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2018年11月25日 (日)

天皇の祭祀と皇位継承・軍事について

古代日本では、祭事を以て戦場に臨み、敵軍を守る精靈を圧伏した。古代のいくさは武の戦ひであったと共に、祈り・靈力の戦ひであった。戦士を「もののふ」といふ。「もののふ」の「もの」は、「物の怪」「物語」「物狂ひ」「物忌み」の「もの」と同じで「靈」のことである。古代における戦ひは、靈力を以て敵を圧倒することが第一であった。

 

 折口信夫氏は、「後代の軍人は、武器をもつ事を主として考へてゐるやうに見えるが、ものゝふは、神の爲事をしたのであって、力の根元は神にあった。『ものゝふ』といひ、或は『ものゝべ』といひ、同じ語の音韻變化から、後に分れては来てゐるが、もとは、意味が動揺してゐた。この團體は、神に仕へる時には、靈魂を扱ふ團體とも稱せられるべきものとなり、宮廷の生活に妨げを爲す魂(もの)防ぐ爲事を持った。『ものゝふ・ものゝべ』の『もの』は即、靈魂を指して居るのである。『べ』(部)は、職業團體を意味する」(『農民短歌史序説』)と論じてゐる。 

 

『陸海軍人に下し給へる勅諭』に「神武天皇躬つから大伴・物部の兵ともを率ゐ」と示されてゐるやうに、物部氏は軍事を担当する氏族であったが、それは同時に日本傳統信仰の祭祀も重要な役目であった。だから、佛教の流入に反対したのである。

 

ともかく、わが國においては、靈的力・信仰の力が軍事力の基礎である。それは古代のみならず今日に至る迄のわが國の傳統である。

 

第三十五代・皇極天皇は、祭り主としてのご使命を強く発揮あそばされ、日本の神々への祭祀を盛んに行はれた。神を祭り、神に祈り、神のお告げどおりに多くの建設を行はれ、百済大寺・飛鳥板蓋宮・吉野離宮そして壮大な祭祀場などを造営された。

 

皇極天皇が即位された年(五九四)の六月以来、わが國は旱魃に悩まされた。七月には、民衆も僧侶も雨乞ひの祈りを行ったが、効果はなかった。そこで、八月に、皇極天皇が南淵の川上に行幸され、雨乞ひの祈りを天に捧げられると、雷鳴と共に雨が降って来たといふ。その雨は五日間も降り続き、民衆は大喜びで、皇極天皇への敬慕の思ひが高まったと傳へられる。

 

第四十三代・元明天皇は、次のやうな御製をお詠みになっておられる。

 

ますらをの鞆(とも)の音すなりもののふのおほまへつぎみ楯立つらしも

(ますらをの鞆(弓を射る時に用いる皮製の防具。左手につけるもので弦を引   いて放つ時に音を立てたという)の音がする。武を司るもののふの大臣が楯を立てているらしい)

 

 元明天皇は天智天皇第四皇女・草壁皇子の妃・文武天皇の御母であらせられる。慶雲四年(七〇七)七月、御年四十七歳で即位。即位翌年の和銅元(七〇八)年三月、北方の蝦夷の反乱があり、兵士が討伐に向かったが、この御製はその時に、兵の訓練をしてゐる音を聞かれた時の御歌。その音を聞いて軍を率いる大臣が武備を整へてゐるのだらうと推察されたのである。御代の始めにあたってこのやうに兵を整へることに緊張を感じられた御歌。女性ながら、「すめらみこと」としての責任感・気迫・もののふの心・雄々しい心を表白されてゐる。

 

第百十七代・後櫻町天皇は、

 

まもれなほ伊勢の内外(うちと)の宮ばしら天つ日つぎの末ながき世を」

(どうかお護り下さい。伊勢の内宮外宮の神よ。天津日嗣日本天皇が統治する永遠の日本國を)

 

と詠ませられてゐる。後櫻町天皇は第百十五代・桜町天皇の第二皇女。江戸時

代の宝暦十三年(一七六三)に即位。

 

 「天津日嗣」とは、「天照大御神の靈統を継承する御方」といふ意である。天皇の神聖性はここより発する。「日」は「天照大御神の神靈」の御事である。

 

わが國悠久の歴史は、現御神としての御自覚で君臨あそばされた大君と、天皇を現御神として仰いだ國民とが支へてきたのである。天皇は地上においては天照大神の靈統の継承者・御代理としての御資格を有される。この御製はそのご自覚を高らかに歌ひあげられた御歌と拝する。

 

影山正治氏は、「(天津日嗣は)『もっもと大いなる〈ひ〉を継ぎつづける日本國の中心の御方』といふ意味である。『生命』─『いのち』の核心は『ひ』であり、『人』は『日子(彦)』と『ひ女(姫)』に分れる『ひ止』であって『ひのとどまったもの』であり、『ひを継ぎつづけること』によってこそ存在するものであるが、そのうちでも、最も中心的な、最も大いなる『ひ』を継ぎつづける日本の中心をなす『大生命』が『あまつひつぎ─天皇』の御存在である。」(『天皇の御本質』・「不二」昭和五十五年緑陰号)と論じてゐる。

 

「人」としての靈統は、男女の差別は全くなく継承されるのである。現御神即ち地上に現はれられた生きたまふ神であらせられる上御一人を、生物學上の男女としてのみ拝することはできない。天皇が現御神であらせられるといふことは、たとへ肉身においては女性であられても、生物學上の一般女性とは異なる使命を有される。君主として両性具有の御稜威を體現せられるのである。

 

平野孝國氏は、「(天津日嗣の)ツギの思想は、元来個人の肉体を超えて継承される系譜と思ってよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、宮廷のツギは日を修飾にして、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義である。」(『大嘗祭の構造』)と論じてゐる。

 

「個人の肉体を超えて継承される系譜」とは言っても、皇統に属するといふことが絶対の前提である。「男系であれ女系であれ、大嘗祭で天皇靈が降りてくれば天皇であるといふ議論は乱暴であり、それを容認するならば無法者が皇位を簒奪して大嘗祭をすれば天皇と認められるのであらうか」といふ議論があるが、皇祖皇宗の血統を継がれる皇族が即位の礼と大嘗祭を執行されることが絶対の前提であって、「皇位の簒奪を目論む無法者」が即位式や大嘗祭を執行できるはずがない。絶対に不可能である。

 

天照大御神の血統を継承される方が即位式を挙げられ大嘗祭を執行され皇位を継承されるのである。天皇は、先帝の崩御によって御肉體は替はられるが御神靈は新帝に天降られ再生されるのである。その御肉體・玉體・御血統は皇祖皇宗から繼承されなければならない。

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