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2019年1月18日 (金)

黒田秀高伏見稲荷大社正禰宜の「明治維新から第二維新へ」と題する講演内容

昨年七月三日に開催された『國體政治研究会』における黒田秀高伏見稲荷大社正禰宜の「明治維新から第二維新へ」と題する講演内容は次の通り。

 

「去年は『応仁の乱』五百五十年。『応仁の乱』と明治維新は関係がある。『応仁の乱』は家督相続の戦争で、戦国時代まで続いた。能、歌舞伎は『応仁の乱』以後に興った。戦乱の中の民衆の側からの改革によって日本は変った。明治維新の制度改革は民衆から盛り上がったのではない。『応仁の乱』とは対照的。『応仁の乱』で権威は崩れた。

 

明治維新には理念はあったが思想はあったのか。薩長は討幕の後の理念を決めていなかった。徳川慶喜の方が列侯会議を考えていた。薩長と慶喜との駆け引きがあった。慶喜は大政奉還を行った。慌てたのは薩長。島津斉彬は討幕を考えていなかった。斉彬は列侯会議を目指した。井伊直弼は幕府にしがみつき過ぎた。時代を考えていなかった。江戸時代は宮家より摂関が上だった。摂関家が朝廷の権威を貶めていた。

 

明治維新の後、太政官と神祇官が復興した。神祇官は何をすればいいか制度内容が決まっていなかった。平田篤胤と津和野派の福羽美静との軋轢があった。神祇省は教部省になった。残念ながら内容の検討が出来ぬまま明治維新を迎えてしまった。戊辰戦争終結の後、まずしなければならなかったのが外国との交渉。不平等条約の改正。前王朝の歴史を編纂することが正統性の証明になる。前王朝から引き継いだことを証明するために正史を作る。正統性の主張の大きな意義がある。日本は『三代実録』で生死が途絶えた。修史は東京大学史料編纂所に引き継がれた。『日本書紀』『続日本紀』の『紀』とは本筋・筋道という意。

 

廃藩置県、版籍奉還は公地公民・王土王民という考えがあった。しかし中途半端に終わってしまった。土地私有化が進んだ。徴兵令の制定によって武士階級がなくされた。

明治十四年国会開設。二十四年憲法発布。上からの制度変革が立て続けに行われた。西郷隆盛が一番の思想家。『南洲遺訓』をいかにして生かすかが問題。明治第一の思想」。

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