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2018年8月10日 (金)

大東亜戦争の意義と『終戦記念日』

 毎年八月十五日の『終戦記念日』が近づくと思うことは、『終戦記念日』が「一億総懺悔」の暗く、重苦しく、憂鬱な日になってしまっていることである。これは、偏向マスコミ・左翼文化人たちをはじめとする反日勢力による『大東亜戦争侵略論』『戦没者は侵略戦争の駆り立てられた犠牲者』という宣伝が功を奏しているからである。

 

 しかし『終戦記念日』は断じて一億総懺悔の日ではない。先帝・昭和天皇陛下の『終戦の大詔』に、「道義を篤くし志操を鞏(かた)くし、誓って國体の精華を発揚し世界の進運に後(おく)れざらむことを期すべし」と示されているとおり、祖國日本の正しき発展のための出発の日である。

 

 先帝陛下は『終戦の大詔』においてさらに「同胞排擠(はいさい)互に時局を乱(みだ)り為に大道を誤り信義を世界の失ふが如きは朕最も之を戒む」と示されている。

 

このお言葉はまさに今日の日本の現状をそのまま予言されていると拝するべきである。先帝陛下の大御心を疎んじ奉ってきたことが、今日の日本の混迷の原因である。『終戦記念日』において道義國家建設の誓いを新たにするのが、政治家はもちろん全國民の義務であり責任である。

           

 祖國日本が近代において、欧米列強の侵略支配に抗して祖國の独立を維持し続けただけでなく、アジア解放に努力した歴史に対して、日本國民が誇りを持ち、先人たちに感謝し慰霊すべきなのである。

 

しかるに、今日の日本の多くの國民が、國内外の反日勢力の洗脳・宣伝によって、東京裁判史観・大東亜戦争侵略戦争論に汚染され、祖國への誇りと自信を喪失している。そして、日本近代史を「近隣諸國への侵略の歴史であった」として罪の意識のみを持ち先人を冒する風潮が横溢している。こうしたことは一刻も早く是正されねばならない。

 

 我々日本國民が日本近代史をどうとらえるかが、今日の日本人の精神構造やその國家観に大きな影響を与え、現実の政治・外交・教育など全てにわたることを規定する。

 

 近代日本が弱肉強食の世界で生き抜き、西欧列強の侵略に抗して独立を維持していくために、「富國強兵」「殖産興業」の合い言葉のもと近代國家建設を行ったことは、わが日本民族が誇りにすべき事実である。また、明治維新以後の日本の海外進出そしてその到達点としての大東亜戦争が、日本の一方的な侵略であったという歴史観は全く誤りである。

 

 近代日本史および大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

 

 一五世紀から一七世紀前半にかけて西欧諸國が航海・探検により海外進出を行った大航海時代から白人による世界支配が開始され、特に一九世紀の最後の四半世紀は帝國主義植民地獲得競争の最盛期であり、アフリカ全土が分割され、アジア・太平洋地域のほとんどが欧米の植民地となった。

 

 白色人種の帝國主義植民地獲得競争の波を世界で初めて阻止したのが日露戦争であり、今まで圧迫されてきた有色人種のナショナリズムを覚醒させ、各地に独立運動を発展させる端緒となった。

 

 シンガポールは英國のみならず白色人種のアジア支配の象徴であった。大東亜戦争開始直後における日本軍によるシンガポール陥落は、欧米のアジア支配の終焉を告げる弔鐘であった。チャーチルも「英帝國が終焉した理由は、英軍がアジア人の前で日本軍に惨敗したからである」と述べた。東南アジア諸國が独立したのは大東亜戦争が契機となったのであり、やがて植民地独立の波は全世界に広がり、アフリカに及んだ。

 

 欧米の植民地支配を終末に導いた日本に憎しみをぶつけ、再び日本が欧米の覇権を揺るがせないように弱体化しようとしたのが連合國の日本弱体化政策であり、その第一歩が「東京國際軍事裁判」であり、これに続くものが「占領憲法」であった。

 

 東京裁判では帝國主義植民地獲得競争の時代を除いて満洲事変以降のみを裁判の対象とし、日本に対する米英蘭などの包囲陣の形成と経済圧迫などの挑発や、支那における共産勢力の浸透の脅威に関する反証資料の多くを却下した。日本無罪論を唱えたインドのパール判事などの少数意見を無視し、筋書き通りに大東亜戦争を日本の軍部を中心とする共同謀議による侵略戦争として専ら日本を断罪した。

 

 戦勝國の日本占領政策は、東京裁判・神道指令・憲法の押しつけ・厳格な言論統制などを通じて日本人の精神面の弱体化を徹底した。有史以来未曾有の敗戦と異民族支配に動顛した日本は、東京裁判史観即ち大東亜戦争侵略論に汚染され、それは今日に至るまで続いている。

 

 戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

 

 日本の國の歴史に誇りを持つとは、歴史の中に生きた先人たちを大切にし、顕彰することにほかならない。大東亜戦争に殉じた英霊を崇敬し慰霊顕彰し、その遺徳を追慕するのは日本國民の心情である。皇軍兵士の勇戦奮闘は、わが國民が子々孫々に語り継ぐべき誇りである。

 

 その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

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