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2018年12月13日 (木)

昭和天皇は「戦争責任」を回避されたことなど一度もない

 

昭和天皇が米國訪問を終へられた昭和五十年十月三十一日、初めての公式記者会見を行はれ時、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答え出来かねます」と仰せになったことについて『国体論 菊と星条旗』という本の著者・白井聡氏は、「この発言に対して多くの人々が驚き、憤慨したが、素朴に読めば、とてつもなく無責任で倫理的不感症を感じさせる発言である」と論じてゐる。

 

しかしこの陛下のお言葉は「天皇陛下はホワイトハウスで『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対しての責任を感じておられるという意味に解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします」といふ記者の質問に対するご回答である。

 

「陛下はご自分に戦争責任があると思っておられますか」といふ質問に答へられたのではない。まさに「言葉のあや」についての質問だったのである。「戦争責任」を「言葉のあや」と仰せられたのではない。

 

昭和天皇はいはゆる「戦争責任」を回避されたことなど一度もない。むしろ積極的に責任を果たされるために、天皇の御位にとどまられたのである。そして「堪へ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」その責任を果たされたのである。

 

小堀桂一郎氏は、「天皇が果たされた戰爭責任は、戰爭の収拾に成功されたといふところまでで本来は竭くされたはずである。驚嘆すべく、畏れ多いことであるが、その責任達成の御努力は、戰後の跡始末の部分にまで及んだ。…戰後度重なる占領軍司令官との御會見、そして六年にわたる全國御巡幸の旅である。戰争の全責任を引受けられ、ついで戰後復興といふ事業にも進んで責任を負擔されたことにより、今上天皇の戰前の二十年の御統治と戰後四十年の國民統合の象徴的御行動とは見事な一貫性・連續性を以て嚴としてつながってゐる」(『昭和天皇論』)と論じてゐる。

 

昭和天皇が、疲弊し困難に立ち向かふ日本國民を鼓舞激励され、國のために一身を捧げた英靈に対して常に慰靈の誠を捧げられた。そのことが、「道義的戦争責任」と言ふよりも「君主として天皇としての使命と責任」を果たし続けられ、ご生涯をかけて國民の幸福と平和の実現を祈られたのである。

 

昭和天皇崩御前年の最晩年の昭和六十三年には、『全國戦没者追悼式 八月十五日』と題されて、

 

「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」

 

と詠ませられた。

 

 昭和天皇は、大東亜戦争に対する「政治的責任」「法律的責任」といふやうな次元ではなく、「日本國天皇としての責任」を深く自覚されておられたのである。根本的には、昭和天皇はご自身のご意志で御位にとどまられてその責任を果たさうとされ、また事實果たされたのである。

 

 だからこそ、その後、昭和天皇は、國民大多数そして諸外國から仰慕され尊敬され続けたのである。 だから、昭和五十年十月三十一日の「御発言」があった直後も、そしてその後も、さらには崩御の時も、昭和天皇に対する国民の仰慕の思ひは高まることはあっても無くなることはなかった。白井聡氏の言ふ「多くの人々が驚き、憤慨した」などといふのは大嘘である。

 

昭和天皇が御不例になられ、昭和六十三年九月二十二日、皇居坂下門をはじめ全國十二ヶ所の宮内庁施設で、「お見舞記帳」が開始されて以来、一般記帳者の数は八百萬をはるかに超へた。

 

昭和六十四年一月七日午前六時三十三分、昭和天皇は宝算八十九歳をもって崩御あそばされた。皇居前など全國の記帳所における記帳者は、一月七日から十六日までの間に二百三十三萬二千七百九十一人にのぼった。一月二十二日から二十四日まで、殯宮一般拝礼が許されたが、三日間で三十三萬九千百人が拝礼を行った。

 

平成元年二月二十四日の御大喪の儀では、御轜車がお通りになる沿道には,氷雨の中五十七萬人余の人々がお見送り申し上げた。日本國民の大多数は、昭和天皇が退位されずに日本國の君主としてその責任を果たされ続けられたことに対し奉り、満腔の敬意を表し感謝してゐたことは、この事實を見れば明らかなことである。

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