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2019年2月10日 (日)

尾崎秀實・風見章の謀略工作について

大東亜戦争・第二次欧州大戦の結果、最も利益を獲得したのはソ連である。アジアにおいてもヨーロッパにおいてもソ連は、その勢力範囲を飛躍的に拡大した。ソ連を護りソ連の國家戦略に協力するための謀略をわが國において行なったのがリヒャルト・ゾルゲであり、尾崎秀實である。 

 

ソ連は、わが國と締結してゐた『日ソ不可侵中立条約』を一方的に踏みにじり、日本及び満州に侵攻して来た國である。そして、多くの日本國民を殺戮し、強姦し、数十萬同胞をシベリアに拉致し、強制労働を課して十数萬人を殺した國である。且つ、南樺太全千島といふわが國固有の領土を奪った國である。

 

このやうな悪逆非道の國から、一九六四年に『ソ連邦英雄』の称号を与へられたゾルゲとその手先の尾崎を、われわれ日本國民は永遠に許してはならないのである。

 

尾崎の罪の深さはわが國においてソ連のためにスパイを行なったことだけではない。彼は、わが國を戦争へと追ひ込む謀略活動を行ひ、わが國を未曾有の敗戦に導いた一つの要因を作った民族の裏切り者である。尾崎秀實は、近衛内閣嘱託といふ立場を利用して、わが國の世論や近衛内閣の政策決定に影響を与へ、支那事変・日米開戦を煽動し、わが國を敗戦へと導いた。

 

これは、レーニンの「社會主義の勝利にいたるまでの基本原則は資本主義國家間の矛盾対立を利用して、これら諸國を互ひにかみ合はすことである。」(一九二〇年十一月、モスクワ共産党細胞書記長會議)といふ戦略、そして一九三五年にモスクワで開催された『第七回コミンテルン大會』において決定された「米英と日独といふ資本主義國家同士を戦はせて、双方とも疲弊させ、ソ連への圧迫を排除して上で、米英を打倒してソ連の世界制覇を實現する」といふ戦略に基づくものであった。

 

さらに昭和七年(一九三二年)八月~九月のコミンテルン第一二回総會が行なった決議は、米英仏日独といった『帝國主義列強』を互ひに対立させ、戦争に追ひ込め、といふ戦略指令であった。日本について言へば、①日本を米國との戦争へ追ひ込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ、といふことが書かれてゐたといふ。

 

ソ連共産党の謀略機関も、ソ連政府の外交機関も、この目標に向けて一斉に活動した。ゾルゲ機関は、日本の政治中枢や軍部へ浸透を図って米國との対決路線に追ひ込み、また、マスコミにも、反米英を主軸とした排外主義(『鬼畜米英』)を吹き込んだ。一方、米國内でも、ソ連の手先によって排日機運の盛り上げが工作されてゐた。

 

ソルゲと尾崎などのコミンテルンのエージェントたちは、当時わが國内で澎湃と湧き起こって来てゐた「國家革新」「東亜解放」といふ正義の主張をたくみに利用して、日本がソ連よりもアメリカ・イギリスを主敵とし、ソ連と戦ふよりも「米英を撃つべし」といふ世論を煽った。『革命の祖國・ソ連』を守る為に日本を「北進」させてはならず、そのために「南進論」を煽ったのである。また、日本と蒋介石政権の和平を図る動きを妨害したのもゾルゲと尾崎である。その協力者が、第一次近衛内閣の書記官長・風見章であった。風見章は戦後何と左派社会党の国会議員になった。そして「日ソ友好」に狂奔した。彼は戦前から確信的共産主義者だったのである。

 

わが國と蒋介石政権が全面戦争に突入した原因である西安事件も蘆溝橋事件も、ソ連と中共の謀略であったことは今日明らかになってゐる。張作霖爆殺事件もその真の下手人はソ連であるといふ説がある。

 

かくて、日本軍部の進路は米英との対決以外になくなり、日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである。

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