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2018年11月11日 (日)

『やまと』とは

 

「やまと」は、申すまでもなく日本国の意である。古義では、皇都のある国を中心としてその四辺を指したといふ。大和朝廷の都があった奈良盆地の東南地域が「大和(やまと)」と呼称されてゐたといふ。そして奈良中期になって、外国に対して日本国といふ観念になったといふ。

 

石井良助氏は、「やまと」とは、山門(やまと)即ち山への入り口といふ意であるとし、「そのやまとは三輪山辺りから東方の伊賀の山地に違いない。そして伊賀を超えれば伊勢である。大和より東方で、早朝太陽を仰ぐ勝地として五十鈴川の近辺に太陽神たる天照大神が祀られた」と論じてゐる。

 

高崎正秀氏は、「大和とは、神座を指す意味を持ってゐるから、山の神事を行ふ座席―山の神座―それがやまとではなかったらうか。そこで行われる神事儀礼の威力の及ぶ範囲が『やまと』と呼ばれ、これが次第に国名になり、日本総國に国号にまで拡大されていく」と論じてゐる。

 

「やまと」とは、「山上の神座(かみくら)」のことであり、「天皇が祭事を執行せられる地」を指したと思はれる。

 

「やまと」は、神話時代以来日本人の魂のふるさとであり、日本人の最も大切な心の置き所であった。日本武尊が恋慕した美しい国であった。古代歌謡や萬葉歌に「やまと」を歌ひこめた歌が多い。古代の歌人(うたびと)たちは常に「やまと」を思ひ、たとへ肉体は滅びても魂となって還るべき地が「やまと」であると思ってゐた。

 

元明天皇の御代の和銅六年(七一三)五月に『風土記』を編纂する勅令が出されると共に、雅字を用いた二字で地名を表すやうにとの勅令が下された。これを『好字二字令』『諸国郡郷名著好字令』と言ふ。

 

それまで、国名、郡名、郷名の表記の多くは、やまと言葉に漢字を当てたもので、漢字の当て方も一定しないことが多かったので、地名の表記を統一する目的で発せられた勅令である。

 

さらに、漢字を当てる際にはできるだけ好字(良い意味の字。佳字ともいふ)を用いることになった。そこでそれまで「やまと」は「倭」といふ漢字が充てられてゐたが、「大和」と言ふやうになったといふ。ちなみに「下毛野」は「下野」(現栃木県)、「上毛野」は「上野」(現群馬県)、「泉」は「和泉」(現大阪府南西部)と言ふやうになった。

 

「やまと」といふ国号に「日本」といふ漢字を用いるやうになったのは、大宝元年(七〇一)の『大宝律令』に、「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらしめすやまとのすめらみこと)」と記されたのが最初とされる。支那の歴史書『旧唐書』に、西暦七〇一年に栗田真人を首席とする遣唐使が、支那に対してはじめて「日本」の国号を用いたと記録されてゐるといふ。

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