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2019年2月28日 (木)

神聖君主・日本天皇が「占領憲法」の制約下に置かれてゐることは國體破壊の導火線である

國體(國柄)は、成文憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。天皇國日本の國體は、成文憲法が制定される以前からずっと続いてきたのであり、成文憲法に規定されることによって合法性が与へられたのではない。

 

 「成文憲法にかう書かれてゐるから、皇室はかうあらねばならない」とか「天皇はかういふことをされてはならない」と主張するのは本末転倒である。「憲法があっ天皇がゐます」のではなく、「天皇がゐまして憲法がある」のである。

 

したがって、成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽すること絶対にできないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。

 

 憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。特に成文法によって、天皇皇室を規制し奉ってはならない。成文憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。

 

 そもそも日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるといふ神話と信仰が古来から今日まで信じられて来てゐる。

 

 國家を単なる権力機関として見ると、天皇の神聖性・国家の道義性を否定し、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、それが國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそさうした状況に置かれつつある。

 

 西洋法思想がその理念となり、國家を権力機関としてとらへた「現行占領憲法」がある限り、國家は美しく良きものであり、人間はその國の國民として生きることによって幸福を得るといふことが不可能になる。

 

 今日においてさらに重大な問題は、神聖君主・日本國天皇が、成文憲法しかも戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」の制約下に置かれるやうになってゐることである。かうしたことは天皇の眞姿を隠蔽するのみならず國體破壊の導火線である。

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千駄木庵日乗二月二十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『原稿執筆』など。

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2019年2月27日 (水)

占領憲法の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない

戦勝国によって押し付けられた占領憲法の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない

 

西洋の成文法というものは、一定の地域で共同生活を営む人間同士が信頼することができなくなり、文章で色々な決め事を書いておかなければならない状況になってから作られるようになったのであろう。

 

 要するに西洋の成文法とは共同生活を営む人間同士の契約文書である。ということは、人間同士が本当に信頼し合って生きていく世の中であれば成文法などは本来不必要だとも言える。極論すれば成文法は人間性悪説に立脚していると言っても過言ではない。

 

 西洋の成文憲法の淵源とされる『マグナカルタ』(一二一五年、イギリスの封建諸侯が國王ジョンに迫り、王権の制限と諸侯の権利を確認させた文書。國王の専制から國民の権利・自由を守るための典拠としてイギリスの立憲制の支柱とされる)は、専制君主と國民との間の不信感に発して作られた契約文書にほかならない。ここから憲法は権力の制限規範だという考え方が生まれた。

 

 天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家・信仰共同體である日本國には成文法は本来不必要なのである。

 

 しかし、現実には明治以来、近代國家が建設され、國家権力機構も巨大化し、西洋文化・文明も輸入されてきたため、國民が政治に参与し、且つ権力の圧迫から國民の自由を守るためにも、成文憲法が必要であるということが常識となっている。つまり、近代以後西洋法思想が日本に入ってきて、日本にも欧米諸國と同じような成文憲法が必要であるということになった。そこで制定されたのが『大日本帝國憲法』である。

 

 明治天皇は『大日本帝國憲法及び皇室典範制定の御告文』(明治二十二年二月十一日)に、「茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス。惟フニ此レ皆 皇祖 皇宗ノ後裔ニ貽(のこ)シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス」と示されている。「洪範」とは天下を統治する大法という意味、「紹述」とは先人の事業や精神を受け継いで、それにしたがって行なう意味である。

 

 『大日本帝國憲法』と『皇室典範』は、天照大神の御命令によって高天原より瑞穂の國に天降られた天孫邇邇藝命以来御歴代の天皇の日本國御統治の大法を実行することを記した成文法なのである。

 

 成文法がどうしても必要であるとすれば、日本國の成文憲法は、人間同士の不信ではなく、信頼という日本の麗しい精神伝統に立脚した成文憲法でなければならない。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家という日本國の道統が成文憲法の条文にも正しく表現されなくてはならないのである。

 

 國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。天皇國日本の國體は、成文憲法が制定される以前からずっと続いてきたのであり、憲法に規定されることによって合法性が与えられたのではない。

 

 成文憲法は國の基本法であるけれども、「憲法にこう書かれているから、皇室はこうあらねばならない」とか「天皇はこういうことをされてはならない」と主張するのは本末転倒なのである。日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に即して制定されなければならないのである。「憲法があって國家がある」のではなく、「國家があって憲法がある」のである。

 

 また、成文憲法というものは、あくまでも國家の権力機構やその権限を文章に規定したものなのである。日本國の國體とか伝統とかは憲法に規定されるものではない。

 

 したがって、成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。

 

 憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。特に成文法によって、天皇皇室を規制し奉ってはならない。成文憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。

 

 繰り返し言うが、日本國の憲法は、天皇中心の日本國體(國柄)に基づいて制定されなければならない。

 

 そもそも日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古来から今日まで信じられて来ている。

 

 國家を単なる権力機関として見ると、天皇の神聖性・国家の道義性を否定し、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、それが國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそうした状況に置かれつつある。

 

 西洋法思想がその理念となり、國家を権力機関としてとらえた現行憲法がある限り、國家は美しく良きものであり、人間はその國の國民として生きることによって幸福を得るということが不可能になるのである。

 

 今日においてさらに重大な問題は、神聖君主・日本國天皇が、成文憲法しかも戦勝国によって押し付けられた占領憲法の制約下に置かれるようになっていることである。こうしたことは天皇の眞姿を隠蔽するのみならず國體破壊の導火線である。

 

内閣法制局などは、生前御譲位を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘し、これは「占領憲法」第1条で「天皇の地位は国民の総意に基づく」と定めていて、天皇のご意思で譲位されることはこれに抵触するという理由だ、という事が報道された。『譲位』ではなく『退位』と言うべしという政府の方針は、法制局のこの見解に拘束されているからなのである。

 

 『現行占領憲法』第四条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。そして「憲法は権力の制限規範である」と言ふ。であるならば、国政に関する権能を有されない即ち権力者ではあらせられない天皇は、「権力の制限規範」の制約を受けられない。

従って、天皇・皇室に関する一切の事柄は、『現行占領憲法』の規定を超越してゐるのである。だから『皇室典範』など天皇・皇室の根幹に関はる事柄を権力機関で議論し決定すべきではないと考へる。また一切の皇室に関する事柄について「憲法に違反してゐるかどうか」と議論する必要はない。

 

天皇・皇室に関する一切の事柄は、日本の傳統的な「神観」「國「國體観」「天皇観」「人間観」に回帰して決定せられ論じられるべきである。

 

繰り返し言う。成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定した制約したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。戦勝国によって押し付けられた占領憲法の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない。天皇の「詔」「大御心」が最高最尊の「法」である。

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千駄木庵日乗二月二十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

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2019年2月26日 (火)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 三月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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この頃詠みし歌

 

 

「平和憲法」などと言ひ続けし者共がアジアの平和を揺るがして来ぬ

 

どんどんと知り人がこの世を去りて行く残されし者は生きるほかなし

 

日々(にちにち)をただ穏やかにゆっくりと過ごしゆくことをがよろしかりけり

 

足掻いてもどうにもならずただ静かに生きて行きたしと思ふこの頃

 

去り行ける友のさみしげな後姿見送りて悔いの心残れり

 

美しき南山(ナムサン)の眺め思ひ出せど愚かな国を嫌ふほかなし

 

醜悪と言ふ二文字が浮かび来る韓国国会議長の顔の映像

 

愈々に対立といふよりも対決の時来たれるか日韓関係

 

体格の良きご主人の作りたる料理はすべて量多きかな

 

佳き歌を讀みてわが魂(たま)喜びぬ北原白秋土屋文明

 

浪漫も写実も良けれ胸を打つ言霊響く歌にしあれば

 

玄界灘を隔てて二つの国はある益々対立は深まりにつつ

 

歴史に学び現実を見ればなかなかに人間の愚かさは癒えることなし

 

紛失せしわが老眼鏡ひと月を過ぎて見つかりしは嬉しかりけり

 

髪の毛を短く刈ればわが心すがしくなりぬ早春の夕暮れ

 

虚偽と欺瞞書き連ねゐる憲法を立てるといふ政党に未来あらすな

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2019年2月25日 (月)

千駄木庵日乗二月二十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

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人間は共同體國家を離れては生存することができない

 

「國民」という言葉を使わず「市民」という言葉がよく使う人が多くなった。愛國心が希薄になってきた何よりの証拠である。特に戦後世代の人々は、國家とか民族よりも個人の人權の方がよっぽど大切だと考えているようだ。戦後教育がそういうことを教えてきたのだから当然の成り行きである。

 

戦後教育において、「國家」とは英語のStateの訳語として用いられた。つまり西洋の國家觀に基づいて「國家」というものが教育されてきたのである。Stateとは權力支配組織の意である。この權力支配組織としての國家からの自由を求めるのが近代民主主義であるとされてきた。 

 

「市民」という言葉の根底には、國家と國民とが対立する関係にあるという思想がある。そういう思想を抱いている人は、「國民」という言葉は読んで字の如く「國の民」という意味であり國家の束縛を受けるように感じられるから使いたくないのであろう。

 

國家の束縛を嫌い、國家と國民とは対立すると考えている人の言う「國家」とは權力機構・支配機構のことである。國家の中には階級対立があり、國家主權と國民の人權及び自由とは矛盾し合い、國家權力と國民とは対立し戦わねばならないとする。そしてできるだけ國家權力は制限すべきであるとする。

 

こうした國家觀の根柢に、マルクス・レーニン主義・共産主義の國家觀がある。共産主義者は、「權力國家」はいずれ死滅し、やがて自由で平等な理想社会を作るなどと主張した。しかし、現実には、かつてのソ連や現在の共産支那や北朝鮮などを見ても分かるように、共産主義者が國家權力を掌握した國家ほど國家權力が不断に増大し強大になり、國民の權利を蹂躙し自由を束縛している。それどころか、旧ソ連でも共産支那でも北朝鮮でもむカンボジア何千万という人々が共産党國家權力によって殺戮された。

 

人民の權利を主張し國家を敵視する共産主義思想が、かえって國家權力の暴虐を招いたのである。歴史の皮肉というほかはない。なぜそういうことになったのか。それは西洋的な國家觀・國民觀に誤りがあるからである。とりわけ、國家を國民と対立する權力機構としてとらえ、國家が死滅することによって人間の自由・平等・幸福が実現するなどという思想は空理空論であり、根本的に誤っている。

 

人間の權利・自由は共同體國家の中でこそ守られる。人間は、よほど特殊の場合を除いて、たった一人では生きるなどということはあり得ないし、不可能である。人間は、多くの人々が助け合い、いたわり合ってこそ生きて行ける。つまり人は、人間関係の中にあってこそ、人として生きて行けるのである。

 

多くの人々が助け合って生きている場を共同體という。そうした有機的生命體としての共同體が成長発展したものが國家である。國家があってこそ人間は生きて行けるのである。人間がこの世に生きている以上、共同體國家はなくてはならない存在である。

 

個人の自由や幸福はできるだけ実現されなければならないが、人間は、道義を重んじ、他者を愛しいたわり、他者と協力する心があると共に、道義を忘れ、他者を憎み迫害し、他者と競争する心があるので、しばしば他人の自由や幸福と衝突する。その場合各自の自由や權利そして幸福の追求を調整しなければならない。その役目を果たすのが國家なのである。國家というものを權力機構であるとか、階級支配の道具であるとして一方的にこれを否定し、死滅に追いやろうとするのは不可能である。

 

國家は、國民の道義心を基本として、國民同士の愛と信頼と協力を促進せしめる役割を果たすと共に、國民の道義心の忘却による、憎悪と不信と闘争を抑止する役割を担う。個の尊重とか人間の權利とか自由というものも、共同體國家の中においてこそ守られるのである。

 

つまり、人間は共同體國家と一體であり、人間は共同體國家を離れては生存することができないのである。そしてその共同體は、人間の生活の場であり、人間は文化を創造し、言語や信仰や道義心を持つ。だから、そこに生きている人々の信仰、文化、言語、そしてその共同體が存在する場所・気候・風土によって個性ができる。ゆえに世界に個性を持った共同體國家が多数存在しているのである。

 

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千駄木庵日乗二月二十四日

午前は、諸事。

午後は、本日行う講演の準備など。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟が司会。渡邊昇氏が挨拶。小生が「紀元節の意義と維新」と題して講演。活発な質疑応答、意見発表が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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2019年2月24日 (日)

神武天皇御創業の根本精神への回帰と維新変革

わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

 「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

 慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

 明治天皇は、さらに、

 

 「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

 と詠ませられている。    

 

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

 ただし、明治維新の基本精神たる「神武創業への回帰」とは、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。そして、明治維新の大事業の一環として紀元節が制定された。

 

 『日本書紀』には、「辛酉年(かのととりのとし)の春正月(はるむつき)の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮(かしはらのみや)に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇の元年(はじめのとし)とす」と記されている。

 

 神武天皇即位の日が正月朔日(むつきついたち)であるのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰に基づく。そして、明治六年、この日を太陽暦に換算した二月十一日を『紀元節』とした。

 

 明治維新後に行われた紀元節の制定は、「神武創業への回帰」という根本精神・明治天皇の大御心の実現であると共に、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であった。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

 

 日本民族は物事は周期的に新生を繰り返すという生活感覚を自然に持っていた。御歴代の天皇が、神武創業の精神=物事の初め・國家統治の理想(すなわち)に回帰することによって革新を断行するという維新の精神は、ここから発生してきた。

 

 だからこそ、維新は「復古即革新」といわれて来たのである。「復古」とは決して反動ではないし、前に述べたように、時計の針を過去に戻すことではないし、回顧主義でもない。古きがゆえに良いというのではない。「復古即革新」とは、いにしえの理想の復興によって現在を新たならしめることである。

 

神武天皇「橿原奠都の詔」(『日本書紀』)に「夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことはり)必ず時に随(したが)ふ。苟(いやし)くも民(おほみたから)に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ。且当(またまさ)に山を披(ひら)き払ひ、宮室(おほみや)を経営(をさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位に臨み以て元元(おほみたから)を鎮むべし。上(かみ)は則(すなは)ち乾霊(あまつかみ)の國をけたまひし徳(うつくしび)に答へ、下は則ち皇孫正(すめみまただしき)を養ひたまふ心弘めん。然して後に六合(くにのうち)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩ひ宇(いへ)を為()むこと、亦可からずや。夫()の畝傍山の東南(たつみのすみ)、橿原地(ところ)を観れば、蓋し國の墺區(もなか)か、治(みやこつく)るべし」と示されている。

 

「聖人が制度を作る場合、必ず時に適合したものとする。だから民の幸福になることならば、どんなことでも聖人の行うこととして妨げは無い。 「思うに大人(ひじり)が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い度を立てなければならぬ。苟も人民の利益になる事であったならば、たとい聖人の制定たものであっても、その制度を変更するに何の妨げがあろうや。朕は、いま山林をひらき伐採て宮殿を築造経営し、恭しい心持で天皇の位に即き、人民の安寧と幸福とをはかれであう。そして上は、神が國を授けたもうた其の御神徳に答え奉り、下は皇孫以下が正しいを養成するよすがとし、そして天下を治める為の都をひらき、その徳をひろめて、世界八方の荒れたる隅々までも一つの家庭として人類は皆兄弟として互に手をつなぐべき目を実現するために、畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるであろう」という意である。

 

制度というものはいかなるものであべきるかということが示されている。三千年昔と言われる神武天皇の建国の精神は、実に以て革新的にして国民を第一と考える精神だったのである。今日においても決して色褪せないどころか、今日においてさえ言葉の真の意味において革新的な考え方である。

 

日本天皇の国家統治の根本精神は、時勢というものを十分に考慮し、国民の利益を第一と考える精神である。一度決めた制度はたとえ国民のためにならなくなってもなかなか変えようとしない政治は日本の伝統に反する。「現行占領憲法」下の「戦後体制」はまさにその典型である。

 

『日本書紀』とか『神武建国の精神』というと古色蒼然とした思想に貫かれているなどと思ったら大間違いある。復古即革新が日本の傳統精神である。また「伝統」と「旧来の陋習」とは全く異なる。『五箇条の御誓文』には「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」と示されている。天皇国日本は何と素晴らしい国であることか。

 

今日の日本も幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面している。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

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千駄木庵日乗二月二十三日

朝は、諸事。

午前は、『政治文化情報』発送作業・発送完了。

午後からは、明日開かれる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備、書状執筆など。

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2019年2月23日 (土)

皇室に対する報道機関による間違った言葉遣いについて

本年(平成三十一年)二月二十二日、報道機関は「51日のご即位を前に、安倍総理大臣は22日に皇太子さまのお住まいがある東宮御所を訪れました。国内外の様々な情勢に加え、皇位継承にかかる一連の行事や新元号の選定や発表方法に関しても報告したものとみられます。安倍総理はこれに先立ち、21日は皇居を訪れて天皇陛下にも『内奏』と呼ばれる報告を行っていて、総理大臣が2日連続で陛下と皇太子さまへ報告するのは極めて異例です。政府は41日公表の新元号についても、お二人に事前に伝えることを検討しています」などと報道した。しかも、共同通信など「総理が天皇陛下・皇太子殿下に面会した」などと報道した報道機関もあった。

 

臣下が、君主にお目にかかることを「謁を賜る」と言う。「面会」とは患者が医師に会うことなどを言う。また、臣下が天皇陛下にお話し申上げる事を「上奏する」「奏上する」「言上する」と言う。

 

報道機関の誤った言葉遣いを内閣・官邸・宮内庁は即刻訂正させるべきだ。それとも、政府・官邸・宮内庁はそのように発表しているのか。その可能性もある。そうだとしたら大問題である。安倍自民党政権の尊皇心を見極めたい。

 

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千駄木庵日乗二月二十二日

午前は、諸事。

午後一時半より、内幸町の日本プレンセンターにて、『新聞通信調査会定例公演会』開催。梅本逸郎時事通信社編集局総務・解説委員が「トランプのアメリカ」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、明日の講演の準備、『政治文化情報』発送準備など。

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2019年2月22日 (金)

今日思ったこと

臣下が、君主にお目にかかることを「謁を賜る」と言う。「面会」とは患者が医師に会うことなどを言う。内閣・官邸・宮内庁は即刻訂正させるべきだ。それとも、政府・官邸・宮内庁はそのように発表しているのか。その可能性は大きい。そうだとしたら大問題である。安倍自民党政権の尊皇心を見極めたい。

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「やまと心」「清明心」について

 

 

 日本民族固有の精神、または、儒教・佛教などが入ってくる以前からの、日本人本来のものの見方・考え方の基底にある感性を『大和心』或いは『大和魂』という。別の言い方をすれば、外来の學問や宗教思想=漢學・佛教教學の知識以前の本来的な日本人の心が大和魂・大和心である。

 

 平安時代になって、それまでより以上に支那思想が崇拝され、佛教が興隆した。そうした時期に「大和魂(やまとたましひ)」という言葉が使われるようになった。「大和魂」という言葉が一番最初に出てくる文献は、紫式部の『源氏物語』である。「大和心」という言葉は赤染衛門の歌に最初に出て来るという。紫式部も赤染衛門両者も女性である。

 

 儒教や佛教の教理・経典を重んずるあまり、日本古来からの素直なる精神・清明心が覆いくらままされつつあったことに対する反省として、この時期に大和魂・大和心という言葉が使われるようになったのであろう。

 

 その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。

 

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山櫻花」

 

 近世の國學者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山櫻だと答えよう」というほどの意である。

 

 「朝日ににほふ山櫻花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言う。朝日に美しく映えている山櫻は理屈なしに美しい。そういう感覚的な美しさを大和心に譬えているのである。そして宣長は、日本人の性格=大和心の本質をなすものは、理知ではなく、素直なる心、鋭敏な感受性を備えた純粋感情であるとした。

 

 神の生みたまいし美しい國に生まれた日本人は、美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」「無我の心」が、日本民族固有の感性・日本人本来の心なのである。それは、理智・理屈・理論ではない。一切の先入観を取り除いた心である。これを別の言葉で「もののあはれ」という。

 

 大和心即ち日本伝統精神は、誰かによって作られた思想體系や理論體系ではなく、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。

 

 本居宣長は、『たまかつま五の巻』において、「つひにゆく道とはかねて聞しかどきのふけふとは思はざりしを、契沖いはく、これ人のまことの心にて、をしへにもよき歌也、後々の人は、死なんとするきはにいたりて、ことごとしきうたをよみ、あるは道をさとれるよしなどよめる、まことしからずして、いとにくし、……この朝臣(注・在原業平)は、一生のまこと、此歌にあらはれ、後の人は、一生の偽りをあらはして死ぬる也といへるは、ほうしのことばにもにず、いといとたふとし、やまとだましひなる人は、法師ながら、かくこそ有けれ」(『最後には行かなくてはならない死出の道だとは。かねて聞いて知っていたけれど、昨日今日と差し迫っていようとは思わずにいたもの』という歌について、契沖は言った。この歌は人の真實の心であって、教訓とするにもよい歌である。後々の世の人は、死のうとする間際になってものものしい歌を詠み、あるいは道を悟ったことなどを詠む。真實はそうではないので、大変気に入らない。……在原業平朝臣は、一生の真實がこの歌に表現され、後の世の人は一生の偽りを表現して死ぬのだと言ったのは、僧侶の言葉にも似ないで大変に尊いことだ。やまとだましいの人は、僧侶ではあっても、このようにことがあるのだ、というほどの意)と論じている。

 

 『伊勢物語』の結びに据えられている在原業平の「つひにゆく」の歌は、死に直面した時の心をこれ以上素直な言葉はなかろうと思わせるくらい素直に表現している。まさにそのままの心・自然な心・真心の表白である。その真心・そのままの心・素直な心が「やまとだましい」であると宣長は言うのである。

 

「真心」とは、一切の偽りも影も嘘もない、清らかで明るい心である。清らかで明るい心を「清明心」という。それが日本精神即ち大和心である。

 

天智天皇は、「清明心」を次のように歌われている。

 

「わたつみの 豐旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 清明(あきらけ)くこそ」(大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう)というほどの意である。

 

 何とも大らかで豊かな大御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神、即ち「大和心」なのである。そして、「清明」という漢字が用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。天智天皇は、「夕日」の美しさを見て、美しい月明を期待しておられるのである。 

    

 清明心とは、冴え渡る月の如くに神々しく、清々しく、美しい心である。それが大和魂・大和心である。

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千駄木庵日乗二月二十一日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送準備。原稿執筆・脱稿・送付。

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2019年2月21日 (木)

日本の心を学ぶ会

 

92回日本の心を学ぶ会

 

テーマ 「建国記念の日―紀元節について」

 

211日は建国記念の日=紀元節です。

 

この日は「国民の祝日に関する法律」 に「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことが目的として定められた祝日です。

全国各地でさまざまな式典が開催され、神社ではお祭りが行われたています。もともとこの日は「紀元節」とされ、初代神武天皇が即位された日です。

 

戦後、日本を占領したGHQは「新憲法下での祝祭日にふさわしくない」として、当時の政府に改廃を勧告し、「紀元節」はカレンダーから消えることとなりました。

 

しかし、「紀元節」の復活を求める声は大変に強く心ある多くの国民が運動を展開しました。

 

特に神社界などの真正保守勢力は伝統の護持復活にもっともふさわしい運動であるととらえ、占領期間中から総力を挙げ「紀元節」の復活を訴えました。

 

このような運動の結果、社会党・共産党などの反日勢力の妨害を打ち破って、昭和41129日、「建国記念の日」は制定されました。事実上の「紀元節」復活です。法案提出から九年、紀元節の廃止から18年もの歳月が費やされました。

 

しかし、「建国記念の日」が制定されて約半世紀が過ぎてもまだ反日勢力・國體破壊勢力による「建国記念の日」反対運動が続けられています。反対勢力は未だに二月十一日に「紀元節復活反対」をさけぶ集会を開いております。

 

さらに制定の過程で議論された、『現行占領憲法』が押し付けられた五月三日や、『サンフランシスコ講和条約』が発効された四月二十八日を「建国記念日」とすべきであるという主張がまだ一部で出されています。

 

こうした動きは、日本建国の精神や国体観念のを否定する動きであり看過することはできません。

 

さらに言えば、自民党は、谷垣禎一氏が総裁を務めていた野党時代に選挙公約として「建国記念の日に政府主催の祝賀行事を行うと宣言しておきながらいまだに実現していません。

 

そこで二月の勉強会では「建国記念の日-紀元節」について学んでみようと思います。

 

【日 時】平成31224日 午後6時から

 

【場 所】文京区民センター 2-B

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html 文京区本郷4-15-14/03(3814)6731

都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2

 

【演 題】日本建国の精神と現代維新

 

【講 師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

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天皇は天照大神の生みの御子・現御神であらせられる

天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

歴代天皇は、御肉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

 即位の大典・大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられる「おまつり」であり、天皇の神としての御資格の再生であり復活の行事でありみ祭りである。

 

 柿本人麻呂は「やすみしし わが大君 高光る 日の御子」と歌っている。「四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子」というほどの意で、天皇は、天照大神の御子としての無上の神格を持たれるという現御神信仰を高らかにうたいあげている。

 

 天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。「天津」は高天原からの天津神から継承されている神聖なという意で、「日嗣」は天照大神から伝えられた「日霊」を継承するという意である。 天皇は、大嘗祭・新嘗祭を通して日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在となられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されることとなるのである。

 

 天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承されるのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

 地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まっている。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。

日蓮は<「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。

 

現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではないのである。   

 

神々の中で最尊・最貴の神と仰がれる天照大神の御子であられる日本天皇は、雨の神・雷神などの自然神を従えられる御存在であるというのが萬葉人以来の日本人の信仰であった。それは今日においても自然な日本伝統信仰として生き続けている。

 

 昭和天皇は、昭和三十五年に、

 さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさ むぞ わがねがひなる

 

と歌われ、同三十四年には

 

 あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契 り 結ぶこの朝

 

と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤り

 

 天皇が現御神であらせられるということは古代日本人がつくりあげた「虚構」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。  

 

「日本書紀」神代上第五段本文に「伊弉諾尊・伊弉冉尊、共に議りて曰はく、『吾にすでに大八洲國及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主たる者を生まざらむ』とのたまふ。是に、共に日の神を生みまつります。大日孁貴と號す」と記されている。

 

天照大神は、「天下の主たる神」であらせられ、その靈統・血統を継承される「生みの御子」が「日の御子・現御神」たる日本天皇であらせられるのである。

 

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千駄木庵日乗二月二十日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて大行社幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆の準備・資料検索整理、原稿執筆など。

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2019年2月20日 (水)

皇后陛下御製を拝し奉りて

皇后陛下御製

 

赤玉の 緒()さへ光りて 日嗣(ひつぎ)なる 皇子(みこ)とし立たす 春をことほぐ

 

皇后陛下が、平成三年、「立太子礼」と題されて詠ませられた御歌である。「日嗣(ひつぎ)なる皇子」とは「日の神・天照大御神の靈統・血統を継承される皇子」といふ意で「日の御子」と同じ意義である。天皇及び皇太子は「天照大御神の生みの御子=現御神」であらせられる。皇后陛下は、皇太子殿下が天照大御神の靈統を継がれる御方であるといふ古来の傳統信仰すなはち「現御神信仰」を歌はれたのである。

 

『萬葉集』に収められてゐる柿本人麻呂の歌には「やすみしし わが大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと…」と高らかに歌ひあげられてゐる。「四方をやすらけくたいらけくしらしめされるわが大君、高く光る日の神の御子、神ながらに、神にますままに、…」といふほどの意である。この歌は、古代日本人の現御神日本天皇仰慕の無上の詠嘆である。

 

「高光る 日の御子 やすみしし わが大君」といふ言葉は、『古事記』の景行天皇記の美夜受比売(みやづひめ)の御歌に最初に登場する。「現御神信仰」は、わが國古代以来今日まで繼承されて来たてゐる。

 

歴代天皇そして皇太子は、血統上は天照大御神・邇邇藝命・神武天皇のご子孫であるのであるが、信仰上は今上天皇も皇太子もひとしく天照大御神の「生みの御子」であらせられるのであり、天照大御神との御関係は邇邇藝命も神武天皇も今上天皇も皇太子も同一の神格をお持ちになってをられると信じられてきた。

 

昭和天皇におかせられては、昭和三十四年、『皇太子の結婚』と題されて、

 

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契り むすぶこの朝

 

と詠ませられてゐる。

 

この御製は、戦勝國アメリカの占領軍の無理強いによって発せられた『昭和二十一年元旦の詔書』が「人間宣言」であったなどといふ妄論を根底から否定する。昭和天皇におかせられては、天皇及び皇太子は「天照大御神の生みの御子=現御神である」との御自覚はいささかも揺らいでをられなかったことは、この御製を拝すればあまりにも明白である。  

 

皇后陛下はまた、昭和三十五年、「浩宮誕生」と題されて、

 

あづかれる 宝にも似て あるときは 吾子(わこ)ながらかひな畏れつつ抱(いだ)

 

と詠ませられてゐる。

 

ご自分のお産みになった御子ではあるけれども、「高光る 日の御子」であらせられるがゆゑに、宝の如く畏れつつ抱かれるといふ、まことに崇高なる御心をお詠みになったと拝する。皇后陛下は、神話時代以来の「現御神信仰」を正しく受け継いでをられるのである。

 

皇后陛下は、平成八年「終戰記念日」と題されて

 

海陸(うみくが)の いづへを知らず 姿なき あまたの御靈 國護るらむ

  

と、詠ませられてゐる。

 

靖國神社そして全国の護國神社に祀られてゐる英靈は今日唯今もわが祖國をお護り下さってゐる尊い事実を歌はれたのである。天皇皇后両陛下が護国の英霊が祀られてゐる靖國神社・護國神社を潰さうとしてゐるなどといふことは全くあり得ないことである。

 

平成十一年には「結婚四十年を迎えて」と題されて

 

遠白(とおしろ)き 神代の時に 入るごとく 伊勢参道を 君とゆきし日

 

畏れながら、この御歌は、「今即神代」「神代即今」といふ日本傳統信仰の基本精神を、つつましくも清らかに歌はれた御歌と拝する。

 

平成十三年には、

 

外國(とつくに)の 風招(まね)きつつ 國柱(くにばしら)太しくあれと 守り給ひき

 

と詠ませられた。

 

この御歌についての宮内庁ホームページの説明には「明治の開國にあたり,明治天皇が広く世界の叡智に學ぶことを奨励なさると共に,日本古来の思想や習慣を重んじられ,國の基を大切にお守りになったことへの崇敬をお詠みになった御歌」とある。

 

平成二十八年には「神武天皇二千六百年祭にあたり  橿原神宮参拝」と題されて、

 

遠つ世の 風ひそかにも 聴くごとく 樫の葉そよぐ 参道を行く

 

と詠ませられた。清らかにして美しい橿原神宮神域を歩まれつつ神武肇国の昔をつつましく偲ばれるてゐる御歌である。

 

皇后陛下の御歌を拝すれば、皇后陛下が、天神地祇・皇祖皇宗の御神霊への祈りを深められ、日本傳統信仰そして皇室の傳統を常に重んじられ回帰されつつ、「皇后」としてのご使命を果たされ、尊き道を歩まれて来られたかが分かる。恐懼のほかはない。

 

まことに畏れ多いことながら、皇太子雅子妃殿下におかせられては、天皇皇后両陛下の祭祀、日本傳統信仰のご体得、国民を思はれる仁慈の御心を見習はれ正しく継承されると確信してゐる。

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千駄木庵日乗二月十九日

午前は、諸事。

午後三時より、永田町の衆議院第一議員会館にて、長島昭久衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、明日行うスピーチの準備。『政治文化情報』発送準備など。

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2019年2月19日 (火)

日本人はなぜ桜の花を好むのか

 

 

桜のことを詠んだ代表的な歌は近世の國学者・本居宣長の次の歌である。

 

 敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花

 

 「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山桜だと答えよう」というほどの意である。

 

 神の生みたまいし美しい國に生まれた日本人は、美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」「無我の心」が、日本民族固有の精神である。それは、理智・理屈・理論ではない。一切の先入観を取り除いた心である。大和心即ち日本伝統精神は、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。

 

 「朝日ににほふ山桜花」の美しさは神々しさの典型である。宣長は、日の神の神々しさを讃えている。そこにわが國民信仰の根幹である太陽信仰(天照大神への信仰)があり、神の命に対する畏敬の念がある。

 

 「真心」とは、一切の偽りも影も嘘もない、清らかで明るい心である。これを「清明心」という。それが即ち大和心である。

 

 日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。日本人の「真心」は一種の厳粛さ・神々しさを伴う。古代日本人にとって、桜の花に限らずすべての花や草木は宗教的・神秘的存在であった。

 

「花」(ハナ)の語源は、端(ハナ)即ち、物の突き出した所、はし(端)であると共に、幣(ハタ)・旗(ハタ)であったという。「幣」とは、神に祈る時に捧げ、また祓いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもので、幣帛(へいはく)・御幣(ごへい) とも言う。日本人は、桜の花を素直に美しく感ずる思いと共に、桜の花にある神秘性・神々しさというものに畏敬の念を持った。

 

 日本の伝統的な行事である「お花見」の起源は、生命の盛りである花の下に人間が入ることによって、花の精気が人間に移り、自分自身の生命を豊かにするという信仰である。

 

 日本人は、桜に滅びの美しさを見た。桜はすぐに散ってしまうから、人はなおさらその美しさを感ずるのである。桜が咲いている姿にすぐに散ってしまう影を感じる。桜は、「三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるように他の花々よりも咲いている時間が非常に短い。また、雨や風に当たればすぐに散ってしまう。日本人はそういう桜花の「潔さ」をとりわけ好む。これを「散華の美」という。

 

 日本人は、未練がましく現世の命に恋々としないという精神を抱いている。こうした心は、「七生報國」の楠公精神そして神風特別攻撃隊の「散華の精神」に継承されてゆく。 日本人が最も美しいと感じる窮極的なものは、花そのものや花の命と共に、花の命が開き且つ散る「時」なのである。

 

 日本人は、花とは見事に咲き潔く散って行くべきであると考えた。人間もまたそうあらねばならないとした。この世に恋々として生き延びるのはそれ自体が汚れた行為であり、潔くないし、醜いと考えた。

 

 しかし、桜の花の命は、はかなくそして見事に散ってしまえば、それで消滅してしまうのではない。桜の花は散ってしまうのであるが、来年の春になると必ずまた美しく咲く。つまり、花が散るというのは花の命が消滅したのではなく、花の命は必ず甦るのである。肉体は滅びても人の命は永遠である。ただ現世における命には限りがあるということなのである。

 

 桜の花は散ってもまた来年の春に甦る。滅亡の奥に永遠の命がある。それが楠正成公の「七生報國」(七度生まれて國に報いる)の精神である。理屈なしに素直に國のため大君のために命を捨てるという純粋なる精神もまた大和心なのである。生命の永遠を信じているからこそ、潔く散ることをいとわないのである。

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千駄木庵日乗二月十八日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、資料の整理、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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2019年2月18日 (月)

國防に関してはわが國は法治國家ではない

『現行占領憲法』第九条には「1・日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない」と書かれてゐる。

 

この条文を素直に讀めば、『現行占領憲法』は自衛権・國防軍の存在を否定してゐると解釈するのが至当である。

 

昨日も書いたが、憲法学の解釈ではどうかは知らないが、ごく当たり前の國語の解釈を以てすれば、國家防衛即ち自衛戦争は最重要な「國権の発動」である。北朝鮮や共産支那などからの武力侵略は最も悪質なる「國際紛争」である。これを阻止するために「國権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」を行ふのは國家として当然の権利だ。それを一切否定する『現行憲法』第九条第一項が亡國条文であることは明白だ。

 

従って、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない」といふ第二項は、國家の存立を根底から否定する条文である。

 

「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定していないといふ解釈は『現行占領憲法』の「前文」の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というまったく他力本願の精神に立脚すれは全く成り立たない。

 

『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソといふ戦勝國に対して立ち向かふことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

しかし、その後の國際関係に変化によりアメリカの意向で創設され、現実にわが國に存在する自衛隊は、立派な「陸海空軍」であり、武力の行使又は威嚇を行う実力組織であり、戦力も交戦権も保持している。「戦力」「交戦権」を持たない「軍」はあり得ない。

 

そして、この自衛隊といふ名称の「陸海空軍」によって、わが國の安全と独立が守られてゐる。この事実は、自衛隊が違憲であるか否かに関はらず、厳然たる事実である。そしてそのことは、「國民大多数の合意になってゐる」と言はれる。『現行占領憲法』が如何に現実を無視してをり、空文となってゐるかは火を見るよりも明らかである。

 

吉田茂内閣総理大臣(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べた。これが『現行占領憲法』の立法意志であり、まともな解釈である。

 

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであらうと戦争はしない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」といふ意味であることは明白だ。前述した通り「前文」の精神に立脚すればそれは当然である。

 

第九条がある限り誰が見ても陸海空軍である自衛隊は「陸海空軍」と見做されないのである。「交戦権」を否定されてゐるのに事実上「陸海空軍」があるといふのは全くの矛盾である。

 

したがって、「現行憲法」がある限り、いくら加憲をしても、自衛隊はあくまでも自衛隊であって、自衛隊は憲法上「國軍」として認知されず、何時までも誰かが言った「違憲合法」といふ絶対矛盾の存在であり続けなければならない。つまり國防に関してはわが國は法治國家ではないのである。こんな憲法は根底から否定されなければならない。

 

『現行占領憲法』の「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは明らかに「軍備撤廃」「非武装」宣言である。

 

この『前文』の精神に基づいて、『現行占領憲法』第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」を読めば、この規定は、「現行憲法」が自衛権・國防軍の存在を否定していると解釈するのが至当である。

 

「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定していない、などという議論は、「前文」に照らして考えれば苦しい読み方であり、曲解である。

 

『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソに対して立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

しかし、現実にわが國に存在する自衛隊を見て、「戦争をするための組織でなく、國際紛争を解決するために武力による威嚇や行使を行う組織ではなく、陸海空軍ではなく、戦力も交戦権も持っていない」などと思っている人はいない。やはり自衛隊は事実として「陸海空軍」である。

 

自衛隊は國際紛争を解決することを目的とした立派なそして強力なる陸海空軍であり、武力の行使又は威嚇を行う組織であり、戦力も交戦権も保持している。

 

そして、この自衛隊という名前の陸海空軍によって、わが國の安全・独立・治安が守られている。『現行占領憲法は空文化しているりは火を見るよりも明らかである。

 

しかし、『現行憲法』がある限り、成文法上、自衛隊は「軍」として認知されず、何時までも「違憲合法」という絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は真の法治國家ではない。

 

國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。

 

國防戦争・自衛戦争まで悪として否定し、憲法に國防・国軍が明確に規定されてないという状況を一刻も早く是正することが必要である。國軍を正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に規定した憲法にすべきである。

 

また、國の独立と安全を守ること即ち國防はきわめて重要な國家機能であり国家存立の基本である。多くの國では憲法で國民の國を守る義務を定め、また軍保有とその指揮系統を明確に規定している。國家存立の基本たる國防が、嘘と欺瞞の「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されるべきだ。「現行占領憲法」の全面否定が急務である。それが現実を理想に近づける政治の役目である。昨日の下村博文自民党憲法改正推進本部長の発言は間違ってゐる。

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千駄木庵日乗二月十七日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、原稿執筆、資料の整理など。

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2019年2月17日 (日)

『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』のは亡国への道-下村発言に思う

 

 

 自民党の下村博文憲法改正推進本部長は本年(平成三十一年)二月十六日、那覇市で講演し、平成二十四年にまとめた『自民党改憲草案』にある九条改憲は実現困難との見方を示した。戦力不保持と交戦権否認を定めた九条二項の削除と「国防軍」創設を明記している点に触れ「専守防衛の自衛隊の性格を普通の軍隊にするもので、各政党や国民の理解は得られない。残念ながら不可能だ」と述べた。

 

  国会発議や国民投票で賛成を得る必要があると指摘し「われわれは学者でなく政治家。リアリストでなければいけない」と強調。党が昨年まとめた、九条二項を維持する自衛隊明記案により「自衛隊違憲論に終止符を打つ」と理解を求めた。しもむらしは「われわれは学者でなく政治家。リアリストでなければいけない」と言うが、それでは『自民党改憲草案』は政治がつくったのではないのか。現実を理想に近づけるのが政治家の役目である。

 

下村氏は安倍総理総裁の側近である。そして改憲推進の中心的政治家である。言ってみれば、安倍晋三氏と同じように「真正保守」の政治家として期待され信頼もされてきた。しかるにこんな発言を行ったのである。安倍自民党、安倍内閣は真正保守のではなくなった。そして安倍自民党・安倍内閣は「戦後レジームからの脱却」という大義も忘却したのである。情けない話である。

 

大体、第九条第二項のという欺瞞的な条項の抹消、破棄なくして真の改正にはならない。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」なとと云う規定を持つ憲法は独立国の憲法とは言い難い。自衛隊習志野空挺部隊の演習、そして北富士演習場における陸上自衛隊の演習、さらに、海上自衛隊の横須賀警備区などの訓練を見れば火を見るよりも明らかな通り、自衛隊は立派な戦力であり、正真正銘の国軍である。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」などと書いている『現行憲法』が欺瞞であり嘘を書いているのである。

 

真正保守と言われる安倍自民党が、国家存立の基礎である国防・安保でこんな嘘と欺瞞がまかり通っていることを是正しようとしないのはまったくおかしい。

 

「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 

第一項も現実無視の亡国条文である。国家防衛即ち自衛戦争は、最重要な「国権の発動」である。北朝鮮や共産支那などからの武力侵略は最も悪質なる「国際紛争」である。これを阻止するために「武力による威嚇又は武力の行使」を行うのは国家として当然の権利だ。これを否定する第一項は亡国条文であることは明白だ。

 

従って、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という第二項は、国家の存立を根底から否定する条文である。自衛隊は誰が見ても、陸海空軍である。しかし、この条文がある限り「陸海空軍」と見做されないのである。また「交戦権」が否定されているのに事実上「陸海空軍」があるというのは全くの欺瞞である。

 

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであろうと戦争は行わない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」という意味であることは明白だ。こんな憲法は根底から否定されなければならない。正々堂々「国家防衛」「国軍保持」を憲法に規定するべきである。

 

安倍内閣・安倍自民党は、「憲法前文」も「現行占領憲法」のままということであろう。これでは話にならない。

 

下村氏が実現困難と断じた自民党の「改憲草案」には「第9条の2(国防軍)

1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と書かれ、『国防軍』が明記されている。

 

「現行憲法」第九条の平和主義とは「敗戦」「自虐」史観に基づく考え方である。弱者の思想であり敗者の思想である、「占領憲法」の「前文」を残したままの「憲法改正」は「改正」ではなく、「改悪」である。

 

「占領憲法」の「前文」に書かれている「人間相互の関係を支配する崇高な理想」などというものは、少なくとも南北朝鮮・支那・ロシアは全く持ち合わせていない。力がない国は侵略され、滅ぼされる。

 

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは、全くの空想・夢物語であるばかりでなく、きわめて危険な思想である。

 

わが国固有の領土南樺太・全千島を七十年以上も占拠したままのロシア、わが国固有の領土竹島を六十年以上にわたって占拠している韓国、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し、台湾を併呑せんとし、尖閣諸島・沖縄などのわが国固有の領土・領海を浸略せんとしている共産支那、核開発を行いミサイル発射を繰り返しわが国国民を拉致している北朝鮮のどこに「公正と信義」があるのか。

 

さらに『現行憲法』「前文」に「日本国民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。

 

これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、支那様など戦勝国の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い国であるわが国とわが国民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という「詫び証文」である。

 

つまり、『現行占領憲法』は、日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國であるという文字通りの嘘八百を基本精神にしているのだ。

 

『現占領行憲法』の「平和主義」とは、有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という戦勝国側の考え方が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。これを一刻も早く否定しない限り、わが国は自分自身の手で祖国を守ることはできないのである。

 

『現行占領憲法』にいかに間違ったこと亡国的なことが書かれていても、この「憲法」なるものは、戦勝国が無理やり押しつけたものであり、正統なる憲法ではないとして、全面的に否定することができた。しかしも加憲ということが行われると、『現行占領憲法』『亡国憲法』が国民の意思によって制定された憲法となり正統性を持つこととなる。これは断じて阻止しなければならない。

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千駄木庵日乗二月十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆、書状執筆など。

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2019年2月15日 (金)

佐伯啓思氏(京都大学心の未来研究センター特任教授)による『日本経済再生への期待と不安』と題する講演の内容

昨年九月二十六日に開催された『新聞通信調査会特別講演会』における佐伯啓思氏(京都大学心の未来研究センター特任教授)による『日本経済再生への期待と不安』と題する講演の内容は次の通り。

 

「石破さんが善戦したというより安倍圧勝。安倍への対抗馬はない。野党は問題外になっている。野党は安倍に対抗できない。石破は色々なことを言ったが弱い。地方創生大臣の時実績を挙げられなかった。

 

中国はアメリカを追い越すかもしれない。インドも強くなっている。その中で『日米同盟以外にない。日本の経済競争力をつける』という二つが安倍の考え。これに対する対抗軸を出せと言っても難しい。日本はアメリカに頼る以外にない。

 

アベノミックスは果たしてうまくいったのか。失敗したとは言えない。数字上景気は好景気。雇用状況も求人難。アルバイトの時給も上がっている。外国人がどんどん日本に来ている。株価も上がっている。円安のおかげで輸出好調。しかし万全かというクェッションが付く。国債金利は上がらない。財政規模は膨らんだ。

 

第一の矢の金融緩和とはお金をジャブジャブ出せばインフレとなる。そういう考え方。財政政策をどんどんやるのはケインズの考え方。政府は公共投資をして率先して経済を動かす。フリードマンはケインズ派が嫌い。『市場経済は競争によって成り立っているので、政府が介入するのは良くない』というのがフリードマンの考え方。政府のやることは物価を上げたり下げたりすることだ。『景気が悪い時は政府が出て来るべし』というのがケインズの考え方。

 

この第一の矢と第二の矢をやっているのはかなりアクロバットなやり方。安倍と黒田はそれを分かったうえでやっているのであろう。考えようによってはこれは恐ろしい。政府の国債発行分を日銀がファイナンスしている。財政を中央銀行がファイナンスしてしまうというのは規律がなくなる。政府の赤字分を中央銀行が出して来る。実際の企業の設備投資に流れていない。あり得ないことをやってこの程度の事しかできない。

 

第三の矢で成功すると安倍氏は言う。『成長戦略さえうまくいけば財政はうまくいく。成長戦略の中心はAI(人工知能)。ロボット、ITなどの新しいテクノロジーが社会を変えてしまう。これさえうまくいけばいい』と安倍さんは思っている。

 

新しい産業革命が起れば生産性は上がる。もう一度経済成長できる体質に変えようと言って来たがこの考え方は駄目。グローバル競争は破綻している。経済成長すれば良くなるという考えは限界に来ている。経済成長至上主義は止める。IT革命を起せば生産性は高まると言われた。経済効率性が高まると言った。ではどうだったのか。GDPは増えなかった。IT革命は経済効果は殆ど無かった。企業生産性を高めたが、そこで働いていた人々は仕事を失った。

 

供給が二倍になれば需要も二倍に増えねばならない。そうではない経済は良くならずデフレになる。需要を増やすのは難しい。高齢者はみんな金を持っているが物を買わなくなった。預金している。

 

イノベーションが人間を幸せにするかどうかわからない。携帯電話の普及は家庭を崩壊させた。若者はブランド物に興味無し。若者はコンビニがコーヒーを買ってスマホを見ている。金融資産だけが増えてしまう。欲しい物が無い。

 

生活の質を考えるべし。量で考えるべきではない。適正規模を考えるべし。経済を大きくすればいいという考えを変える。巨大災害が来たらどうするのか。質の良い社会・システムを作るのが大切。安倍氏の経済政策が上手くいけばそれを考えてほしい。日本は成熟経済時代に入った。ゼロ成長だと貧しいというのは間違い。ゼロ成長時代に東京は大変化」。

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千駄木庵日乗二月十五日

午前は、諸事。

昼は、若き友人と懇談。意見交換。

午後四時より、新宿にて会合。北方領土問題について討議。

帰宅後は、原稿執筆。

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三角育生氏(内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター副センター長・内閣審議官)による「サイバーセキュリティ戦略の改定について」と題する講演内容

昨年七月二十五日に開催された「第十回サイバーセキュリティ月例セミナー・サイバーセキュリティ戦略の改定について」における三角育生氏(内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター副センター長・内閣審議官)による「サイバーセキュリティ戦略の改定について」と題する講演内容は次の通り。

 

「サイバーセキュリティのサイバー(空間)には色々な文明・文化がある。社会の変化がある。それを見据えてサイバーセキュリティを考える。新しいサービスがどんなことができるか。従来の人間社会が作って来たものが、新しい構造になっていく。それを悪用することによって想定外の事が起きる。

 

サイバー(空間)を使って起って来る。オリンピックでも何か仕掛けられたら大変。自由・公正・安全なサイバー空間を維持する。政府が管理する権限があるという考え方がある。サイバー空間をどう規律していくか。国連でも意見が対立。日本は自由主義の立場。インターネットの世界は、政府が関与せず民間の力で発展してきた。

 

新しい民間の力で技術開発が進んできている。自律的に安全のシステムが回ってゆく環境を作っていきたい。『任務保証』は聞き慣れない言葉。サイバーセキュリティを確保するのが目的となっている場合があるが、人、組織、ビジネスミッションがある。そこに遂行するのが目的。

 

ICT(情報・通信に関する技術の総称)の普及で色々なサービスが実現。安全のレベルの違いがある事が脆弱性になる。国際標準化・言葉の統一を提案している。

 

サイバー空間をクリーンアップする。国民が安全安心の生活ができる。積極的サイバー防衛。防犯カメラが適切に設置されているかどうか。重要インフラ・サービスを安定して提供するために、サイバーセキュリティが重要。行動計画を立てる。戦略性を持って出来るだけ自動化を導入したい。

 

学問の自由を守るためのセキュリティ。オリンピック開催中のサイバーセキュリティ確保。自分の情報は他人と共有したくない。何よりも大事なのは人材。組織的対応をしなければならない。戦略・研究開発が大切」。

 

モデレーターをつとめた山口昇元陸将・元内閣官房参与「防御するには攻撃能力を持たねばならない」と語った。

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千駄木庵日乗二月十四日

朝は、諸事。

午前は、東京大学医学部付属病院に赴き、診察を受ける。入院時よりも安定しているとのこと。しかし、安静な生活を続けてほしいとのこと。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、印刷所へ送付。

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2019年2月14日 (木)

オピニオン雑誌『傳統と革新』第三十一号

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オピニオン雑誌『傳統と革新』第三十一

平成三十一年一月発行 たちばな出版発行 四宮正貴責任編集

[特集] 天皇御譲位・皇位継承と永遠の日本

ー新しき御代を迎える意義ー

「巻頭言」御譲位・皇位継承と天皇國日本の道統               四宮正貴  

「インタビュー」

 ご譲位、そして新しい御代へ 日本の文化を継承するーその中心を担う皇室というご存在

                                     曽野綾子  

 天皇陛下ご譲位に現れる真のシンボリズムとしての「象徴」と行動で果たす機能としての「象徴」                                   小堀桂一郎 

 國體を第一に重んじ、日本の傳統と文化を継承し発展させることが、真の保守主義だ 

                                 前原誠司  

今上天皇のご譲位ー學友として感じた陛下の深遠なるご尊厳      明石元紹  

「佐藤優の視点」安倍晋三首相の北方領土戦略と対米自主外交     佐藤優   

天皇陛下は、御譲位によって、御自ら戦後憲法体制を超えられるのだ  西村眞悟  

大嘗祭を考える                          茂木貞純  

日本社會存続の危機……生前譲位がもたらした問いかけ        三宅義信  

永遠の日本ー神話、皇統、大麻ー                  新田均   

天皇陛下御譲位における「先例重視の傳統と儀式」          山村明義  

皇位継承と日本國憲法                       高乗智之  

新たなる大御代に希うもの                     折本龍則  

日本と皇室 日本國民と天皇の存在                 濱田浩一郎 

「聞き書き」

「ご譲位」は戦後初めて示された天皇の“ご意思” 政府はこの大御心をしっかり受け止めよ                            上杉隆   

「提言・直言」

皇位の安定的な継承に向けて國民の議論を              海江田萬里    

天皇は日本國家不可分であり、過去・現在・未来を通して、國民の心棒でもある

                                 北神圭朗  

御代替わりと憲法上の矛盾、曖昧を超える一考察     木村三浩  

 「連載」

 「やまと歌の心」                        千駄木庵主人 

 「石垣島便り25」異國の地に眠れる英霊よ、安かれ。ミンタルの戦没者慰霊祭にて

                                 中尾秀一  

「憂國放談」第三回 御代替わりを前に噴出する神社本庁の不祥事   犬塚博英  

 傳統と革新バックナンバー一覧                   

 取り扱い書店一覧                        

編集後記 

定価 本體価格1000円+税。 168頁

168〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 

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わが国は朝鮮半島に対して如何に向き合ひ如何に対処すべきか

 

今後、わが国は朝鮮半島に対して如何に向き合ひ如何に対処すべきかについて、葦津珍彦氏は次の如くに論じてゐる。

 

「日韓両民族が、一視同仁の聖天子の兄弟たるべき時代は消え去ってしまった。…仲のわるい隣邦の外国人にすぎなくなった。日本人の道義も失はれ、金権の外に考へない気風に汚染されている。韓国人は自ら国を亡ぼしてしまった歴史を、ことさらに抹殺して、日本をただ悪者にして、公正の歴史をゆがめて、対日請求のやくざ集団のような思想にとりつかれている。ここでは、はっきりと日韓は別国とわり切って、冷徹な国家対国家の国際公法の『理性』に立ち、相和すべき理があれば和するが、対決すべき理があれば同志を拒否し対決するとの原点に戻って、初めから、出直す外にあるまい。その対等対決の中から、自らにして兄弟の情のわき出るを切望するが、心にもない特殊、非情理な、拵え事のだらだら回想情操論は一旦打ち切った方がいい。今の條件で日本天皇と親しむ者には親しみ、敵対する者には敵対するがいい。異国人相手の交際からの出直しだ」(『朴鐡柱君悲痛の生涯』・「朴鐡柱大人を偲ぶ」所収)

 

全く同感である。日本と韓国とは近親でも身内でもない。異文化・異民族であることをもっと確認すべきだ。当たり前のことだが、日本と韓国とは別の国であり別の民族である。地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣国家ではない。

 

また、アジア・東洋で一括りにすることはできない。アジア諸国家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違ひがある。それぞれ個性がある。

 

全世界の国家がさうであるやうに、東アジアにおいても大陸国家と半島国家・海洋国家とに分けられる。支那は大陸国家であり、朝鮮は半島国家であり、日本や東南アジア各国は海洋国家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島国家であるといふ。大陸国家・半島国家・海洋国家が「共同体」を形成することはきはめて難しいといふか、不可能に近いと考へる。

 

かつて「東アジア共同体」という言葉が流行った。日本と支那が「共同体」を形成するといふことは、日本が大陸との関係を今日以上に深めるといふことである。これまでの歴史で、日本が大陸に進出して成功したためしはない。

 

「大西郷の精神」「大アジア主義」は今日においてこそもっとも大切である。何故なら今の日本は、幕末・明治のわが國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れてゐるからである。そしてアジアにおいて中華帝国主義の暴虐が吹き荒れてゐるからである。

 

日本民族は誇りを回復し、かつて白色人種の世界支配からアジア・アフリカを救ったように、今日においてはアジアにおける最大の覇権国家・軍国主義国家たる共産支那のアジア侵略支配策謀を粉砕するために努力しなければならない。

 

ただし、近代日本の大陸および朝鮮半島との関係史に学ぶことは、支那大陸・朝鮮半島に、政治的経済的軍事的に深入りしてはならなといふ事である。

 

國史を省みるとわが國が支那大陸に深入りするとろくなことがなった。亡國の危機に至る事さへあった。特に昭和前期の日本は、軍事的・政治的に大陸に深入りし、ソ連・中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦ひとなって日米戦争にまで進み敗北した。

 

戦後の「日中友好」「日韓友好」も同じ誤りを繰り返した。「日韓基本条約締結」「日中國交回復」以後、経済的に深入りして金と技術を支那や韓国に投入し、共産支那を軍事大國にしてしまった。また韓国も日本に対して竹島を占拠し続け反日策謀を繰り返してゐる。その結果、主権と安全と独立が脅かされてゐる。北朝鮮に対しても朝鮮総連を通じて事実上の経済支援を行ったが、今日わが国の核攻撃の恫喝を行ってゐる。

 

支那と朝鮮が日本にとって福澤諭吉が言った「悪友」であることは今日ますます事実として明らかになってゐる。今日のアジアにおいて、「殘忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻」な国は、支那と北朝鮮である。支那朝鮮がこれ以上理不尽にわが国を圧迫して来たら、破邪の剣を振ふより致し方ないのである。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言ってゐられないのである。

 

今日における、「大アジア主義」とは支那・朝鮮との関係の「謝絶」であり、台湾、ベトナム、フィリッピン、オーストラリア、アメリカといふ海洋国家との連携である。

 

中華帝国主義国家の膨張・侵略を防がねばならない。支那・朝鮮がわが國の隣國であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」とやらをするべきではない。「悪友」の侵略・不法行為から、わが國の独立と主権を守るために、わが國の尊皇攘夷精神を発揮して「處分す可きのみ」である。

 

わが國は、自國の力を強めると共に、アメリカや東南アジア諸國との連帯を深めて、中華帝國主義とそれに事大する暴虐南北朝鮮に対処すべきである。これはすぐに戦争を開始するといふ意味ではなく、国防体制をより増強して侵略から祖国を守り祖国を守るといふことである。

 

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千駄木庵日乗二月十三日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、『萬葉集』作者未詳歌を講義。質疑応答。

帰宅後も原稿執筆。

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2019年2月13日 (水)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 二月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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日韓関係について

 

事大主義(じだいしゅぎ・小が大に事(つか)えること)が韓国の歴史的外交姿勢である。強い方に着く。近代史の限っても、支那・ロシア・日本・アメリカそして最近は支那に事えている。新羅・高麗・李朝など朝鮮半島に生まれた王朝の多くは、支那大陸の中原を制した国家に対して事大してきた。朴正煕は「自律精神の欠如」としてこれを批判していた。真の王朝を大中華、自国を小中華として喜んでいた。

漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた迎恩門とは、支那皇帝の臣下であり、冊封国であった李氏朝鮮の歴代の王が、明代および清代の支那皇帝の使者を迎えるための門である。迎恩門とは恩のある支那皇帝の使いが通る門という意である。

 

崔基鎬氏によると、迎恩門は朝鮮国王が三跪九叩頭の礼によって明代および清代の支那からの使者を迎えた場所である。その迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は、清の使節団が滞在する建物である。慕華館とは字面を見ても明らかだが『中華を慕う館』という意である。

 

かくの如く李氏朝鮮は、支那の属国であった。韓国は弱いものをいじめる。事大主義は今も生きてゐるのだから日本は韓国に強き対処した方がいい。韓国に対して強く出た方がいい。

 

韓国は、血縁集団の集合体である。宗族とは男子単系血族で構成される同姓血縁集団であるという。全州李氏・慶州金氏とかいうのがある。この相続が男系の子孫を確保するために他の異姓の血縁集団と婚姻関係を結ぶ。

 

しかし、女性は婚姻によって他家に移っても、宗族の系図(族譜)に名が記されることがない。女性は男子単系血族の子孫を生む<道具>に過ぎない。従って、父系祖先の祭祀には通常、女性は参加できない。いわんや祭祀主になることはできない。

 

支那韓国の最高の徳目は「孝」。そして儒教の「孝」とは単に両親を大切にすることではなく、両親と祖先への孝であり、家系を継ぐべき男子を生むことが大切である。

 

日本人が「忠」を大切にするのは非血族を含む「家」の存続を大切にするからだと呉善花氏は言う。わが国皇室には「姓」はない。

 

日韓併合は侵略搾取だったのか、近代化促進だったのか。韓国民の反日感情は永遠に解消されないのか。

 

日本と韓国は、文化的・宗教的相違点と相似点を正しく考究する必要がある。私は、日韓にはあまり相似点はないと思う。我が国と韓国の関係は近親憎悪と言う人もいるが本当に「近親」なのか。我が国と韓国とでは儒教・仏教の受容の態度も異なる。

 

日本はキリスト教を受け容れなかったが、韓国は受け容れている。キリスト教徒が多いのは何故か。しかも韓国にはオカルト的なキリスト教が多いのはどういうことか。

 

多神教であり自然を神として拝み、八百万の神を拝むため、一神教が浸透しなかった日本と、一神教を信ずる人が多い韓国とは基本的に信仰精神・文化感覚が異なると思う。日本は包摂・包容の文化であり、韓国は排他・独善の文化である。

 

呉善花さんは、「韓国には日本の神社や神道というクッション(媒介)がないため、日本のように、多神教の持つエネルギーを現代市民社会のより高度な発展へと向かう力に変えることができていない」「韓国の多神教の伝統は、日本のようにクッションを通して市民社会の無意識層に浸透しているものではなく、市民社会とは別個に、田舎、あるいは前近代的な場においてだけ、各地に細々と生きているにすぎない。この点日本と大きく事情が異なっている。韓国は儒教、キリスト教という外来の器に自前のシャーマニズムを流し込んでゆくが、日本は神道という自前の器に外来の宗教を受け入れ飲み込んでしまうのである」と述べている。(『續スカートの風』)

 

また「日本語の文字には漢字、カタカナ、ひらがながあって、どんな外国語の受け入れにも対応できるようになっている。受け入れを身上とする日本文化ならではのものと言えるだろう。漢字で中国大陸から入った文化用語や形式的な言葉に対応させる。またカタカナで主に欧米からの外来語に対応させる。そして、平仮名によって固有語をそのまま残すことができる」と論じている。(『續スカートの風』)

 

儒教は、「怪力乱神を語らず」という思想があるが、韓国にシャーマニズムが残っているのは何故か。

 

最近の日本に「ヘイトスピーチ」「レイシズム」が起きていると言うが、憎悪表現・人種差別は韓国の方がひどいのではないか。

 

反日・嫌韓は無くならないのか。無くす手立てはないか。日本人は、韓国とは異文化・異民族であることをもっと確認すべきだ。日本と韓国とは近親でも身内でもない。別の国であり別の民族である。地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣国家ではない。相当の違いがある。つまり日本は韓国に深入りしない方が良いのである。

 

アジア・東洋で「ひとくくり」にするのも誤りである。アジア諸国家・諸民族には大きな違いがある。それぞれ個性がある

 

日本人そして日本文化は排他的ではないのに、韓国のそれは何故排他的なのか。

 

日本近代は開国攘夷、韓国近代は鎖国攘夷であった。韓国が近代化できなかった原因は何処にあるのか。

 

韓国政治家の、天皇陛下に対する許し難い侮辱発言、さらに、反日デモ隊が、天皇陛下やわが国政治家の人形を路上で焼いたりして侮辱するは許し難い。この事で、「日韓友好」などという事は金輪際あり得ない。

 

竹島問題は取られたら取り返せばいいだけの事である。今の日本にその決断と実行力がないだけの事である。

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千駄木庵日乗二月十二日

午前は,諸事。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、八木秀次麗澤大学教授インタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、原稿執筆など。

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2019年2月12日 (火)

最近考えた問題

最近考えた問題を書きます。

 

一、自衛隊が違憲でなければ加憲の必要はないのではないか。私は、自衛隊はどう考えても違憲であると思う。しかし、憲法が間違っているのだから、そんな憲法は一日も早く無効にして、自衛隊を正しく国軍にすればいいのである。加憲すると、日本國體を隠蔽している『現行憲法』が「日本国民の自由に表明した意思」によって制定されたことになる。即ちいわゆる自主憲法になるのではないか思う。

 

二、「退位」では「皇統連綿」を否定することになりはしないか。「天津日嗣の継承」即ち「譲位」であるべきではないか。

 

三、政府も国会も、皇室や日本の伝統よりも『現行憲法』の規定を重んじる姿勢を貫いている。「憲法は権力の制限規範」とされている。日本天皇は、祭祀国家日本の祭祀主であらせられ、本来政治権力者ではあらせられない。『現行占領憲法』にも、「第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。

 

四、「大嘗祭を国費で賄うことは憲法に抵触する」という意見がある。しかし、『現行憲法』第二十条では、「宗教上の行為、祝典、儀式または行事」などについては、「国及びその機関」の関与を禁止していない。憲法でいふ「宗教的活動」とは「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」(昭和五十二年・津地鎮祭訴訟最高裁判決文)です。つまり、政府などの権力機構が特定宗教の教義を宣布し、国民に特定教団に対する信仰を押し付け、特定の教団の活動を規制する事を禁止しているのである。大嘗祭の「目的」がそうした特別な「宗教的意義」を持つものでなく、また「効果」として「特定の宗教に対する「援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる」ようなことがないことはあまりにも明らかである。第一、皇室は宗教団体ではない。大嘗祭は、天皇の御即位と一体の伝統的祭祀であり権力行為ではない。。よって大嘗祭の「公的斎行」は「権力の制限規範」である憲法上何ら抵触しない。

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2019年2月11日 (月)

千駄木庵日乗二月十一日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、明日のインタビューの準備、『政治文化情報』の原稿執筆。明日行う『萬葉集』講義の準備など。忙しい一日でした。

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第92回日本の心を学ぶ会

 

92回日本の心を学ぶ会

 

テーマ 「建国記念の日―紀元節について」

 

211日は建国記念の日=紀元節です。

 

この日は「国民の祝日に関する法律」 に「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことが目的として定められた祝日です。

全国各地でさまざまな式典が開催され、神社ではお祭りが行われたています。もともとこの日は「紀元節」とされ、初代神武天皇が即位された日です。

 

戦後、日本を占領したGHQは「新憲法下での祝祭日にふさわしくない」として、当時の政府に改廃を勧告し、「紀元節」はカレンダーから消えることとなりました。

 

しかし、「紀元節」の復活を求める声は大変に強く心ある多くの国民が運動を展開しました。

 

特に神社界などの真正保守勢力は伝統の護持復活にもっともふさわしい運動であるととらえ、占領期間中から総力を挙げ「紀元節」の復活を訴えました。

 

このような運動の結果、社会党・共産党などの反日勢力の妨害を打ち破って、昭和41129日、「建国記念の日」は制定されました。事実上の「紀元節」復活です。法案提出から九年、紀元節の廃止から18年もの歳月が費やされました。

 

しかし、「建国記念の日」が制定されて約半世紀が過ぎてもまだ反日勢力・國體破壊勢力による「建国記念の日」反対運動が続けられています。反対勢力は未だに二月十一日に「紀元節復活反対」をさけぶ集会を開いております。

 

さらに制定の過程で議論された、『現行占領憲法』が押し付けられた五月三日や、『サンフランシスコ講和条約』が発効された四月二十八日を「建国記念日」とすべきであるという主張がまだ一部で出されています。

 

こうした動きは、日本建国の精神や国体観念のを否定する動きであり看過することはできません。

 

さらに言えば、自民党は、谷垣禎一氏が総裁を務めていた野党時代に選挙公約として「建国記念の日に政府主催の祝賀行事を行うと宣言しておきながらいまだに実現していません。

 

そこで二月の勉強会では「建国記念の日-紀元節」について学んでみようと思います。

 

【日 時】平成31224日 午後6時から

 

【場 所】文京区民センター 2-B

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html 文京区本郷4-15-14/03(3814)6731

都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2

 

【演 題】日本建国の精神と現代維新

 

【講 師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

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千駄木庵日乗二月十日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』原稿執筆、資料整理など。

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この頃詠みし歌

節分会都の空に声響く

 

鬼やらひの声響きけり古寺の庭

 

御先祖の墓所を浄めて安堵する節分会の夕べの風寒きかも

 

薬の副作用なるかこの頃はもの忘れ激しくなりにけるかな

 

何とまあ集合場所を忘れ果て別の場所にて人を待ちをり

 

人の名前必ずすぐに出て来ない 顔はありありと目には浮かべど

 

似非憲法立てて国を滅ぼすか立憲民主などと言ふ輩たち

 

三十年来共に歩み来し友ら皆それぞれに老いにけるかも

 

永遠に若き命を謳歌して生きたけれども時は過ぎゆく

 

スカイツリーの真上に昇り来し太陽を仰げば生きる力湧き来る

 

大いなる神の力のさきはへを受けてわが身は振ひ立つなり

 

大日輪の光を浴びしわが身には神の力の漲りて来る

 

総理官邸に向かひて歩けば若き警官二人が我について来るなり

 

何処に行くのかと聞きたい顔してついて来れどそれを無視して我は前進

 

簡単に手に入れやすき幸せとはうまき物を食すことと誰かが言ひぬ

 

人の死が身近になれば死といふを恐れることが少なくなるや否や

 

格好良いことを歌へどいざとなれば一日も長生きをしたいと思ふであらう

 

 蕎麦屋の女将が深々とお辞儀せり この頃行かないことを悔やみぬ

狭い町に蕎麦屋は一軒しかあらざれば時々行かねばならぬとぞ思ふ

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2019年2月10日 (日)

今日思ったこと

 

民主党政権が悪夢だったのは間違いない。鳩山菅政権が良き夢だったと言うのか。私は何でもかんでも安倍支持ではない。九条への加憲には大反対である。しかし、何でもかんでも文句を言う石破氏には嫌悪感を覚える。

 

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尾崎秀實・風見章の謀略工作について

大東亜戦争・第二次欧州大戦の結果、最も利益を獲得したのはソ連である。アジアにおいてもヨーロッパにおいてもソ連は、その勢力範囲を飛躍的に拡大した。ソ連を護りソ連の國家戦略に協力するための謀略をわが國において行なったのがリヒャルト・ゾルゲであり、尾崎秀實である。 

 

ソ連は、わが國と締結してゐた『日ソ不可侵中立条約』を一方的に踏みにじり、日本及び満州に侵攻して来た國である。そして、多くの日本國民を殺戮し、強姦し、数十萬同胞をシベリアに拉致し、強制労働を課して十数萬人を殺した國である。且つ、南樺太全千島といふわが國固有の領土を奪った國である。

 

このやうな悪逆非道の國から、一九六四年に『ソ連邦英雄』の称号を与へられたゾルゲとその手先の尾崎を、われわれ日本國民は永遠に許してはならないのである。

 

尾崎の罪の深さはわが國においてソ連のためにスパイを行なったことだけではない。彼は、わが國を戦争へと追ひ込む謀略活動を行ひ、わが國を未曾有の敗戦に導いた一つの要因を作った民族の裏切り者である。尾崎秀實は、近衛内閣嘱託といふ立場を利用して、わが國の世論や近衛内閣の政策決定に影響を与へ、支那事変・日米開戦を煽動し、わが國を敗戦へと導いた。

 

これは、レーニンの「社會主義の勝利にいたるまでの基本原則は資本主義國家間の矛盾対立を利用して、これら諸國を互ひにかみ合はすことである。」(一九二〇年十一月、モスクワ共産党細胞書記長會議)といふ戦略、そして一九三五年にモスクワで開催された『第七回コミンテルン大會』において決定された「米英と日独といふ資本主義國家同士を戦はせて、双方とも疲弊させ、ソ連への圧迫を排除して上で、米英を打倒してソ連の世界制覇を實現する」といふ戦略に基づくものであった。

 

さらに昭和七年(一九三二年)八月~九月のコミンテルン第一二回総會が行なった決議は、米英仏日独といった『帝國主義列強』を互ひに対立させ、戦争に追ひ込め、といふ戦略指令であった。日本について言へば、①日本を米國との戦争へ追ひ込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ、といふことが書かれてゐたといふ。

 

ソ連共産党の謀略機関も、ソ連政府の外交機関も、この目標に向けて一斉に活動した。ゾルゲ機関は、日本の政治中枢や軍部へ浸透を図って米國との対決路線に追ひ込み、また、マスコミにも、反米英を主軸とした排外主義(『鬼畜米英』)を吹き込んだ。一方、米國内でも、ソ連の手先によって排日機運の盛り上げが工作されてゐた。

 

ソルゲと尾崎などのコミンテルンのエージェントたちは、当時わが國内で澎湃と湧き起こって来てゐた「國家革新」「東亜解放」といふ正義の主張をたくみに利用して、日本がソ連よりもアメリカ・イギリスを主敵とし、ソ連と戦ふよりも「米英を撃つべし」といふ世論を煽った。『革命の祖國・ソ連』を守る為に日本を「北進」させてはならず、そのために「南進論」を煽ったのである。また、日本と蒋介石政権の和平を図る動きを妨害したのもゾルゲと尾崎である。その協力者が、第一次近衛内閣の書記官長・風見章であった。風見章は戦後何と左派社会党の国会議員になった。そして「日ソ友好」に狂奔した。彼は戦前から確信的共産主義者だったのである。

 

わが國と蒋介石政権が全面戦争に突入した原因である西安事件も蘆溝橋事件も、ソ連と中共の謀略であったことは今日明らかになってゐる。張作霖爆殺事件もその真の下手人はソ連であるといふ説がある。

 

かくて、日本軍部の進路は米英との対決以外になくなり、日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである。

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千駄木庵日乗二月九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、資料の整理など。

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2019年2月 9日 (土)

日本共産党の本質

日本が日露戦争に勝利したことにより、帝政ロシア=ロシア帝国は衰退し、共産革命(いはゆる十月革命)か起こった。これでロシアの世界侵略の野望が途絶えたかといふと決してさうではなかった。ロシアとって代ったソ連は「国際共産主義運動=世界赤化、万国の労働者団結せよ」を合言葉・スローガンにして世界侵略支配の野望を益々たぎらせた。

 

そして、共産主義・ソ連の世界侵略による殺戮の歴史が開始された。我が國及びアジアにおけるその手先が日本共産党などの日本国内の共産主義革命集団である。

 

日本共産党は、国際共産主義運動の指導組織と言ふよりも、世界共産化・ロシアの世界侵略の謀略組織たるコミンテルン日本支部として大正十一年(一九二二年)に創立したのである。日共は創立当初から大侵略国家ソ連の手先であり出先機関なのである。

 

日共はソ連・共産支那・北朝鮮などの共産主義独裁国家・全体主義国家と同根の政党であり本質は全く同じである。日共はソ連の世界共産化謀略組織「コミンテルン日本支部」として創立した政党であり最初から共産主義侵略國家の手先なのだ。

 

それは日本共産党自身が「日本共産党は、一九二二年(大正十一年)七月十五日、コミンテルンと片山潜の援助のもとに創立されました」(『日本共産党の四五年』)「日本共産党は、…十月革命の影響のもとに、創立されました」(日本共産党中央委員会出版局一九七三年発行『共産主義読本』)と書いてゐる通りだ。

 

さらに、日本共産党創立時にその準備段階から参画し、中央委員となり、綱領作成に携った鍋山貞親氏は、その著書『共産党をたたく一二章』において、「日本の共産党は、一九二二年に成立して以来、四十四年近くの長きにわたりソ連に完全従属して来たことは、否み得ぬ事実である。党の憲法ともいうべき綱領を、よく顧みるがよい。一九二二年、創立した時の綱領はモスクワ製である。ニコライ・ブハーリンが書いて、日本に与えたものだ。次いで第二回目の綱領、いわゆる二七年テーゼもソ連製である。…第三回目の綱領、天皇制打倒を真向うにふりかざしたそれは、文字通りモスクワ製であり、しかも一方的押しつけである。…時を経て、一九五一年に打ち出された第四回目の綱領はどうか。この綱領は端的な暴力革命を指示した点で、有名なのだけれど、これまたモスクワ製である」「革命のための綱領を押しつけるだけではない。それに基づく活動に必要な資金をまかなわれてきたことも事実である。…世間一般が共産党をしてソ連の手先だと見たのも、決して見当ちがいではなかったのである」と。

 

ロシア十月革命直後の二年間で粛清・処刑された人々は一百万人と言はれる。そしてアジア・東欧・アフリカなど全世界における共産主義革命侵略闘争による犠牲者は一億七千万人に上ると推計されている。(ニューヨーク市立大学アルバート・ウィークス教授の推計)共産支那の「文化大革命」といはれる毛沢東による政敵粛清・自国民虐殺、ガボジアのポルポトによる人民虐殺を加えるともっともっと多くなるであらう。

 

志位和夫は安倍氏の発言を「日本国憲法の平和主義に真っ向から反する」などと非難したが、共産主義思想、共産主義独裁専制国家、共産主義政党・集団こそ、この百数十年間、世界・アジアそしてわが国の平和・自由・繁栄を根柢から破壊して来たのである。共産主義独裁専制国家及び集団組織の最高権力者は人殺しである。

 

プーチンはこれまで、反対派粛清・暗殺を指令した。金正恩は気に入らない人間は自分の叔父でも残虐なる方法で殺している。習近平は、形だけの裁判は行うが、敵対者・邪魔な者を監獄に放り込んでいる。ロシア・支那・北朝鮮の独裁者は根本的にさういう体質を持ってゐる。日共の最高指導者だった野坂参三も宮本顕治も、同志を死地に追いやり、そしてリンチを加へて死に至らしめた。

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千駄木庵日乗二月八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆など。

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2019年2月 8日 (金)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 二月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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蒲生君平について

 

千駄木の隣町台東区谷中には言うまでもなく歴史的・文化的に大事な寺院・建物・墓所などが沢山のこされている。

 

谷中の龍興山臨江寺というお寺には、蒲生君平のお墓がある。

明治二年(一八六九年)十二月には、その功績を賞され、明治天皇の勅命の下で宇都宮藩知事戸田忠友により宇都宮と東京谷中臨江寺に勅旌碑が建てられた。それには『忠節 蒲生君平墓 宇都宮藩知事戸田忠友奉行』と刻まれている。戸田氏の御墓も谷中霊園にある。

 

君平の作であろうと推定されている『幕罪略』(徳川幕府の罪を略述したという意であろう)という書物には、『狭小なる禁中に、天皇を禁錮し奉り、二百年行幸も之れ無き事』など二十箇条の幕罪を数えたてられているという。

 

蒲生君平は、明和五年(一七六八)下野国宇都宮新石町の生まれ。『太平記』を愛読し、楠木正成や新田義貞らの尊皇精神に感激する。ロシア軍艦の出現を聞き、寛政七年(一七九五)陸奥への旅に出る。さらに寛政十一年(一七九九)、三十二歳の時、天皇御陵の荒廃を嘆き、皇陵調査の旅に出る。享和元年(一八〇一)『山陵志』を完成する。その中で古墳の形状を「前方後円」と表記し、そこから前方後円墳の語ができたといふ。

 

さらに、文化四年(一八〇七)には、朝廷の官職についてまとめた『職官志』を著した。翌五年、北辺防備を唱へた『不恤緯(ふじゅつい)』を著す。そし文化十年(一八一三)江戸で四十六歳の生涯を閉じた。

 

蒲生君平は次の歌をのこしてゐる。

 

「比叡の山 見おろすかたぞ あはれなる 今日九重の 數し足らねば」

 

「比叡山より見おろす方向を拝すると悲しい。平安時代には九重(支那の王城は門を九重につくったところから、御所、宮中のことを言ふ)と歌はれた数には足らない狭小な御所なので」といふほどの意。

この歌は、年代的に考へて、高山彦九郎の志を継承し倣って詠んだと思はれる。その「志」とは言ふまでもなく、徳川幕府専横の時代にあって、上御一人、一天万乗の君がをられる京の御所が余りにも狭小であることに慟哭し、天朝の神聖なる威厳の回復を祈り奉る「尊皇の志」である。

 

川田順氏はこの蒲生君平の歌について、「勿體なくも宮闕は荒廢して天子の歴史的御座所たる舊観を備へない。九重の數は足らずして、てのひらほどの大宮所と拜せられる。山陵の荒廢を慨して志を立てた君平である。況んや、現に至尊まします所の宮殿が此の御有様なるを見て、涙滂沱たらざるを得んや」(『幕末愛國歌』)と論じてゐる。

 

徳川幕府専横の時代に、尊皇の志を立て、且つ実践した高山彦九郎・蒲生君平の御所の狭小さを嘆く歌は、大きな悲痛と慟哭が巨大な悲しみを以て讀む者の胸に迫って来る。

 

蒲生君平の「皇陵復興の志」は脈々と受け継がれて、水戸藩第九代藩主・徳川斉昭(烈公)は、天保五年(一八三四)、幕府に対して山陵修補事業を建白した。文久二年(一八六二)、宇都宮藩が幕府より天皇陵補修を建白し、宇都宮藩は幕府より天皇陵補修の命を受け、家老・戸田忠至が山陵奉行に任じられた。蒲生君平が山陵復興の志を抱いて山陵探索の旅に出た寛政八(一七九六)年から六十九年の歳月が経って、慶應元(一八六五)年に、宇都宮藩による山陵修補事業が完成した。

 

尊皇精神に篤い人物が「奇人」と言はれること自体、徳川幕藩体制下の日本において、天皇・朝廷が軽視され、抑圧されてゐた証左であらう。

 

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『御即位30年・御成婚60年記念特別展 御製・御歌でたどる両陛下の30年』展を拝観して

本日拝観させていただいた『御即位30年・御成婚60年記念特別展 御製・御歌でたどる両陛下の30年』展は、

 

「本展は,天皇陛下のご即位30年を記念するとともに,天皇皇后両陛下のご成婚60年を祝して,ご即位後の両陛下の歌会始における御製と御歌を紹介し,それぞれの御歌の情景や関連する行事等の写真を展示することによって,両陛下の30年にわたる歩みを振り返ろうとするものです。

 

天皇陛下は,平成2888日のおことばにおいて,『私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。』と述べられました。また,天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすために各地を巡って多くの人々と触れ合われたことについて,『天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。』と述べられました。

 

両陛下の御歌には,先の大戦の犠牲者,苦難の歴史を歩んできた沖縄の人々,大震災等の自然災害による被災者,外国に暮らす日系人,それぞれの地域に暮らす様々な人々への思いが溢れ,国の平穏と国民の幸せを祈り続けてこられたお姿が凝縮しています。また,ご夫婦としての細やかなご配慮やご家族への愛情,静かな日々のお過ごしを詠まれた御歌からは,思わず心が和み,癒やされる余韻が伝わってきます。

 

本展では,この他にも両陛下のご著書や皇后陛下のご養蚕により修復された文化財,両陛下が相互にお取り交わしになった記念のお品も紹介しています。

 

本展の開催が,多くの人々の心の支えとなり,希望となってこられた両陛下の30年間に及ぶご活動を思い起こす一助となることを願いつつ,ここに,これまで温かくお見守りいただいた両陛下への感謝の意を表する次第です。」

 

との趣旨で開催された。

 

「平成30年御製『語』御懐紙」「平成21年御歌『生』御懐紙」「皇后陛下より

天皇陛下へ捧げられた『布目象眼魚文書鎮』」「天皇陛下より皇后陛下に賜った『糸箪笥』」「天皇皇后両陛下の御著書」「天皇皇后両陛下御肖像」(野田弘志氏作)「天皇陛下御撮影のお写真」「皇后陛下御撮影のお写真」、そして御即位以来本年までの「御歌会始」のために詠ませられた御製と御歌、それらの御製・御歌に関連する御真影、御行事のお写真などを拝観した。

 

御製、御歌そして御真影、お写真を拝観し、平成の御代を偲ばせて頂いた。皆すべて有難くも素晴らしい御製・御歌であるが、特に感銘した御製・御歌を記させていただきます。

 

平成二年「晴」

御製

父君を見舞ひて出づる晴れし日の宮居の道にもみぢばは照る

 

平成三年「森」

御歌

いつの日か森となりはて陵(みささぎ)を守らむ木木かこの武蔵野に

 

平成五年「空」

御製

外国の旅より帰る日の本の空赤くして富士の峯立つ

御歌

とつくにの旅いまし果て夕映ゆるふるさとの空に向かひてかへる

 

平成十二年「時」

御製

大いなる世界の動き始まりぬ父君のあと継ぎし時しも

 

平成十四年「春」

御歌

光返すもの悉くひかりつつ早春の日こそ輝かしけれ

 

平成十六年「幸」

御製

人々の幸願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ

御歌

(さき)くませ真幸(まさき)くませと人びとの声渡りゆく御幸(みゆき)の町に

 

平成十九年「月」

御製

務め終ヘ歩み速めて帰る道月の光は白く照らせり

御歌

年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて

 

平成二十六年「静」

御歌

み遷りの近き宮居に仕ふると瞳静かに娘()は言ひて発つ

 

平成二十七年「本」

御製

夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ

 

平成二十八年「人」

御製

戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

 

平成三十一年「光」

御歌

今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇(さうび)のみな美しく

 

 

 

やや暫くぶりに三の丸尚蔵館を拝観させていただき有難かった。三十年間の両陛下のご事績をお回顧させていただくことができた。天皇陛下がわが国の君主として君臨あそばされることは、大御歌と一体である。御製・大御歌によって我々国民は陛下の大御心を知ることができる。そして天皇皇后両陛下は、常に国民の幸せと国家の安穏・世界の平和祈られておられることを実感できる。これが我が国の国柄國體の素晴らしさである。

 

三の丸尚蔵館を拝観させていただき何時も思うことなのであるが、あまりにも狭いということである。今回の展覧会ももっと広い会場で開催されれば、もっと多くの御物やお写真などを拝観することが出来るのにという思いを強くした。

と共に日本皇室の質素さをあらためて思い知った。

 

天皇皇后両陛下の萬壽無窮、皇室の彌榮を衷心よりお祈りさせていただきます。

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千駄木庵日乗二月七日

朝は、諸事。

午前十一時より、永田町の参議院議員会館にて、中山恭子参議院議員にインタビュー。『伝統と革新』に掲載のためなり。終了後、会館内茶房にて、編集事務担当者と打合せ。

午後は、皇居東御苑内の三の丸尚蔵館にて開催中の『『御即位30年・御成婚60年記念特別展 御製・御歌でたどる両陛下の30年』展拝観。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2019年2月 6日 (水)

日露戦争について・承前

日清戦争に日本が勝利すると、ロシアはフランス・ドイツと謀り、遼東半島の支那への還付を要求した。「三国干渉」である。

 

「三國干渉」で遼東半島を横取りし「黒竜江上の悲劇」で数千の清國人を虐殺したロシアは、朝鮮半島を狙ひわが日本を窺った。

 

伊勢雅臣氏は『國際派日本人養成講座』といふ文章で、「このままロシアの南下を傍観していれば、いずれ朝鮮半島もロシアのものとなり、日本の連合艦隊に匹敵するロシア極東艦隊が目と鼻の先に本拠地を構えることとなる。この脅威は、たとえば現代においてシナが韓國も勢力圏において、海軍や核ミサイルを配備したと考えれば想像できよう。坐して死を待つよりも乾坤一擲の戦いに賭けようとした明治政府の決断に思いをいたすべきだ」と論じてゐる。

 

ロシアは、遼東半島をロシアに租借させ、大軍港を建設した。つまり遼東半島を日本から横取りしたのだ。ロシアといふ國は、偽善・欺瞞・老獪・不正義の國なのだ。それは今も変はってゐないことは、最近の北方領土交渉におけるロシアの態度を見て明らかだ。

 

その後、ロシアは着々と満洲に軍を送り込み、軍事基地建設を進めた。大連には兵営を作り、旅順には要塞を作った。

 

ロシアは、明治三十六年(一九〇三年)日本との交渉において満洲の独立と領土保全には触れず、日本が韓国に派兵することを禁止し、さらに朝鮮半島北部の「中立化」を唱えて満州におけるロシアの勝手な行動に対する日本の制御を排除した。

 

日本がこれを拒否すると、ロシアはロシア軍の動員令を下し、満洲の戒厳令を布き、戦争準備を行った。

 

ロシアの侵略策謀に対して、わが国はロシアに対して防衛戦争を開始しなればならなくなった。日本がロシアと戦はなければ、日本も朝鮮もロシアに占領されるか、属国になるしかなかった。そして明治三十七年(一九〇四年)、日露戦争が開始された。

 

中村粲氏は次のやうに論じてゐる。「日露戦争の重大意義は、アジア及び世界の抑圧された民族に希望と自信を与へ、その民族独立運動を促したことだ。…地理上の発見以後、アジアと年を追ひ、世紀を追うて西力東漸の波に洗はれ、白人国家の圧迫と支配を受けるに至った。…十九世紀末から二十世紀初頭にかけて…日本だけが、当時アジアで唯一の完全な独立国家であり、立憲政体と議会制度と近代的軍隊を持ってゐた。…日露戦争は有色人種の白色人種に対する勝利であり、また立憲国家の専制国家に対する勝利の戦日でもあった。日本の輝かしき勝利が、西洋列強の桎梏下に呻吟するアジア後進諸国に与へた衝撃は甚大で、日露戰爭は全アジアを覚醒、奮起せしめ、民族独立運動は澎湃として起り広がって行く。…アジアのみならず、長年ロシアの暴圧に苦しんできたフィンランド、ポーランド、スウェーデンなどの欧洲の国々も、ロシアの敗北を切望し、日本の捷報に歓喜した」(『大東亜戦争への道』)と。

 

日本が支那やロシアの属国にならないための戦い=日清・日露戦争は正しかったし、正義の祖国防衛戦争であった。

 

日本が支那やロシアの属国にならないための戦い=日清・日露戦争は正しかったし、正義の祖国防衛戦争であった。今日においても、ロシア、南北朝鮮、共産支那の軍事的・政治的圧迫に際会し、領土を奪取されてゐるわが国は、今こそ「大和心」を興起しなければならない。

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千駄木庵日乗二月六日

午前は、諸事。

午後は、資料の整理、原稿執筆、明日のインタビューの準備など。

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天皇国日本の生成は、祭祀による統合である

天皇国日本の生成は、祭祀による統合である

 

紀元節・建国記念の日が近づいてきましたので、わが国の生成について書いてみたいと思います。

 

わが国は、「豊葦原千五百秋之瑞穂國」(トヨアシハラノチイホアキノミヅホノクニ)と言ふ。トヨは美称。チイホアキは千年も五百年も長く豊作が続くといふ意。ミヅホは瑞々しい稲穂が稔るといふ意。稲作国家日本を祝福した言葉である。

 

つまり、この国土に生活してゐた人々は稲作生活を基本として共通の生活意識を持つやうになり、同一の祭祀や文化や言語を育むやうになったのである。

 

稲作は、一人で行はれることはない。田植えにしても刈り取りにしても共同作業である。さうした共同作業が周期的に繰り返されてゐる。さらに、稲作技術は祖先から継承するものである。さらに治山治水、田畑の生成も祖先の遺業である。つまり地域共同体と祖先の恩恵なくして、稲作生活は成り立たない。

 

そして、さらに根本的には、天地自然、太陽や水などの大自然の恵みなくしては稲作は成り立たない。

 

天地自然に感謝し、祖先に感謝し、豊作を祈念する行事が祭祀である。その祭祀・祭りは各家や共同体で行われる。かくして信仰共同体・祭祀国家が生成したのである。

 

その祭祀国家の基本にあったのは、共同体の中に生きる民衆の精神的物質的福祉即ち幸福である。民衆の福祉実現といふ根本的目的のために、祭祀が行はれ、その祭祀を中心として共同体が生々発展した。そして日本国全体の祭祀の中心的執行者が天皇であらせられる。古代においては、祭祀主と政治的統率者は一体であった。これを「祭政一致」と言ふ。

 

日本国を「ヤマト」と言ふ。高崎正秀氏は、舒明天皇の國見歌を論ずる論考で、「ヤマトといふトとは神座を指す意味を持ってゐるから、山の神事を行ふ座席――山の神座(カミクラ)――それがヤマトではなからうか。そこで行はれる神事儀礼呪術の威力の及ぶ範囲が同時にヤマトと呼ばれ、これが次第に国名になり、日本総國の国号にまで拡大されて行く」(『国見歌の伝統と展開』)と論じてゐる。

 

「大和」の語源は、「祭祀が行はれる山へ入り立つ口」即ち山の門(と)であり、山の門を抜けると広い平原=磯城平原に出る、そこを「やまと」と言ったといふ説もある。つまり、「やまと」とは「ヤマ・ト」(山の門=山の入口・「港」はミナ・ト即ち水の入口といふ)といふ意味である。

 

いづれにしても、「やまと」とは、日本天皇に祭祀よって統合された範囲の地を指すのである。天皇国日本の生成は、祭祀による統合なのである。

 

要するに、日本国家の成立は多くの祭祀共同体を統一する祭祀的統一であった。その祭祀的統一者・祭祀主が天皇であらせられる。日本国家統一の原基は、武力や権力による抑圧的支配ではなく、祭祀主の神聖権威である。古代日本信仰共同体の祭祀主が天皇である。祭祀主・日本天皇は国民と自然と神とのむすびの役目を果たされる。

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千駄木庵日乗二月五日

午前は、諸事。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、田久保忠衛氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、書状執筆。原稿執筆、資料整理。ゆったりとのんびりとと思ってはいてもなかなかそうはいかないので困っています。

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2019年2月 5日 (火)

日露戦争について

ロシアは満洲から朝鮮へ、朝鮮から日本へと侵略は拡大してきた。江戸時代末期において、ロシアは北海道と対馬の占領を企んでゐた。

 

すでに三百年以上前にピーター太帝(ピョートル一世。スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。また黒海海域をロシアの影響下におくことを目標とした。これらを達成するために治世の半ばを大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行)が「ロシアは世界を征服すべく、まづ東へ進出しなければならない」といふ侵略方針を立てて、シベリア全土を占領した。

 

ロシアはその後も、シベリアから満洲、蒙古、さらに支那・日本へと侵略の牙を伸ばしてきつつあった。日清戦争に日本が勝利すると、ロシアはフランス・ドイツと謀り、遼東半島の支那への還付を要求した。「三国干渉」である。

 しかもロシアは、遼東半島をロシアに租借させ、大軍港を建設した。つまり遼東半島を日本から横取りしたのだ。ロシアといふ國は、偽善・欺瞞・老獪・不正義の國なのだ。それは今も変はってゐないことは、最近の北方領土交渉におけるロシアの態度を見て明らかだ。

その後、ロシアは着々と満洲に軍を送り込み、軍事基地建設を進めた。大連には兵営を作り、旅順には要塞を作った。ロシアの侵略策謀に対して、わが国はロシアに対して防衛戦争を開始しなればならなくなった。日本がロシアと戦はなければ、日本も朝鮮もロシアに占領されるか、属国になるしかなかった。

そして明治三十七年(一九〇四年)、日露戦争が開始された。

明治三十七年二月十日に渙発された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』には、

「惟フニ文明ヲ平和ニ求メ列國ト友誼ヲ篤クシテ以テ東洋ノ治安ヲ永遠ニ維持シ各國ノ權利利益ヲ損傷セスシテ永ク帝國ノ安全ヲ將來ニ保障スヘキ事態ヲ確立スルハ朕夙ニ以テ國交ノ要義ト爲シ旦暮敢テ違ハサラムコトヲ期ス朕カ有司モ亦能ク朕カ意ヲ體シテ事ニ從ヒ列國トノ關係年ヲ逐フテ益々親厚ニ赴クヲ見ル今不幸ニシテ露國ト釁端ヲ開クニ至ル豈朕カ志ナラムヤ

 

帝國ノ重ヲ韓國ノ保全ニ置クヤ一日ノ故ニ非ス是レ兩國累世ノ關係ニ因ルノミナラス韓國ノ存亡ハ實ニ帝國安危ノ繋ル所タレハナリ然ルニ露國ハ其ノ淸國トノ明約及列國ニ對スル累次ノ宣言ニ拘ハラス依然滿洲ニ占據シ益々其ノ地歩ヲ鞏固ニシテ終ニ之ヲ併呑セムトス若シ滿洲ニシテ露國ノ領有ニ歸セン乎韓國ノ保全ハ支持スルニ由ナク極東ノ平和亦素ヨリ望ムヘカラス故ニ朕ハ此ノ機ニ際シ切ニ妥協ニ由テ時局ヲ解決シ以テ平和ヲ恆久ニ維持セムコトヲ期シ有司ヲシテ露國ニ提議シ半歳ノ久シキニ亙リテ屡次折衝ヲ重ネシメタルモ露國ハ一モ交讓ノ精神ヲ以テ之ヲ迎ヘス曠日彌久徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメ陽ニ平和ヲ唱道シ陰ニ海陸ノ軍備ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス凡ソ露國カ始ヨリ平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ毫モ認ムルニ由ナシ露國ハ既ニ帝國ノ提議ヲ容レス韓國ノ安全ハ方ニ危急ニ瀕シ帝國ノ國利ハ將ニ侵迫セラレムトス事既ニ茲ニ至ル帝國カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル將來ノ保障ハ今日之ヲ旗鼓ノ間ニ求ムルノ外ナシ朕ハ汝有衆ノ忠實勇武ナルニ倚頼シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス」と示された。

 

明治三十八年(一九〇五年)に日本が勝利すると、白人(かかる表現が適当であるかどうか疑問だが)によって侵略され支配されてゐた有色人種(この表現も適当かどうか疑問である)は、白人たるロシアに対して有色人たる日本が勝利したことを歓喜した。日露戦争の日本の勝利が、二十世紀後半における人種差別撤廃、植民地支配の解放のきっかけとなった。

日露戰爭における明治天皇の大御歌を「戦意高揚の歌であり、日本国憲法の平和主義に反する」などと言って、安倍総理を非難攻撃した日共委員長・志位和夫は、侵略国家・ロシアの手先である。

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千駄木庵日乗二月四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年2月 4日 (月)

『半本茂氏を偲ぶ会』に出席して思ったことを

本日行われた『半本茂氏を偲ぶ会』に出席して思ったことを記します。

 

半本茂氏は、金沢市の御出身で、昭和三年のお生まれ。海軍兵学校に入校、在学中に終戦を迎えられた。

 

戦後は慶應義塾大学に学ばれ、卒業後、三上卓氏の門下となり、維新運動に挺身。相当機密に属する事にも関係されていたと承る。

 

特に昭和から平成の御代にかけて、偏向教科書是正運動に邁進され、多大な成果を挙げられた。

 

旧臘十二月七日に逝去された。

 

海軍兵学校御出身の方には何人か存じ上げているし、お世話になった方がおられる。共通しているのは、姿勢正しく・言語明瞭な方が多かったということである。厳しい訓練を承けられたのだから当然であろう。

 

戦争を体験され、戦後復興の真っただ中で努力された先輩方がどんどんこの世を去られているのは本当の寂しい。理論理屈よりも体験に根差したいろいろなことを教えて頂くことができなくなった。

 

小生が二十歳代から謦咳に接することができ、色々学ばせていただいた旧軍関係の方々は、有末精三、藤原岩市、草地貞吾、板垣正、杉田一次、佐々木武雄の各氏である。

 

特に、藤原岩市、板垣正、草地貞吾の三先生には、親しくご教導を頂いた。

 

藤原岩市氏は、F機関長としてインド独立を目指して英軍と戦ったインド国民軍の支援に当たられた。戦後、英軍により厳しい処遇をされた。藤原氏はそのことはあまり語りたがられなかった。余程悔しい思いをされたのであろうと拝察する。

 

板垣正氏は、板垣征四郎陸軍大将の御子息であり、シベリアに抑留された。帰国後、遺族会運動に挺身され、参議院議員を務められた。大変な人格者で、政治家を引退された後も、運動の先頭に立たれた。

 

草地貞吾氏は、関東軍主任参謀として終戦を迎え、シべリアに抑留された。いくら人民裁判にかけられ吊るし上げされ、箱牢というのに入れられても、ソ連に妥協せず、協力しなかったので、何と理不尽にも昭和三十一年まで帰国することができなかった。実際抑留中に草地氏等ソ連に屈服しない人々を迫害したのは、ソ連に協力する元日本兵だったという。草地氏は、帰国後、国士舘、京都産業大学などにつとめられ、若者の教育に当たられた。国史・國體學に造詣が深く、且つ、人格も高潔であられたので多くの人々から慕われ、教えを受ける人も多かった。関東軍参謀時代は、瀬島龍三の上司だったが、小生がいくら水を向けても瀬島批判は言われなかった。立派であった。

 

杉田一次氏が、「東條さんは満州で匪賊を討伐はしたくらいで、実際の戦争は知らなかったろう」と言われたのが印象に残っている。

 

佐々木武雄氏は終戦時に平沼赳夫・鈴木貫太郎両指氏邸を焼き討ちした人である。戦後、大山量士と名乗り「アジア友の会」を結成しアジアからの留学生を支援する運動を展開。なんと、鈴木貫太郎氏の御子息鈴木一氏の支援を受けた。晩年は文字通り好々爺であられた。

 

激動の昭和と言われるが、ともかく、大正・昭和初期の生れた方は厳しい戰爭と食糧難そして経済的逼迫の時代を生き抜いてこられたのである。小生の両親もその世代の人である。昨日は、菩提寺に行き、御墓参りをしたので、そのことが余計に思い起こされた。

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2019年2月 3日 (日)

千駄木庵日乗二月三日

午前は、諸事。

午後一時より、市ヶ谷の私学会館(アルカディア市ヶ谷)にて、『半本茂さんを偲ぶ会』開催。献花、黙祷、献杯が行われ、出席者全員が思い出を語った。阿羅健一氏のお世話に感謝します。

帰宅後は、原稿執筆の準備、資料の検索など。

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明治天皇御製を冒瀆する日本共産党は逆賊である。

明治天皇御製

 

「しきしまの 大和心の ををしさは ことある時ぞ あらはれにける」

 

日露戦争開始した年である明治三十七年(一九〇四年、御年五十三歳の砌)に、「心」と題とれて詠ませられた御製である。苦難の時にこそ日本国の雄々しさは顕れるといふ御心を詠ませられたと拝する。

 

明治天皇は、同じ時に「四海兄弟」と題されて、

 

「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」

と詠ませられた。

 

明治天皇におかせられては、ロシアのアジア・日本侵略に抗する聖なる戦ひに際して、日本全国民の「大和心」の興起を強く祈られた。

 

と共に日本民族の伝統的な『和の心』を忘れてはならないと国民に示されたと拝し奉る。まことに有難き限りである。

い。

 

安倍晋三総理は、「所信表明演説」で、「東北の被災地でも、地元の皆さんの情熱によって、復興は一歩一歩着実に進んでいます。平成は、日本人の底力と、人々の絆(きずな)がどれほどまでにパワーを持つか、そのことを示した時代でもありました。

  『しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける』

  明治、大正、昭和、平成。日本人は幾度となく大きな困難に直面した。しかし、そのたびに、大きな底力を発揮し、人々が助け合い、力を合わせることで乗り越えてきました。

  急速に進む少子高齢化、激動する国際情勢。今を生きる私たちもまた、立ち向かわなければならない。私たちの子や孫の世代に、輝かしい日本を引き渡すため、共に力を合わせなければなりません。

  平成の、その先の時代に向かって、日本の明日を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか」と語ったのである。

 

安倍総理は、戦争を謳歌しどこかの國と戦争を開始せよなどと訴へたわけではない。安倍演説を非難する日本共産党、「日刊ゲンダイ」などの偏向新聞は許し難い。

 

この「しきしまの 大和心の ををしさは ことある時ぞ あらはれにける」との御製を以て「戦意高揚の歌であり、日本国憲法の平和主義に反する」などと言って、安倍総理を非難攻撃した輩は、民族の敵であり逆賊であると断言してはばからない。

 

そもそも戦勝国によって押し付けられた似非平和主義を金科玉条にして、安倍総理を非難するだけでなく、明治天皇御製をも否定することは売国行為である。

 

もっとも、ロシア、南北朝鮮、共産支那の軍事的・政治的圧迫に際会し、領土を奪取されてゐるわが国は、今こそ「大和心」を興起しなければらないことは事実である。

 

「しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」

 

村田清風の歌である。

 

 村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させた。安政二年(一八五五)に七十三歳で病没。

 

この歌は、本居宣長の

 

「しきしまの 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花」

 

を本歌取りした歌。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬った。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃へた歌。

 

大和心・大和魂は日本民族の持つ包容力・美しさを愛する心である。和魂漢才・和魂洋才の和魂は日本民族の強靱なる包容力のことである。それとともに、大和心・大和魂は、勇武の心・桜の花に象徴される散華の心(潔く散る精神)である。

 

この本居宣長と村田清風の二つの歌に詠まれた「大和心」は、別なものではなく、清明心(清らかで明るい心)・純粋な心・素直な心・そのままの心として一つである。それは日本民族の本来的持ってゐる魂であり精神である。

 

宣長の歌はこの二つの心を「朝日に匂ふ 山ざくら花」という「言の葉」に結び合はせて歌ってゐると思ふ。

 

日本は今日、中華帝國主義の圧迫に晒されてゐるのみならず、北朝鮮にミサイルを飛ばされ國民を拉致され、韓國やロシアには領土を取られ、共産支那や韓國から外交上の侮りを受けている。今こそ日本國民全体が愛國心・戦闘的大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。

 

日本民族の真の愛国心・祖国防衛の精神は、日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂でなければならない。

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千駄木庵日乗二月二日

午前は、諸事。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。『節分会護摩供養』執行。四宮家墓所を掃苔、読経、拝礼。ご加護とご冥福を祈る。

帰宅後は、原稿執筆・資料検索など。

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2019年2月 2日 (土)

この頃詠みし歌

  1. 夜の更けに突然憎悪の心湧く人間といふ愚かしき生き物

 

敵性国家ロシア・支那・朝鮮からわが国を守る力を持つべし

 

平和条約など今さら結んで何になる条約踏み躙りきしロシアといふ國と

 

アメリカと戦争をしてロシアとは不可侵条約結び国敗れたり

 

支那朝鮮とは関はり持たず広ろかな太平洋と共に歩まん

 

子を抱く母親の姿は美しく悲母観音の絵を思ひ出す

 

母は皆悲母観音と思ふなり命育むは尊かりせば

 

東都北鎮根津のみ社に参り来て札納めたり大晦日の夜

 

新しき年を迎へる嬉しさに産土の神に参り来れり

 

奸策を用いて人を陥れし大久保・家康は許せざりけり

 

江藤新平を惨く殺せし大久保利通 好きにはなれぬ男なりけり

 

徳川家康大久保利通はどうしても好きにはなれぬ歴史上の人物

 

ピルの狭間に煌々と照るまんまる月 巷に生きる喜びとして仰ぐ

 

言ってゐる理屈は正しいと思ひつつ嫌ひな人の顔しげしげと見る

 

忙しくてスーパームーンを見ることなく夜を過ごせしことを悔やみぬ

 

久しぶりに来たりし茶房のマスターは暇さうに煙草を燻らせてをり

 

北鮮も支那も共和と人民を名乗りをれど独裁専制の恐怖国家

 

有難き神の守りに感謝して今日も生き行く明日も生き行く

 

素直なる心をそのまま歌にして心やすらふ今宵なりけり

 

遠き日の銀座の街で握手せし島田正吾の笑顔を忘れず

 

歌ひ終へ汗びっしょりの田谷力三笑顔絶やさず我と語らふ

 

逢へざりし嵐寛寿郎は母と我の二代にわたるファンなしかな

 

命あることを喜びゆっくりと都大路を歩み行きたり

 

通ひ行きし小学校は今もある共に学びし友は何処に

 

御先祖もわが父母もこの仏壇にゐますと思ひ經誦するなり

 

毎朝に仏壇に飾る花の水を替へて安らぐ遺されし我

 

叩き潰すには少しあはれを覚ゆなり厳寒の台所に蠢く油虫

 

ゴキブリとも油虫とも言ふ虫はとても愛らしいとは言はれざりけり

 

良くしゃべりよく食す友は太りゐて若き日の我の如くに見ゆる

 

久しぶりの友の電話は若く明るき声なれば我も嬉しかりけり

 

日の本の麗しき誇りを忘れずに新しき御代を迎へむと思ふ

 

所詮汝はロスケの手先 明治天皇御製貶める志位といふ男

 

 

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千駄木庵日乗二月一日

午前は、本郷の東京大学医学部付属病院に赴き、検査、診察を受ける。診察・検査・支払のために午前九時より午後一時過ぎまでかかる。金曜日なので特に人が多かったのだろうか。心臓の治療のためなのだが、イライラし,かつ体力も使い、心臓に悪い。しかし常に心を鎮めることが大切。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆など。

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