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2019年1月14日 (月)

『船中八策』『航海遠略策』『薩土盟約』などの國家変革策

『船中八策』『航海遠略策』『薩土盟約』などの國家変革策

 

幕末期の國家的危機を打開せんとした人々は、徳川幕藩體制を否定し、新たなる國家體制を創出しなければならないと自覚した。そしてそれはわが國肇國以来の國體の回復による新たなる変革即ち復古即革新であった。

 

慶應三年(一八六七)六月、土佐藩船「夕顔」船上で坂本龍馬に発案によりまとめられた國家変革策『戦中八策』には、「一、天下ノ政権ヲ朝廷二奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事」とある。

 

『薩土盟約』 (慶応三年(一八六七) 年六月、兵庫開港勅許の直後、薩摩藩討幕派西郷隆盛、小松帯刀と、土佐藩公議政體派の坂本龍馬,後藤象二郎らの間に結ばれた盟約)には、「方今、皇國ノ國體制度ヲ糺正シ万國ニ臨テ不恥。是第一義トス。其要、王制復古、宇内ノ形勢ヲ参酌シ、天下後世ニ至テ猶其遺憾ナキノ大条理ヲ以テ処セン。國ニ二王ナシ、政権一君ニ帰ス、是其大条理。我皇家綿々一系、万古不易、然ニ古郡県ノ政変ジテ今封建ノ體ト成ル。大政遂ニ幕府ニ帰ス、上皇帝在ヲ不知。是ヲ地球上ニ考フルニ、其國體如玆者アラン歟。然則制度一新、政権朝ニ帰シ、諸侯會議、人民共和、然後庶幾以テ万國ニ臨テ不恥。是ヲ以テ初テ我皇國ノ國體特立スル者ト云ベシ。…一、天下ノ大成ヲ議定スル全権ハ朝廷ニ在リ。我皇國ノ制度法則、一切ノ万機、京師(けいし・皇都のこと)ノ議事堂ヨリ出(いづる)ヲ要ス」とある。

 

倒幕を目指した人々のみならず、徳川将軍ですら、次のやうに論じた。慶應三年(一八六七)六月十四日第十五代将軍・徳川慶喜が朝廷に奉呈した『大政奉還の上表文』には「臣慶喜謹而皇國時運之沿革ヲ考候ニ昔 王綱紐ヲ解キ相家権ヲ執リ保平之乱政権武門ニ移テヨリ祖宗ニ至リ更ニ 寵眷ヲ蒙リ二百余年子孫相承臣其職ヲ奉スト雖モ政刑当ヲ失フコト不少今日之形勢ニ至候モ畢竟薄徳之所致不堪慚懼候况ンヤ当今外國之交際日ニ盛ナルニヨリ愈 朝権一途ニ出不申候而ハ綱紀難立候間従来之旧習ヲ改メ政権ヲ 朝廷ニ奉帰広ク天下之公議ヲ尽シ 聖断ヲ仰キ同心協力共ニ 皇國ヲ保護仕候得ハ必ス海外万國ト可並立候臣慶喜國家ニ所尽是ニ不過ト奉存候乍去猶見込之儀モ有之候得ハ可申聞旨諸侯ヘ相達置候依之此段謹而奏聞仕候以上」とある。

 

長州藩直目付長井雅楽(うた)は、文久元年(一八六一)五月に藩主毛利慶親に提出した建言書・『航海遠略策』で次のやうに論じてゐる。

「…御國體相立たず、彼が凌辱軽侮を受け候ふては、鎖も真の鎖にあらず、開も真の開に之無く、然らば開鎖の實は御國體の上に之有るべく、…鎖國と申す儀は三百年来の御掟にて、島原一乱後、別して厳重仰せつけられ候事にて、其以前は異人共内地へ滞留差し免(ゆる)され、且つ天朝御隆盛の時は、京師へ鴻臚館(註・外國使節を接待した宿舎)を建て置かれ候事もある由に候へば、全く皇國の御旧法と申すにてもこれなく候はん。伊勢神宮の御宣誓に、天日の照臨する所は皇化を布き及し賜ふ可(べ)しとの御事の由に候へば、…天日の照臨なし賜へる所は悉く知す(註・統治する)可き御事にて、鎖國など申す儀は決して神慮に相叶はず、人の子の子孫たるもの、上下となく其祖先の志を継ぎ、事を述るを以て孝と仕り候儀にて、往昔神后三韓を征伐し賜ひ(註・神功皇后が朝鮮に遠征されたこと)候も、全く神祖の思し召しを継せ賜へる御事にて、莫大の御大孝と今以て称し奉り候。……仰ぎ願はくは、神祖の思し召しを継がせ賜ひ、鎖國の叡慮思し召し替られ、皇威海外に振ひ、五大洲の貢悉く皇國へ捧げ来らずば赦さずとの御國是一旦立たせ賜はば、禍を転じて福と為し、忽ち點夷(註・小さな外國)の虚喝(註・虚勢を張った脅かし)を押へ、皇威を海外に振ひ候期も亦遠からずと存じ奉り候…」。

 

大和朝廷の頃は、外國との交際も盛んであり、太陽の照るところは全て天皇の統治される地であるといふのが日本の神の御心であるから、鎖國政策は、日本の神の御心に反してをり日本の傳統ではないから転換すべきである、そして、外圧といふ禍を転じて福と為し、天皇の御稜威を世界に広めるべきであると論じてゐる。天照大御神の神威を體し鎖國を止めて、海外への発展の道を開くべしといふ気宇壮大な主張である。鎖國は、八紘為宇のわが國建國の精神に悖るといふ正論である。この正論は明治維新の断行後の開國政策によって實現した。

この長井雅楽の文書は五月十二日に毛利慶親より三条愛(さねなる)に提出された。

 

これに対して、孝明天皇は、「六月二日長門藩主・毛利慶親の臣・長井雅楽を以て慶親へたまひたる」と題されて、

 

「國の風ふきおこしてもあまつ日をもとの光にかへすをぞ待つ」

 

との御製を賜った。孝明天皇は決して頑なな攘夷論者・鎖國論者ではあらせられなかったことを証しする。わが國の主體性を確立したうえでの開國・海外発展・外國との交際を目指してをられたのである。

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