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2018年12月 3日 (月)

「天皇の祭祀」について

 後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のような御製を詠ませられた。

 

「伊勢   

 にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

 

第一〇三代・後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震などがあり、國民は疲弊し、朝廷の衰微も極に達した。崩御になられた後、御大葬は行はれず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだといふ。この時もまた未曽有の國難であった。この國難に際して、後土御門天皇は御宸筆の「般若心経」を伊勢の皇大神宮に奉納し、聖算長久、武運安全、兵革静謐を祈願された。

 

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。いかなる濁れる世、乱世であっても、否、そうであればこそ、上御一人日本天皇は、神の祭祀、祈りを深められた。そしてその事が、日本國再生の基となった。 

 

今上天皇におかせられても、國民と苦難を共にせられ、国民の幸福・国家の安泰そして世界の平和を神に祈られる祭祀につとめられてきた。

 

『現行占領憲法』に規定された「政教分離」とはある特定の教団宗教が政治権力を掌握してはならないという原則である。この政教分離の原則は西洋の宗教戦争や政治権力による宗教弾圧の経験から生まれたものである。ゆえに、我が國の伝統信仰と政治の関係とは全く異なる次元の原則なのである。

 

我が國伝統信仰=祭祀はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰行事である。それは我が國伝統信仰が國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。

 

だからこそ、日本伝統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

今日、『現行占領憲法』の「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=祭祀を排斥する勢力こそ、排他独善の教義・思想を信ずる勢力なのである。

 

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の君主として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。

 

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