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2018年11月24日 (土)

三島由紀夫氏における日本傳統的文化意志の発現

 

 

人に圧倒的な感動を与える永遠の価値のある美を、死を免れることのできない地上に生きる人間が創造することは、超人間的な力・神秘的な力・肉體人間以上の力が必要となる。神秘的な力が人にとりつくことによって偉大なる藝術作品が誕生する。もちろん藝術の創作には人間の努力や才能が基本である。しかし、悠久の価値を持つ藝術の創作は努力や才能だけでは不可能である。

 

 「語部」(かたりべ・日本で上代、朝廷に仕えて、古い傳承を暗唱して語るのを職とした人)は、そういう神秘的な存在の力がとりついて「神話」を物語った。そもそも「物語」(ものがたり)の語源は、「もの」(靈的實質・神々の御稜威)を「かたったもの」である。

 

 彫刻・絵画・文藝など偉大なる藝術作品は、一個の肉體人間の能力以上のものがその人を通して発現して創造される。「一個の肉體人間の能力以上のもの」「日本の傳統的に文化意志」である。

 

わが國文學史上、神々の御稜威・日本の文化意志を身を以て発現した人々が数多いる。その代表的存在は、古代における稗田阿禮・柿本人麻呂、中古における紫式部・和泉式部、近世における松尾芭蕉、近代における斉藤茂吉・折口信夫といった人々であろう。戦後日本においては三島由紀夫である。

 

三島由紀夫氏における神々の御稜威・日本の文化意志の発現は、文藝創作の範疇を超えた。文藝創作ではなし得ないことを肉體的行動によって成就した。三島氏においては、小説・戯曲・評論という「文」のみではなく「行動」によって神々の御稜威の発現が行われたのである。三島氏は文字通り文武両道・剣魂歌心の實践者であった。

 

 三島氏は、「『文武両道』とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求およびその欲求の實現の二つの夢を、一身に兼ねることであった。……本当の文武両道が成り立つのは死の瞬間しかないだろう。」(『太陽と鉄』)と論じている。三島氏は自己の實人生でそれを實現した。

 

ここで三島氏の言う「散る花」とは肉體のことであり、「散らぬ花」とは文藝のことである。人の肉體は何時か滅んでも、人がのこした藝術作品は不滅だということであろう。

 

 

三島由紀夫氏辞世

 

 益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜

 

 散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

 

森田必勝氏辞世

 

 今日にかけてかねて誓ひしわが胸の思ひを知るは野分(のわき)のみか は

 

 「益荒男が」の歌は、「日本男児が腰に差している太刀の刀が鞘に合わないために持ち歩くと音がすることに幾年も耐えてきたが今日初霜が降りた」という意である。しかし、「鞘鳴り」というのは単に音がするという物理的な意味ではない。日本には古代から刀には魂(多くの場合蛇・雷の靈、須佐之男命の八岐大蛇退治の神話がある)が宿っているという信仰があった。鞘が鳴るというのはその刀剣に宿っている靈が発動するという意味である。刀が靈力を発揮したくて発動するのを何年間も耐えたということである。三島氏自身『檄文』にあるところの「我々は四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒瀆する者を待つわけには行かぬ」という三島氏自身の叫びに呼応する歌なのである。

 

 「散るをいとふ」の歌は、「散ることを嫌がっている世の中にも人にも先駆けて散っていくのこそ花であると吹く小夜嵐(夜に吹く強い風)」という意味である。これは端的に言って「散華の美」を歌っている。今の世の中は、繁栄と生命尊重にうつつを抜かして、命を絶つとか國のために生命を捧げるということを嫌がっているが、生命以上の価値即ち日本の傳統と文化そしてその體現者であらせられるところの天皇陛下の御為に命を捧げることこそ真の美しき生き方であり死に方である、という歌である。

 

 「今日にかけて」の歌は、「今日という日にかけたかねてから誓っていた私の胸の思いを知るのは野分(のわき・秋から初冬にかけて吹く強い風)のみであろうか、いやそうではない」という意。誰も分かってはくれないのではないかという孤独感を持ちながらも、いやそうではない誰かは分かってくれると信じて散っていく森田必勝氏の悲しくも切ない心を歌っている。

 

 「今日の初霜」「小夜嵐」「野分」という季節感のある言葉を用いて志を述べているのは、三島・森田両烈士がまさに日本文藝・敷島の道の道統を正しく継承しておられたことを証ししている。

 

 和歌は、日本傳統精神を保持し継承する文藝である。和歌の形式(五七五七七)とそこから生まれる「しらべ」が日本人の心情を訴えるのにもっとも適している。

 

 『萬葉集』以来、歌は「祭り」であり「祈り」であり「鎮魂」である。本居宣長は「物のあはれにたへぬところより、ほころび出て、をのづから文(注・あや。言葉の飾った言い回し。表現上の技巧)ある辭が、歌の根本にして、眞の歌なり。」(『石上私淑言』・いそのかみささめごと。歌論書)と述べている。

 

「もののあはれ」即ち物事に対する感動・自己の魂の訴えを一定の「カタ」におさめて美しく表現するのが歌である。そうした特質を持つ和歌の中で、萬感の思いを全靈を傾けて表白しようという切なさにおいて成立しているのが、「相聞」と「辞世」と「挽歌」である。とりわけ「辞世」は文字通り命を賭した歌である。              

 

現代の危機の一つとして、言葉の乱れということが言われている。これは、情報化社會といわれ活字媒體のみならず様々な情報傳達機能が発達した現代において、言葉を発することが、苦しむこともなくきわめて安易になっていることが原因になっていると思われる。これが現代の腐敗・堕落・混迷の原因の一つである。そして、言葉までもが商品化している。「言靈のさきはふ國」といわれてきた日本において、現代のように言靈があまりにも安易に語られて過ぎている時代はかつて無かった。

 

死に臨んだ時の「言葉」「歌」は即ち「辞世」は命懸けの言靈である。昭和四十五年十一月二十五日の三島由紀夫・森田必勝両氏の自決の際の「辞世」はまさに命懸けの言葉である。

 

「生命尊重のみで魂が死んでしまっている戦後日本」において、三島由紀夫氏自身が放逐された「疎外者」だった。文學もそして変革も、疎外者・流離者から生まれる。現實から受け入れられない人、疎外された人、あるいは現實を嫌悪し拒否する人、自ら現實から脱出した人がすぐれた文學を創造し変革を行う。

 

三島氏は、戦後日本の救済・革新のために、日本の文化的同一性と連続性の體現者たる神聖君主・日本天皇への回帰を求めた。一切の頽廃を清め、虚妄を打破するために、道義の回復を求めた。それは彼の少年時代の〈源泉の感情=祖國への献身、天皇への捨身無我〉への回帰である。

 

 三島氏は歴史の中に生きた高貴な魂であった。日本の文化意志・日本の神々の御稜威を身を以て體現した三島氏の魂は決して過去の存在ではなく、今日の日本の日本人の魂を奮い立たせ覚醒せしめる今日の存在である。そういう意味で三島氏自身もまた日本の神々になられたのである。

  

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