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2018年12月10日 (月)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 十二月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

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「現行占領憲法」が、「天皇の祭祀」「神社神道」を一般の教団宗教と一緒くたにしてゐるのが根本的誤り

政教分離とは、西洋におけるキリスト教会と政治権力の分離であって、信仰と國の分離ではない。アメリカ大統領就任式には牧師が来るし聖書に手を置いて宣誓する。「現行憲法」は日本の伝統とは全く相いれない権力国家観・契約国家論に基づいてゐる。日本の伝統とか文化は全く書かれていない。

 

政教分離などといふ「現行占領憲法」の規定は、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体君主国家日本の國體に全く合致しない。このやうな規定のある憲法を戴いてゐることが、我が国の道義が頽廃する原因である。

 

日本伝統信仰・祭祀宗教たる日本神道が日本民族の道義の根幹である。ところが「現行占領憲法」が、天皇の祭祀・神社神道を一般の宗教法人と一緒くたにしてゐる。これが根本的誤りなのである。

 

日本国といふ信仰共同体の根幹が神社であり祭祀である。そのことは、一宗教法人・教団宗教が政治権力を掌握し行使することは全く次元が異なるのである。

 

 

憲法二〇条で定める政教分離の原則をめぐっては、津市が市体育館の起工式を神道祭式で行ったことに対して、反日勢力が市長に工費返還を求めた訴訟で、最高裁が昭和五十二年に出した判決がある。そこでは、「國家と宗教との完全な分離を実現する事は、実際上不可能に近い」とした上で、憲法で禁止している「宗教的活動」とは、その「行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」に限られるとして、いわゆる<目的効果基準>を示した。妥当な判決である。

 

「政教分離」とは國や行政が宗教と全く関わってはいけないという事ではない。それは不可能である。そこにたとえ何らかの宗教的側面があったとしても、行為の本来の目的が別にあったならば、「政教一致」にはならない。

 

國家や行政が宗教と全く関わってはいけないと言うのなら、善通寺市・天理市・金光町という自治体名をつけることは違憲になる。また、刑務所で特定の教団宗教に属する僧侶などが行っている「教誨」は公共の施設の中で宗教活動を行うのであるから明白なる違憲行為となる。さらに、東京都慰靈堂(都有財産・関東大震災及び戦災で亡くなった方々を慰靈する施設)で都知事などが出席して仏式で行われる「慰靈大法要」も明確に違憲である。

 

総理の靖國神社参拝は、戦没者慰靈が目的である。靖國神社という宗教法人を援助し助長するためではない。また他の宗教法人を圧迫するためでもない。したがって「現行憲法」下においても、総理の靖國神社参拝は合憲である。今後も正々堂々と参拝は続けられるべきである。

 

しかし、「現行占領憲法」に重大な欠陥がある事も事実である。敬神崇祖の伝統、美風にそって全國民が等しく英靈に対して感謝と慰靈の真心を捧げるという最も大切なことを禁じていると解釈できる「現行憲法」は悪法である。そうした憲法は一日も早く否定しなければならない。

 

日本という國は祭祀國家であり信仰共同体である。ゆえに、日本國を神道と切り離すことは不可能である。政教分離などという原則をわが國の神道祭式による公的な慰靈行為に適用してこれを禁止しようとすることが大きな間違いなのである。

 

政教分離の原則というのは、激しい宗教戦争を繰り返してきた西欧や中近東の國々において、政治権力と特定の教会・教団が結びついて他の教会・教団を弾圧し圧迫する事のないようにするために考え出された原則である。

 

わが國には、歴史を紐解けば明らかなように、一神教の世界のような激しくも残虐なる宗教戦争はなかったし、特定の教団が政治権力を壟断して他の教団を弾圧したり圧迫した歴史はなかった。

 

わが國の長い宗教史・精神史・思想史においては、儒教などの支那思想や仏教そしてキリスト教における日本の伝統と著しく異なる思想は自然にすたれて行き、わが國傳統信仰と融合したというのが事実である。

 

大東亜戦争で散華した二百十三万余英靈の人柱の上に今日の日本がある。そして英靈たちは今日唯今も祖國日本を護って下さっているのである。靖國の英靈に対しわれわれ今に生きる日本國民が感謝と慰靈の誠を捧げることが、日本國及び日本國民永遠の平和の基礎である。

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千駄木庵日乗十二月九日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』原稿執筆など。

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2018年12月 9日 (日)

宮中祭祀・皇室祭祀・天皇の祭祀と憲法

宮中祭祀・皇室祭祀・天皇の祭祀が、『現行占領憲法』第八十九条「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」に言う「宗教上の組織もしくは団体」の宗教活動ではない。況や特定の宗教を圧迫したり助成するものでもあり得ない。天皇の皇位継承に伴う公的儀式であると位置付けるのが当然である。

 

大原康男氏著『現代日本の国家と宗教-戦後政教問題資料集成』に収録された議事録によると、平成二年四月十七日衆議院内閣委員会における山口那津夫氏に対する答弁で、工藤敦夫内閣法制局長官(当時)は「まず第一に大嘗祭は皇室の行事として行われるもので、国の機関の行為ではないということでございます。その挙行のために必要な費用というものは、大嘗祭が皇位の世襲制と結びついて、一世に一度の儀式として古来から皇位の継承があったときは必ず挙行される、こういうことで行われてまいりました極めて重要な儀式である、そういう面に着目して支出をいたしましても、その支出の目的がその宗教的意義に着目して支するものではないということが一つでございます。そういう意味では、目的・効果論のうちのまず目的の大部分でございます。それから効果としましても、これが特定の宗教への助長、介入という津地鎮祭判決で述べておりますようなそういう効果を有することになるとは到底言えないであろう、かように考えているわけでございます。」

 

さらに平成二年五月二十四日衆議院大蔵委員会における上田卓三氏に対する答弁で河部正之宮内庁長官官房審議官(当時)は「皇室の行事につきましては、明文の根拠を必要とするものではございませんので、法令に違反しない限りにおきまして、皇室の伝統を尊重してこれを行うことができる、こういうふうに考えておるものでございます。大嘗祭は、皇位の継承があったときは常例として必ず挙行すべきもの、こうなっておりまして、一世の一たびの儀式として古来行われてきて極めて重要な儀式でございます。皇位の世襲制に結びついた即位に伴う儀式の一環をなすものとして皇室に伝承されてきたものでございますので、今日ともなお伝統に従ってこれを挙行すべきもの、このように考えております」。

 

さらに、平成二年四月十七日衆議院内閣委員会に置ける光武顕議員に対する答弁で宮尾盤宮内庁次長(当時)は「大嘗祭の費用を宮廷費から支出する理由でございますが、大嘗祭は…皇室の行事として行われることにいたしておりますが、それは皇位が世襲であることに伴います一世に一度の極めて重要な伝統的儀式としての性格があるということでありまして、そういう意味からこの費用は宮廷費から支出することが相当であるというふうに考えておるわけでございます」。(大原康男編著『詳録・皇室を巡る国会論議』)と述べた。

 

平成二年十二月二十一日に「『即位の礼』の挙行について」と題する「政府見解」で「大嘗祭」の意義について「稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもの」であり、、「天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣を祈念される」ことを内容とする「皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である」と説明している。そして、「皇位の世襲制をとるわが國の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然と考えられる」「大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当である」と結論している。

 

今上陛下の御成婚の時、「賢所大前の儀」は『現行占領憲法』にある「国事行為」として執行されたのであるから、この度の御譲位、御即位における「大嘗祭」も國の公的行事として執り行われるべきである。

 

「大嘗祭」は日本伝統信仰の祭祀であり、そうした意味においては純然たる伝統的宗教行事である。そして、「大嘗祭」は、天皇陛下が行わせられる最も大切な公的行事である。故に、政府が、翼賛し奉り国費が使われても、特定の宗教教団を援助し助長したり、特定の宗教教団を圧迫するものではない。このようなことは、これまでのわが国の長い歴史事実が証明している。

 

「大嘗祭」を皇室の公的行事とし、国費を以て賄うことは『現行占領憲法』の「政教分離の原則」なるものに反するなどと批判することは歴史的事実を無視した杞憂である

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千駄木庵日乗十二月八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2018年12月 8日 (土)

『特別展 皇室ゆかりの美術―宮殿を彩った日本画』展参観記

本日参観した『特別展 皇室ゆかりの美術宮殿を彩った日本画』展は、「当館創立者の山﨑種二(やまざきたねじ)は、1968(昭和43)年に完成された皇居宮殿を飾った美術品に感銘を受け、より多くの人々にこの優れた作品をご覧いただきたいという願いから、山口蓬春(やまぐちほうしゅん)、上村松篁(うえむらしょうこう)、橋本明治(はしもとめいじ)、東山魁夷(ひがしやまかいい)ら宮殿装飾を手掛けた日本画家たちに同趣向の作品制作を依頼しました。このたび、山種美術館では、これら当館所蔵の皇居宮殿にちなんだ作品を4年ぶりに一挙公開するとともに、皇室ゆかりの美術をご紹介する展覧会を開催いたします。加えて、天皇の手になる書・宸翰(しんかん)や宮家に伝来した絵巻、皇族から下賜された美術工芸品、野口小蘋(のぐちしょうひん)、下村観山(しもむらかんざん)、西村五雲(にしむらごうん)らによる宮家旧蔵の日本画など、皇室とゆかりの深い作品をご覧いただきます。さらに、1890(明治23)年に皇室による美術の保護奨励の目的で設置された帝室技芸員制度にも注目します。橋本雅邦(はしもとがほう)、竹内栖鳳(たけうちせいほう)、上村松園(うえむらしょうえん)らの日本画から、川之邊一朝(かわのべいっちょう)、並河靖之(なみかわやすゆき)、濤川惣助(なみかわそうすけ)、香川勝廣(かつがわかつひろ)らの工芸作品、そして黒田清輝(くろだせいき)や和田英作(わだえいさく)らの洋画まで、帝室技芸員に任命された作家たちの優品を通して、近代の美術家たちが皇室とどのように関わってきたかを振り返ります」との趣旨で開催された。(案内書)

 

後陽成天皇《和歌巻》、有栖川宮熾仁親王《和歌懐紙》、土佐光信《うたたね草紙絵巻》、伝 海北友雪《太平記絵巻 巻第12》、下村観山《老松白藤》、《犬張子形ボンボニエール》、《釣灯籠形ボンボニエール》、橋本明治《朝陽桜》、 東山魁夷《満ち来る潮》、竹内栖鳳《双鶴》、 山元春挙《火口の水》、 川合玉堂《鵜飼》、 横山大観《富士山》、上村松園《牡丹雪》、並河靖之《花鳥図花瓶》、 香川勝廣《菊に蝶図花瓶》、小堀鞆音《秋色鵜飼》,横山大観《飛泉》、安田靫彦《萬葉和歌》、山口蓬春《新宮殿杉戸楓4分の1下絵》、下村観山《寿老》などを参観。

 

どの作品も「美しい」の一語に尽きる。皇室・朝廷と日本文化は一体である。日本の伝統的な美術も文藝も皇室なくして継承されてこなかった。美術・工芸品は古代の正倉院御物から発してまさに皇室の歴史と共にある。彫刻は聖武天皇ご創建の東大寺の毘盧遮那仏像、建築物は聖徳太子ご創建の法隆寺がその元初であり今に伝えられている。和歌文学の伝承と創造は『萬葉集』以来勅撰和歌集がその中心である。

 

天皇御自ら書を書かれ、さらに歌も詠まれた。修学院離宮・桂離宮の御造営など建築・作庭も行わせられた。近代以後は、「歌会始」の儀執行、帝室技芸員の任命による美術工芸の保護奨励が行われた。そして戦後は、日本芸術院の創設・文化勲章授与などが行われ、日本皇室と文化の全く一体の歴史は今日まで脈々と受け継がれている。本日の参観であらためてそのことを認識させていただいた。

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2018年12月 7日 (金)

千駄木庵日乗十二月七日

午前は、諸事。

午後は、広尾の山種美術館で開催中の『特別展 皇室ゆかりの美術―宮殿を彩った日本画』展参観。

帰宅後は、休息。来週水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、原稿執筆の準備、資料検索、原稿執筆など。

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「天皇の祭祀」と『現行占領憲法』の政教分離の規定

 

『現行占領憲法』第二十条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」

とある。

 

 この規定で、「宗教上の行為、祝典、儀式または行事」などについては、「国及びその機関」の関与を禁止していない。禁じているのは「宗教的活動」だけである。

 

 『現行占領憲法』で言う「宗教的活動」とは「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」(昭和五十二年・津地鎮祭訴訟最高裁判決文)である。これが今日のわが国の司法判断である。

 

「大嘗祭」は、皇位継承にともなう重要な「天皇の祭祀」であり、広い意味で「宗教上の行為、祝典、儀式または行事」である。「宗教教育その他いかなる宗教的活動」即ち「津地鎮祭訴訟最高裁判決文」に言うような「宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」ではないことは明らかである。

 

天皇陛下が日本伝統信仰の祭祀を行われることによって、日本に数多く存在する宗教団体を圧迫・干渉したり助長・促進したりすることは全くない。

 

『現行占領憲法』は「皇位は、世襲のもの」と明記している。(第二条)。「皇位の世襲継承の原則」をうたっているのである。この規定は皇位継承に必然的に随伴する伝統的諸儀式を当然のこととして予想し、包含していると解すべきである。

 

したがって、皇位継承に伴う重要な公的行事である「大嘗祭」に国費が使われても「政教分離の原則」に反するものではないし何ら問題はない。  

 

ともかく、「天皇の祭祀」「皇室祭祀」を普通一般の宗教教団の活動と同列に考えること自体が大いなる誤りである。

 

國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。日本國に即していえば、天皇國日本という我が國の國體は、憲法が制定される以前に生まれ、ずっと続いてきたのであり、憲法に規定されることによって合法性が与えられたのではない。

 

憲法は國の基本法であるけれども、「憲法にこう書かれているから、皇室はこうあらねばならない」とか「天皇はこういうことをされてはならない」と主張するのは本末転倒なのである。まして況や戦勝國よって押し付けられた『アメリカ製亡国憲法占領憲法』においてをやである。

 

日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に即して制定されなければならないのである。「憲法があって國家がある」のではなく、「國家があって憲法がある」のである。

 

 また、憲法というものは、「権力の制限規範」と言われる如くあくまでも國家の権力機構やその権限を文章に規定したものである。日本國の國體とか伝統とかは憲法に規定されるもされないもなく厳然として存在するのである。そして権力者ではあらせられない天皇は「権力の制限規範」たる憲法に規制されることはあり得ない。

 

したがって、憲法及び法律そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。

 

 憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。『現行占領憲法』の一日も早い全面的否定が急務である。

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2018年12月 6日 (木)

千駄木庵日乗十二月六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆など。

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2018年12月 5日 (水)

國學は明治維新の思想的基盤

 

 明治維新の思想的基盤である近世国学は、それまでの日本で重んじられていた儒教や仏教という外来思想に抗して、それとは別なる日本独自の「道」を主張した。そこに近世国学の特質があった。

 

 日本独自の道とは、日本民族が古来より持ち続けている信仰精神である。国学とは、古代日本精神の復興による当時の時代思潮への批判思想である。

 

 そして国学は政治思想という狭い範疇に属するものではなく、文献学であり、和歌の学問であり、国語学・国文学であり、神道学である。

 

 そして外来の思想や文化を「からごころ」(「から」とは支那のことであり支那を通して日本に伝来した思想や学問そしてそれをもととした思考のこと)批判を展開した。

 

 十九世紀後半当時の世界情勢を見ると、東アジアは西洋列強の侵略支配の危機に瀕していた。そしてそれに抗して、民族独立運動・植民地化への抵抗運動が起こっていた。そうした状況下にあって、アジア諸地域において、民族の覚醒を促す思想運動が起こっていた。

 

 日本も勿論その例外ではなく、日本の国の歴史を探求し、日本独自の思想・信仰を進化させんとする運動が起こったのである。それが近世国学運動の思想である。

 

 したがって、国学運動は決して偏狭な排外主義や、単なる時間的過去への郷愁の思想ではなく、世界情勢に対してかなり積極的に目を開き、それに呼応した運動であった。

 

 キリスト教や、欧米の歴史や現状についてもかなり詳しく研究し、海外の政治情勢についても情報収集につとめたうえでの学問であり思想運動であった。

 

 国学は幕末期の日本の危機に対する悲憤慷慨の学問と言ってもいい。危機的状況を迎えんとしていた日本に対して、このままではいけない、何とかしなければならないという精神が国学運動を起こしたのである。

 

 そしてその底流にあったのは、日本をこのままにしておいたら、先人たちや祖先に対して申しわけない、相済まないという悲憤慷慨の思いであった。そういう思いは、次に挙げる国学者たちの歌に表れている。

 

 最も早い時期の国学者であり、国学の始祖といわれる荷田春滿(京都の人。古典・故実・国史・歌道の研究者)は、

 

ふみわけよ 大和にはあらぬ 唐鳥の 跡を見るのみ 人の道かは 

 

 「よく道を踏みわきまえて間違わないようにせよ。日本ではない唐(支那)の鳥の足跡のみを見つめて歩くのが、日本人たるものの道ではないぞ」というほどの意。唐鳥の跡とは、漢籍・漢字のこと。

 

 八代将軍・徳川吉宗は、各国の古書を集めたが、その真偽玉石の鑑定を春滿依頼した。その徳川将軍家の学問は儒教であった。林羅山・中江藤樹・荻生徂徠・新井白石・伊藤仁齋等々江戸時代の中期までの学者の殆どは儒教・漢学の系統であった。そうしたことを悲憤慷慨して詠んだ歌がこの春滿の歌である。

 

 また、鹿持雅澄(幕末土佐の国学者・萬葉集を中心として古典を研究。『萬葉集古義』の著者)は、

 

神國の 道ふみそけて 横さらふ いづくにいたる 汝が名のらさね

 

 と詠んでいる。「わが神国の正しき道を踏みそらして、蟹のように横這いの道を歩む者共よ、お前の名は何と言うのか、名乗ってみろ」というほどの意。雅澄は日本の伝統思想に目もくれず外来の蘭学に現を抜かしいる者たちに対して憤慨しているのである。日本伝統精神に対する雅澄の態度精神を昂然と歌い上げている。

 

 この歌が歌われた時期は蘭学が盛んになり、日本に英船米艦露艦がしばしば渡来した。

 

 春滿は儒教と仏教、雅澄は蘭学に対して批判的態度を示しているのである。

 さらに雅澄は、ペリー来航を憂いて、安政元年(一八五四)正月、六十四歳の時に、

 

神風に 息吹きやらはれ しづきつつ 後悔いむかも おぞの亞米利加

 

 と詠んでいる。「神風に吹きやられ、海底に沈められた後に、後悔するのであろう。愚かなアメリカは」というほどの意。この憂国の至情と気概が、彼の学問の奥底にあったのだ。

 

 さらに、橘曙覽(福井の人。国学者にして萬葉調の歌人)は、

 

湊川 御墓の文字は 知らぬ子も 膝をりふせて 嗚呼といふめり

 

 と詠んだ。「湊川の『嗚呼忠臣楠子之墓』の文字は、文字を知らない子も墓前に屈んで『ああ』と口に出して言うごとく見える」というほどの意。児童子供といえども、楠公の忠義と墓碑の意義を知らぬ者無しということを歌っているのである。幕末の尊皇愛国の精神そして明治維新の精神は、楠公の忠義・七世報国の精神を継承したものであることがこの歌によってわかる。

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千駄木庵日乗十二月五日

午前は、諸事。

午後は、平河町の平河天満宮参拝。

この後、平河町の先輩事務所訪問。懇談、意見交換。

帰宅後は、休息。書状執筆、原稿執筆など。

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祭祀は天皇の行われる最も大切な公事である

どんどん日が短くなってきた。十二月末の冬至が次第に近づいている。天照大御神の「天の岩戸の隠れの神話」は、冬至における太陽再生のお祭りという説がある。農耕民族の日本人にとって日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する祭祀・儀礼が行われたと思われる。

 

日本人は太陽神たる天照大御神を主神と仰いでいる。ゆえにすべてにおいて明るく大らかな民族である。「見直し」「聞き直し」「詔り直し」の思想もここから発するのである。天照大御神は、八百万の神々が行われた明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって、天の岩戸からご出現になった。厳しい苦行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないという他の宗教はとは全く異なる日本伝統信仰の特質である。

 

そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大御神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

 

祭祀とは共同体における霊的・宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 

祭祀は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。生きとし生けるものは、一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大御神の再生と共に行われるのである。さらに天照大御神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。

 

今日の日本の混迷状態にあるが、我々国民が一致して再生の祭り即ち一切の穢れを祓い清める維新を行うことにより、天照大御神の地上におけるご代理であらせられる日本天皇の真姿が顕現し、日本国が再生し新生すると確信する。

 

天皇は祭り主であられるが日本の統治者である。統治と祭祀を切り離すことは國體を隠蔽する。「現行占領憲法」はまさにそういう憲法である。

 

皇室祭祀の大祭は、元始祭・昭和天皇祭・神武天皇祭・春秋の皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭である。最も大切なのは新嘗祭である。天皇は潔斎され、ご自身でお供えを行わせられる。大和朝廷発祥の地・纏向遺跡は新嘗祭が行われた形跡があると承る。

 

祭祀は天皇の行われる最も大切な公事である。天皇の祭祀は統治者としての祭りであり、統治と祭祀は一体である。

 

天皇が不断にお祭りをされ国民の幸福を祈られるので、被災地にお出ましになると、国民に勇気と慰めを与えられる。天皇はお祭りだけをされていればいいというのは本末転倒である。

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『新聞通信調査会シンポジウム・人口急減社会で何が起きるのか―メディア報道のあり方を考える』における登壇者の発言

六月二十八日に開催された『新聞通信調査会シンポジウム・人口急減社会で何が起きるのか―メディア報道のあり方を考える』における登壇者の発言は次の通り。

 

河合雅司産経新聞論説委員(基調講演)「今我々の生きている時代は、劇的に変わってゆく。これまで経験したことがないことが起こる。しかし、メディアも政治もこの問題にきわめて愚鈍。自分の身近にところに変化がないので何とかなると思っている。十年後はかなり変わっていても、日々の変化が小さい故に、みんなが対応できない。危機感を共有できない。この先何が起こるのか。二〇一七年の出生数は過去最低。死亡数は過去最高。婚姻件数は戦後最少。四十万人の人がこの國から減っている。この数は岐阜市の人口。産業は成り立たなくなってゆく。これから好転することはない。出生数が減る事がこの國の一番の危機。少子化とは次の世代の子供を生める女の人が減っていること。この下り坂のツケを我々はこれから払ってゆく。出産期にある女性(二十五歳から三十九歳)は二〇四〇年には今の四分の三。二〇六五年には半減してしまう。多産社会に戻るのは難しい。少子化は百年くらいは続く。子供が減っていくことを前提にしてこの國を豊かにして行くことを考えるべし。出生率は上がっていると政府は言うが、人口は減っている。今後出生数の大幅回復は望み薄。このまま何もしないで行くと百年間で出生する子供の数は三十万になる。百年後には今の人口の半分になる。二〇四〇年まで高齢者が増え若い人は減る。人口減少は地域によって異なる。女性高齢者が増える。男女とも八〇歳以上が増える。女性の半数は九〇歳まで生きる。一人暮らしが増加。貧しい高齢者が増える。非正規雇用で結婚できなかった人が増え、年金がもらえない人、子供がいない人が増える。前期高齢者と後期高齢者が逆転する。八四歳以上が人口の一四%になる。二〇四二年が人口のピークを迎える。団塊の世代がお元気で、団塊ジュニア世代も七十代で高齢者になる。親と同居の未婚者は三十一万人。五十万人が全面的に親に依存。年金保険料も支払って来なかった老後をどうやって生きて行くのかの問題が出て来るのが二〇四二年。働き手不足対策の政府の四本柱は①外国人労働者の受け入れ。②AI・ロボットの実用化。③高齢者の社会参加。④女性の活躍推進。重要だが『切り札』とはならず」。

 

上林千恵子法政大学社会学部教授「外国人労働者は一貫して増えている。外国人労働者とは近隣諸国の人と日系が殆ど。もっと賃金が高い所に行きたい、もっと長く日本に滞在したいなどの理由で失踪する。入国管理法違反」。

 

岩本晃一経済産業研究所上席研究員「ケアワークを含めると労働時間は長い。高卒男性管理職が大卒の女性管理職より多い。旧態依然とした結婚観が少子化を促進。男性の家事・育児参加は重要。第二子が生まれる割合が高くなる。女性の離職理由は育児が三割。『雇用の未来』の問題は、人口減少・少子高齢化問題とよく似ている。日本の急速な人口減少・少子高齢化はかなりの高い精度で予測されていた。資金的に余裕のあるうちから手を打つべきだと良識派は主張。だがそうした声はかき消され、目の前に危機が来るまで、日本人は手を打たずにここまで来た。『雇用の未来』は、数多くの調査分析により、将来の姿はある程度予想され、必要な対策もほぼ明らかになった。今度こそ現実の危機に直面する前に、今から真剣に取り組まないと、日本という国はますます沈没すだろう」。

 

諏訪雄三共同通信社編集委員兼論説委員「人口の減少によって消防などの住民サービスが困難になる。道路や橋、上下水道、公共施設といった社会資本が老朽化。鉄道・バスといった地域の足が成り立たなくなっている。公共サービスをどう維持するのか。年金を貰っている人を巻き込んでいくかを考えるべし。行政サービスに住民とNPOを巻き込んでいく。東京二十三区に団塊の世代が百万から二百万住んでいる。そういう人をどう面倒を見るかが問題。あと二百万人介護士を増やさないといけない。優生保護法の堕胎OKで人口が急激に減った。団塊の世代の子供が子を産めない。第二のベビーブームが来なかった。バブルの崩壊で人口問題が発生」。

 

水無田気流(詩人・社会学者「九十年代以降、先進国の女性の雇用安定が子供を増やす。年収が増えれば子を産む。婚姻率が高くなる。相乗効果。首都機能移転とか分散によって、南海トラフ巨大地震や首都直下地震を視野に入れた被害を受けにくい国づくりの一環で進めるべし」。

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千駄木庵日乗十二月四日

午前は、諸事。

午後、病院に赴き、診察を受ける。

帰宅後は、休息、原稿執筆など。

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2018年12月 4日 (火)

「天皇の祭祀」は断じて「私事」ではない

 

 天皇が天下を統治されるところを「都」といふ。天皇は祭祀主として神を祭り、國民の幸福・國家の平安・五穀の豊饒を祈られた。それを「まつりごと」といふ。そして、政治と祭祀は一体であった。天皇の祭祀が行われる宮のあるところであるから、「みやこ」といふ。天皇の行はれる祭祀は断じて私事ではない。

 

 天武天皇の御代までは「一代一宮の遷宮」といって、御代替りごとに皇居も新しく造営された。新たなる祭り主たる天皇が御即位になったら、宮も作り替えなければならなかった。新しき宮に新しき神霊が天降ると信じたからである。しかし、原則的には奈良盆地の東南すなわち大和地方の中に皇居が造営された。

 

 この慣習は、伊勢の神宮の式年遷宮に受け継がれてゐる。日本の伝統信仰・民族信仰の中心神殿たる伊勢の神宮は、二十年毎に式年遷宮が行はれ、神殿を新しく作り替え、御装束・神宝が新調される。式年遷宮を大神嘗祭といふ。神嘗祭とは、その年にできたお米を伊勢の大神にお供へする行事である。新しい宮を造ることによって、祭られてゐる神の威力が更新し増大すると信じられてゐる。

 

 神宮は決して過去の遺物として残ってゐるのではない。わが國の古代民族信仰は今日ただ今も脈々と生き続けてゐる。他の國の古代民族信仰は、キリスト教や回教に滅ぼされて、神殿は過去の遺物となってゐるが、日本伝統信仰は、今日ただ今も日本人の生活の中に生きており、全國各地でお祭りが行はれてゐる。最新の技術を用いた建物などを建設する時も、地鎮祭や上棟祭が行われる。國家元首が伝統信仰のまつりごとを行はれるといふのもわが日本だけである。

 

 アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓をする。イギリス國王はキリスト教會で即位式を行ふ。しかしそれらは民族信仰・古代からの伝統信仰に基づく行事ではない。日本天皇は、御自身が古代以来の日本伝統信仰・民族宗教の祭り主であらせられ、しかも「現行憲法」においても「日本國の象徴」「國民統合の象徴」といふ事実上の「國家元首」であらせられる。このやうに國はわが國だけであらう。だからこそわが國の國體を万邦無比といふのである。日本國の中心地にして四方を山に囲まれてゐることが皇都の大原則であった。

 

 天武天皇の御代になると、國家の運営や外國との関係、宮殿の規模や官僚機構の肥大化などにより、「一代一宮」の制度は、事実上困難になった。また大化改新の後、唐の政治法律制度を見習ったので、唐の都を模した都を建設することとなった。そして、天武天皇は、都を御一代毎に遷都するのではなく、恒常的な新京造営を計画された。持統天皇はその御遺志を継がれて藤原京を御造営あそばされたのである。藤原京の造営によって「一代一宮制」は廃止になった。

 

 藤原遷都は、持統天皇八年(六九四)十二月である。藤原京は奈良県橿原市高殿町一帯を中心として九百二十メートル四方。中央に内裏がある。大内裏・朝堂院・大極殿を中心に中央政府の官庁が造られた。そして官僚の家族の住む家ができ、一万人位の官僚およびその家族が住んでゐた。その周りに一般の人々が住む家ができた。藤原京は、元明天皇の御代の和銅三年(七一〇)に奈良に遷都されるまで十六年間続いた。

 

 藤原京は、今日は無くなってゐる。しかし、藤原京跡地には大極殿跡が残ってゐる。そこに立つと今でも萬葉時代と同じ眺めすなわち大和三山と吉野の山々を眺めることができる。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。近代日本は、様々な苦難に遭遇しながらも世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。

 

しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>が大切である。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。「天皇の祭祀」は決して「天皇の私事」ではないし、押しつけられた「占領憲法」に規制されないのである。 

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千駄木庵日乗十二月三日

午前は、諸事。

午後は休息。書状執筆、原稿執筆など。

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2018年12月 3日 (月)

「天皇の祭祀」について

 後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のような御製を詠ませられた。

 

「伊勢   

 にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

 

第一〇三代・後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震などがあり、國民は疲弊し、朝廷の衰微も極に達した。崩御になられた後、御大葬は行はれず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだといふ。この時もまた未曽有の國難であった。この國難に際して、後土御門天皇は御宸筆の「般若心経」を伊勢の皇大神宮に奉納し、聖算長久、武運安全、兵革静謐を祈願された。

 

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。いかなる濁れる世、乱世であっても、否、そうであればこそ、上御一人日本天皇は、神の祭祀、祈りを深められた。そしてその事が、日本國再生の基となった。 

 

今上天皇におかせられても、國民と苦難を共にせられ、国民の幸福・国家の安泰そして世界の平和を神に祈られる祭祀につとめられてきた。

 

『現行占領憲法』に規定された「政教分離」とはある特定の教団宗教が政治権力を掌握してはならないという原則である。この政教分離の原則は西洋の宗教戦争や政治権力による宗教弾圧の経験から生まれたものである。ゆえに、我が國の伝統信仰と政治の関係とは全く異なる次元の原則なのである。

 

我が國伝統信仰=祭祀はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰行事である。それは我が國伝統信仰が國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。

 

だからこそ、日本伝統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

今日、『現行占領憲法』の「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=祭祀を排斥する勢力こそ、排他独善の教義・思想を信ずる勢力なのである。

 

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の君主として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。

 

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千駄木庵日乗十二月二日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、書状執筆、資料の整理、原稿執筆・脱稿送付。

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2018年12月 2日 (日)

天皇を祭祀主・君主と仰ぐ日本國體について


 

三島由紀夫氏は、祭祀國家と政治機構としての國家について次のように論じている。

「ネーションというものは祭祀國家というものが本源的にあって、これは管理機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。……ラショナル(四宮注・合理的)な機能を統治國家が代表して、イラショナル(非合理的)なイロジカル(非論理的)な機能はこの祭祀國家が代表している。ぼくの考えるよき國家というのは、この二つのイロジカルな國家とロジカル(論理的)な國家が表裏一體になることがぼくの考えるいい國家なんです。…天皇でなければだめなんです。どうしても祭祀國家の大神官がいなくちゃならんですね。」(『尚武の心』所収・村上一郎氏との対談「尚武の心と憤怒の抒情」)

 

「統治國家は遠心力とすれば祭祀國家は求心力であり、前者を空間的國家とすれば、後者は時間的國家であり、私の理想とする國家はこのやうな二元性の調和、緊張のはらんだ生ける均衡にほかならない」「祭祀的國家はふだんは目に見えない。ここでは象徴的行爲としての祭祀が、國家の永遠の時間的連續性を保障し、歴史・傳統・文化などが繼承され、反理性的なもの、情感的情緒的にものの源泉が保持され、文化はここにのみ根を見いだし、眞のエロティシズムはここにのみ存在する。このエートス(四宮注・民族社會に共通な精神)の國家の首長が天皇である。」(「『變革の思想』とはー道理の實現」)

 

日本國の素晴らしさは、古代に生成した天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家が今日に至るまで解體したり断絶したりすることなく今日まで連綿として続いていることである。わが國は神話の時代のままに、高天原から天降られた天照大御神の「生みの御子」の使命を現身の形でそのまま受け継がれる天皇を現實に日本國の元首・君主と仰いでいることである。こういう貴い國は世界の何処を探しても見当たらない。

 

そしてその信仰共同體・祭祀國家は、単に理念的な存在もっと言えば架空にして抽象的な存在ではなく、山紫水明麗しい大自然に恵まれ稲作を中心とする農耕そして漁業などを営み、村落共同體から民族共同體へと生成発展してきたのである。

 

日本神話は天皇中心の日本國體を、「豊葦原千百秋之瑞穂國は、天照大御神生みの御子すなわち日本天皇の統治される國」と表現したのである。

 

天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家・信仰共同體國家であってこそ、國家への忠誠心も持つことが出来るし、國民としての道義精神と真の遵法精神を持つことができるのである。

 

ゆえに、神代以来連綿として続いてきた天皇國日本というわが國體の尊厳性を守るというのがわが国に於ける最高の遵法精神なのである。日本國立國の基礎であり成文法の基盤である天皇および天皇中心の國體の尊厳性をお護りする精神が最も大切である。

 

憲法をはじめとした成文法及び國家機関の正統性は、天皇を中心とする日本國體の上に立脚しているところにある。天皇の正統性は成文憲法に立脚するのではない。

 

また「現行占領憲法」において、天皇は「政治的権能を有しない」と規定されている。天皇陛下は「権力者」ではあらせられないということである。であるならば、天皇陛下に対し奉り、「権力の制限規範」とされる「成文憲法」が掣肘する事があってはならないのである。

 

天皇に対する尊崇の心・國體を護持しようという精神を國民が喪失すると、日本は日本でなくなり、日本國民は日本國民でなくなり、國は解體し、精神的に荒廃して行く。今日の日本はまさにそういう状況になってきつつある。日本の道義の頽廃は國民の尊皇精神が希薄になっているところにその原因がある。

 

わが國においては、國家への忠誠心と天皇尊崇の心は一體である。道義の回復も國防體制の確立も政治の安定も経済の再建も、天皇尊崇の精神が正しく回復されなければ不可能である。

 

悠久の太古から自然に生成されてきた天皇を中心とする麗しい信仰共同体である祖國日本が破壊され隠蔽され、人工的・人為的な利益國家・契約國家・権力國家にわが國が成り果ててしまうことは何としても阻止しなければならない。そのためには、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ日本國體を隠蔽する一切の事象を祓い清めねばならないのである。

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千駄木庵日乗十二月一日

午前は、諸事。

 

午後は、専門家来宅して、パソコン・プリンターのメンテナンス。

 

休息。資料の整理、原稿執筆。

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2018年12月 1日 (土)

祭政一致とはいかなることかー天皇の日本國家統治の本質

 

 わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたいものであった。

 

日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方である。また民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。国民主権といふ概念とは全く無縁なのである。

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後もそして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。このことは敗戦後戦勝国によって押し付けられた「占領家憲法」の規定などとは全く関係ないことである。

 

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。特に、今世紀の日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

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日本における「生きた神話」=<天皇の祭祀>が現代を救う

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭・大嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後もそして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。特に、近代の日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。

 

しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

混迷する現代日本は、崩壊の危機にあるといわれている。よほどの変革が行われなければならない。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。

 

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰しかないのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。

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千駄木庵日乗十一月三十日

午前は、諸事。

午後は、書状執筆。

この後、丸の内の出光美術館にて開催中の『江戸絵画の文雅―魅惑の十八世紀』展参観。

帰宅後は、休息。原稿執筆に度。

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