« 千駄木庵日乗九月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗九月二十日 »

2018年9月20日 (木)

石破茂氏の歴史観について

この数日、たまりにたまった資料の整理をしているのだが、既に廃刊になってしまった『諸君』平成十九年三月号に掲載された論文と座談会で大変重大なことが語られ、書かれていたので紹介したい。

 

一つは、「防衛省誕生で日本は『普通の國』になれるか」という座談会で、今総裁選挙を戦っている石破茂氏は、「戦後レジーム脱却の核心があるとすれば、それは『集団的自衛権の行使を可能にすること』だろうと思います。私は『憲法改正しなくとも自衛権行使は可能』という論者ですが、日本が集団的自衛権を行使できるようにするには、以下の二つの歴史認識が不可欠です。まず第一は、『何故あのような戦争に突入してしまったのか?』という認識。なぜ勝ち目のない戦争に突入し、貴重な人命と財産をことごとく失い、国民には何も知らせないまま、破滅に陥ってしまったのかという視点です。第二は、先の戦争で日本がアジアの国々に対し、いかに多大な迷惑をかけたかに対する認識。私自身は、日中戦争はまぎれもなく侵略戦争だったと思いますし、一般人も巻き込んで大きな犠牲を強いたことは間違いないと率直に思います。『南京大虐殺はでっち上げ』『三十万も殺していない』という論争をよく見かけますが、たとえ百人の虐殺であっても虐殺に変わりはないわけですし、『他の國も同じような侵略をやっていた』という自己正当化の論理は、子供がよく言う『だって○○ちゃんのやってるもん』という言い訳と似たような発想です。迷惑かけた点については潔く謝罪したい。その上で、しかし戦後の日本は国際平和を重視し、日本の独立と安全のために必要な自衛力を持ち行動していくのだと訴えて行くことが必要なのです」と語っている。

 

私は防衛問題に関する石破氏の発言と言うか考え方には共鳴するところが多かったのだか、歴史観は大いに問題があると思っていた。今日この主張を讀んであらためてそのことを実感した。

 

「あの戦争」とひとくくりに言うが、満洲事変から日米戦争までの戦いが日本の一方的侵略であったという議論は全く成り立たない。歴史的事実に反する。「勝ち目のない戦争だった」という事は日米戦争で敗戦に追い込まれたからそう言われるのであって、満洲事変から日米戦争まで十年間の戦いは勝つために行ったし、始めから勝ち目がなかったなどということは全くない。事実、満洲国は建国されたし、支那大陸では日本は優勢な戦いを続けていた。

 

支那事変(所謂日中戦争)と日米戦争は、国際的謀略に引っかかって戰爭に追い込まれたのである。日本を戦争に追い込んだのはソ連とアメリカである。

 

「たとえ百人でも虐殺に変わりはない」などと言うのは全く最初から日本を悪者にしようという「反日思想」である。戦争は殺し合いである。まして敵の首都攻略において死者が出るのは当たり前である。それを「三十万人虐殺した」など言って日本を攻撃する支那の嘘八百をそのまま認めるわけにはいかない。それを百人でも三十万人でもで「虐殺は虐殺だ」などと日本の政治家か言うこと自体全く間違っている。

 

「迷惑かけた点については潔く謝罪したい。その上で、しかし戦後の日本は国際平和を重視し、日本の独立と安全のために必要な自衛力を持ち行動していくのだと訴えて行くことが必要なのです」と言うが、わが国は、「極東国際軍事裁判」という名の「復讐戦」に於いて、国家指導者が7人が絞首刑、16人が終身刑、2人が有期禁固刑となった。またその他各地で行われた「戦犯裁判」という名の「復讐戦」に於いて数多くの人々が処刑され、投獄された。そしてわが国は七年間軍事占領され、さらにアジア各国に戦後賠償を行った。そればかりではない。戦後七十三年間、支那や韓国などに対して謝罪させられ続けている。これ以上どう「謝罪」すればいいのか。

 

石破茂氏は、左翼・反日主義者とほとんど同じ「自虐史観」を持っているのだ。もっとも石橋だけを責め立てるわけにいかない。自民党の有力政治家の中にも、古賀誠氏や河野洋平氏など石破氏と同じような考え方の人は多い。

 

また、安倍晋三内閣総理大臣の「戦後70年談話」を讀むと 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」と書かれている。石破氏の歴史認識とそんなに変わりはない。実に以て困ったことである。

 

なお『諸君』の同じ号で西尾幹二氏は、「あの戦争(注・大東亜戦争)は非力なアジアの一国の自暴自棄の反乱だったのではない。始まる時には不安だったものの、ついにやったとの解放感もあり、勇気も湧き、希望も抱いていた。反西欧・反近代のナショナリズム、遅れて貧しいアジアの一国の捨て鉢な犯行ということですべて説明できる事態ではない。英米と互角だったからこそ可能になった、四年にもわたる長期戦である。単なる暴発でも、自爆でもない」「東京裁判は不法な政治裁判だった。共同謀議と言うあり得ない言いがかり、国際法が認めていなかった軍人や政治家の個人責任、戦争自体は犯罪ではないのを無視した侵略戦争の概念、侵略の定義の不可能、遡及法(条例の事後立法的性格)という異邦、等々の国際法上の矛盾はつとに知られる」「敗戦国の指導者が裁判で裁かれるというついぞ例のない現実を、心ある当時の日本の法律関係者は、悪夢を見るような、幻覚を見るような思いで見つめていた」「昭和二十年九月十一日、東條英機大将は自決に失敗したが、AP通信に、『大東亜戦争は敗けたとはいえ正しい戦いだったと自分は信じている。国民はよろしく戦いは正しかったという自信の下に大局の処置を誤らないように自重されたい』と所信表明をして、昏睡状態に入ったと当時の新聞は伝えている。政治指導者としての東條を評価するかどうかは別問題としても、この言葉の大意は素直に認めるべきで、私は多分この通りであったと共鳴している」(『勝者の裁き』―フセインと東條の『ここが違う』)と論じている。

 

西尾幹二氏の主張は全く正しい。大東亜戦争は決して侵略戦争ではなかった。アジアの国々に多大な迷惑をかけた戰爭では無かった。東亜解放の戦いであった。この歴史の真実を日本の政治家たる者しっかりと正しく認識していなければならない。

|

« 千駄木庵日乗九月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗九月二十日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/67186562

この記事へのトラックバック一覧です: 石破茂氏の歴史観について:

« 千駄木庵日乗九月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗九月二十日 »