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2019年1月19日 (土)

悠久の歴史を持つ天皇・皇室の傳統・統合力・求心力が日本の政治・文化などあらゆることの根柢にある

天皇は祭祀主であらせられるとともに、統治者であらせられる。ゆえにただ祭祀をしておられればいいとか、京都に移られて政治に関与されないほうがいいという主張は誤りである。

 

天皇は、日本の伝統精神の体現者として、日本の政治・文化・経済などすべてのことを聖化し安定化し統合される御存在である。

 

『大日本帝国憲法』において「しらす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

 

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の「國家君主」と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限り続くであろう。こうした事実が、西洋諸國やシナと日本國との決定的違いである。

 

わが國が、長い歴史を通して様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本という國は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。

 

繰り返し言う。天皇は祭り主であられるが日本の統治者である。統治と祭祀を切り離すことはできない。

 

日本は、多くの國家の中で、活力がある。社会の安定と秩序が確立されている。それだけではない。支那・南北朝鮮・ロシアのような国民を虐げる独裁専制政治は行われない。その基盤に皇室の存在がある。

 

悠久の歴史を持つ天皇・皇室の傳統・統合力・求心力が日本の政治・文化などあらゆることの根柢にある。日本には王朝交代がない。武家が権力に握る時代が七百年続いたがその上に絶対的な天皇・皇室の権威があった。わが国は、権力武力を超越した皇室があることよって自由で国民を大切にする政治が機能してきた。

 

皇室祭祀の「大祭」は、元始祭・昭和天皇祭・神武天皇祭・春秋の皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭である。天皇は潔斎され、ご自身でお供えを行わせられる。大和朝廷発祥の地・纏向遺跡は新嘗祭が行われた形跡があるという。

 

天皇の祭祀は『現行憲法』の「国事行為」であってはならない。「国事行為」にすると内閣の助言と承認が必要になる。祭祀は天皇の公事である。天皇の祭祀は統治者としての祭りであり、統治と祭祀は一体であり、権力機関である政府の「助言と承認」なるものを受ける必要は全くない。

 

天皇が不断にお祭りをされ国民の幸福を祈られるので、被災地にお出ましになると、国民に勇気と慰めを与えられる。それだけではない。国土の地霊・自然に宿る神霊を鎮魂されるのである。天皇はお祭りだけをされていればいいというのは本末転倒の議論である。

 

『現行憲法』の「国民主権」の「国民」は建国以来の国民、将来の国民を含むという意味ではない。『現行憲法』第十条では「国民の要件を法律で定める」とある。国民の要件を定めると明記している法律は『国籍法』。つまり『現行憲法』における国民の要件は国籍のみ。故に国民主権の国民は建国以来の国民ではない。したがって『現行憲法』の「国民主権論」はきわめて危険であり、國體破壊の元凶になる危険がある。

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