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2018年9月23日 (日)

日本の傳統精神の核は「祭祀」よって傳へられてきた

 

日本の傳統精神・生活・文化の基本・核は「祭祀」といふ行事によって傳へられてきた。稲作を基本とした共同生活の中核には「祭祀」がある。「祭祀」とは神に仕へ奉り、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。

 

また、「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。つまり人と自然の本来の姿を回復し、神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。一言で言へば「神人合一の行事」である。

 

「祭祀」は、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。『古事記』冒頭に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠、直会などを行ふことによって、罪穢れを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰る行事である。言ひ換へると、一切の罪穢れを祓ひ去って「生成の根源」に回帰する行事である。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。 

 

「祭祀」は日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。日本傳統信仰の根本行事である祭祀を行ふ場がそのまま高天原すなはち天上の世界であり、祭祀を行ふ人がそのまま神と合一する。つまり、日本傳統信仰は、地上と天上、神と人との絶対的な隔てが無い。

 

日本は、太古以来の「祭祀」が今も「皇室祭祀」と「神社祭祀」と「家庭祭祀」として現實に生きてゐる。これは人類の奇跡と言ってよく、わが國の國柄が萬邦無比といはれる所以である。

 

わが日本生成以来今日に至るまで連綿と天神地祇への祭祀を続けて来られたお方が日本天皇であらせられる。日本天皇は、日本傳統信仰の最高の祭祀主であらせられ、日本傳統精神の體現者・自然保護の最高の實践者であらせられ、祭祀共同體日本の最高の祭祀主であらせられる。天皇は、天照大神の御神霊と一體となられた神聖なる存在であらせられ、常に國家と國民の安泰と五穀の豊饒を神に祈られるお方である。

 

日本の神々を祭られる祭祀主・日本天皇は、日本傳統精神を體現されてゐる。つまり「日本の道」は抽象的な教義として継承されてきたのではなく、<天皇の祭祀>といふ現實に生きる行事によって継承されてきてゐるのである。日本天皇は、神話時代からの傳統を継承され、實際に今日唯今も神話時代以来の祭祀を行はれてゐる。<天皇の祭祀>は、今に生きる神話である。

 

天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。わが國存立の基盤は、<天皇の祭祀>にある。天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。

 

稲作生活から生まれた神話の精神を、「祭祀」といふ現實に生きる行事によって、今日唯今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

<天皇の祭祀>においてわが國の傳統精神が現代において生きた形で継承され踏み行はれてゐる。天皇の「まつりの御精神」を仰ぎ奉ることが、わが國の道義の中核である。祭祀主・日本天皇を中心とする祭祀共同體・信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。 

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