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2018年10月17日 (水)

日本民族の自然信仰とは

 

梅原猛氏は、NHKの「Eテレ」の「3・11をどう生きる」(平成二十四年四月一日放送)といふ番組で、天台本覚思想・「草木もの言ふ」といふ思想が現代文明を乗り越える思想であると述べてゐる。「草木もの言ふ」思想は、『古事記』に語られてゐる。

 

『古事記』の「身禊」の条に、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。『日本書紀』には、「然(しか)も彼()の地(くに)に、多(さは)に蛍火の光(かがや)く神、及び蠅声す邪しき神有り。復(また)草木咸(ことごとく)に能()く言語(ものいふこと)あり」と記されてゐる。

 

自然の中に精霊が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文学的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

梅原猛氏はさらに、「『君が代』の『さざれ石が大きな岩となる』といふ言葉に草木国土悉皆成仏の心が込められてゐる。石も生きてゐる」と論じてゐる。

 

わが国の国歌である「君が代は 千代に八千代 に さざれ石の いはほ となりて 苔のむすまで」の元歌は、平安朝初期から知られていた「詠み人知らず」(作者不明)の古歌(『古今和歌集』巻第七及び『和漢朗詠集』に賀歌として収録)の一首「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」(わが君のお年は、千年も八千年も、小さな石が巌となって苔が生えるまで、末永くお健やかでいて下さい、といふほどの意)である。

 

石と岩の違ひは、石が成長した岩には魂が籠ってゐるといふことである。石が成長して大きくなり巌となるといふのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩といふ自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。

 

「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は、「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させずに霊力を賦活させ神聖化する意味である。

 

そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。魂の籠ってゐる「石」を「岩」と言ふと言っていい。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところである。

 

家に籠ることを「いはむ」といふ。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉(ふきつ) なこと、けがれたことをきらって避けることである。特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることを言ふ。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いはふ。いつく。ものいみする、といふ意)と同じ意である。「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含してゐる神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来てゐる。

 

日本の「家」(いへ)は、家を構成する人々つまり家族の魂が一処に籠ってゐるといふ意味である。従って、「君が代(天皇の御代)」が、「石」が「岩」になるまで続くといふことは、「天皇國日本」は魂の籠ってゐる永遠の國家であるといふことである。岩を霊的なものとしてとらへ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。そういふ信仰を歌ってゐる歌が『君が代』なのである。

 

古代日本人は、石や岩に亡くなった人の霊魂が憑依し籠ると信じた。人々は、死者を葬った場所に大きな石を置き、遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるといふ信仰に基づく。また、墓を岩石で作るのは、地下に眠る人の霊魂がその岩石に封じ込まれ滅多に地上に戻らないやうするためといふ説もある。墓所に用いられて石は、地下の霊界と地上の現界とをつなぐ役目を果たすのである。

 

石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考へた。このように、『國歌君が代』には日本國民の伝統的天皇信仰・自然信仰が高らかに歌いあげられている。

 

また梅原猛氏は、太陽信仰・水への信仰の大切さを説いてゐる。日本人がとりわけ尊ぶ自然は、日と水と火である。この三つは、人間の生活に欠かせぬものであり、この三つの恩恵を受けることなしには人は命を保つことが出来ないからである。故に、日本神道は太陽神と国土の神と水の神を崇める。日本神道は、その最高神として太陽神であられ天照大御神を崇めてゐる。奈良の大仏も大日如来も、日本の太陽信仰・天照大御神信仰の仏教的展開である。

 

龍神信仰は水の神への信仰である。『日本書紀』には、天武天皇・持統天皇の御代に、非常に多く地震そして津波が発生したことが記されてゐる。また、頻繁に水と風の神である「廣瀬・龍田の神」を祭り、五穀の豊穣と風水害を無きことを祈ったと記されてゐる。

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