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2018年11月20日 (火)

天皇のご存在があってこそ、日本國は安定と平和が保たれる

日本國の祭り主であらせられる天皇は、ひたすら民やすかれ、國安かれと祈られる。今上陛下は、新嘗祭において衣冠束帯で二時間正座されると承る。今上陛下の御製を拝すると、國民の幸福を願はれ、國民の身の上をご心配になった大御歌がまことに多い。まことに以て恐懼に堪へない。祭祀主であらせられる天皇は、「無私」の御存在である。

 

日本傳統精神は、天皇の祭祀を中核として今もなほその生命が傳へられてゐる。のみならず、現實に、今上天皇の常に民の幸福を祈られ自然の命を慈しみたもうご精神とご行動が、人心の荒廃と自然破壊を食い止める大きな力となってゐる。

 

日本國の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇のご存在があってこそ、日本國は安定と平和が保たれる。今日の日本は醜い政治闘争が繰り広げられてゐる。夢も希望もない亡國の淵に立たされてゐるかの如き状況である。しかし、天皇皇后両陛下の清らかなお姿を拝すると、心洗はれ、無上の安らぎを覚える。両陛下は、まさに「やまと心」・「無私の精神」の体現者であらせられる。天皇・皇室がおはします限り日本國は安泰であると信ずる。

 

何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるといふ「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より「日本國を統治せよ」と御命令を受けてをられるといふ「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はない。このことをまず以て確認しなければならない。

 

古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変ることはない。したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」といふ条項は、天皇の御本質を正しく表現してゐない。

 

神話は荒唐無稽な傳承ではない。「神話」において語られてゐることは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真實なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られてゐる。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るといふ信仰精神である。

 

日本民族の「神話の精神」は、ただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」といふ「生きた行事」によって今日まで繼承され語られてゐる。

 

大林太郎氏は「儀礼と神話は、原古に起こり、宇宙と社會の秩序の維持に決定的な重要性をもつ行為のくりかえしである。それゆえこの行為は、行動としては儀礼、語りものとしては神話によって不断に更新されねばならない。両者はわかちがたくたがひに結びついている。儀礼は神話によってその意義が明らかにされねば効力を失い、神話は儀礼によって描きだされねば不毛である。神話が儀礼の意味を明らかにさせるかぎりにおいて、神話は儀礼の解釈を与えているのである。」(『神話學入門』)と論じてゐる。

 

わが日本は、見事に文献上の「神話」と現實に生きて行はれてゐる「神話」とがわかちがたく結びついてゐる國である。「天皇の祭祀」は、「生きた神話」である。そしてそれは、日本國の統一と安定の基礎であり、日本文化の原基である。

 

「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の傳統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。維新とは、「今即神代」「高天原を地上へ」の實現である。

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