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2019年2月24日 (日)

神武天皇御創業の根本精神への回帰と維新変革

わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

 「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

 慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

 明治天皇は、さらに、

 

 「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

 と詠ませられている。    

 

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

 ただし、明治維新の基本精神たる「神武創業への回帰」とは、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。そして、明治維新の大事業の一環として紀元節が制定された。

 

 『日本書紀』には、「辛酉年(かのととりのとし)の春正月(はるむつき)の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮(かしはらのみや)に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇の元年(はじめのとし)とす」と記されている。

 

 神武天皇即位の日が正月朔日(むつきついたち)であるのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰に基づく。そして、明治六年、この日を太陽暦に換算した二月十一日を『紀元節』とした。

 

 明治維新後に行われた紀元節の制定は、「神武創業への回帰」という根本精神・明治天皇の大御心の実現であると共に、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であった。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

 

 日本民族は物事は周期的に新生を繰り返すという生活感覚を自然に持っていた。御歴代の天皇が、神武創業の精神=物事の初め・國家統治の理想(すなわち)に回帰することによって革新を断行するという維新の精神は、ここから発生してきた。

 

 だからこそ、維新は「復古即革新」といわれて来たのである。「復古」とは決して反動ではないし、前に述べたように、時計の針を過去に戻すことではないし、回顧主義でもない。古きがゆえに良いというのではない。「復古即革新」とは、いにしえの理想の復興によって現在を新たならしめることである。

 

神武天皇「橿原奠都の詔」(『日本書紀』)に「夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことはり)必ず時に随(したが)ふ。苟(いやし)くも民(おほみたから)に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ。且当(またまさ)に山を披(ひら)き払ひ、宮室(おほみや)を経営(をさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位に臨み以て元元(おほみたから)を鎮むべし。上(かみ)は則(すなは)ち乾霊(あまつかみ)の國をけたまひし徳(うつくしび)に答へ、下は則ち皇孫正(すめみまただしき)を養ひたまふ心弘めん。然して後に六合(くにのうち)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩ひ宇(いへ)を為()むこと、亦可からずや。夫()の畝傍山の東南(たつみのすみ)、橿原地(ところ)を観れば、蓋し國の墺區(もなか)か、治(みやこつく)るべし」と示されている。

 

「聖人が制度を作る場合、必ず時に適合したものとする。だから民の幸福になることならば、どんなことでも聖人の行うこととして妨げは無い。 「思うに大人(ひじり)が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い度を立てなければならぬ。苟も人民の利益になる事であったならば、たとい聖人の制定たものであっても、その制度を変更するに何の妨げがあろうや。朕は、いま山林をひらき伐採て宮殿を築造経営し、恭しい心持で天皇の位に即き、人民の安寧と幸福とをはかれであう。そして上は、神が國を授けたもうた其の御神徳に答え奉り、下は皇孫以下が正しいを養成するよすがとし、そして天下を治める為の都をひらき、その徳をひろめて、世界八方の荒れたる隅々までも一つの家庭として人類は皆兄弟として互に手をつなぐべき目を実現するために、畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるであろう」という意である。

 

制度というものはいかなるものであべきるかということが示されている。三千年昔と言われる神武天皇の建国の精神は、実に以て革新的にして国民を第一と考える精神だったのである。今日においても決して色褪せないどころか、今日においてさえ言葉の真の意味において革新的な考え方である。

 

日本天皇の国家統治の根本精神は、時勢というものを十分に考慮し、国民の利益を第一と考える精神である。一度決めた制度はたとえ国民のためにならなくなってもなかなか変えようとしない政治は日本の伝統に反する。「現行占領憲法」下の「戦後体制」はまさにその典型である。

 

『日本書紀』とか『神武建国の精神』というと古色蒼然とした思想に貫かれているなどと思ったら大間違いある。復古即革新が日本の傳統精神である。また「伝統」と「旧来の陋習」とは全く異なる。『五箇条の御誓文』には「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」と示されている。天皇国日本は何と素晴らしい国であることか。

 

今日の日本も幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面している。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

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