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2019年1月17日 (木)

日本における『道』とは

 

 

「神ながらの道」とはいかなる道であろうか。それは「教条」や「掟」ではない。「神のみ心に随順しそれを行ふ」といふことである。日本の神々の道をそのまま踏み行ふことである。

 

小林秀雄氏は次のやうに論じておられる。「『道といふこと』とは、論(あげつら)はうにも論ひやうもない、『神代の古事(ふるごと)』であった。『古事記』といふ『まそみの鏡』の面にうつし出された、『よく見よ』と言ふより他はない『上つ代の形』であった。…『上つ代の形』とは、たゞ『天つ神の御心』のまゝであらうとする、『上つ代』の心の『ありやう』、『すがた』た他ならず…」(『本居宣長』)

 

つまり、「日本の道」とは、神のみ心のままであらうとする「道」の継承と言っていい。日本語には古来、西洋で言ふ「知識」とか「認識」というふ名詞は存在しなかったといふ。日本人は、単に知識を求めたのではなく、「道」を求めたのである。それが日本の学問即ち国学だったのである。「道を学び問ふ」事を大切にしたのである。 

 

人が道を歩むといふ具体的な行ひが、学問といふ精神的な「いとなみ」を言ひ表す場合にも用いられたといふ事は、日本人はそれだけ「実践・行ひ」を重んじたといふ事である。具体的に道を歩むといふ行ひの姿を以て精神的な道を探求することを表現したのである。

 

日本民族は、日本民族特有の思想や精神を理論・教条として言挙げしなかった。だから、日本には独自の思想教条理論は無かったのではないかと主張する人さへゐる。

 

しかし、理論・教条で説明する思想精神はそれだけ狭く限定されたものと言へる。日本の伝統精神は、祭祀・文藝・武道などの実際の「いとなみ」によって自然に継承されてきたのである。それだけ自由であり、広らかなるものである。

 

「日本の道」は祭祀・神話・和歌・物語によって伝へられてゐる。本居宣長は、「古(いにしへ)の大御世には、道といふ言挙もさらになかりき、其はただ物にゆく道こそ有りけれ、もののことわりあるべきすべ、万の教へごとをしも、何の道くれの道といふことは、異国(あたしくに)のさだなり」(『直毘靈』)「主(むね)と道を学ぶ輩は、…おほくはたゞ漢流の議論理窟にのみかゝづらひて、歌などよむをば、たゞあだ事のやうに思ひすてゝ、歌集などは、ひらきて見ん物ともせず、古人の雅情を、夢にもしらざる故に、その主とするところの古の道をも、しることあたはず」(『うひ山ふみ』)と述べてゐる。

 

さらに本居宣長は、「日本の道」とは、「天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、真の道」(『うひ山ふみ』)であると述べてゐる。

 

そしてそれは、理論・教条といふ形ではなく、『記紀神話』に示され、『萬葉集』に歌はれてゐる。日本の古の道・古人の雅情は、教条的な形で理論として伝へられてゐるのではなく、祭祀といふ信仰行事そして神話や和歌や物語によって伝へられてゐる。

 

『記紀萬葉』は、『聖書』『コーラン』『仏典』『論語』のやうな教義・教条が書き記されてゐる文献ではない。日本の神々と日本国の歴史が叙述され魂の表白たる歌が収められてゐる。日本人があくまでも真実を尊び人間の感性を重んじ、抽象的な論議や理論をそれほど重んじなかった。

 

近世の国学者・平田篤胤はその著『古道大意』において、「古ヘ儒佛ノ道、イマダ御国へ渡リ来ラザル以前ノ純粋ナル古ノ意(ココロ)古ノ言(コトバ)トヲ以テ、天地ノ初ヨリノ事実ヲ素直ニ説広ヘ、ソノ事実ノ上ニ真ノ道ノ具ツテイル事ヲ明アムル学問デアル故ニ、古道学ト申スデゴザル」「真ノ道ト云フモノハ教訓デハ其旨味ガ知レヌ、仍テ其古ノ真ノ道ヲ知ベキ事実ヲ記シテアル其ノ書物ハ何ジヤト云フニ、古事記ガ第一デゴザル」と述べてゐる。

 

平田篤胤は、儒教や仏教といふ外来思想が日本に入り来る前の純粋なる古代日本の言葉を以て天地生成の起源からの事実を素直に記述し、その事実の上に立って日本民族固有の「道」を明らかにするのが古道(日本伝統精神を学ぶ学問)であり、日本伝統精神は教義・教条ではその真の意義を体得することはできず、古代以来の日本伝統精神を記してある書物の第一は『古事記』であると論じてゐるのである。国学とはさういふ学問なのである。

 

さらに近世の国学者であり萬葉学者であった契冲はその著『萬葉代匠記怱釈』において「神道とて儒典佛書などの如く、説おかれたる事なし。舊事記、古事記、日本紀等あれども、是は神代より有りつる事どもを記せるのみなり」と論じてゐる。

 

つまり日本の伝統精神即ち日本民族固有の「道」は事実の上に備はってをり、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないといふのである。抽象的・概念的な考へ方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見て、それを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたひあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向である。

 

かういふ理論・理屈・教条を排するといふ日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を自由に柔軟に幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原基である。

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