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2018年10月31日 (水)

浅薄なる國體論の横行は是正されるべきである

 

最近『国体論 菊と星条旗』(白井聡氏著)、『丸山眞男と戦後日本の国体』(池田信夫氏著)というように「国体」を書名にした著作が刊行されている。白井氏の著書は友人に勧められて讀んだ。池田氏の著書は未読である。白井氏の本は「戦後の国体」「戦前の国体」ということが書かれている。池田氏の著書も書名を見ても分かる通りそういう分け方をしているのであろう。しかし、「國體」には戦前も戦後もない。肇国以来継承されてきた日本国の本来の姿・国柄を「國體」と言うのである。白井・池田両氏は、國體を単に「國家体制」という意味でとらえているのである。

 

三潴信吾氏は、「國體は、我国にあっては、如何なるものであるかといふと、約言すれば、(一)、祭政一致 (二)、萬世一系の天皇の統治 (三)、君民一体 といふことができる。」(『祭祀大権の本質及び統治大権との関係について』)

 

「國體とは、自主的普遍我たる国家の本質が、各国家の成立事実に立脚して各国家毎に、如何様に体現されて居るかといふことであって、各国家の國體の軽重は、その、国家の本質の体現の程度によって判定される。その要点は、国家の自主性、普遍性の確立保障にある。しかして、これを観察し得る最も重要なる中核点は、実に、国家人格の自主表現人たる元首の地位の本質にあり、具象的には、元首定立の態様に於て之を見ることができる。」(『祭祀大権の本質及び統治大権との関係について』)

 

「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」(『國體と政体について』)「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(國體と政体について)と述べられている。

 

小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『万世一系の天皇』を日本国の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の国柄の最大の特質がある。」(正統憲法復元改正への道標)と述べておられる。

 

こうした國體観をいかにして今の若者たちに分りやすく説くか、そして納得してもらうかが、今後の課題である。

 

日本天皇と日本国民は対立する権力関係にあるのではない。天皇と国民とは、天皇が民の平安と五穀の豊饒そして世界の平和を祈って行われる祭祀を基とした信仰的一体関係にある。したがって、「天皇を中心とした神の国」と「民の国」とは全く矛盾しないのである。

 

 

日本國體とは、天皇を中心とした精神的信仰的生命的な共同体のことである。単なる「国家の体制」のことではない。「体制」とは、ものの組み立てられた状態という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。したがって、「国家の体制」とは、無機的な権力機構としての国家組織のあり方即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、伝統的な日本國體を「国家の体制」と表現する間は誤りである。國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。

 

日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體>なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。浅薄なる國體論の横行は是正されるべきである。

 

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