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2018年10月20日 (土)

「山河を亡ぼすなかれ」とは「國體を亡ぼすなかれ」と同義である

 

野村秋介氏は、河野邸焼き打ち事件、経団連事件、朝日新聞本社における自決といふ当時の社会を震撼させた文字通り命懸けの三つの直接行動を実行した。戦前戦後を通じて、このような人物はいない。

 

敵に対する或は悪に対する闘争心は激しいものがあった。過激と言えば、野村氏ほど過激な発想を持ち、それを実行した人はいない。しかしその半面、野村氏は人の心の痛みがわかる實に心優しい人であった。私は親しくさせて頂いて、野村氏ほど他人に対して優しく思いやりのある人はあまりいないと思った。本当の志士とはまさに野村氏のような人であろうと思った。

 

野村氏が自決した時、「すめらみこと弥栄」を唱えられたと聞いて本当に感銘した。我々の運動の原点は「天皇陛下万歳」で「ありすめらみこと弥栄」である。

「僕も(注・大島渚氏に)言ったんだ。『…私の心の原点は萬葉集なんだ。萬葉集ぐらい面白い世界はない。セックスあり、恋あり、歌あり、自分の奥さんの兄さんを恋し、セックスする。それも一般庶民じゃなく、天皇さまがやっている」(「天皇の理念と権力悪の打倒」・『いま君に牙はあるか』所収)

 

私は永年『萬葉集』を勉強させていただいているので、野村氏のこの言葉に深く共感する。

 

野村秋介氏は、「ぼくたちは、新しい日本なんて全然いってない。一番古い日本を守りたいわけ。そのためには常に新しくならなきゃいけない、といってるんです。ぼくは天皇制擁護派じゃないんです。天皇擁護派で『制』を抜くわけ。ぼくは天皇派だからね」(太田竜氏との対談「天皇・民族そして革命とは何か」・『友よ山河を亡ぼすなかれ』所収)と語っている。

 

天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體は、決して政治制度はない。「國體護持」とは、親と子との関係と同じ精神的結合によって形成されている「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体」「母なる大地」である祖国日本を護持することである。「一番古い日本を守りたいわけ。そのためには常に新しくならなきゃいけない」といふ言葉は。まさに復古即革新即ち維新の根本原理である。

 

野村氏はまた、「ぼくにとっての陛下は日本の美しい山河と同義なんです。かりに日本が砂漠だらけで、山紫水明の風土がなければ、当然古神道も生れなかったし、神道に象徴される陛下の思想っていうのは生まれなかったと思う。」(座談会「残奸の思想を語る」・『友よ山河を亡ぼすなかれ』所収)と語っている。

さらに野村氏は、自決の際に遺した「天の怒りか、地の声か」という文章で次のように語った。

 

「私は寺山修司の

『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし

身捨つるほどの祖国ありや』

という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今『ある!』と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころの一つひとつに至るまで私にとっては、すべて祖国そのものである。寺山は『ない』と言った。私は『ある』と言う」。

 

日本傳統信仰たる神道とは自然崇拝と祖霊崇拝が大きな二つの軸である。野村氏が最後の言葉で言われた「山川草木、石ころの一つひとつに至るまで私にとっては、すべて祖国そのものである」の精神はまさにこの日本傳統信仰を述べたのである。それは「いのちあるもの拝む精神」である。そしてそれが、日本天皇の大御心なのである。天地自然の神々を祭りたまう天皇こそが、「日本なるもの」の体現者であらせられる。野村秋介氏が言われた「山河を亡ぼすなかれ」とは、「國體を亡ぼすなかれ」とまったく同義である。

 

野村秋介氏のご冥福とお祈りさせていただくと同時に、まさに存亡の危機にあるわが祖国日本を天上よりお護り下さいと切に祈らせていただきます。

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