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2018年10月10日 (水)

三輪山信仰について

三輪山は奈良県桜井市の大和盆地東南にある山。麓に古道「山邊の道」が通ってゐる。海抜四六七㍍。周囲十六㎞。麓に大物主神(大國主神の和魂ともされるが、元来は別神といふ)を祀る大神(おほみわ)神社が鎮座する。この神社の御神体が三輪山である。

 

 わが國には地域社會・共同体ごとに信仰の対象になる神の山があった。これを「神奈備(かむなび)信仰」といふ。大和盆地の東南に、紡錘形の美しい形で横たはってゐる三輪山の姿を、大和地方の人々は毎日仰ぎながら生活し、「神奈備」として古くから崇めて来てゐる。三輪山はわが國の原始信仰が今日において生きてゐる山である。

 

大和から近江に遷都するにあたって、大和の國の「神奈備」である三輪山に対して鎮魂をしなければならないといふことで國家的祭事が行はれ、宮中の祭事に仕へる巫女であった額田王によってこの歌は歌はれたとされる。

 

 三輪山と別れることを大和の人々は非常に悲しんだ。或いは三輪山の神の神威を恐れた。大和人にとって大和の國から去るといふ事は三輪山から去ることと同意義だった。さうした大和人の心を代表する形で額田王はこの歌を詠んだのである。                           

 

 わが國は三輪山信仰などの太古からの信仰が、今日唯今、生活の中に生

きてゐる。これが日本伝統信仰のすばらしさである。世界でも類ひ稀なことである。

 

三輪山を しかも隱すか 雲だにも 情(こころ)あらなむ 隱さふべしや

                              (十八)

 

「額田王、近江國に下りし時、作れる歌」の反歌(長歌のあとに添へる短歌。長歌の意を補足または要約した歌)。

「しかも」は、そんなに、そのやうにといふ意。「隱すか」のカは詠嘆。「雲だにも」のダニは、「せめて~だけでも」といふ意味を表す副助詞で、願望・打ち消し・命令などと呼応する言葉。「あらなむ」のナムは実現不可能なことを希求する助詞。「雲だにも情あらなむ隱さふべしや」は「雲でさへ心があってほしい。隠すべきでせうか。隠してはいけません」といふ意。

 通釈は、「三輪山をどうしてあのやうに隠すのだらう。せめて雲なりとも情けがあったならば、隠してよいものか、隠してくれるな」。

 本来心なき雲に心あれかしと願ふ心の背後にあるものは、どうしても三輪山そして三輪山が象徴する大和の國から離れたくないといふ悲しみの情念であらう。大和を離れ行く人々の大和と三輪山への愛着の思ひを切々と歌った歌である。三輪山に名残りを惜しむ深い宗教的感情或いは激しい恋情の心が歌はれてゐる。額田王にとって三輪山は単なる自然物ではなかった。

 

近江遷都が行はれたのは、天智天皇六年三月十九日、陽暦でいふと四月二十日のことであった。

 

『萬葉集』編者の言葉として、「山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、都を近江國に還しし時、三輪山を御覧(みそなは)せし御歌なりといへり」と書かれてゐる通り、この長歌と反歌は、天智天皇の御歌との傳承があるが、熟田津の船出の時のやうに、額田王が、天智天皇のご命令により代作したか、天皇のお立場に立って詠んだ歌とも考へられる。

 

 とすると、この歌は個人的な感傷を歌った歌ではなく、遷都の際、奈良山を越える峠の國境で行はれた三輪山の神に代表される大和の國魂への畏敬と鎮魂の祭事の歌として歌はれたといふことになる。

 

長歌の結句「情なく 雲の 隱さふべしや」と、反歌の結句「情あらなむ隱さふべしや」は、山への霊的な呼びかけであり自然の精霊との交感である。

 

三輪山が大和地方の神奈備であるといふことは、三輪山はその地に都を置いてゐた大和朝廷の信仰的権威の象徴でもあったわけである。だから、敏達天皇の御代に、蝦夷の反乱を討伐して蝦夷の酋長を大和に連れて来た時、泊瀬川(はつせがわ)で体を清めさせて、三輪山の神の御前で大和朝廷への服従を誓はせた。

 

 何故、三輪山が大和の「神奈備」になったのかといふと、山の姿そのものが美しかったことと共に、大和盆地の東南に位置する三輪山の方角から太陽が昇って来たからである。そして大和盆地の上を太陽が渡って二上山の方角に沈んだ。故に太陽信仰・日の神信仰の象徴として三輪山が仰がれた。三輪山信仰は、山そのものを御神体として拝むと共に、三輪山の背後から昇って来る日の神への信仰・太陽信仰でもあったと思はれる。

 

 三輪山の麓は大和笠縫邑(ヤマトカサヌイノムラ)といはれ、伊勢に祭られる前に天照大神が祭られた場所である。だからその地に鎮座する檜原神社(御祭神は天照大神)を元伊勢と申し上げる。天照大神は最初に三輪山の麓に祭られた後、各地を経巡られて、最後に大和盆地から直線上東方に位置する伊勢の地に鎮まられた。

 

 また、三輪山の麓から真直ぐ西に行ったところに、天皇御陵のやうに大きな箸墓といふ古墳がある。倭迹々日百襲姫命の御墓といはれてゐる。『書紀』には、倭迹々日百襲姫命に大物主神が神懸りしたと伝へられてゐる。つまりこの墓は三輪山の神を祭った巫女の墓といふことである。

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