« 千駄木庵日乗一月六日 | トップページ | ロシア・支那・朝鮮はまともな国ではない »

2019年1月 7日 (月)

日本国はまさに今に生きる祭祀共同体である

 

 

古代より日本は言葉の真の意味における平和な国である。伊勢皇大神宮の祭祀とたたずまひほど平和で清らかなものは無い。伊勢皇大神宮に限らない、全国各地の神社・神宮は本来清浄であり、穏やかであり、美しい。

 

日本各地に神社があり、国全体の祭祀主として、天皇がおはします。神社が無い共同体は殆どない。神社が共同体村落の精神的中心である。五穀の豊穣と民の幸福といふ共同体共通の祈りが捧げられ、願ひが訴へられる場が神社である。神社とは、常に村全体、共同体全体の神が祀られてゐる社(やしろ)である。そしてその神社に祀られてゐる神を「氏神」と申し上げ、その神社を崇敬する人々は「氏子」と呼ばれる。それぞれの共同体において日本の神々は「親」と仰がれ、国民は「子」として慈しまれるのである。日本国はまさに祭祀共同体である。

 

小生が居住する東京下町の文京区千駄木(旧町名・本郷区駒込坂下町)の周辺には古くからの神社があり、初夏から秋にかけて祭りが行はれる。わが家は、千駄木の隣町・根津に鎮座する根津神社の氏子である。根津神社の御祭神は須佐之男命で、景行天皇の御代、日本武尊が御東征の折、千駄木の地に須佐之男命を追慕して創始したと伝えへられる。文明年間(一四六九~八七)大田道灌で社殿を奉建した。徳川五代将軍徳川綱吉が宝永三年(一七〇六)、根津の地に社殿を造営した。明治維新後、明治天皇により、勅裁社に准じられた。大東亜太平洋戦争で被災せず、徳川綱吉が造営した時の建造物が現存しており、建造物は国指定重要文化財となってゐる。

 

わが町周辺は日本武尊の遺跡が多い。近くの湯島には日本武尊と弟橘姫を祀った妻恋神社がある。駒込といふ地名も日本武尊が辺りを見渡して「駒込み(混み)たり」と言ったことに由来すると伝へられる。馬がたくさん生息してゐたといふ地名伝説である。

 

南側の隣町・湯島には、湯島神社が鎮座する。御祭神は、天手力雄命・菅原道真公。雄略天皇二年(四五六)一月、勅命により創建されたと伝へられる。

 

北側の隣町・本駒込には、天祖神社が鎮座する。小生が通った中学校の隣にある神社で、御祭神は天照大御神。文治五年(一一八九)五月、源頼朝が奥州藤原泰衡追討に赴く途次、靈夢により創建したと伝へられる。

 

本駒込には、さらに富士神社が鎮座する。御祭神は、木花咲耶姫命。加賀前田藩邸(今日の東京大学)に祀られていたが、寛永五年(一六二八)の現在地に遷座した。霊峰富士への山岳信仰の神社である。

 

東側の隣町・日暮里には、諏方神社が鎮座する。この神社はどういふわけが「諏訪」とは表記しないで「諏方」と表記する。御祭神は、建御名方命。元久二年(一二〇二)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したと伝えられる。日暮里・谷中総鎮守と言はれる。

 

このやうに、わが家近くの神社には、皇祖天照大御神、須佐之男命、天手力雄命、木花咲耶姫命、建御名方命、日本武尊、菅原道真公などの神々が祀られてゐるのである。そしてこれらの神社を中心として共同体が今も生き続けてゐる。有難き限りである。

 

わが国は天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体が今日においても脈々と伝へられてゐる、といふよりも現実に生きてゐるところにわが日本国の素晴らしさがある。古代オリエント、古代支那、古代インドは、征服されて祭祀共同体は破壊され、そこに生きてゐた人々は個別化された。

 

わが国は、地域のみではなく、企業においても神社あるいは祠を立てて神を祭ってゐる。さうした神々は「企業神」と言はれる。企業神は無機質な利益追求の機能集団である企業に倫理的精神的結合を与へてゐる。

|

« 千駄木庵日乗一月六日 | トップページ | ロシア・支那・朝鮮はまともな国ではない »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本国はまさに今に生きる祭祀共同体である:

« 千駄木庵日乗一月六日 | トップページ | ロシア・支那・朝鮮はまともな国ではない »