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2018年12月19日 (水)

今こそ日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂を発揮して國難に当たるべき時である

村田清風の歌

 

「しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」

 

村田清風(天明三年【一七八三】五月二六日―安政二年【一八五五】五月二六日)は長州家老。藩政改革の中心人物。長州藩が雄藩として明治維新を主導する基礎を築きあげた。吉田松陰をはじめ多くの人々が清風に教へを乞ふたといふ。七十三歳で死去。

 

ペリー来航の時、長州藩で要職をつとめてゐた清風は、高まる外圧の危機に対処するため、海防の重要性を認識し、農民町人の武装を積極的に奨励し、やがて農民漁民による警備隊が創設する。これは高杉晋作による奇兵隊に継承される。この歌はさうした時期に詠まれたと考へられる。北條時宗が弘安二年、わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た蒙古の使者を博多で斬った。この時宗の行為を「大和心」の典型であるとして讃へた歌である。蒙古の使者を北条時宗が斬った戦闘心・攘夷精神を「大和魂」と表現した。つまり、どんな大國を相手としても死を恐れないでこれを討つといふ精神即ち戦闘的な大和心を歌ひあげたのである。

 

この歌に表白された「攘夷の志」は、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允らに受け継がれ、長州藩革新派を輩出する原動力となったと思はれる。また、この歌の根底には、幕府の軟弱外交への批判がある。

 

この歌は申すまでもなく、近世の國學者・本居宣長の歌

 

「敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」

 

から「本歌取り」した歌である。「本歌取り」とは和歌で,古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法のことである。

 

 本居宣長の歌は、「大和心とはどういふものかと人に問はれたら、朝日に美しく映える山桜だと答へやう」といふほどの意である。

 

日本傳統精神は、「やまとごころ」「大和魂」といふ言葉で表現される。日本民族固有の精神、または、儒教・仏教などが入ってくる以前からの、日本人本来の物の見方・考へ方、即ち日本の傳統的精神のことを大和心或いは大和魂と言ふ。

 

神の生みたまひし美しい國に生まれた日本人は、美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」「無我の心」が、日本民族固有の精神である。これを「大和心」と言ふ。それは、理智・理屈・理論ではない。一切の先入観を取り除いた精神である。「大和心」即ち日本傳統精神は、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。

 

本居宣長は、朝日に映える山桜花を理屈なしに美しいと感じた純粋な感受性を、神の生みたまひし國に生まれた日本人のみが持つ素直にして純粋なる心即ち大和心であると歌った。

 

美しく咲き、美しく散っていく桜の花を日本人が好むといふことは、日本人が死を恐れない心を持ってゐることを意味する。その死を恐れない心・潔く散って行く精神・散華の美を尊ぶ心が、戦闘的な大和心を生む。つまり、理屈なしに素直に國のため大君のために命を捨てるといふ純粋なる精神が大和心なのである。

 

大和心・大和魂には、大らかで明るい精神と、戦闘的な精神とがあると思ふ。大らかで明るい大和心・大和魂は、日本民族の持つ包容力・美しさを愛する心である。和魂漢才・和魂洋才の「和魂」は日本民族の大らかにして強靱なる包容力のことであらう。一方、戦闘的な大和心・大和魂は、勇武の心・桜の花に象徴される散華の心(潔く散る精神)、死を厭はない精神である。

 

この二つの「大和心」は別なものではなく、清明心(清らかで明るい心)・純粋な心・素直な心・そのままの心として一つである。それは日本民族の本来的持ってゐる清らかなる魂であり素直な精神である。

 

近世國學は、明治維新の基本原理・精神的思想的基盤であった。わが國には、対外的危機感が傳統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚ます歴史がある。明治維新がその典型である。現代もさうした時期である。今こそ日本國民全体が日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。近世國學者が外圧の危機に中で行ったやうに、古代日本の歴史精神として今日まで傳へられてきてゐる「道」を學び、今日において明らかにすることによって、現代の危機を打開することが大切である。

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