皇子」といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命の子孫である天皇が日本國を統治されてゐるといふ神聖なる事実を言った言葉である。天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。かうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れ、『古事記』では「景行天皇記」の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」といふ言葉がある。

 

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は太陽神を祭られる<天皇の祭祀>である。日の神信仰はわが國だけに伝へられてゐる信仰ではないが、稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)はより強固なものであった。その日の神の御子が祭り主日本天皇であらせられる。

 

天皇は、神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に伝へる祭祀主としてのお役目を果たされる。ゆへに、民から拝すれば地上における神の御代理即ち現御神であらせられる。 

 

日の神の御子として國家を統治されるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる

 

聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。当時の先進國・隋に対して、このやうな堂々とした國書を提出したのである。

 

 この聖徳太子の偉大なる御事績を拝して明らかな如く、「天皇は日の神の御子である」といふ思想は七世紀中頃、即ち大化改新以後につくりあげられたといふ説は、大きな誤りである。  

 

 天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

 

「もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞ思ふ」

 

といふ御製を詠ませられてゐる。 

 

天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りといはれてゐるのである。

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千駄木庵日乗三月六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料整理、原稿執筆。

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建武中興について

 

覇道を排し皇道を根幹とした理想国家建設をめざした変革が建武中興であった。建武の中興について時代錯誤だアナクロニズムだといふ批判が喧しいが、決してさうではない。武家の軍事力・権力=覇道を排し、天皇・皇室の神聖権威=皇道を根幹とした理想国家建設をめざした一大変革が建武中興である。

 

また、「後醍醐天皇は宋学の影響を受け、支那の専制君主に倣って自らも日本国の専制君主にならうとした」「後醍醐天皇やその近臣らは支那への関心や朱子学(宋学)的な君臣名分論の影響を受けていたとされ、宋代の官制との比較などから、君主独裁政治を目指していた」といふ説がある。

 

しかし、後醍醐天皇が目指されたのは、単なる天皇権力の回復ではないし、天皇専制独裁政治の実現を目指されたのではない。摂関政治・院政・武家の専横を正され、上御一人日本天皇を唯一の君主と仰ぐ肇国以来の「一君萬民の國體の真姿回復」を目指されたのである。これが建武の中興において後醍醐天皇が目指された理想である。

 

後醍醐天皇は、臣下たる武家幕府が、皇位継承にまで介入して来るといふ異常事態を是正し、皇位継承は天皇のご意志によってのみ決せられるべきであるといふ國體の真姿回復につとめられた。

 

和辻哲郎氏は、「建武中興の事業は短期間で終わったが、その与えた影響は非常に大きかった。…建武中興が表現しているのは、武士勃興以前の時代の復活である。神話伝説の時代には、天皇尊崇や清明心の道徳が著しかった。…しかし鎌倉時代の倫理思想の主導音は、…武者の習いであり、…慈悲の道徳であった。建武中興は、この主導音を押えて、それ以前の伝統的なものを強く響かせはじめたのである。だからこのあと、武家の執権が再びはじまってからも、幕府の所在地が鎌倉から京都に移ったのみではない。文化の中心が武家的なものから公家的なものに移ったのである。…室町時代は日本のルネッサンスの時代であるということができる。…そのルネッサンスを開始したのは、建武中興の事業であった。」(『日本倫理思想史』)と論じておられる。

 

これはもっとも正統なる建武中興への評価であると思ふ。後醍醐天皇は「朕の新儀は未来の先例たるべし」と仰せになり、大胆な改革を実施せんとせられた。この言葉は単に、後醍醐天皇の定められた「新儀」を以て全ての「旧儀」に代へるといふものではない。旧儀についても、用いられるべきものとさうでないものとを弁別し、且つ、将来にわたって用いられるべき「先例」を、後醍醐天皇の大御心によって決定せられるといふことである。

 

そして後醍醐天皇の断行された建武中興は、公家のみならず武家や一般民衆からも大きな支持を得た変革であった。故に、各地に反幕府勢力が挙兵し、足利・千葉などの有力御家人から土豪・水軍・野伏などが変革の戦ひに参加したのである。「建武中興はいはゆる大覚寺統の政治権力専断を目指したアナクロニズムだ」などといふ批判は全く当らない。

 

後醍醐天皇は、武家による政治権力の壟断は否定せられたが、「武」を否定されたわけではない。

 

天皇を神聖君主と仰ぐ國體を回復し、古代日本の理想の世を回復することによって内憂外患を打開せんとした建武中興の意義は非常に大きい。

 

久保田収氏は次のごとくに論じてゐる。「文武二道が別々となって、そのために武家政治が実現したことにかんがみ、文武の道をつねに一つにしようとするのが、中興時の方針であった。武の精神を重視されたことは、元弘四年正月二十九日に『建武』と改元されたことからも明らかである。…文と併せて武を重んぜられたのであり、征夷大将軍任命についても、このことを顧慮せられたのであった。この方針は地方の要地に対する御子派遣という点にもみられる。」(『建武中興』)

 

後醍醐天皇が、護良親王を征夷大将軍・兵部卿に任じられたり、皇子を要地に派遣されたのは、天皇・朝廷が兵馬の大権を把握する正しいあり方を回復されたのである。

 

天皇を神聖君主と仰ぐ國體を回復し、古代日本の理想の世を回復することによって内憂外患を打開せんとした建武中興の意義は非常に大きい。

 

後醍醐天皇御製

 

さしてゆく 笠置の山を いでしより 天が下には かくれがもなし

 

都だに さびしかりしを 雲晴れぬ よしのの奥の さみだれのころ

 

ふしわびぬ 霜さむき夜の 床はあれて 袖にはげしき 山嵐のかぜ

 

霜の身を 草の枕に おきながら 風にはよもと たのむはかなさ

 

あだにちる 花を思ひの 種として この世にとめぬ 心なりけり

 

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千駄木庵日乗三月五日

午前は、諸事。

昼は、若き友人懇談。

午後からは、在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。資料整理など。

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2019年3月 5日 (火)

日本天皇の國家統治と和歌は不二一体である

 

天皇の統治をやまとことばで「しろしめす」「しらしめす」と申し上げる。「しろしめす」「しらしめす」とは、「知る」の尊敬語で、お知りになる、承知しておられる、おわかりでいらっしゃるといふ意である。「しらしめす」は、「しらす」(「知る」の尊敬語)に、さらに尊敬の補助動詞「めす」の付いた言葉である。

また、「きこしめす」とも申し上げる。「きこしめす」は「きく(聞く)」の尊敬語

 

「きこす」に「見る」の尊敬語から転じた「めす」が付いて一語となった言葉で、聞きあそばす、お聞きになるといふ意である。

 

天皇は、神の御心のままに國を治められると共に、臣下・民の心を良くお知りになり、お聞きになって、この國を統治あそばされるのである。

 

そして、天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」=和歌である。天皇は御製によってその御心を民に示したまひ、民もまた歌を捧げることによって民の心を天皇にお知りいただくのである。その傳統は、毎年行はれる「新年歌會始」に継承されてゐる。

 

天皇統治とやまとうたは切り離し難く一体なのである。君民一体の國柄は和歌によって保たれてきた。神代の昔より、今日に至るまで、高下貴賎の区別なく継承されて歌はれて来た文藝が和歌である。かかる優雅にして清らかなる君民一体の國柄は他の國には見られない。

 

小田村寅二郎氏は、「遠い遠いところに居られるやうに感じてゐた御歴代の天皇がたが、御歌を拝読するわれわれの目の前に、身近にお姿を現され、お聲をかけてくださるやうな気さへしてくる。『詩歌』とはまことに不思議なものであり、とくに『和歌』を介しての作者と読者とは、時空の隔たりを超えて心一つに通ひ合ふことができさうである。」(『歴代天皇の御歌』はしがき)と論じてゐる。

 

天皇・皇室は、神代以来、祭祀を継承されると共に、和歌の道を連綿として継承されてきた。そもそも和歌の起源は、皇室のご祖先であられる神代の神々のお歌に遡る。わが國の文藝(歌・物語)の起源は祭詞から発生した。わが國は祭祀國家であり、天皇はわが國の祭祀主であらせられる。天皇の國家統治は、祭祀と和歌がその基本である。

 

天皇主宰のもとに行はれる「勅撰和歌集」の編纂が、和歌の継承に不可欠であった。今日、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、わが國の國柄が正しく開顕してゐないといふことである。

 

和歌と武と祭祀は一体である。日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が武力を以て民を支配する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議と「現行占領憲法」の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

しかし、天皇・皇室が「武の道統」を継承して来られた事は、天皇の國家統治を表象する「三種の神器」に「草薙剣」がある事によって明白である。「草薙剣」は、素戔嗚尊が、出雲國簸川(ひのかわ)上流で八岐大蛇(やまたのおろち)を切った時に、その尾から出たと傳へられる剣である。

 

『古今和歌集』の「仮名序」に、「人の世となりて、素盞鳴尊よりぞ三十文字あまり一文字はよみける」と書かれ、素盞鳴尊がお詠みになった

 

八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を

 

が、和歌(三十一文字)の起源であると説かれてゐる。素盞鳴尊は、皇祖・天照大御神の弟神であらせられ、且つ、「武の神」であり、和歌を始めてお詠みになられた御方なのである。和歌は神詠であるといふ古来よりの信仰はここから生まれた。和歌と武とは一体なのである。これを「剣魂歌心」と言ふ。この事は、女性天皇におおかせられても何の変りはない。

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千駄木庵日乗三月四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。書状執筆など。

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2019年3月 4日 (月)

元号について

『元号』は本来、上御一人が勅定あそばされるのですから、元号の出典について臣下があれこれ発言するのは慎まなければなりません。

 

「明治」は「易経」の「説卦伝」から採られ、「大正」は「易経」の「周易上経」から採られたとのことです。「昭和」は、「書経」の「堯典第一」の「百姓昭明、協和万邦」から採られたということです。「平成」の出典は、「史記」五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、「書経」大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで、「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味だそうです。それぞれまことに意義深い精神によって決められたと存じます。そのことについて異議をさしはさむ不敬不遜の意志は全くございません。

 

ただ、私は大分以前から不思議に思っていたのですが、なにゆえ我が国の元号の出典が、大化以来支那の古典のみなのでしょうか。「古事記」「日本書紀」「萬葉集」などの日本の古典を出典にしても良いのではないかと思います。

 

たしかに支那の儒教はわが国の思想の中に溶け込んでいます。元号という制度も支那から伝来したものでしょう。こうして書いている漢字も支那から来たものです。しかし、天皇の国家統治の基本精神を表わし、且つ、時代精神を象徴するわが国の元号は、日本の古典から採られる事があっても不自然ではないと存じますが、如何でしょうか。

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千駄木庵日乗三月三日

午前十時より、千駄木の公共施設にて、小生の居住するマンションの『大規模修繕工事説明会」開催。

いったん帰宅。

午後三時より、永田町のビジョンセンター永田町にて『元号の本質を考える緊急国民集会』開催。丸川仁氏が司会。福田邦宏氏が主催者挨拶。杉本延博奈良県御所市議、鈴木信行東京都葛飾区議が講演。質疑応答。

帰宅後は、『萬葉集』講義の原稿執筆・脱稿。

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2019年3月 3日 (日)

「日出づる國」への誇り・祖國へ愛を歌った山上憶良の歌

 

 山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)、大唐(もろこし)に在りし時、本郷(もとつくに)を憶(おも)ひて作れる歌

 

いざ子ども はやく日本(やまと)へ 大伴(おほとも)の 御津(みつ)の濱松 待ち戀ひぬらむ

 

 山上憶良が、支那にゐた時、祖國を恋ひ慕って作った歌。山上憶良は、斉明六年(六六〇)~天平五(七三三)年。萬葉集代表歌人の一人。大宝元年(七〇一)に三十五年ぶりに遣唐使が復活し、憶良は遣唐少録に任命された。翌大宝二年、四十二歳の時に渡唐。慶雲四年(七〇七)帰國。晩年の歌が多い。 

 

「大唐」は支那のこと。「本郷」は祖國日本のこと。「いざ」は、人を誘ひ自らも行動を起こそうとする時に発する言葉。「子ども」は、年下あるいは目下の親しい人々に対する呼び掛けの言葉。

 

「日本」は日本全体を指す。「大伴の御津」は、大阪市南部から堺市にかけての一帯(摂南といふ)の難波の津(港)のこと。この辺りは大伴氏及びその配下の久米氏が領有してゐた地であったから「大伴の」といふ。ここから遣唐使の船や九州などに行く船が出発した。唐にゐた憶良にとって、この港は祖國の門戸であった。

 

遣唐使が支那へ行くルートは、①今日の大阪から瀬戸内海を通って行き、壱岐・対馬に寄りながら朝鮮半島の西側を通って、山東半島に上陸するルート、②能登半島から出発して沿海州に上陸するルート、③長崎や鹿児島などから出発して支那の楊州や越州に上陸するルートがあったといふ。

 

「濱松待ち戀ひぬらむ」は、松が擬人化されてゐる。懐かしい祖國日本の海岸の松の風景を目に浮かべて歌ってゐる。また、「御津の濱松」は下の「待ち戀ひぬらむ」を出すための序詞といふ説もある。                           

 

「さあ、皆の者よ、早く日本へ帰ろう、大伴の御津の濱松も、さぞ待ちわびてゐるであらうから」といふ意。                             

 

「日本」という漢字に「やまと」といふ傍訓を付したところにこの歌の重要性がある。「日本」とは「日の昇る國」といふ意味である。

 

聖徳太子は、推古天皇十五年(六〇七)、小野妹子を遣隋使として支那に遣はされ、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」といふ國書を隋の煬帝に呈した。日本國の誇りを高らかに宣揚し、アジアの大帝國・隋に対して、対等どころか大いなる自尊心をもって相対された。その御精神が憶良に引き継がれてゐるのである。

 

聖徳太子は外来宗教たる仏教を信仰せられ、日本に広く受容することに貢献された方であるが、素晴らしい日本人としての御自覚・自負心をお持ちになられてゐたのである。憶良もまた、唐において色々なことを学びこれから帰國しようといふ時に、「早く日本へ」と歌ひあげたのである。

 

「早く日本へ」といふ言葉に、「日没する國」にゐる憶良の「日出づる國」への恋慕の思ひがにこめられてゐる。憶良は、唐との対比において日本を自覚し、祖國への愛・日本人としての誇りを歌ったのである。それは、わが国は、太陽の昇る国であり、太陽神たる天照大神を祖神として仰ぎ、天照大神の生みの子たる天皇を君主として戴く国であるといふ大いなる自覚である。

 

この歌は望郷の歌であると共に、日本精神・愛国精神謳歌の歌である。聖徳太子や山上憶良の精神は、支那や朝鮮に対する卑屈な態度とることが多い今日政治家に見習ってもらいたい。やはり民族勃興期・國家建設期の日本は素晴らしい人がゐたと言ふべきである。

                  

また、憶良には、自分たちが早く日本へ帰りたいといふ思ひと共に、自分たちが学んだ学問を早く祖国へ持ち帰って祖国の役に立てたいといふ思ひもあったと思はれる。

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千駄木庵日乗三月二日

午前は、諸事。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。西岡力麗澤大学客員教授が「第二回米朝首脳会談と日本」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2019年3月 2日 (土)

日本人は、民族自決の大義の上から、共産支那による「台湾統一」という名の台湾侵略支配を阻止し、台湾独立を支持しなければならない

 

明治天皇御製

 

「新高の 山の麓の 民草も 繁りまさると 聞くぞ嬉しき」

 

台湾人はかつては、天皇の民であり、帝国臣民であった。また今日は東亜同胞である。私は台湾人に対して、無上の親近感と敬意と感謝の念を持っている。

 

その台湾人数万人を虐殺したのが、蒋介石国民党の軍隊である。台湾人は、台湾にやって来た支那人・国民党の暴虐と圧政に抗し、大和魂を奮い立たせて、支那人と戦い、虐殺されたのである。それが二・二八事件の本質である。私は、台湾独立が正義であると信じる。

 

現在および将来の日台関係とアジア情勢を考える時、日台の絆は、政治・軍事・文化・経済などあらゆる面で強固なものにしなければない。

 

「台湾独立とは一体どういうことか」という定義が問題である。台湾独立の定義・概念は、台湾人の台湾建設につきると思う。今日台湾はいまだに「中華民国」を名乗り「中華民国憲法」を持っている。これでは真の独立とは言えない。それどころか、共産支那の武力侵攻に「国内問題だ」という正当性を与えてしまう。

 

今、台湾に生活している二千万人の人々の運命共同意識が台湾の民族意識ということになる。台湾国内のエスニックの対立が融合の方向にあるのは良いことである。しかし、支那大陸に呑み込まれてしまうことを台湾人が望むとはとても思えない。事実、台湾人意識の方が支那人意識より圧倒的に強い。台湾が独立をすることによって、支那の台湾併吞を防ぐことが出来るのである。やはり台湾独立が正義である。

 

民族とは「言語、地域、経済生活、及び文化の共通性のうちにあらわれる精神の共通性・運命共同意識を基礎として、時間的経過の中で歴史的に構成された人々の堅固な運命共同体である」といわれている。民族と人種とは異なる。台湾人と支那人は、歴史・伝統・文化・言語・基本的生活様式・運命共同体意識が異なっている。台湾人は支那人とは異なった民族である。ゆえに、台湾は民族自決の原則にしたがって支那の支配下から独立するべきなのである。

 

さらにいえば、明朝において、台湾は明の領土でなかったことは明代の地図に明らかであるし、明朝はオランダの台湾占領と領有に同意している。また清朝においても、台湾は清の植民地であり移住民の島であったに過ぎない。明治六年、わが国の沖縄漁民が台湾に漂着して台湾先住民(いわゆる高砂族)に捕らえられて殺害されたことについて、日本政府は、清国に問責すると、清国政府は「台湾は王化(注・清の皇帝の影響下にあること)の地ではなく、その民は化外(注・清の影響下の外)の民である。……その乱暴あるいは無礼に対して責任を負うことはできない」と陳述した。

 

日清戦争後、「下関条約」によって台湾は日本に割譲された。そして終戦まで五十一年間日本が統治した。この間台湾は近代化が行われ発展を遂げた。

 

本来なら、台湾は大東亜戦争終結時において独立を獲得すべきだったのだ。しかしそうはならなかったところに最大の悲劇がある。一九四三年十二月一日、ルーズヴェルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統による『カイロ宣言』に、「満洲、台湾及び澎湖島のような日本が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還する」と書かれたことにより、戦争終結後、蒋介石軍が台湾に入って来て、台湾を「支那領」にしてしまった。

 

しかし、この『カイロ宣言』は戦勝国同士がその分け前を談合した勝手な取り決めに過ぎず、国際法上何の効力もない。第一、台湾は日本が清国から盗取したものではない。日清戦争の結果、条約に基づいて割譲を受けたのである。つまり、国際法上も、台湾は中華民国や中華人民共和国の領土ではないのである。

 

一九四七年二月二十八日に起こった密輸タバコ取締りに端を発した反国民党暴動・「二・二八事件」は、台湾人の「反支那感情」「反国民党感情」の爆発である。台湾人たちは勇敢に戦い、最初は優勢のうちに戦いを進めた。「汚職の一掃・台湾人の自治拡大要求」を根幹とした要求を国民党に突きつけた。ところが、三月八日、大陸から約一万三千人以上の国民党軍応援部隊(戦争直後に来た兵隊たちと違ってアメリカ式の装備を付けた精鋭部隊)が台湾に上陸し、無差別の機関銃掃射を行った。また、事件に参加した者は勿論、多くの台湾人有識者・知識人・指導者などが逮捕・拷問・虐殺された。国民党軍による殺戮の犠牲者は、国民党政権側の発表によっても、その数・二万八千人となっているという。実際には、四万とも五万とも言われている。

 

大陸を追い出されて台湾にやって来た中華民国政府は亡命政権であり、台湾人にとっては外来政権であった。台湾は、戦後五十年間、「中華民国」という名の亡命政権・外来政権の残忍な植民地支配下にあったのである。今日「統一」という名の共産支那の台湾侵略支配が現実のものとなれば、「中華人民共和国」という名の新たなる外来政権による植民地支配の始まりとなるのである。

 

ともかく二・二八事件とその後の暴虐なる恐怖政治によって、台湾人から「支那は日本の統治から台湾を『解放』してくれたわが祖国」という感情は雲散霧消し、「我々は支那人ではない」「支那人にはなりたくない」という自覚が強くなった。ナショナリズムは外部からの圧力を排して民族の独立を勝ち取ろうとする国民的規模の精神と行動である。二・二八事件とその後の長期にわたる国民党政権による植民地支配という歴史が、台湾人ナショナリズムを勃興させたのである。

 

二・二八事件以来今年で七十一年を経過した。この間に台湾人は、「台湾は支那とは全く異なった民族であり国家である」という国民的規模の台湾人ナショナリズム・台湾民族精神が強固に確立された。台湾人のナショナリズムは、今日、将来の台湾独立・建国へ向けて強固になっている。我々日本人は、民族自決の大義の上から、共産支那による「台湾統一」という名の台湾侵略支配を阻止し、台湾独立を支持しなければならない。

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千駄木庵日乗三月一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『萬葉集』解釈の原稿執筆など。

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2019年3月 1日 (金)

日韓併合は「侵略」「植民地支配」ではなかった

 

韓国は江華島条約(明治八年)から日韓併合(同四十三年)に至るまでの歴史を、一貫して日本の計画的意図に基づく侵略と見ているが、このような史観は我々日本人には到底受け入れることはできない。明治の父祖が心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして祖国の独立を守り抜くかということであった。

 

そして隣接する朝鮮とその周辺がロシア・支那など強大国の支配下に入ることは日本の安全を脅かされるものとされた。日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、『朝鮮独立』を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の「宣戦の詔書」に明らかに示されている。

 

 日韓併合以前の朝鮮は混乱の極にあった。李王朝は専制政治・封建体制だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。

 

 日露戦後、韓国は「日韓協約」により我が国の保護国とされ、伊藤博文が初代統監に就任した。伊藤博文の真の意図は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語ったという。

 

 しかしそうした伊藤公の真摯な心を韓国民は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合の至るのである。安重根の遺書を見れば彼がいかに誤った情報に基づいて伊藤公を殺したかは明らかである。

 

 日韓併合に対して、韓国側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、日韓併合は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でも侵略でもなかった。それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と仰せられ、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と宣せられたところに示されている。

 

 従って、朝鮮、台湾、樺太を外地と呼ぶことはあったが、植民地と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

 

 また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近くやって来た。その上毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。日本の方が朝鮮の植民地になったと言っても過言ではない。

 

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

 

 もちろん、韓国人の独立運動も国内外において続けられたが限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。

 

 国際条約というのは、同等の力があるところが結ぶとは限らない。過去においてもまた今日においても完全に対等関係で結ばれた条約などありはしない。「日米安保条約」も日米両国が完全に対等な関係で締結されている条約ではない。しかし「日韓併合条約」は法的に有効に成立している。

 

 そもそも「日韓併合条約」は、十九~二十世紀の弱肉強食・優勝劣敗の時代において、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれをすすめ、支持したものであり、当時韓国内に百万人の会員がいた一進会が韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に併合嘆願書や韓国十三道からの併合嘆願書と共に、皇帝の御沙汰書により内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。

 

 また当時の国際法では政府代表に直接明白な強制がない限り、正当対等に成立したものとされた。日韓併合は法的形式的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。「日韓併合条約」は国際法上有効であったという原則は断じて譲ってはならない。また日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。これは感情論ではない。

 

 韓国側の国民感情からの主張はあったとしても、過去の歴史的事実を今日ただ今の価値観・倫理観・国際常識・国際法から全てを否定しさるのは歴史の隠蔽であり、時代錯誤である。歴史を直視すべきは日本ではなく韓国である。

 

 もちろん、当時の日本が朝鮮半島および朝鮮民族の為のみに利他的に朝鮮を併合・統治し近代化したと主張するものではない。朝鮮の為という面もあったが、その半面日本は日本の国益のため、日本の独立維持と安全のために朝鮮半島を併合した側面もある。

 

しかし、日本の国益のための朝鮮併合・統治であったから、朝鮮の利益は全く無かったというのは誤りである。そうした主張は、アメリカが朝鮮戦争に参戦したのは共産主義の侵略阻止というアメリカの国益のためという側面もあったから韓国のためには一切役立っていないというのと同じ議論であり、きわめて一方的である。歴史は学問であり政治外交問題ではない

 

韓国は、自分たちと完全一致する歴史認識以外はすべて「ゆがんだ歴史認識」「妄言」「暴言」であるとして、これを抹殺せんとし続けてきた。

 

日本には日本の歴史があり、父祖が心血をそそいだ光輝ある歴史は、我々自身がは守り抜かねばならない。韓国には韓国の歴史観と立場があるように、日本にも日本の歴史観と立場がある。それを認め合うことが日韓友好の第一歩である。これを忘却し蹂躙しているのが、今日の韓国である。

 

 日本のしたことは全て罪悪行為であったとして卑屈に謝罪することは、百害あって一利なしである。韓国側は韓国自身の考えている歴史認識のみを「正しい歴史認識」として日本に一方的に押しつけるだけであって、日本側の歴史認識はほとんど無視される。そもそも共通の歴史認識を日韓両国が持つことは不可能である。わが国は正々堂々わが国の歴史認識を韓国のみならず全世界に向けて主張し続けることが大切である。一歩も退いてはならない。

 

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千駄木庵日乗二月二十八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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