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2018年12月 7日 (金)

「天皇の祭祀」と『現行占領憲法』の政教分離の規定

 

『現行占領憲法』第二十条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」

とある。

 

 この規定で、「宗教上の行為、祝典、儀式または行事」などについては、「国及びその機関」の関与を禁止していない。禁じているのは「宗教的活動」だけである。

 

 『現行占領憲法』で言う「宗教的活動」とは「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」(昭和五十二年・津地鎮祭訴訟最高裁判決文)である。これが今日のわが国の司法判断である。

 

「大嘗祭」は、皇位継承にともなう重要な「天皇の祭祀」であり、広い意味で「宗教上の行為、祝典、儀式または行事」である。「宗教教育その他いかなる宗教的活動」即ち「津地鎮祭訴訟最高裁判決文」に言うような「宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」ではないことは明らかである。

 

天皇陛下が日本伝統信仰の祭祀を行われることによって、日本に数多く存在する宗教団体を圧迫・干渉したり助長・促進したりすることは全くない。

 

『現行占領憲法』は「皇位は、世襲のもの」と明記している。(第二条)。「皇位の世襲継承の原則」をうたっているのである。この規定は皇位継承に必然的に随伴する伝統的諸儀式を当然のこととして予想し、包含していると解すべきである。

 

したがって、皇位継承に伴う重要な公的行事である「大嘗祭」に国費が使われても「政教分離の原則」に反するものではないし何ら問題はない。  

 

ともかく、「天皇の祭祀」「皇室祭祀」を普通一般の宗教教団の活動と同列に考えること自体が大いなる誤りである。

 

國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。日本國に即していえば、天皇國日本という我が國の國體は、憲法が制定される以前に生まれ、ずっと続いてきたのであり、憲法に規定されることによって合法性が与えられたのではない。

 

憲法は國の基本法であるけれども、「憲法にこう書かれているから、皇室はこうあらねばならない」とか「天皇はこういうことをされてはならない」と主張するのは本末転倒なのである。まして況や戦勝國よって押し付けられた『アメリカ製亡国憲法占領憲法』においてをやである。

 

日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に即して制定されなければならないのである。「憲法があって國家がある」のではなく、「國家があって憲法がある」のである。

 

 また、憲法というものは、「権力の制限規範」と言われる如くあくまでも國家の権力機構やその権限を文章に規定したものである。日本國の國體とか伝統とかは憲法に規定されるもされないもなく厳然として存在するのである。そして権力者ではあらせられない天皇は「権力の制限規範」たる憲法に規制されることはあり得ない。

 

したがって、憲法及び法律そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。

 

 憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。『現行占領憲法』の一日も早い全面的否定が急務である。

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