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2018年12月16日 (日)

言霊思想について

 

「峰の色 溪の響きも みなながら 我釈迦牟尼の 声と姿と」                      道元

 

 

道元(正治二年【一二〇〇】一月二日―建長五年【一二五三】八月二八日。鎌倉時代初期の禅僧。曹洞宗及び永平寺の開祖。『正法眼蔵』の著者)の歌集『傘松道詠』所収。

 

「山々の色も谷川の響きも、すべてそのままに、私の信仰するお釈迦さまのお声であり、お姿であるなあ」といふ意。

 

道元はまた、「いはゆる経巻は、盡十方界これなり。経巻にあらざる時処なし。」(『正法眼蔵』第二十四『仏経』))と説いてゐる。森羅万象全てが仏の言葉だと言ふのである。

 

弘法大師・空海も、「内外の風気(ふうき)わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声といふなり」「それ如来の説法は必ず文字による」「五大にみな響きあり。十界に言語を具す。六塵ことごとく文字なり。法身はこれ實相なり」(「『聲字即實相義』)と論じてゐる。

 

声字即ち言葉が世界と存在者の實相そのものであるといふのである。「言葉がすべての事物の本質である」といふ思想である。

 

『聖書』の『ヨハネによる福音書』の冒頭に、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と記されてゐる。

一切の最始原は言葉であり、神は言葉であり、萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふ宣言である。全ての存在は言語・言葉を通じて表現される。神も「神」といふ言葉がなければ存在が表現されない。

 

『ヨハネによる福音書』の「言葉」も、空海の言ふ「聲字」も、道元の言ふ「経巻」「聲」も、人間の発する「音」や人間が書く「字」に限定されるのではなく、大宇宙の萬有一切を指してゐる。大宇宙の萬有一切が神の言葉であり、仏の言葉であるとするのである。

 

言葉・言語は、文化の基礎であり、文化は言葉によって成り立つ。言葉は神であり佛であり霊なのである。人間生活は言葉によって成り立つと言っても過言ではない。

 

日本民族は、古来言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

日本の國は、「言霊の幸はふ國」と言はれる。日本は言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉には生命が宿り、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じた。『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。

 

『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ、歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶ。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言霊のさきはふ國」と言はれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。道元や空海の思想は、日本の言霊思想を仏教的に表現してゐると思はれる。

 

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