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2018年12月11日 (火)

天之御中主神は、神々や人間や一切のもの生成の根源・宇宙の中心のにゐます神

 

『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。ユダヤ神話の神のやうな被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

 

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独神(ひとりがみ)すなはち“唯一神”であり、宇宙の根源神である。この「造化の三神」は、宇宙根源神・絶対神の「中心歸一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現してをり一体の御存在である。

 

また、「宇摩志阿斯与訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」「天常立神(あめのとこたちのかみ)」の二柱の神も「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。「國之常立神(くにのとこたちのかみ)」「豊雲野神(とよくもぬのかみ)」も「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

計七柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのである。だから、「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐるのである。七柱の「独神」がをられるのは、唯一神の多くの働き・性格を「神名」によって表現していると解釈できる。「多即一・一即多」である。

 

「言靈のさきはふ國」といはれるやうに古代日本人の言葉に対する信仰は深かった。神の名・人の名についての信仰はその最たるものであった。

 

中西進氏は、「(『古事記』は)神々の誕生という主題のもとで、単に神々の名を連ねるという独自の神話的方法によっている…心理的文脈は神名の蔭にかくれている。」(古事記を読む)と論じてゐる。つまり、日本の神々の御名自体に深い意味があり、神々の御働き。御権能・御本質が示されているのである。

 

「天之御中主神」といふ神名には、古代日本人の壮大なる信仰精神が込められてゐる。大國主命・一言主命・事代主命・大物主命といふ神々がをられるやうに、古代日本人は森羅万象の中に何処かに「ぬし(主)」がゐると信じ、天地宇宙の中心にも「ぬし(主)」がゐると信じた。日本民族の叡智は、それを「天之御中主神」といふ神名で表現した。天之御中主神は、神々や人間や一切のもの生成の根源・宇宙の中心にゐます神である。

 

影山正治氏は、「天(あめ)は全宇宙を意味し、御中(みなか)は眞中であり、主(ぬし)は主宰者を意味する。即全宇宙の根源の神であり、一切の可能性を内包された始發の神であり、宇宙そのものゝの神である。」(『古事記要講』)と論じてゐる。

 

古代日本人は、宇宙の中心にまします無限定の神、無限に流動する神・神聖性の母胎を「天之御中主神」といふ神名で表現した。天之御中主神は、無限定にして特定の姿形なき天地宇宙の中心にまします神であり、一切を生み一切の存在の生成の根源の神である。現象世界の神ではなく目に見えぬ世界の神である。そのことを古代日本人は「独神に成りまして、身を隠したまひき」と表現した。

 

「天之御中主神」といふ神名は、神話的な思考としてもっとも高次なものである。天之御中主神は、生命の根源・宇宙の中心の神であるが、他の神々と対立し他の神々の存在を一切認めない「唯一絶対神」ではない。多くの日本の神々の根源の神である。

 

ゆゑに、天之御中主神は『古事記』の冒頭に登場するが、多くの神社に祭祀されることはないし、神話の神々の物語にも登場されない神である。

 

宮廷で重視された宮中八神殿の奉斎神にもみえず、地方でもこの神が祭祀された形跡はほとんどない。平安時代の『延喜式神名帳』にも、その神名や神社名はみあたらない。「身を隠したまひき」なのである。しかし、日本民族の信仰生活といふ實際の経験の中で仰がれてゐる神々即ち八百万の神々の根源神である。

 

中西進氏は、「(天之御中主神は)天の真中の支配神という抽象的な名である。…この神は神話體系を構築する時におかれた抽象神で、新しい時代の産物という通説は正しいであろう。…天の永遠性と、地の永遠性の真中に、天之御中主神がいるという一つの體系が看取できる」(『古事記を読む・天つ神の世界』)と論じている。

 

天之御中主神は、古代日本人が天地宇宙・世界の生成の不思議を神話的に物語る時に生まれた神であり、その意味において英雄神・自然神・祖先神の出現よりも新しく生まれた神であり、相当人知の進んだ時期に至って生まれ神と見ることができる。だからといって、虚構の神とすることはできない。古代日本人が天地生成の不思議を信仰的に把握した神の御名である。「天之御中主神」と「天地生成神話」は、古代人の宇宙の神秘に対する驚嘆の思ひから生まれた「神」であり「神話」なのである。天之御中主神=宇宙主宰神を神統及び皇統の根源神と仰いだのである。

 

影山正治氏は、「古代の日本人は萬ものを神に於て理解しようとした…神は無數であって八百萬の神である。しかし萬神一に歸すれば天之御中主神であって、決して云ふ所の低い庶物崇拝ではない…萬物を『いのち』に於て把握し『神』に於て理解する日本人の宇宙觀はまことに比類なきものと云はねばならない。日本に哲學なしなどゝ考へるのはとんでもない間違ひで、人類今後の思考の哲学はまさにこの日本神話の根源から發するものである」(『古事記要講』)と論じてをられる。

 

日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。これは、天之御中主神が、天地宇宙の根源神であると共に八百萬の神々の「御親神」であられるからである。

 

天之御中主神は、天地生成の根源神であられるが、「唯一絶対神」として他の神々をと対立しその存在を許さない神ではない。八百万の神と申し上げる天地の神々を包容される神である。

 

天之御中主神は、<一即多・多即一>の神であり、最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。ゆゑに、天之御中主神は祭祀の対象とはならなかったのである。

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