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2018年11月28日 (水)

天津日嗣日本天皇には「譲位」はあり得ても「退位」はあり得ない

 

本年(平成三十年)四月三日に「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う國の儀式などの挙行に係る基本方針について」が閣議決定された。政府が、「天皇の御譲位」ではなく「天皇の御退位」としてゐるのは、國體・皇室の傳統を隠蔽することとなる。

 

天皇陛下は、単に御位を退かれるのではない。日嗣の御子即ち皇太子殿下に御位を譲られるのである。先帝が新帝に御位を譲られることによって、萬世一系の血統と道統が継承される。これを「皇位継承・歴聖一如・皇統連綿」と申し上げる。「退位」といふ言葉は「皇位継承・歴聖一如・皇統連綿」といふ國體の道統が正しく示されず隠蔽されてしまふと考へる。

 

福永武氏は、「以前『不二』誌でも『譲位』は自発的で必ず後の続くことを想定してゐるが、『退位』は、他所からの強制や後に続かぬ可能性をも連想させると指摘したが、『神社新報』に掲載された佐野真人氏の論考『譲位の儀式について―古代の事例を主に―』によれば『退位』といふ語は天平宝字八年(七六四)、淳仁天皇廃位の時の孝謙太上天皇の宣命に『帝位をば退賜て』とのみ用ゐられた特異な例(『続日本紀』)であるといふ。『退賜て』は『退き賜て』ではなく『退け賜いて』と訓み、太上天皇の命により『廃位』させられたことを意味する。淳仁天皇は明治まで『淡路廃帝』と称された悲劇の帝であるが、この不吉を由来とする『退位』の語を憚りなく使用してゐることが、様々な誤解を与へてしまふ所以であらう。『譲位』といふ本来の語意であれば、当然、譲位・即位の御儀を分断する如き思考には及ばない。『退位』といふ語は『分断』や『空位』を連想させ、不安定な心理を惹き起こさせる」(『道の友』平成二十九年十二月号)と論じてゐる。

 

まことに正しい指摘である。「皇位の継承」とは文字通り「継承」であり、先帝から新帝に御位を譲られることにより皇統が「継承」される。天照大神から邇邇藝命・神武天皇・歴代天皇に継承されてきた「御位」即ち「天津日嗣」を継承する事を「皇位継承」と申し上げる。

 

「天津日嗣」とは「天照大神の御神霊を継ぐ」といふ意である。新帝が即位式に於いて「天津日嗣の髙御座」に登られるのは先帝に傳へられてきた天津日嗣を新帝が継承される事を意味する。歴代天皇の「詔」を拝してもそれは明らかである。

 

『文武天皇即位の宣命』(文武天皇元年八月十七日)には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命(おほみこと)受賜り恐み坐して、此の食國天下(をすくにあめのした)を調賜(ととのへたま)ひ平賜(たひらげたま)ひ、天下の公民(おほみたから)を惠賜ひ撫賜はむとなも、随神(かみながら)所思行(おもほしめ)さくと詔()りたまふ天皇(すめら)が大命(おほみこと)を、諸聞食(もろもろきこしめ)さへと詔る」と示されてゐる。 

 

『聖武天皇即位改元の宣命』(神亀元年二月四日)には「高天の原に神留り坐す皇(すめら)が親神魯岐(むつかむろぎ)・神魯美(かむろみ)の命の吾が孫(みま)の知らさむ食國天の下(をすくにあめのした)とよさし奉りしまにまに、高天の原に事はじめて、四方の食國天の下の政(まつりごと)を彌高に彌廣に、天津日嗣と髙御座(たかみくら)に坐()して、大八嶋國知ろしめす倭根子(やまとねこ)天皇(すめらみこと)の大命(おほみこと)に坐せ詔り給はく、此の食國天の下は掛けまくも畏き藤原の宮に天の下知ろしめししみましの父と坐す天皇の、みましに賜ひし天の下の業(わざ)と、詔り給ふ大命の聞こし食(め)し恐(かしこ)み受け賜り、懼(おそ)り坐()す事を衆(もろもろ)聞こし食さへと宣る」と示されてゐる。

 

『後陽成天皇譲位の宣命』(慶長十六年三月二十七日)には「朕、庸質(をぢなきみ)を以て、天日嗣を承け傳へ賜へる事、頗胥(すこぶ)る多歳に洎(およ)べり。菲徳(ひとく)の身は、此の位に堪ふ可からずと歎き畏み賜ひ、皇位(みくらい)を避け賜ひなむと所念行(おもほしめ)し、辭讓の心を以て禮を明かにし、惻隱の心を以て仁を行ひたまふ。法(のり)の隨(まにま)に有る可()き政を爲()て、既に吉曜(よきひ)良辰(よきとき)を撰び定めて、今日二品政仁親王(にほんまさひさのみこ)を皇太子(ひつぎのみこ)と定め賜ひ、此の天日嗣高座(あまつひつぎたかみくら)を授け賜ふ」と示されてゐる。

 

『明正天皇譲位の宣命』(寛永二十年十月三日)には「朕、薄徳を以て天日嗣を承け傳へ賜へる事、漸く年の序(ついで)を送れり。愚昧(おろか)の身は、此の位に堪ふ可からずと歎き畏み賜ひて、皇位(たかみくらい)を避けしめ賜ひなむと所念行(おもほしめ)してなむ、法の隨(まにま)に有る可き政と爲て、紹仁親王(つぐひとのみこ)を皇太子と定め賜ひて、此の天日嗣を授け賜ふ」と示されてゐる。

 

歴代天皇は、先帝より授けられ、譲られた「天津日嗣」を継承して天皇の御位に登られるのである。天津日嗣日本天皇には、本来、「譲位」はあり得ても「退位」はあり得ない。先帝が退位され、新帝が即位されるといふのは、肝心要の天津日嗣の継承といふ最も大切なことが隠蔽されることとなる。御位が先帝から譲られることを「皇位の継承」と申し上げるのである。

 

畏れ多いが、天皇陛下におかせられては、昨年(平成二十九年)十二月二十日に行はれた「記者會見」において、

 

「この度,再来年四月末に期日が決定した私の譲位については,これまで多くの人々が各々の立場で考え,努力してきてくれたことを,心から感謝しています。残された日々,象徴としての務めを果たしながら,次の時代への継承に向けた準備を,関係する人々と共に行っていきたいと思います。今年も残すところ僅かとなりましたが,来たる年が國民皆にとって良い年となるよう願っています」と仰せになった。

 

また、皇后陛下におかせられては、一昨年(平成二十八年)十月二十日、八十二歳の「地久節」(お誕生日)における「宮内記者會の質問に対する文書ご回答」で、

 

「八月に陛下の御放送があり,現在のお気持ちのにじむ内容のお話が傳えられました。私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。ただ,新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません」と記された。

 

さらに、皇后陛下は、昨年(平成二十九年)十月二十日、八十三歳の「地久節」(お誕生日)における、「宮内記者會の質問に対する文書ご回答」で、

「陛下の御譲位については,多くの人々の議論を経て,この六月九日,國會で特例法が成立しました。長い年月,ひたすら象徴のあるべき姿を求めてここまで歩まれた陛下が,御高齢となられた今,しばらくの安息の日々をお持ちになれるということに計りしれぬ大きな安らぎを覚え,これを可能にして下さった多くの方々に深く感謝しております」と記された。

 

天皇皇后両陛下共に、「譲位」と仰せになり、「退位」といふ言葉はお使ひになってをられない。政府が、「退位」といふ言葉を使ふのは、天皇皇后両陛下のご意向・ご意思に反する。

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