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2019年2月 6日 (水)

天皇国日本の生成は、祭祀による統合である

天皇国日本の生成は、祭祀による統合である

 

紀元節・建国記念の日が近づいてきましたので、わが国の生成について書いてみたいと思います。

 

わが国は、「豊葦原千五百秋之瑞穂國」(トヨアシハラノチイホアキノミヅホノクニ)と言ふ。トヨは美称。チイホアキは千年も五百年も長く豊作が続くといふ意。ミヅホは瑞々しい稲穂が稔るといふ意。稲作国家日本を祝福した言葉である。

 

つまり、この国土に生活してゐた人々は稲作生活を基本として共通の生活意識を持つやうになり、同一の祭祀や文化や言語を育むやうになったのである。

 

稲作は、一人で行はれることはない。田植えにしても刈り取りにしても共同作業である。さうした共同作業が周期的に繰り返されてゐる。さらに、稲作技術は祖先から継承するものである。さらに治山治水、田畑の生成も祖先の遺業である。つまり地域共同体と祖先の恩恵なくして、稲作生活は成り立たない。

 

そして、さらに根本的には、天地自然、太陽や水などの大自然の恵みなくしては稲作は成り立たない。

 

天地自然に感謝し、祖先に感謝し、豊作を祈念する行事が祭祀である。その祭祀・祭りは各家や共同体で行われる。かくして信仰共同体・祭祀国家が生成したのである。

 

その祭祀国家の基本にあったのは、共同体の中に生きる民衆の精神的物質的福祉即ち幸福である。民衆の福祉実現といふ根本的目的のために、祭祀が行はれ、その祭祀を中心として共同体が生々発展した。そして日本国全体の祭祀の中心的執行者が天皇であらせられる。古代においては、祭祀主と政治的統率者は一体であった。これを「祭政一致」と言ふ。

 

日本国を「ヤマト」と言ふ。高崎正秀氏は、舒明天皇の國見歌を論ずる論考で、「ヤマトといふトとは神座を指す意味を持ってゐるから、山の神事を行ふ座席――山の神座(カミクラ)――それがヤマトではなからうか。そこで行はれる神事儀礼呪術の威力の及ぶ範囲が同時にヤマトと呼ばれ、これが次第に国名になり、日本総國の国号にまで拡大されて行く」(『国見歌の伝統と展開』)と論じてゐる。

 

「大和」の語源は、「祭祀が行はれる山へ入り立つ口」即ち山の門(と)であり、山の門を抜けると広い平原=磯城平原に出る、そこを「やまと」と言ったといふ説もある。つまり、「やまと」とは「ヤマ・ト」(山の門=山の入口・「港」はミナ・ト即ち水の入口といふ)といふ意味である。

 

いづれにしても、「やまと」とは、日本天皇に祭祀よって統合された範囲の地を指すのである。天皇国日本の生成は、祭祀による統合なのである。

 

要するに、日本国家の成立は多くの祭祀共同体を統一する祭祀的統一であった。その祭祀的統一者・祭祀主が天皇であらせられる。日本国家統一の原基は、武力や権力による抑圧的支配ではなく、祭祀主の神聖権威である。古代日本信仰共同体の祭祀主が天皇である。祭祀主・日本天皇は国民と自然と神とのむすびの役目を果たされる。

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